2018年1月7日(主日)イエズス、マリア、ヨゼフ、聖家族の祝日のミサ
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2018年1月7日、イエズス、マリア、ヨゼフ、聖家族の祝日を祝っています。今日は今年最初のミサで、皆さんに新年の祝福とお慶びを申し上げます。
今日はとても嬉しいニュースがあります。1つは、今日、聖家族の祝日に、幼児洗礼が2名あります。どうぞこの2人の、今日聖人となる赤ちゃんたちの為にお祈り下さい。ますます多くの子供たちに恵まれて、ますますここの教会で小さなお祈りの声が聞えますように願っています。
また今年は4月1日が復活祭です。聖ピオ十世会では、12年に1度の総会というのが今年開かれます。それは7月にあります。どうぞこの総会の為に、皆さんの特別の祈りをお願い致します。このミサはその総会の成功の為に捧げられております。1ヶ月に1度、司祭がこのミサを捧げて、皆さんにそのミサに与るようにと招くようにと、私たちの会の方針で招待されています。どうぞ特別にお祈り下さい。聖ピオ十世会がいつも守られて、マリア様とヨゼフ様に奉献されイエズス様の聖心に奉献されたこの会が、聖家族によって守られますようにお願いします。
今日のこの御ミサの後にはいつもの通り、ミサの後の祈りをしますけれども、そのミサの後の祈りの終わりには、イエズス様の接吻の式を、御公現節ですのでイエズス様に接吻式を行いたいと思います。ローマでは毎日のように、クリスマスから御公現節の時にはしているのを見ました。私たちもそれに倣おうと思っています。
今日は公教要理がクリスマス休暇でありません。そこで14時30分から晩課があります。その後で私はまた別の洗礼式の方へ参ります。
“Et erat subditus illis.”
「そしてイエズスは、彼らに服従された。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は聖家族の祝日で、福音ではイエズス様の私生活をまとめる、その本質をまとめる4つのラテン語の単語が出てきました。「イエズス様は、ヨゼフ様とマリア様に服従しておられた」という事です。そこで今日はぜひ皆さんに3つのポイントを黙想する事を提案します。
1つは、ではイエズス様の30年の私生活の内において一体どんな事があったのか?そのどんな出来事があったのか?という事を少し垣間見る事に致しましょう。たとえばエジプトに避難した、あるいはナザレトに戻ってナザレトで生活しておられた。
イエズス様はでは、一体どのように服従しておられたのか?どのような生活をされているのか?
最後に、私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。
昨日は公教会では御公現の大祝日でした。聖ヨゼフ様はおそらく、救い主に関する預言を知っていたので「救い主はダヴィドの町から来なければならない」という事で、もしかしたらベトレヘムに居を構えるという事を計画していたのかもしれません。イエズス様がお生まれになった時には、マリア様もヨゼフ様も、誰も受け入れる人がいなく、寒い道端で、あてどもなく、マリア様がイエズス様をお生みになったのは馬小屋でした。暖房もなく、あったのは馬の息だけでした、牛の息だけでした。
イエズス様は本当ならば、天の王、全ての全宇宙の所有者ですから支配者ですから、誰よりも大きな、最も豪華な絢爛キラキラの黄金の御殿の温かいお部屋に、柔らかいベッドに、多くの召し使いたちを引き入れて、きれいな所にお生まれになっても、それでも足りない、不足しているはずだったのですけれども、お生まれになったのは馬小屋でした。
しかし3人の博士が来た時には、「彼らは家に入った」とありますので、もしかしたらヨゼフ様は何らかの所に住む事ができたのかもしれません。あるいは羊飼いたちが、「どうぞヨゼフ様、使って下さい」と提供したのかもしれません。
私たちも聖家族に私たちの心を提供する事ができたら、聖家族に来て下さる事ができたら、どれほど嬉しい事でしょうか。
3人の博士が帰って行くと、おそらく「また来ます」と言って帰ったのかもしれません。ところが、おそらく詳しい事情は分かりませんけれども、召し使いか何かが遣わされて、「夢で、ヘロデの元には戻るなと言われたので、もう会う事ができない」と伝えたのかもしれません。とにかくその聖家族は、この3人の王様たちが博士たちがやって来て、子供を見るなり礼拝して、贈り物を捧げたのを驚いて見ました。
