アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は灰の水曜日ですね。四旬節が始まります。
先日の聖伝のミサのレポートを皆様からいただきましたのでご紹介いたします。
大阪では、2月12日(月)に「憐みを乞い求める聖体降福式」を行いました。2月17日のミサの直後にも、大阪では公教要理に代わって「憐みを乞い求める聖体降福式 第二回目」を行いたいと思います。
東京では、2月18日の四旬節第一主日のミサの後で、灰の式を行います。灰の式の後、四旬節をよく過ごすために、日本と世界の平和のために、朝鮮半島での平和のために、共産化による統一が避けられるために、中国のカトリック信徒の方々のために、コロンビアのために、御聖体降福式を行う予定です。
私たちは平和のために祈ります。私たちには最強のICBMがあります。私たちのICBMは、Immaculatum Cor Beatae Mariae Virginis 童貞聖母マリアの汚れなき御心です。核(カク)の脅威に対抗するために、私たちは天主(カミ)の傘のもとに守られようと思います。私たちは天主の御母である聖母マリアにより頼みましょう。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
大阪での2月11日主日のミサの報告をお送りいたします。
2月11日 五旬節の主日には24名が、
2月12日 聖母マリアの僕の7人の創立者のミサには17名が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!
主日のお説教を通して、四旬節をよく過ごすためのウォーミングアップを仕上げて、灰の水曜日のスタートラインに立てるよう教会が私達を導いて下さっている事が良くわかりました。
また、その教会がペトロの岩の上に建てられている事の意味はイエズス様が三度「私を愛するか?」とペトロに尋ねられてペトロが三度「御身を愛しています」と宣言した、その「愛の宣誓」の上に教会が建っていて、それはこの日の書簡の聖パウロのいう「愛がなければ無」とこだましているように思いました。
聖福音に登場した盲目の乞食のように「憐れんで下さい!!」と、「私を憐れんでください」「私達日本を、韓国を、中国の教友を、憐れんで下さい!!」と今年が最初で最後の四旬節だという覚悟で叫びたいと思いました。
私の犠牲や祈りはあまりにも小さく、そのみじめな声はイエズス様に聞こえないかも知れないけれどマリア様の汚れなき御心をとおして叫べばイエズス様は最優先で聞いて下さることを私は小野田神父様から長い月日をかけて教えて頂きましたのでそのように叫ぼうと決心しました。
12日の御ミサの後には、憐みを乞い求める聖体降福式がありました。
これは、日本にとってどれほど大きなお恵みでしょうか!!
御聖体の前で跪きながら、私達が憐みを乞う機会をお与え下さったイエズス様の大きな愛に感動していました。
きっとこの大きなお恵みもマリア様がお取次ぎ下さって準備してくださったに違いないとも思いました。
至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え
【報告】
イエズス様の神殿への奉献とマリア様のお潔めの意義について
昨日は公教要理のお時間の中で、イエズス様の神殿への奉献とマリア様のお潔めの意義、必要性に対する異論に対する聖トマス・アクイナスの論じた解答について学ぶことができました。
この場を借りまして、まずもって、小野田神父様に対しまして、お忙しい中、私たちの公教要理のために、たくさんの準備を含めて、貴重なお時間をさいていただいたことに深く感謝いたします。
さて、今回の質問は、聖トマス・アクイナスの未完の大著である「神学大全」の中で論じられているということですが、
まず、イエズス様が神殿に奉献されたということに対する異論としては、次の3つ、すなわち、
(1)イエズス様は天主の御子であり、神殿に奉献される必要はそもそもなかったのになぜ奉献されたか、
(2)イエズス様の奉献において、律法に従い、鳩が用いられたのだが、イエズス様ご自身が真の生贄なので、鳩のようないわばイエズス様の「影法師」は必要なかったのではないか、
(3)イエズス様は天主の羔(こひつじ)であり、鳩は生贄としてふさわしくなかったのではないか、
が挙げられるということです。
聖トマス・アクイナスによればこの理由は「律法の下にある人々を購うために律法を果たしたのであり、これにより、イエズス様の神殿への奉献の意義、必要性、必然性が説明されるというようなことでした。
この御摂理は皮相的にとらえると先の異論が生じるのですが、よくよく、考えれば、「律法」が同時代において天主様がユダヤ人に与えた至高のメッセージであり、最高ランクの掟であったことからすれば、むしろ、律法に従わないということは、天主たるイエズス様が自ら定めたことを自ら侵してしまうということになり、サタンの攻撃材料を与えることにもなりかねなかったということもあるのではないかと自分なりに思いました。
次にマリア様のお潔めの意義、必要性に対する異論ですが、やはり次の3つ、すなわち、
(1)そもそも潔めとは汚いものがきれいになるためにすることであるのにもかかわらず、マリア様は無原罪であり、汚くないのだから、お潔めは不要であったのではないか、
(2)レビ記12章3-4節は現在を持つ一般の女性に対する教えであり、マリア様は聖霊によって身籠ったのだから、マリア様に適用するのは前提を欠くのではないか、
(3)潔めは「聖寵」により為されるものであるが、旧約の秘跡は聖寵を与えないし、また、マリア様はその聖寵の与え主たるイエズス様を有していたので、おかしくないか、
が挙げられるということでした。
これについては、キリストには潔めも奉献も要らなかったが、「謙遜と従順」の模範を示すことで、律法を承認、確認し、したがって、マリア様もそのようにされたということでありました。
ヤコブの書第4章6節に「神は高ぶるものをしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」にあるとおりということからも、神の嘉する行いは謙遜と従順であり、私たちはこのことからその重要性をよくよく理解し、実践しなければならないと思いました。
以上、私の理解するところを一言で言い表すと、「律法の成就」と「謙遜と従順」がそれらを根拠づけたということになります。
私は、かりにイエズス様の神殿への奉献がなかりせば、マリア様のお潔めがなかりせばということを想起するとその果たした意味がわかるのではないかとも思いました。
乱筆乱文お許しくださいませ。また私の理解が不足あるいは違っていればご指摘くださいませ。
至聖なるイエズスの聖心、我らを憐れみ給え!
