2016年8月11日 聖母黙想会 シュテーリン神父様講話【1】
当時通訳:小野田圭志神父
この聖グリニョン・ド・モンフォールによる聖母黙想会で皆さんに働きかける事ができるのは、大きな喜びです。私は皆さんのこの美しい国に来るのをとても嬉しく思っています。この前の巡礼では、本当に良い感動を覚えました。この前の巡礼が、私たちのマリア様の信心生活を準備するのに大切だ、と言いましたが、この黙想会もとても大切な準備です。
黙想会の時いつも申し上げますが、黙想会の本当の指導者、そのガイド、そしてその黙想会を導いて下さる方は、「聖霊」です。黙想会の目的は目標は、「聖化」であって、「私たちが聖となる事」であって、「天主様に近付く事」です。ですから私たちの黙想会を聖霊に対する祈りで、聖霊に対する歌で始めました。
聖霊の役割は、私たちの内的な教師です。私たちの主イエズス・キリスト様が、啓示を私たちに教えてくれました。イエズス・キリスト様が天主様の命を私たちに与えて下さいます。イエズス様が私たちをして、天主と一致させて下さいます。これは贖いの業としてなされました。でもイエズス様がなさって下さったその御恵みを、私たちがよく受け入れる事ができるように私たちの心を開かして下さるのが、聖霊です。聖霊は私たちがその神秘の中に深く入って、その中に入り込む事ができるようにしてくれます。これはイエズス様が聖ヨハネの福音の中において教えて下さった事です。聖霊は私たちが真理と光を見る事を妨げるような邪魔者を振り払ってくれます。聖霊は私たちが天主へと戻る為に、立ち戻る為に、怠け者だったり、その力を落としたりするのを強めてくれます。
聖霊はでも、いつも私たちの為に道具を使って、その業をします。聖霊が必ずいつも使っているその道具、そして聖霊といつも一致している道具というのは、「マリア様」で「インマクラータ」です。マリア様を通してインマクラータを通して、霊魂に触れて、この世に影響を及ぼします。
私たちがこの世界中にある多くのマリア様に捧げられた至聖所や、その何千という御出現を見る時、マリア様はそれらを通して、何百万もの何千万人もの方々を回心させて、聖なる生活へと導いて下さいます。しかしマリア様の後ろには聖霊が立っています。マリア様の1つの至聖所からまた別の至聖所、1つの国のマリア様の話からまた別の国のマリア様の話へと、たくさんの話を見る事ができます。もちろん日本もその例外ではありません。日本でマリア様が隠れキリシタンを発見された事、あるいはマキシミリアノ・マリア・コルベ神父様が無原罪の園を造った事、マリア様が多くの霊魂たちをご自分を通してイエズス様へと連れて行っている事を見ました。私たちは秋田に行ってこの事を確認して、多くの御恵みを頂きました。
このマリア様の多くの御業の後ろに、聖霊が立っているのです。聖霊がマリア様を通して、霊魂たちに触れて語りかけるのですけれども、マリア様はお母様であって、そのお母様を通して子供たちに触れるのです。
旧約の時代には聖霊は、バアルの偽りの神々を拝んでいる司祭を450人殺すように言いましたけれども、しかしエリアを使って言いましたけれども、新約時代では聖霊は、マリア様を使って最高の母親を通して、私たちに影響を及ぼそうとしています。
マリア様は聖霊の特別な道具ですけれども、マリア様にもご自分の道具があります。マリア様には普通の道具があります。これは皆さんであって、私であって、マリア様の無原罪の聖母の騎士たちです。マリア様には特別の道具もあります。マリア様から選ばれて、この世で特別な業をする為に選択されました。これはマリア様の忠実な聖人たちです。
マリア様は聖ドミニコを選んで、ロザリオを彼に与えて、この世の回心の道具としました。マリア様は聖シモン・ストックを選んで、彼を通してスカプラリオを与えて、この世の人々にご自分の衣を着せようとされました。マリア様は聖イグナチオを選びました、聖イグナチオを通して、霊操の黙想会を与えました。この霊操を通して多くの、何百万というキリスト教信者を熱心な信仰生活に戻して、多くの人々を聖化へと導きました、本当に多くの人々が。聖マキシミリアノ・コルベを通して、マリア様は特別の軍隊を作って、悪魔とそして獣に対して戦う為に準備をしました。
そしてマリア様は聖グリニョン・ド・モンフォールを選んで、この世に特別のお恵みを与えようとされました。聖グリニョン・ド・モンフォールを通してマリア様は、私たちに最高の、そして本当の完璧なマリア様に対する信心について教えてくれます。