きっと3人の博士たちは、マリア様に出来事を話されたに違いありません、「私どもは東の国の博士でございます。星を見て参りました。私どもの言い伝えによるとこの星は、『ユダヤで偉大なる王、世界を支配する王がお生まれになる時に特別の星が現れる』という言い伝えがございます。その星に導かれて参りました。ところが首都を目指して参りますと、星が消えてしまったので、王様の生まれた所を探して、ヘロデ王様をお尋ねしました。すると驚いた様子で、何も知っておられないようでしたが、律法学士たちに聞くと、『ベトレヘムで生まれる』との事だったのです。そこでその事を聞いてベトレヘムまでやって来ようと思いました。ヘロデ王様も、『ぜひ私も行って拝みたいから、詳しく星が出た時の時間や場所や、その他詳しい情報を教えてくれ』と頼まれました。また『会ったら、子供を見つけたらぜひ報告しなさい』と言ったので、これから報告しようと思っています。でもまた戻ってきます」などとマリア様にお知らせしたに違いありません。なぜかというと聖ルカは、おそらくマリア様から聞いたと思われる聖ルカの福音には、その事が詳しく書かれているからです。
しかし、「へえ〜。」マリア様は「あぁ、」非常に単純で素直な方で優しいお方だったので、「あぁ、ヘロデは自分の妻も、自分の義理のお父さんも、自分の義理のお母さんも、義理の兄弟も、自分の王の座を狙っていると思ったら虐殺したし、自分の子供たちさえも殺しているし、最も忠実な部下や友達も殺したし、多くの家来たちも殺している。へえ〜、このようなヘロデ王がこの幼子を礼拝に来るなんて、回心でもしたのかしら」等と思われたのかもしれません。
しかし博士たちが帰って夜中に、ヨゼフ様は夢を見ます、「ヨゼフ、起きよ。幼子と母を連れてエジプトへ逃げよ。ヘロデは幼子の命を狙っている。さぁ。」もちろんエジプトまでには10日の道のりがかかります。食べ物も必要です。冬は寒いし、12月の冬は寒いし、しかし砂漠ですから日中はものすごく暑いし、食べ物も飲み物も、地図も必要です。どうやって行ったらよいだろうか、聞かなければなりません。準備は一体、ありません。しかし聖ヨゼフはすぐにマリア様を起こします、「マリア、さぁ起きなさい。エジプトに逃げよう。ヘロデが幼子の命を狙っている。」2人は夜中に、その時にその瞬間に出て行きました。何という御摂理に対する信頼と従順でしょうか。
ヨゼフ様はどれほど御心痛を受けた事でしょうか、「一体将来どうなるだろうか?一体どうやって食べていったら良いのだろうか?一体言葉は通じるのだろうか?一体どんな仕事をしたら良いだろうか?一体どこに住めば良いんだろうか?」「御摂理のままに」でした。10日間どこに宿をとられて、どのように身を守ったのか、私たちは想像するしかありません。
マリア様がヨゼフ様と一緒に逃げておられる間、ベトレヘムでは赤ちゃんたちがヘロデの手によって虐殺されていきました。2歳以下の子供たちは母親から握り取られて殺害されました。
ヨゼフ様と聖家族はエジプトで何年か過ごされたはずですけれども、イエズス様が12歳になる前までには、エジプトを去ったはずです。エジプトでの生活はどれほど大変だった事でしょうか。博士から貰った贈り物も全て使い果たしてしまったのかもしれません。
第2の点は、聖ヨゼフはそれでもベトレヘムに戻ろうと思いました。なぜかというと預言によれば、「ベトレヘムは小さな町ではない。なぜならそこからイスラエルを導く者が生まれるからだ。」そこで、「きっとベトレヘムでこそ、救い主は生活するべきではないだろうか」とヨゼフ様は思ったに違いありません。しかし夢で、「ベトレヘムには帰っては行けない。ナザレトに行くように。」それに従って、ナザレトで生活します。ナザレトではもう何年も経った後で、マリア様の家もボロボロだったに違いありません。もしかしたら他の人が使っていたかもしません。当時、誰も使っていなかった家は何年も経つと他の人のものになってしまいます、放棄されたと思われるからです。
聖ヨゼフはまたゼロから始めなければならなかったに違いありません。どれほど大変だった事でしょうか。中には、ヨゼフ様は貧しかったのでちゃんとした賃金を払われなかったかもしれません。あるいはとても優しかったので、多くの貧しい人を助ける為に働いたかもしれません。