天主の聖母、我らのために祈りたまえ!
聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ!
【手紙】
中国のカトリック信徒の方々の為にお祈りさせて頂きます。大変です。避難所であるマリア様の汚れ無き御心が中国のカトリック信徒の方々を守り導いて下さいますように!
【手紙】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
안녕하세요! 내일 올림픽 개막식 네요.
ケンティの聖ヨハネのお話、とても良かったです!
神父様のお説教でケンティの聖ヨハネという聖人さまのことを初めて知りました。
いつもありがとうございます。
【手紙】
使徒職の秘訣、いつも興味深く読ませて頂いております!ありがとうございます!
ヨゼフ様の初水曜日の信心もブログで毎月仰って下さってありがとうございます!
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「主よ、何故あなたは寝ているのですか?起きて下さい。私たちの苦しみを忘れてしまったのですか?さぁ、助けて下さい。」2017年2月19日(主日)六旬節の主日のミサ 小野田神父 説教
聖霊降臨後第23主日の固有文 昇階唱 Liberasti nos, Domine 「主よ、御身は私たちを解放し給うた」を黙想する。これは六旬節の主日の入祭唱の祈りに答えているかのようです。
教会における慎みのある服装について ギウール司教(Msr GIEURE)の四旬節の教書より
「四旬節は断食をする」のは、一体何故なのか?
「人よ、汝は塵であり、塵に戻る事を覚えよ」
愛を込めた祈りと、犠牲について。ー「百夫長」の信仰に倣うにはー
四旬節第2主日 説教「御変容」とは一体何なのか。その教えとは?私たちのなすべきことは何か。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は灰の水曜日ですね。四旬節が始まります。
先日の聖伝のミサのレポートを皆様からいただきましたのでご紹介いたします。
大阪では、2月12日(月)に「憐みを乞い求める聖体降福式」を行いました。2月17日のミサの直後にも、大阪では公教要理に代わって「憐みを乞い求める聖体降福式 第二回目」を行いたいと思います。
東京では、2月18日の四旬節第一主日のミサの後で、灰の式を行います。灰の式の後、四旬節をよく過ごすために、日本と世界の平和のために、朝鮮半島での平和のために、共産化による統一が避けられるために、中国のカトリック信徒の方々のために、コロンビアのために、御聖体降福式を行う予定です。
私たちは平和のために祈ります。私たちには最強のICBMがあります。私たちのICBMは、Immaculatum Cor Beatae Mariae Virginis 童貞聖母マリアの汚れなき御心です。核(カク)の脅威に対抗するために、私たちは天主(カミ)の傘のもとに守られようと思います。私たちは天主の御母である聖母マリアにより頼みましょう。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
大阪での2月11日主日のミサの報告をお送りいたします。
2月11日 五旬節の主日には24名が、
2月12日 聖母マリアの僕の7人の創立者のミサには17名が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!
主日のお説教を通して、四旬節をよく過ごすためのウォーミングアップを仕上げて、灰の水曜日のスタートラインに立てるよう教会が私達を導いて下さっている事が良くわかりました。
また、その教会がペトロの岩の上に建てられている事の意味はイエズス様が三度「私を愛するか?」とペトロに尋ねられてペトロが三度「御身を愛しています」と宣言した、その「愛の宣誓」の上に教会が建っていて、それはこの日の書簡の聖パウロのいう「愛がなければ無」とこだましているように思いました。
聖福音に登場した盲目の乞食のように「憐れんで下さい!!」と、「私を憐れんでください」「私達日本を、韓国を、中国の教友を、憐れんで下さい!!」と今年が最初で最後の四旬節だという覚悟で叫びたいと思いました。
私の犠牲や祈りはあまりにも小さく、そのみじめな声はイエズス様に聞こえないかも知れないけれどマリア様の汚れなき御心をとおして叫べばイエズス様は最優先で聞いて下さることを私は小野田神父様から長い月日をかけて教えて頂きましたのでそのように叫ぼうと決心しました。
12日の御ミサの後には、憐みを乞い求める聖体降福式がありました。
これは、日本にとってどれほど大きなお恵みでしょうか!!
