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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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2018年2月3日(初土)  「マリア様の汚れなき御心の観点から、シメオンとイエズス様との出会いを黙想する」

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2018年2月3日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2018年2月3日、聖母の土曜日、2月の初土曜日で、聖母の汚れなき御心のミサをしております。今日のこの御ミサの後に、感謝のお祈りをいつものように致します。

その後には、今日は聖ブラジオの記念日でもありますので、聖ブラジオの喉の祝別という行事を行いたいと思います。喉の祝別をご希望の方はぜひいらして下さい。御聖体拝領のように跪いて、そして司祭からローソクの、聖ブラジオのローソクによって祝福を受けて下さい。聖ブラジオは14救難聖人の1人で、昔から特に中世では特別の信心があります。

今日は公教要理で、マリア様は御潔めの式を一体なぜなさったのか、マリア様は潔められる必要があったのか。イエズス様は天主の御子なのに、なぜ神殿に捧げられたのか。何で天主イエズス様は天主の子羊なのに、それを贖う為に子羊ではなくて鳩を1つがいを捧げられたのか、おかしいじゃないか、という疑問に対して、聖トマス・アクィナスが、「いや、それはこうだ」とズバリと答えていますので、それを皆さんにご紹介したいと思っています。

今日は初土曜、その初土のここで信心を皆さんなさって下さい。

今日は、「ファチマの聖母のグレゴリオ聖歌の会」の練習会もありますので、それも練習なさって下さい。

次のミサは2月11日主日と、12日の月曜日です。月曜日は最初は6時30分の予定でしたが、国民の祝日ですので9時30分に変更致します。主日の夕方18時と、月曜日振替休日の朝の9時30分からミサがあります。どうぞいらして下さい。



“Adeamus cum fiducia ad thronum gratiae.”
「信頼をもって、天主の恵みの玉座に近付こう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、待ちに待った初土曜日がやって来ました。今日は初土の信心をする事ができます。私たちは初土の信心の黙想をしてきましたが、これで4回目になります。今日は初土の信心をする為にこの意向を新たに致しましょう。

マリア様は仰いました、「天主はこの地上に、聖母の汚れなき御心の信心を確立する事を望んでおられる。もしもこれが聞き入れられれば、多くの霊魂は救われて、そしてこの世に平和が訪れる。」

つまり、核戦争などない、生物兵器も使われない、化学兵器も使われない、平和が訪れるのです。

しかし「もしもこの信心を、もしもこの私のメッセージが聞き入れられないならば、多くの霊魂は地獄に落ちる。ロシアはその誤謬を世界中に広める、戦争を挑発する、飢饉と教会に対する迫害が来る。多くの国々は滅びてしまう、無くなってしまう、民族は無くなってしまう。」

つまりこの地上は地獄のようになってしまうのです。

ですから、私たちがもしも平和に生活する為には、確かに自衛隊も必要でしょう、確かに軍隊も必要でしょう、しかしもっと必要な事があります。それは、私たちがマリア様のメッセージを聞いて、汚れなき御心への信心を行う事です。

もしもこれを行なったら、私たちはどこのノーベル平和賞を頂くような政治家よりも、平和の為に貢献する事ができます。平和を作り出すものとなる事ができます。これこそが天主様のご計画で、私たちはぜひこの平和を求めています。

「もしも」とマリア様は仰います、「もしもこの汚れなき御心の信心を私たちが実践するなら、私はその人に永遠の救いを約束します。そればかりか、私の手によって天主の玉座に飾られた特別の花のように、天主にとってとても大切なものとなります。」「大聖人になります、つまり」と仰ったのです。ですからぜひこの初土の信心をなさって下さい。

とても簡単です。4つの事をすれば良いのです。1つは、今日「マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償いたい、マリア様を慰めたい」という意向を持って御聖体拝領をすることです。第2にその同じ意向を持って告解をなさって下さい。第3に今日その意向を持ってロザリオを捧げて下さい。