マリア様も同様です。マリア様はおそらくイエズス様にいろはにほへとを教えて、お祈りの仕方を教えたり、聖書の話をしたり、モーゼの話をしたりされたかもしれません。もちろんイエズス様は真の天主ですから、天主としては永遠の知識を持って、人間としてでも、特別の注入された知識を持っていました。しかしそれと同時に、人間の子供が普通に生活するように、体験上の知識も持っていました。マリア様から教えられた通りに、すくすくと体もますます大きくなって育っていきました。「人と天主の前に、聖寵も背丈もいや増していた」と書かれています。
イエズス様の顔はマリア様とそっくりだったに違いありません。「あぁ、この子はあなたそっくりね」とマリア様は言われたかもしれません。でも本当は、マリア様の方がイエズス様にそっくりだったに違いありません。イエズス様はマリア様のやる事を真似されたに違いありません。マリア様の仰る通りの言い方を、マリア様の感じるような事を、マリア様がなさるような事を、イエズス様もなさったに違いありません。
大きくなってイエズス様が貧しい人を見るとすぐに、「かわいそうだ。助けたい」と思ったり、あるいはエルサレムについて涙を流したり、ラザロについて涙を流したり、とても憐れみの深い優しい青年として育っていきました。またマリア様もヨゼフ様もダヴィドの王家の出身ですから、王としてきっと身長も高く、聖骸布でも見た通り分かりますが、身長も高く、体もがっちりしていて、とても威圧感のある権威をお持ちの王位にふさわしい方だったに違いがありません。イエズス様が太い声でお話する時に、皆が「あぁ、その通りだ」と納得するような、そんな話し方をしたに違いありません。
そのイエズス様は33年間、この地上で生活します。天主の御子、人となった天主、33年間のうち30年間、人生の90パーセントを、ほぼマリア様の元で、ヨゼフ様の元で、家庭の生活を送られました。
イエズス様は御死去の前に、洗足式の時に弟子たちに言います、「私はお前たちに模範を示した。」足を洗っただけの模範ではありません。イエズス様の全生涯が私たちの模範でした。その模範によると、イエズス様は全くマリア様に瓜二つで、マリア様に全て従順で、良き息子としておられた、という模範を示しています。
天主が人となったのみならず、貧しく幼子として馬小屋で生まれたのみならず、永遠の知恵、全能の天主、終わりもなく始めもない、永遠の御言葉、天主の聖父の輝きであるイエズス・キリストは30年間、この地上での生活のほとんどを、マリア様の元で、マリア様に服従して生活された、という事を教えています。何という御謙遜でしょうか。何という事でしょうか。
ある日、ナインという所で未亡人のお母さんが一人息子を亡くして、その葬式の行列を見ました。するとイエズス様はとても感動して、その姿にもうあたかもどうする事もできないかのように、その母親の元に行って、「泣くではない」と言います。この母親を慰めようとします。青年に向かって、「起きよ」と言います。この子供を一人息子を復活させて、母親に返します。イエズス様は大体奇跡を起こす時には、「あなたは信じるか」信仰を求めますが、この寡婦の場合には何も求めませんでした。おそらくマリア様の事を思い出していたに違いありません、考えていたに違いありません。ナザレトに置いてきたマリア様、その30年間の生活をしたけれども、それを置いてきたマリア様、将来自分が死ぬのをご覧になるマリア様の事と、姿が一致されたに違いありません。
では今日私たちはこの聖家族の祝日に、どんな遷善の決心を取ったら良いでしょうか?もしよろしければ3つ提案するのを許して下さい。
1つは、イエズス様に倣って、天主がもしも被造物であるヨゼフ様やマリア様に従ったのであれば、私たちは更に従わなければならない、私たちにその置かれた権威に従わなければならない、その謙遜の徳を乞い願いましょう。この1年を2018年を、私たちの家族、私たち自身全て、イエズス様とマリア様とヨゼフ様、聖家族に奉献致しましょう。私たちがこの聖家族を真似る事ができますように。
第2には、イエズス様に更に真似る為に、私たちもますますマリア様に瓜二つとなる事ができますように、マリア様のお望みの通りに生活する事ができますように、その徳をこの今年1年乞い求めましょう。マリア様がお望みになる事は、イエズス様がお望みになる事です。イエズス様がお望みなる事は、マリア様がお望みになる事だからです。
最後には、この聖家族の中心は、イエズス・キリストでした。祈りと犠牲の生活でした。この地上での生活は非常に苦しいものでした。しかしこの聖家族は天主の御旨を果たす為に、祈りと犠牲の生活を送っておられました。願わくは、私たちもこのこれに倣う事ができますように、従順と、マリア様に倣う事と、祈りと犠牲の生活を送る事ができる徳を乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2018年1月7日、イエズス、マリア、ヨゼフ、聖家族の祝日を祝っています。今日は今年最初のミサで、皆さんに新年の祝福とお慶びを申し上げます。
