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秋田巡礼-霊的講話【5】-2018年5月4日シュテーリン神父様「新近代主義者はファチマをどのように歪曲化させたか」

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2018年5月4日 秋田巡礼 シュテーリン神父様霊的講話【5】
「新近代主義者はファチマをどのように歪曲化させたか」
同時通訳:小野田圭志神父

ファチマのマリア様の御出現があった所のみならず、ファチマのマリア様の御像によって、全世界に奇跡があったという話を申し上げました。

マリア様の元に近付いてマリア様にお祈りする人は全て、数え切れないほどのお恵みを頂きました。マリア様の元で回心して、そして聖人となる事はどれほど簡単か、という事をお見せになりました。

このマリア様が訪問される所では人々に、何百万人の人々に、心の平和を与えました。崩壊した家庭をもう一度1つにまとめたり、小教区ではその数を増やし、そしてその熱心を更に増しました。

でも皆さんは仰るかもしれません、「あぁ、これは昔の話であって、歴史の話で、1960年代に起こった事だ。でも今はもうそれは昔の話で、今はその事はどこにもないじゃないか、どうなっているのか。」

「ファチマ」というのは「戦いの場所」です。なぜかというと、マリア様がご自分のかかとで蛇の頭を砕くとすると、蛇はそれに対して抵抗して、マリア様に害を与えようと色んな事をするからです。

悪魔のそのしもべと言うか道具は、「フリーメイソン」と、そして「共産主義」です。たとえ共産主義の勢力がどんどん伸びて、フリーメイソンがどんどん栄えたとしても、マリア様が現れるだけで、それをストップさせるに十分でした。マリア様の小さな御像が現れるだけで、何百年も栄えていたフリーメイソンの支配が終わってしまいました。

しかしフリーメイソンと共産主義の別の敵が、更に悪い敵がありました。聖ヨハネは黙示録の中でこの事をはっきり書いています、「悪魔の仕事は働きは、反三位一体である。サタンというのは『竜』である」と言います。「そしてこの竜には2つの獣がいる。」

最初の獣は、黙示録によると「政治的な権力」として描写されています。「全ての民族、全ての言語、全ての人々は、この獣のイデオロギーに身を染めて、それに支配される」という事が書かれています。

では悪魔の公教要理とは何でしょうか?悪魔の要理というもの、教えというものは2つの文章です。これが悪魔のイデオロギーです。まず第1は、「私は従わない。私は奉仕しない。」悪魔は天主の権威を否定します。そして第2の文章は、「お前たちは天主のようになる。」

イエズス・キリストの否定であり、私たち人間の高揚です。イエズス様への叛意、王座から引きずり下ろす事、そして人間の尊厳の高揚です。人権の宣言。そしてこの政治的な獣のしもべは、フリーメイソンとそして共産主義です。

しかしこの獣といえども、婦人には勝てません。

そこで第2の獣が出てきます。第2の獣は、黙示録の中でよく何度も「偽りの預言者」として出てきます。つまり「霊的な、宗教的な権力」です。「見た感じ、見かけは羊のように子羊のように見えるけれども、しかし話す言葉は獣のように話す。」

つまり、外見はキリスト教の外見を取っています。外見上は天主の子羊であり、イエズス・キリストの形を取ります。しかしその教えは竜の教えです。その教えは、「私たちは天主の掟から解放されていて、そして人間の尊厳は全てに優って素晴らしい。」

聖ピオ十世、私たちの修道会の守護の聖人は、この第2の獣について既に告発しています、「私たちの敵は既に、私たちの中にいる」と。教会を近代化現代化しようとする人々、つまり近代主義者たちは、教会の教えを現代のイデオロギーに合わせようと、教会の教えを変えようとしています。

聖ピオ十世は、この近代主義の動きを断罪しました。しかし聖ピオ十世教皇様が亡くなり、第一次世界対戦の悲惨な状況があり、教皇様たちはどうやってこの近代主義者たちがまた元に戻っているかという事をよくはっきり見る事ができませんでした。近代主義は、その自分の持っているイデオロギーがどれほど酷いものか、のみならず、教会の中に浸透するそのやり方も非常に巧妙なものでした。