もうロザリオは皆さん捧げました。多くの方はもう告解を済ませました。あとは御聖体拝領をするだけです。

あともう1つがあるのです。それがいつも私たちがこの初土の為に準備をしてきた、練習をしてきた、毎日備えてきた15分の黙想です。

今日この15分の黙想では、マリア様の御潔めの式、イエズス様の奉献を提案致します。昨日ちょうどその祝日を祝ったばかりでありますし、そして今日ちょうど順番によれば、喜びの第4玄義を黙想する順番であるからです。

では今日はどのような黙想を致しましょうか。昨日私たちはこの祝日にシメオンとなりました。ですから皆さん昨日黙想したようにシメオンとなって、神殿に来られた世の光を皆さんの腕に受け取って下さい。

「この世の光を遂に見た。イエズス様を御聖体拝領で受けた。もうこの世に未練はない」というこのシメオンの気持ちと心を合わせて、「主よ、御言葉の通り平和に逝かして下さい」と何度も何度もお祈りしながら黙想を、15分の黙想を終えてもとても良いと思います。

このエルサレムの神殿は、昔はモーゼの石の十戒を入れていた物がありました。しかし冷たい石で、石に刻まれた十戒が人々の心に何の響きを持っていた事でしょうか。しかし真の天主の愛に満ちたその律法を、天主の掟を私たちに実践させる事ができる御恵みを持ったイエズス・キリストが、遂にこの世の光がエルサレムの神殿に入って来た。マリア様によってもたらされた。それを待ちに待ったシメオン。何という感動的な出会いだったでしょうか。それをも黙想なさって下さい。

今日私が提案したいのは、もう少し別の角度でです。今日は初土曜なので、マリア様の汚れなき御心の観点から、このシメオンとイエズス様との出会いを黙想する事が良いと思います。もしもこれが気に入ったと思ったらそれをなさって下さい。

マリア様は救い主の母として、40日後にモーゼの掟に従って自発的に、決してそれをする義務はなかったのですけれども、イエズス様を神殿にお運びして、お連れして、そしてご自分は御潔めの式に与りました。ちょうど、税金を本当は払わなくてよいという免除を与えられているにもかかわらず、そのあえて税金を払ったとか、あるいは本当はビジネスクラスで、本当は長い行列を並ばなくてもよいのだけれども、あえて並んだとか、マリア様は特に本当ならばその義務はなかったのですけれども、そのご謙遜から、その主の律法を愛するという心から、イエズス様をお連れしました。

すると、他の女性と変わりもしなかったマリア様ですけれども、おそらく司祭たちもマリア様と聖ヨゼフ様を見て、イエズス様を見て、何ら他の女性とお母さんたちと変わらない貧しい夫婦だ、貧しい子供だ、としか見えなかったかもしれませんが、2人だけ、イエズス様を連れたマリア様の事を区別した人、識別した人がやって来ました。

見るからに敬虔で、見るからに義人。額にはシワがいっぱいあって、そして体はおそらく断食や、あるいは苦行で少し弱っていたかもしれません。年を取っていたのでちょっと体が不自由だったかもしれませんが、しかししっかりした足取りでマリア様の方にやって来る老人がいました。聖霊によって導かれて来た男でした。またすぐ近くには有名な、アンナという夫人も寡婦もやって来ました。

シメオンはマリア様の目をしっかりとご覧になり、そしてイエズス様の方を赤ちゃんをご覧になると、微笑みを浮べて、そして目からは何かうるうると涙が満ちてくるではないでしょうか。マリア様はそのシメオンの顔をじっと見つめています。シメオンはおそらく、「奥さん、どうぞこの少し赤ちゃんを抱かせて頂く事はできますか?」とお願いしたに違いありません。マリア様は微笑んで、きっとシメオンに赤ちゃんを与えました。