今日はとても嬉しいニュースがあります。1つは、今日、聖家族の祝日に、幼児洗礼が2名あります。どうぞこの2人の、今日聖人となる赤ちゃんたちの為にお祈り下さい。ますます多くの子供たちに恵まれて、ますますここの教会で小さなお祈りの声が聞えますように願っています。
また今年は4月1日が復活祭です。聖ピオ十世会では、12年に1度の総会というのが今年開かれます。それは7月にあります。どうぞこの総会の為に、皆さんの特別の祈りをお願い致します。このミサはその総会の成功の為に捧げられております。1ヶ月に1度、司祭がこのミサを捧げて、皆さんにそのミサに与るようにと招くようにと、私たちの会の方針で招待されています。どうぞ特別にお祈り下さい。聖ピオ十世会がいつも守られて、マリア様とヨゼフ様に奉献されイエズス様の聖心に奉献されたこの会が、聖家族によって守られますようにお願いします。
今日のこの御ミサの後にはいつもの通り、ミサの後の祈りをしますけれども、そのミサの後の祈りの終わりには、イエズス様の接吻の式を、御公現節ですのでイエズス様に接吻式を行いたいと思います。ローマでは毎日のように、クリスマスから御公現節の時にはしているのを見ました。私たちもそれに倣おうと思っています。
今日は公教要理がクリスマス休暇でありません。そこで14時30分から晩課があります。その後で私はまた別の洗礼式の方へ参ります。
“Et erat subditus illis.”
「そしてイエズスは、彼らに服従された。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は聖家族の祝日で、福音ではイエズス様の私生活をまとめる、その本質をまとめる4つのラテン語の単語が出てきました。「イエズス様は、ヨゼフ様とマリア様に服従しておられた」という事です。そこで今日はぜひ皆さんに3つのポイントを黙想する事を提案します。
1つは、ではイエズス様の30年の私生活の内において一体どんな事があったのか?そのどんな出来事があったのか?という事を少し垣間見る事に致しましょう。たとえばエジプトに避難した、あるいはナザレトに戻ってナザレトで生活しておられた。
イエズス様はでは、一体どのように服従しておられたのか?どのような生活をされているのか?
最後に、私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。
昨日は公教会では御公現の大祝日でした。聖ヨゼフ様はおそらく、救い主に関する預言を知っていたので「救い主はダヴィドの町から来なければならない」という事で、もしかしたらベトレヘムに居を構えるという事を計画していたのかもしれません。イエズス様がお生まれになった時には、マリア様もヨゼフ様も、誰も受け入れる人がいなく、寒い道端で、あてどもなく、マリア様がイエズス様をお生みになったのは馬小屋でした。暖房もなく、あったのは馬の息だけでした、牛の息だけでした。
イエズス様は本当ならば、天の王、全ての全宇宙の所有者ですから支配者ですから、誰よりも大きな、最も豪華な絢爛キラキラの黄金の御殿の温かいお部屋に、柔らかいベッドに、多くの召し使いたちを引き入れて、きれいな所にお生まれになっても、それでも足りない、不足しているはずだったのですけれども、お生まれになったのは馬小屋でした。
しかし3人の博士が来た時には、「彼らは家に入った」とありますので、もしかしたらヨゼフ様は何らかの所に住む事ができたのかもしれません。あるいは羊飼いたちが、「どうぞヨゼフ様、使って下さい」と提供したのかもしれません。
私たちも聖家族に私たちの心を提供する事ができたら、聖家族に来て下さる事ができたら、どれほど嬉しい事でしょうか。
3人の博士が帰って行くと、おそらく「また来ます」と言って帰ったのかもしれません。ところが、おそらく詳しい事情は分かりませんけれども、召し使いか何かが遣わされて、「夢で、ヘロデの元には戻るなと言われたので、もう会う事ができない」と伝えたのかもしれません。とにかくその聖家族は、この3人の王様たちが博士たちがやって来て、子供を見るなり礼拝して、贈り物を捧げたのを驚いて見ました。