そのやり方というのは、「キリスト教、最もキリスト教的だったものを、全く変えてしまう」という事です。「私たちの宗教は、客観的に、私たちの心の外にある、三位一体から教えられた啓示」ではなく、そのカトリックの教えを、「自分の内面から来る、自分の宗教的な感情」に変えてしまおうとしたのです。

例えば、ある時アラビアに住む人の、ある時の宗教的な感情はアラーになった。あるいは中国においては、中国の人は神秘的なものについてのイメージが仏教になる。そして別の所では、ある宗教的なリーダーはイエズス様だった。

近代主義によれば、こうやって説明して、「宗教というのは、外から来るものではなく、人間の内側から来るものだ」と間違って教えました。

そしてその近代主義によると、「人々は変わるので、しかし時代が変われば宗教に関する概念も変わって当然ではないか。16世紀の人たちは地獄とか煉獄とかという事を言っていたけれども、今ではそれは通用しない。その地獄とか天国とか火で燃やされるというのは、16世紀の時代には通用した考えだ。しかし21世紀の現代の宗教は、もっと別の形を取るべきだ」と近代主義は言います。「だから21世紀の今の人の心に合うような、内側に合うような宗教に変えなければならない」と近代主義は言います。

聖ピオ十世教皇様は、このような間違った、近代主義の教えはどうして間違っているか、最初から最後まで詳しく説明して、「邪悪である!」と断罪します。

フランスの方はいらっしゃいますか?フランスは最高なものです。めでたしのお祈りをフランス語だけは、「『私は』あなたに挨拶します」と、「私」という言葉を付けて翻訳しました。もちろんフランスはルフェーブル大司教様、そして多くの大聖人を生み出しました。

しかしフランスは最高の国ですけれども、非常に悪い人々も生み出しました。フランスから近代主義が生まれて来ました。そして近代主義は、フランスから教会の中に浸透しますが、どうやったのでしょうか?教皇様によって近代主義が排斥された時、やり方を変えました。

彼らは教会の中に戻る時に、隠れて戻りました。見かけは非常に敬虔な人です。しかし隠れたサークルの中ではミーティングの中では、近代主義のを教えを書いていました。

聖ピオ十世教皇様は、その「間違ったイデオロギー」と、その「非常な邪悪なやり方」について、2つを発見して、その両方共を断罪しました。そしてこの人たちを、神学校や重要な地位から取り除いて、全てのカトリックの聖職者たちに、「反近代主義の宣誓」をさせました。

次の後継者の教皇様たちは皆、反近代主義者たちでした。「教え」についてはそうでした。しかし、この近代主義者たちがどうやって教会の中に浸透するか、というその「やり方」については注意深く警戒しませんでした。そこで密かな間に隠れて、近代主義者たちが、そうと知らせずに重要な地位を取って占めてしまいました。

ピオ十一世教皇の時代にそうでした。見かけは敬虔で、一生懸命熱心で、それで厳格な司祭、あるいは修道者、あるいは枢機卿様でしたが、しかし隠れて新近代主義の教えを広めていました。そしてそのような人たちは皆フランスにいました。

その内の1人は、フランス人でテイヤール・ド・シャルダンと言いました。このテイヤール・ド・シャルダン神父は、フランスの青年たちを魅惑しました。またフランスのそのような近代主義者たちは少しずつ、フランスの神学校の教授、あるいは大学の教授になっていきました。

ピオ十二世教皇様の時には、そのような近代主義者がもう色々な所での地位を占めていきました。そこで昔のままの近代主義ではなく、それにもうちょっとカムフラージュを付けて、ちょっと混ぜこぜになった「新近代主義」を教えていました。

そしてこの近代主義者のサークルの中で、ファチマの専門家となる人もいます。この人は特別に素晴らしい神学者というわけではなかったのですけれども、アンリ・ド・リュバック、あるいはイーブ・コンガールというフランス人の近代主義者の神学者たちの影響を受けた弟子でした。

この今申し上げるファチマの専門家の近代主義者は、フランス人で、ベルギーにいました。1962年、第二バチカン公会議が始まるその年に、この人はグレゴリオ大学、ローマのイエズス会の大学の学長になります。そしてこの男は、近代主義の原理をファチマに適用させます。