御聖体の前で跪きながら、私達が憐みを乞う機会をお与え下さったイエズス様の大きな愛に感動していました。
きっとこの大きなお恵みもマリア様がお取次ぎ下さって準備してくださったに違いないとも思いました。
至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え
【報告】
イエズス様の神殿への奉献とマリア様のお潔めの意義について
昨日は公教要理のお時間の中で、イエズス様の神殿への奉献とマリア様のお潔めの意義、必要性に対する異論に対する聖トマス・アクイナスの論じた解答について学ぶことができました。
この場を借りまして、まずもって、小野田神父様に対しまして、お忙しい中、私たちの公教要理のために、たくさんの準備を含めて、貴重なお時間をさいていただいたことに深く感謝いたします。
さて、今回の質問は、聖トマス・アクイナスの未完の大著である「神学大全」の中で論じられているということですが、
まず、イエズス様が神殿に奉献されたということに対する異論としては、次の3つ、すなわち、
(1)イエズス様は天主の御子であり、神殿に奉献される必要はそもそもなかったのになぜ奉献されたか、
(2)イエズス様の奉献において、律法に従い、鳩が用いられたのだが、イエズス様ご自身が真の生贄なので、鳩のようないわばイエズス様の「影法師」は必要なかったのではないか、
(3)イエズス様は天主の羔(こひつじ)であり、鳩は生贄としてふさわしくなかったのではないか、
が挙げられるということです。
聖トマス・アクイナスによればこの理由は「律法の下にある人々を購うために律法を果たしたのであり、これにより、イエズス様の神殿への奉献の意義、必要性、必然性が説明されるというようなことでした。
この御摂理は皮相的にとらえると先の異論が生じるのですが、よくよく、考えれば、「律法」が同時代において天主様がユダヤ人に与えた至高のメッセージであり、最高ランクの掟であったことからすれば、むしろ、律法に従わないということは、天主たるイエズス様が自ら定めたことを自ら侵してしまうということになり、サタンの攻撃材料を与えることにもなりかねなかったということもあるのではないかと自分なりに思いました。
次にマリア様のお潔めの意義、必要性に対する異論ですが、やはり次の3つ、すなわち、
(1)そもそも潔めとは汚いものがきれいになるためにすることであるのにもかかわらず、マリア様は無原罪であり、汚くないのだから、お潔めは不要であったのではないか、
(2)レビ記12章3-4節は現在を持つ一般の女性に対する教えであり、マリア様は聖霊によって身籠ったのだから、マリア様に適用するのは前提を欠くのではないか、
(3)潔めは「聖寵」により為されるものであるが、旧約の秘跡は聖寵を与えないし、また、マリア様はその聖寵の与え主たるイエズス様を有していたので、おかしくないか、
が挙げられるということでした。
これについては、キリストには潔めも奉献も要らなかったが、「謙遜と従順」の模範を示すことで、律法を承認、確認し、したがって、マリア様もそのようにされたということでありました。
ヤコブの書第4章6節に「神は高ぶるものをしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」にあるとおりということからも、神の嘉する行いは謙遜と従順であり、私たちはこのことからその重要性をよくよく理解し、実践しなければならないと思いました。
以上、私の理解するところを一言で言い表すと、「律法の成就」と「謙遜と従順」がそれらを根拠づけたということになります。
私は、かりにイエズス様の神殿への奉献がなかりせば、マリア様のお潔めがなかりせばということを想起するとその果たした意味がわかるのではないかとも思いました。
乱筆乱文お許しくださいませ。また私の理解が不足あるいは違っていればご指摘くださいませ。
至聖なるイエズスの聖心、我らを憐れみ給え!
天主の聖母、我らのために祈りたまえ!
聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ!
【手紙】
中国のカトリック信徒の方々の為にお祈りさせて頂きます。大変です。避難所であるマリア様の汚れ無き御心が中国のカトリック信徒の方々を守り導いて下さいますように!
【手紙】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
안녕하세요! 내일 올림픽 개막식 네요.
ケンティの聖ヨハネのお話、とても良かったです!
神父様のお説教でケンティの聖ヨハネという聖人さまのことを初めて知りました。
いつもありがとうございます。
【手紙】
使徒職の秘訣、いつも興味深く読ませて頂いております!ありがとうございます!
ヨゼフ様の初水曜日の信心もブログで毎月仰って下さってありがとうございます!
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聖霊降臨後第23主日の固有文 昇階唱 Liberasti nos, Domine 「主よ、御身は私たちを解放し給うた」を黙想する。これは六旬節の主日の入祭唱の祈りに答えているかのようです。
教会における慎みのある服装について ギウール司教(Msr GIEURE)の四旬節の教書より
「四旬節は断食をする」のは、一体何故なのか?
「人よ、汝は塵であり、塵に戻る事を覚えよ」
愛を込めた祈りと、犠牲について。ー「百夫長」の信仰に倣うにはー
四旬節第2主日 説教「御変容」とは一体何なのか。その教えとは?私たちのなすべきことは何か。