きっと3人の博士たちは、マリア様に出来事を話されたに違いありません、「私どもは東の国の博士でございます。星を見て参りました。私どもの言い伝えによるとこの星は、『ユダヤで偉大なる王、世界を支配する王がお生まれになる時に特別の星が現れる』という言い伝えがございます。その星に導かれて参りました。ところが首都を目指して参りますと、星が消えてしまったので、王様の生まれた所を探して、ヘロデ王様をお尋ねしました。すると驚いた様子で、何も知っておられないようでしたが、律法学士たちに聞くと、『ベトレヘムで生まれる』との事だったのです。そこでその事を聞いてベトレヘムまでやって来ようと思いました。ヘロデ王様も、『ぜひ私も行って拝みたいから、詳しく星が出た時の時間や場所や、その他詳しい情報を教えてくれ』と頼まれました。また『会ったら、子供を見つけたらぜひ報告しなさい』と言ったので、これから報告しようと思っています。でもまた戻ってきます」などとマリア様にお知らせしたに違いありません。なぜかというと聖ルカは、おそらくマリア様から聞いたと思われる聖ルカの福音には、その事が詳しく書かれているからです。
しかし、「へえ〜。」マリア様は「あぁ、」非常に単純で素直な方で優しいお方だったので、「あぁ、ヘロデは自分の妻も、自分の義理のお父さんも、自分の義理のお母さんも、義理の兄弟も、自分の王の座を狙っていると思ったら虐殺したし、自分の子供たちさえも殺しているし、最も忠実な部下や友達も殺したし、多くの家来たちも殺している。へえ〜、このようなヘロデ王がこの幼子を礼拝に来るなんて、回心でもしたのかしら」等と思われたのかもしれません。
しかし博士たちが帰って夜中に、ヨゼフ様は夢を見ます、「ヨゼフ、起きよ。幼子と母を連れてエジプトへ逃げよ。ヘロデは幼子の命を狙っている。さぁ。」もちろんエジプトまでには10日の道のりがかかります。食べ物も必要です。冬は寒いし、12月の冬は寒いし、しかし砂漠ですから日中はものすごく暑いし、食べ物も飲み物も、地図も必要です。どうやって行ったらよいだろうか、聞かなければなりません。準備は一体、ありません。しかし聖ヨゼフはすぐにマリア様を起こします、「マリア、さぁ起きなさい。エジプトに逃げよう。ヘロデが幼子の命を狙っている。」2人は夜中に、その時にその瞬間に出て行きました。何という御摂理に対する信頼と従順でしょうか。
ヨゼフ様はどれほど御心痛を受けた事でしょうか、「一体将来どうなるだろうか?一体どうやって食べていったら良いのだろうか?一体言葉は通じるのだろうか?一体どんな仕事をしたら良いだろうか?一体どこに住めば良いんだろうか?」「御摂理のままに」でした。10日間どこに宿をとられて、どのように身を守ったのか、私たちは想像するしかありません。
マリア様がヨゼフ様と一緒に逃げておられる間、ベトレヘムでは赤ちゃんたちがヘロデの手によって虐殺されていきました。2歳以下の子供たちは母親から握り取られて殺害されました。
ヨゼフ様と聖家族はエジプトで何年か過ごされたはずですけれども、イエズス様が12歳になる前までには、エジプトを去ったはずです。エジプトでの生活はどれほど大変だった事でしょうか。博士から貰った贈り物も全て使い果たしてしまったのかもしれません。
第2の点は、聖ヨゼフはそれでもベトレヘムに戻ろうと思いました。なぜかというと預言によれば、「ベトレヘムは小さな町ではない。なぜならそこからイスラエルを導く者が生まれるからだ。」そこで、「きっとベトレヘムでこそ、救い主は生活するべきではないだろうか」とヨゼフ様は思ったに違いありません。しかし夢で、「ベトレヘムには帰っては行けない。ナザレトに行くように。」それに従って、ナザレトで生活します。ナザレトではもう何年も経った後で、マリア様の家もボロボロだったに違いありません。もしかしたら他の人が使っていたかもしません。当時、誰も使っていなかった家は何年も経つと他の人のものになってしまいます、放棄されたと思われるからです。
聖ヨゼフはまたゼロから始めなければならなかったに違いありません。どれほど大変だった事でしょうか。中には、ヨゼフ様は貧しかったのでちゃんとした賃金を払われなかったかもしれません。あるいはとても優しかったので、多くの貧しい人を助ける為に働いたかもしれません。
マリア様も同様です。マリア様はおそらくイエズス様にいろはにほへとを教えて、お祈りの仕方を教えたり、聖書の話をしたり、モーゼの話をしたりされたかもしれません。もちろんイエズス様は真の天主ですから、天主としては永遠の知識を持って、人間としてでも、特別の注入された知識を持っていました。しかしそれと同時に、人間の子供が普通に生活するように、体験上の知識も持っていました。マリア様から教えられた通りに、すくすくと体もますます大きくなって育っていきました。「人と天主の前に、聖寵も背丈もいや増していた」と書かれています。