この近代主義によると、「ファチマというのは、マリア様が客観的に外から、私たちに天国から教えてくれたのではなくて、3人の子供たちが心の中で感じた、マリア様に対する感情を表したものだ。」だから、その感情は時によって変わるから、ファチマ1とファチマ2に分けました。ファチマ1によると、「子供たちはマリア様とお会いして、マリア様はどうだ」という事です。ファチマ2は、そのファチマ1を見た後に、「ファチマ1の後にシスタールチアの中にあった感情がどのように変化して、どのように解釈したかだ」と言うのです。

もちろん、ファチマで起こった事はシスタールチアによって私たちは知らされました。そのこの近代主義の司祭によると、「だからファチマでの事は、シスタールチアが自分の感情を書いた手記によるものなので、シスタールチアもちょっと、あまり知的に優れた人ではなかった。」

例えばこの司祭によると、地獄のビジョンについてこう解釈します。この司祭によると、近代主義の原理を応用して、「あぁ、地獄のビジョンというのも、あぁきっとルチアが地獄についての中世の本をこう読んで、その事を夢でもって、そして『マリア様だったらこういう風に言うだろう』という事を、『マリア様は言った』と書いたのだろう。」

この司祭は1945年に、自分の仮説を書いて提示します。

そうするとピオ十二世はこれを読んで、「No、No!」と言ってこれを排斥します。そしてその当時のファチマの専門家たちが、「これは最初から最後まで全部間違っている。」そしてファチマの専門家たちは、「神父様、もしもそんなような事を書くならば、ファチマに行って、シスタールチアと話して下さい、直接。シスタールチアがあなたに説明しますから。」

しかしこの神父様は、ファチマにも行きませんし、シスターとも話をせずに、誰とも話をせずに、自分の頭の中で、ファチマの話の本を書いて出版しました。

すると同僚の近代主義の司祭たちは、「あぁ、素晴らしい本だ!」と言って、この本を賛美します。

それがこの結果が、悲惨的な結果がローマで起こりました。この司祭はダニスというのですけれども、なぜそのような事が起こり得たのか、一体なぜかその理由はよく分からないのですけれども、1952年、突然ピオ十二世教皇様は、このダニス神父とその周りの人たちの影響を受けて、ファチマに対する態度を変えてしまいます。その時からピタリと、ファチマについて一切話す事をやめてしまって、死に至るまでファチマの事について口を閉じます。

ピオ十二世教皇様がたとえファチマについて話さなくなったとしても、マリア様の巡礼は、マリア様のご訪問は世界中に繰り広げられていて、多くの枢機卿、司教様、司祭たちはその為に多くの恵みを受けていました。

そしてその5年後、1957年、第3の秘密がピオ十二世教皇様の元に届けられますが、それを開けて見る事を拒否したのです。金庫の中にそれを入れました。その翌年、教皇様はそのファチマのメッセージを、第3の秘密を見る事なく亡くなりますが、翌年58年に、ヨハネ二十三世が教皇様になります。

しかしヨハネ二十三世は、ファチマの事、ファチマの御出現、ファティマの秘密、汚れなき御心への奉献、ロシア、一切語りませんでした。パウロ六世も同じです。しかしパウロ六世は、ファチマに教皇として行く、初めての教皇となります。

1960年に一体何が、本当ならば第3の秘密が公開されるはずでしたけれど、それについては省略します。1960年には全世界が第3の秘密の公開を待っていました。なぜかというと、シスタールチアによれば、「マリア様は、この年に第3の秘密が公開される事を望んでいる」と仰ったからです。しかし教皇様は第3の秘密を世界に公開する事を拒否したので、ファチマを信じる人々にとっては大きな打撃でした。

別の事がファチマをまたダウンさせました。第二バチカン公会議でした。なぜかというと第二バチカン公会議では、ファチマについて一言も語られなかったからです。たとえファチマの名前がなかったとしても、ファチマでマリア様が仰ったその内容、「これが重要ですよと」いう言葉が語られてもよかったのです。