待ちに待った救い主を見たシメオン。有名な詩を詠います。
「主よ、平和の内に、御言葉の通り私を逝かせて下さい。私の目は、あなたが万民の前に備えたこの救い主を見たからです。」「イエズス・キリスト以外に救いはない。これこそが全人類がそれによって救われなければならない救世主だ。これこそ諸国の全ての民族を照らすべき啓示の光、輝かしい世の光、真の真理の光。そしてイスラエル、そして新しい選ばれた民イスラエルの栄光。天国での報い。そして諸聖人の栄光と喜び」と。

シメオンがこう言い終わると、マリア様は、「この人は本当に聖霊によって満たされた人なのだ」という事を深く理解します。マリア様はその言葉を、1つ1つの言葉を覚えて、心に刻んでおかれました。

するとシメオンはマリア様とヨゼフ様を祝福して、「あぁ、何とこの両親は幸せな方だろうか。祝された方だろうか」と言うのです。

今度はマリア様の方を見て言います。
「奥さん、この子は多くの人の立ち上がりと、そして滅びの為に置かれた逆らいのしるしとなるでしょう。この子によって全ての人の心が明らかにされるでしょう。この子は剣を持ってやって来ました。この子に反対する人逆らう人々と、賛成する人々、この子を信じる人々と、これを信じない人々、この子によって救われる人々と、滅びる人々がいるでしょう。この子は救いの為にやって来たにもかかわらず、罪によって盲目となって、情念によって盲目となって、この子を受け入れない闇の勢力があるでしょう。光が輝く時に、闇がこの光を覆い包んでしまおうとするでしょう。」

イエズス様に対してその預言の言葉が、マリア様になされました。
「そしてあなたの心も剣で貫かれるでしょう。」

愛する兄弟の皆さん、このシメオンの言葉を、後半の言葉も、今日、黙想なさって下さい。

イエズス様は全人類の救いの為にこの世に来られた真の光でした。しかし、光は闇に輝いたけれども、闇はこれを受け入れませんでした。イエズス様はお生まれなったその瞬間から、その最初から、この光を消してしまおうという闇の勢力、例えばヘロデによって除去されようとされました。そしてその光をイエズス様を、いつもこの光を保とうとすればするほど、闇の勢力によって私たちは苦しまなければならない、マリア様はこのイエズス様といつも一致しよう一致しようとしているが為に、光を守ろうとしているが為に「その心は剣で貫かされるだろう、死ぬほどの苦しみを受けるだろう」と預言がありました。

それは私たちにとっても同じです。もしも私たちが世の光であるイエズス様を手にとって、この闇の世を、司祭の後に従って、イエズス・キリストの後に従って、我が十字架を担って歩もうとするならば、闇の勢力は冷たい風は、このローソクの光をイエズス様の光を消してしまおうとするでしょう。私たちはそれを光を守る為に、多くの犠牲と愛を努力を払わなければなりません、苦しみを捧げなければなりません。

ではその時に一体、その光を守る為のカバーとなって下さるものは何でしょうか?マリア様の汚れなき御心です。罪人の拠り所、避難所、私たちの避難所であるマリア様の汚れなき御心です。そこに行けば、私たちはそのイエズス様の灯火を決して消す事なく守る事ができます。剣で貫かされたマリア様の汚れなき御心に今日入る事に致しましょう。

私たちはできれば、この逆らいのしるしとなるイエズス様に従って、私たちの特に態度と行動、できれば私たちの言葉によって、この世を照らし出す事ができますように、闇を照らす事ができますように。

それは私たちが傲慢であるからではなく、イエズス様の御憐れみに参与して、多くの闇が多くの方々がイエズス様の方に近寄る事ができるように、その手伝いをする事ができるように、マリア様の御心を慰める事ができるように、その為です。

どうぞ今日は初土の信心をよくなさって下さい。遂に初土がやって来ました。今日はマリア様の御潔めの式、イエズス様の奉献を黙想して下さい。

“Adeamus cum fiducia ad thronum gratiae.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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