イエズス様の顔はマリア様とそっくりだったに違いありません。「あぁ、この子はあなたそっくりね」とマリア様は言われたかもしれません。でも本当は、マリア様の方がイエズス様にそっくりだったに違いありません。イエズス様はマリア様のやる事を真似されたに違いありません。マリア様の仰る通りの言い方を、マリア様の感じるような事を、マリア様がなさるような事を、イエズス様もなさったに違いありません。
大きくなってイエズス様が貧しい人を見るとすぐに、「かわいそうだ。助けたい」と思ったり、あるいはエルサレムについて涙を流したり、ラザロについて涙を流したり、とても憐れみの深い優しい青年として育っていきました。またマリア様もヨゼフ様もダヴィドの王家の出身ですから、王としてきっと身長も高く、聖骸布でも見た通り分かりますが、身長も高く、体もがっちりしていて、とても威圧感のある権威をお持ちの王位にふさわしい方だったに違いがありません。イエズス様が太い声でお話する時に、皆が「あぁ、その通りだ」と納得するような、そんな話し方をしたに違いありません。
そのイエズス様は33年間、この地上で生活します。天主の御子、人となった天主、33年間のうち30年間、人生の90パーセントを、ほぼマリア様の元で、ヨゼフ様の元で、家庭の生活を送られました。
イエズス様は御死去の前に、洗足式の時に弟子たちに言います、「私はお前たちに模範を示した。」足を洗っただけの模範ではありません。イエズス様の全生涯が私たちの模範でした。その模範によると、イエズス様は全くマリア様に瓜二つで、マリア様に全て従順で、良き息子としておられた、という模範を示しています。
天主が人となったのみならず、貧しく幼子として馬小屋で生まれたのみならず、永遠の知恵、全能の天主、終わりもなく始めもない、永遠の御言葉、天主の聖父の輝きであるイエズス・キリストは30年間、この地上での生活のほとんどを、マリア様の元で、マリア様に服従して生活された、という事を教えています。何という御謙遜でしょうか。何という事でしょうか。
ある日、ナインという所で未亡人のお母さんが一人息子を亡くして、その葬式の行列を見ました。するとイエズス様はとても感動して、その姿にもうあたかもどうする事もできないかのように、その母親の元に行って、「泣くではない」と言います。この母親を慰めようとします。青年に向かって、「起きよ」と言います。この子供を一人息子を復活させて、母親に返します。イエズス様は大体奇跡を起こす時には、「あなたは信じるか」信仰を求めますが、この寡婦の場合には何も求めませんでした。おそらくマリア様の事を思い出していたに違いありません、考えていたに違いありません。ナザレトに置いてきたマリア様、その30年間の生活をしたけれども、それを置いてきたマリア様、将来自分が死ぬのをご覧になるマリア様の事と、姿が一致されたに違いありません。
では今日私たちはこの聖家族の祝日に、どんな遷善の決心を取ったら良いでしょうか?もしよろしければ3つ提案するのを許して下さい。
1つは、イエズス様に倣って、天主がもしも被造物であるヨゼフ様やマリア様に従ったのであれば、私たちは更に従わなければならない、私たちにその置かれた権威に従わなければならない、その謙遜の徳を乞い願いましょう。この1年を2018年を、私たちの家族、私たち自身全て、イエズス様とマリア様とヨゼフ様、聖家族に奉献致しましょう。私たちがこの聖家族を真似る事ができますように。
第2には、イエズス様に更に真似る為に、私たちもますますマリア様に瓜二つとなる事ができますように、マリア様のお望みの通りに生活する事ができますように、その徳をこの今年1年乞い求めましょう。マリア様がお望みになる事は、イエズス様がお望みになる事です。イエズス様がお望みなる事は、マリア様がお望みになる事だからです。
最後には、この聖家族の中心は、イエズス・キリストでした。祈りと犠牲の生活でした。この地上での生活は非常に苦しいものでした。しかしこの聖家族は天主の御旨を果たす為に、祈りと犠牲の生活を送っておられました。願わくは、私たちもこのこれに倣う事ができますように、従順と、マリア様に倣う事と、祈りと犠牲の生活を送る事ができる徳を乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。