例えばファチマでは、「多くの霊魂が地獄に落ちている」というマリア様の非常な警告。しかし第二バチカン公会議では、地獄の「じ」の字も、一言も、暗示さえもされていません。

第二バチカン公会議で語らなかったが故に、その後の公教要理、あるいは司祭の、あるいは司教様の教えの中にも、地獄について一切語られなくなりました。

ポーランドで私が働いていた時に、ポーランドの小教区の若い主任司祭たちと会った事があります。この神父様は毎年のように教会で働いて、主任司祭ではなくて助任として、もう毎年のように教会を転々と転任しています。なぜかというと、この神父様は御説教で、「地獄の火」について話すからです。そしてこの神父様は司教区の問題であって、司教区の外にいる人であって、この人だけが昔の古臭い地獄について話す唯一の人だからです。

マリア様はファチマで、このかわいそうな罪人たちが地獄に落ちないように、その特効薬を、その防御策を与えてくれました。それが「汚れなき御心への信心」です。そして「ロザリオ」です。

しかし第二バチカン公会議では、汚れなき御心への信心も、ロザリオについても語られません。

第二バチカン公会議に参加した教父たちは、司教様たちは、その会議の中に、「ぜひ、『教会のお祈りの1つとして、ロザリオはとても良い祈りだ』という事をテキストの中に入れて下さい」と懇願しました。

しかし、この司教様たちのこの謙遜な熱烈な懇願も受け入れられませんでした。なぜかというと、「『ロザリオ』という事が入ると、分かれた兄弟たち(プロテスタント)の気分を害するから。」

ファチマでは、ロシアの誤謬が広がる「共産主義」について、多くマリア様は警告しています。第二バチカン公会議の時には、ビシンスキー枢機卿様と一緒に300名以上の司教様たちが、懇願の書を出して署名して、「共産主義を公式に断罪するように。『共産主義は非常に危険だ』という事を言うように」と要請しました。

しかしそれは受け入れられませんでした。なぜならば、「この第二バチカン公会議は、排斥する公会議ではなくて、世界に開かれた公会議で、肯定的な公会議でなければならないからだ。」

300名以上の教父たちが、「『マリア様が全てのお恵みの聖寵の仲介者である』という事をドグマとして宣言するように」と懇願しました。しかしこの懇願も要請もお願いも受け入れられませんでした。

「罪人の回心」という事もファチマでマリア様はたくさん話しましたが、これについて一言も第二バチカン公会議では述べられていません。

マリア様が話したのは「真の信仰への回心」です。しかし第二バチカン公会議ではその反対を言います、「非カトリックのみならず、非キリスト教の宗教と一緒に対話をして、そして協力して、良い世界を作ろう」と。

「ロシアをマリア様の汚れなき御心に奉献する」という要求も一言もありませんでした。

マリア様のファチマのメッセージと、第二バチカン公会議の新しい精神とは対立するものでした。

ですから、「第二バチカン公会議とファチマとが矛盾、対立している」という事を見た第二バチカン公会議派の人たちは、ダニス神父の言った、近代主義によるファチマの解釈を非常に歓迎したのです。

そのおかげで、第二バチカン公会議後、ファチマの熱心がますます冷えていきます。パウロ六世教皇様がファチマに行った事が非常に悲惨でした。パウロ六世はシスタールチアと写真は撮りますが、話はしません。パウロ六世はその御出現の場所にさえも行きませんでした。なぜかというと、他の宗教の指導者たちとミーティングがあったからです。ファチマでマリア様が仰った事について一言も言いませんでした。

ですから、第二バチカン公会議の後に、ファチマについて何が起こったのか皆さんよくご理解できると思います。

2つの違った態度があります。

一方で、近代主義やあるいは超(新?)近代主義の人々は進歩主義の人々は、ファチマについて全く語りません。その人たちはファチマについて反対して何か戦おうともしません。むしろファチマを促進するかもしれません。どうやるか知っていますか?

どうやるかというと、ファチマにホテルを造ります。そして世界中の人々を集めて、巡礼団を作ります。そしてそこでお祈りをするようにします、あるいは犠牲を払うように。団体で巡礼を募ります。しかし皆をそこに集めて、そこで近代主義の教えを教えます。

私が最初に第1回目にファチマに行った時に、どこにも、ファチマのどこにも大きなポスターがありました。そしてこのポスターには、手で聖体拝領をしている写真が載っています。「これがイエズス様を感じるやり方だ」と「イエズス様を愛するやり方だ」と宣伝の文句があります。そこでポルトガル人の神父様に聞きました。そこで何と答えたか知っていますか?

するとこの神父様によると、「ポルトガル人は手による聖体拝領は大嫌いだ。でもファチマに行くのは好きだ。そこでファチマに行って、手による聖体拝領を教えられた。」と。

そしてファチマは近代主義によると、「収入源になると同時に、カトリックのメンタリティーを変える良い絶好の場所になる。」

第2のグループは、近代主義ではなくて保守派の人たちの態度です。この保守派の人たちは、司教様とか枢機卿様で、ファチマの事を信じています。そしてファチマをサポートして、支持して、それを推進させます。ブルー・アーミーとか色々なマリア様の運動をサポートします。しかし残念な事に、この保守派の人たちは、ファチマの一番核心のメッセージについて話しません。

例えばヨハネ・パウロ二世です。ヨハネ・パウロ二世教皇様は、マリア様について特別の信心がありました。ヨハネ・パウロ二世教皇様にとってファチマは非常に重要な場所で、何度も巡礼に行きました。しかしヨハネ・パウロ二世教皇様は初土の信心についても、あるいは汚れなき御心に対する信心についても一切、ロシアの奉献についても話しませんでした。そしてロシアの奉献については、特別の解釈を持っていました。暗殺未遂のあった時に、その以前はファチマのメッセージについてあまり関心がなかったのですけれども、暗殺未遂があった後には、メッセージについて非常に関心を持ちました。そして2000年にはヨハネ・パウロ二世はファチマの子供たちを列福します。第3の秘密と言われるものも公開します。一度、人類を天主の御母であるマリア様に奉献する事もします。

この実りは何でしょうか?その実りは、マリア様が一番仰りたいというその核心のメッセージが伝えられずに、いわばマリア様は口を封じられたかのようになってしまったという事です。そこでマリア様は仕事をする事ができなくなってしまいました。

そこでその後にあった作戦はどうだったのでしょうか?これはまだ続いています。つまり保守派によれば、ファチマの外的な目に見えるところや、あるいは第二次的なものが強調されます。例えば御像とか、聖母行列とか、ファチマの世界平和とか、隣人愛とか、子供たちの生活など。そこでマリア様の仰った、一番仰りたいと思った事が沈黙させられて、そしてあるいは歪曲されています。

例えばマリア様が仰った「罪人の回心」という事は横に置かれて、その代わりに「どの人に対しても寛容であろう」というスローガンが言われます。

例えば「ロザリオ」についても、ロザリオについては言われるのですけれども、ロザリオは結局、「聖書を黙想する事」に変えられます。しかしロザリオは「悪魔に対する武器」「この世界を回心させる為の武器」としては、全く一言も述べられません。

「ロシアの回心」についても同じです。ソ連が崩壊してそして鉄のカーテンが無くなった時に、「あぁ、これはファチマのマリア様のおかげで、そして共産主義はもう死んでしまったのだ!」

そうすると私たちの目の前に、ファチマのマリア様について別のイメージが提示されています。

ですからこの世界の歴史、あるいは教会での出来事について、ファチマの目で見る事がどれほど大切であるか分かるでしょうか。なぜかというと、第二バチカン公会議の後には、もうファチマの役割は終わって、マリア様の特別な特権というものについても話されずに、プロテスタントの人たちをあまり傷付かせないように、あまり気を悪くしないような事だけが話されているからです。

しかしマリア様は、既にこの事をよく知っていました。マリア様は目に涙を溜めながら、「彼らは、私の要求を聞き入れなかった」と。その為に、マリア様は悲しいかな、「大きな不幸が教皇様、そして教会に、そして世界に起こるだろう」と予言しています。

マリア様のファチマでのメッセージと、第二バチカン公会議後の新しい方針というものは全く対立しています。第二バチカン公会議の精神が、「素晴らしい」というものを、マリア様は排斥しています、「ダメだ」と言っています。ファチマには、今で言う「エキュメニズム」とか、あるいは「信教の自由」というものは存在していません。第二バチカン公会議では一言も言わないような事、第二バチカン公会議が無視するような事を、マリア様は「大切だ」と仰っています。

ですからファチマは、今の私たちにとって、「教会の危機というものはどのようなものであるだろうか」という事を見せてくれるものなのです。そこでシスタールチアは、もうその後、第二バチカン公会議後、話す事も書く事も禁止されました。そしてファチマについての最も深い神学者の書いた、例えばジョアキム・アローム神父様が書いた物は、私たちは読む事さえもできません、今。

これがファチマ100年の後半部に起こった事です。ファチマの後半部は多くの衰退がありました。人々は方針を失ってしまって、信仰を失ってしまいました。

では私たちにとって、一体これは何の意味があるでしょうか?

「ファチマの元々のメッセージに忠実であるべし」という事です。もしもそうであるなら、いつの時代にも実りがもたらされます。フィリピンでのミッションツアーを見て下さい。ファチマのメッセージに忠実であればあるほど、私たちの心に平和と光が戻ってきます。家庭は平和であるし、周りの全てはうまくいきます。しかしマリア様のメッセージを無視するならば、暗闇がやって来ます。

そこで、ファチマについてまたもう一度お読み下さい。ファチマこそ、終末の時代の私たちに必要なものです。「さぁ、去年ファチマ100周年をやったので、次の100周年までファチマについて話さない」というのは間違いです。まだファチマではこれからなされるべきという事がたくさん残っています。

「初土曜のマリア様の汚れなき御心の信心」というのは、教会に全世界に広く普遍的に広まっているものではないのです。マリア様の要求した通りに、ロシアが汚れなき御心に奉献されたわけではありません。私のファチマについて書いた3番目には表が載っています。ピオ十二世教皇様からヨハネ二十三世まで、教皇様がファチマのマリア様の奉献をした年と、そのどういう条件を満たしたのか、という事を分析したものですけれども、マリア様の仰った通りになされた事は一度もありませんでした。

そしてこの第3の本の75ページから150ページの間の、75ページの間に、「第3の秘密と言われている、私たちが言っているものは、実はまだその本物が公開されていない」という色々な理由を説明しています。

マリア様は予言します、「教皇様は私の汚れなき御心にロシアを奉献するでしょう。しかしそれは非常に遅れるでしょう」と。

でも私たちはそれを早める為に何も影響力がありませんから、私たちができる事を、あるいは私たちはしなければならない事があります。まず教皇様がロシアを奉献するのを待つ間、私たちも私たち自身を、私たちの家族を、私たちの教区を、マリア様の汚れなき御心に奉献しなければなりません。

今フィリピンでは、ベトナムの独立派の人たちとフィリピンの軍が対立してこう戦っていますけれども、ある将軍は私たちの司祭に、「神父様、私はこの何よりも、この私の配下の軍の軍人たちを、マリア様の汚れなき御心に奉献する事を望みます。なぜかというと、彼らがいつ命を失って、戦いで命を失ってしまうか分からないからです。ですから彼らの為に全てをマリア様に委ねます」と言って奉献しました。「なぜかというと、私の配下の部下たちは、マリア様は彼らを助ける事ができると、守ることができると信じているからです。」

この将軍のように、マリア様を知らせて、マリア様が愛されるようにして下さい。

ファチマでは、マリア様は御出現される度に、「毎日ロザリオを唱えなさい」とお願いしました。「私の汚れなき御心に対する信心をしなさい」と言いました。「初土の信心をしなさい。償いの聖体拝領をしなさい。」マリア様の名誉の為に、世界に何をする事ができるか、という事をファチマで仰って下さっています。

そしてファチマの最初の部分では、宣教師たちは、ファチマでマリア様が一体何を望んでいるのか、何を仰っているのか、詳しく皆に教えました。私がプロテスタントの牧師たちの為に黙想会の間にやった事は、ファチマのマリア様が仰った事を説明する事でした。

まず黙想会の最初の日に、プロテスタントの牧師たちにロザリオを配りました。すると最初の日は、この牧師さんは何か蛇を掴むかのように嫌がって、そしてある牧師たちは「ロザリオはいらない」と言いました。「神父様、私にはプロテスタントの牧師という名誉があります。こういう物に触る事もできません。」

「でも触っても害はありませんよ」と言うのですけれども。「しかもこのロザリオのお祈りをする時に、私たちは聖書のお祈りを使っています。使徒信経の『我は天地の創造主…』というのを祈りますか?」
「はい。」

「天にましますを祈りますか?」
「はい、祈ります。」

「めでたし聖寵…これは祈りますか?」
「いやいや!祈りません!」

「待って、『めでたし聖寵充ち満てるマリア、』これは聖ルカの1章28節にあります。あなた聖書を読んだ事があるのですか?」
「読みますよ!」

「そしたら聖書にある通り祈って下さい。そこで天使祝詞の最初の部分は聖書に載っているので、必ず祈らなければなりません。」

そして結局ロザリオを受け取りました。

そしてプロテスタントの牧師さん達に黙想会の間、「マリア様は誰か」という事を説明しました。皆知らなかったのです。彼らの頭にあったのは、カトリック信仰とは何の関係もない議論で、そして例えば「あぁ、カトリックはマリア様を半分女神のように拝んでいる」とか「カトリックはイエズス様を無視している」とか「救われる為にはマリア様の御像に接吻すれば良い」とか、とにかく何か全然カトリックの教えではないような事を信じていました。


そこでマリア様についての話をすればそれほど、深く理解していきました。そこで牧師さんたちに、「さぁ友人の皆さん、皆さんはご自分をマリア様に奉献しなければなりません」と言うと、私の方を見ました。

「でも友人の皆さん、牧師さん達、イエズス様は30年間何をなさいましたか?ルカの第2章を読んで下さい、『イエズスは、彼らに従っていた。』つまりイエズス様は、マリア様とヨゼフの子供として、この2人の言いつけのままに従っていた、という事で、自分の事は自分の思い通りはしなかったという事です。ヨゼフ様が亡くなった後には、マリア様の言いつけの事だけをしていた、という事です。イエズス様ほどマリア様に従順だった子供はありません。」

「イエズス様は何と仰いましたか?『私は、お前たちの為に模範を残した。それはお前たちが私のやった事をする為だ。』イエズス様ほどマリア様に奉献された人はいません。そして聖書によれば、イエズス様は御自分がなさったようにお前たちもしなさい、と言っています。」

すると、19名のプロテスタントの牧師たちの黙想会をしましたが、その時の様子を映画で撮っておけば良かったです、こう目を大きくして、目を大きくして互いに目を合わせて。

毎晩ロザリオを唱えたのですけれども、最初の頃から、1日黙想会が進むにしがたって、声が大きくなっていきます。最初の日はロザリオを私1人で唱えていました。第2日目は1人か2人が答えました。第3日目はちょっと声が大きくなりました。最後の日には、大きな声で一緒になって、プロテスタントの牧師さん達がロザリオを唱えていました。そして最初ロザリオを受け取らなかった牧師さんは、後には、どこに行くにもロザリオを付けてお祈りするほど変わっています。

そして黙想会が終わった後に、ある牧師さんが立ち上がって、目に涙を溜めて、「私たちは本当に愚かだ!私は、私たちにお母さんがいらっしゃる事を発見した!お母さんのない家族などない!この黒い服を着た鳥から、私はお母さんを学んだ。私の母を愛して信頼するべきだという事を学んだ。そして私のプロテスタントのこの教区の信徒にとって、これこそが私たちの母に行く道であり、武器だ!」と。

15年前にこうやって始まったこの黙想会ですけれども、カトリックへと道を今準備しています。

ですからたとえ相手が、プロテスタントとか、あるいはマリア様を否定するような人だと言ってても、心配しないで下さい。不思議のメダイ、ロザリオを与えて下さい。

今日の拷問はこれで終わります(^^)

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