では完璧な本当の信心とは何でしょうか?“Devotio”「信心」というのは、私たちが他の方に「自分を与え尽くす」という事です。もしも誰かがある人を愛するとしたら、心も体もその人の為に尽くそうと思います。この態度をマリア様に対する態度を、聖グリニョン・ド・モンフォールを通して私たちは学びます。本当の完璧なマリア様への信心を通して私たちは、完璧な本当の聖霊への信心をも学びます。完璧な聖霊への信心を通して私たちは、全ての恵みを頂く事ができます。つまり聖徳への道です。これが私たちの生涯の目的です。
私はこういう話を聞きます、「神父様、一体現代においてどうして聖徳に達する事ができるでしょうか?それは無理な話です。無理なのです。なぜかというと、この世は私たちを罪に誘って、罪だらけだからです。ちょっと目を周すだけで、それは天主を忘れさせて、本当の真理を忘れさせようとする誘惑に満ちています。『死』について忘れさせて、『審判』についても、そして『永遠の命』に対しても忘れさせようとする誘いです。」「私たちの周りの人は皆こう言います。『これが普通の話だ。』『こうしなきゃなんない、皆こうしている。』『天主なんかもういなくなったんだ。だから皆こうしなきゃならない。』」
私たちはそのような、津波のようなものすごいこの世の激流の中に立ち留まる、力強い巖ではありません。そうではなくて、本当に小さな弱々しいもので、そのような波が来ると、「あぁっ」と言う間に流されてしまいます。この全世界を巻き込んでしまって飲み込んでしまうような悪魔的な波、大波に立ち留まって、皆さんや私のような弱い者がどうやってそれに対抗する事ができるでしょうか?
この信心です。聖グリニョン・ド・モンフォールが私たちに言う事をよく聞いて、それに従う事です。この4日を使ってこの準備をして下さい。どうやって戦うべきか、どうやって立ち向かうべきかという事を準備して下さい。
皆さん、黙想会をしている間、悪魔は眠りません。ですから皆さんを眠らせようとします。敬虔な牛が寝るように、目をパチッと開けて、何も考えずにいるようにさせます。皆さんはもちろん疲れます。なぜかというと皆さんは、毎日何回も何回も講話を聞く習慣がついているわけではないからです。もし皆さんが20分の長い小野田神父様の御説教を、「何だ長いなぁ、退屈だなぁ」と思うならば、私の4時間の話にどうやって耐える事ができるでしょうか。
恐れないで下さい。ちょっとした努力だけで大丈夫です。これは拷問ですが、聖なる拷問です。まず自由時間をどのように過ごすべきか、という事について説明します。これをよく使って下さい。皆さんはとても美しいテーブルに座っています。このテーブルがあるのでメモを取る事ができます。左にはノート、右にはこの本。講話が終わったらすぐにあるいは御聖堂、あるいはご自分の好きな所に行って、この講話の内容について話を黙想なさって下さい。
皆さんに「こうして下さい」と言った事を、正確になさって下さい。この講話の後に30分黙想の時間を与えますので、1番から21番までのところを読んで黙想なさって下さい。ページではなくて番号があります。この番号がどんな言語でも共通の番号であるからです。たくさん読んで、たくさん黙想しなければなりません。
ではこの聖グリニョン・ド・モンフォールのまことの信心について、少し紹介します。第1のポイントは、「マリア様がどなたか」という玄義の核心、そして頂点、そして要約を黙想する事です。この内のいくつかの点についての文章は、子供がいろはにほへと暗記するように、皆さんもこれを全部暗記しなければなりません。この本の中で一番大切な文章、全てそのまま覚えて下さい、というのはそんなに多くありませんが、それを申し上げます。なぜかというと、それを暗唱してしまうほど覚えてしまうと、この言葉を通してマリア様に祈る事ができるからです。
黙想する間に、その言葉が私たちに自然と頭に浮かんできます。問題があった時や困った事があった時に、自然にその言葉が思い上がってきます。悪魔が私たちを誘惑する時に、その時にマリア様は、私たちが覚えてしまった事をこの文章を思い出させてくれます。これから来たる難しい危険な時代を、私たちは準備しているのです。将来どのような状況に置かれるのかよく分かりません。
ちょうど今から75年前、聖マキシミリアノ・コルベはアウシュビッツの飢餓の為の部屋に入りました。コルベ神父様は食べる物や飲む物がなかっただけではありません。読む物もありませんし、何もありませんでした。その時にコルベ神父様の頭には覚えた、自分の覚えた事だけが残っていました。
皆さんに是非覚えて頂きたいと思っているのは、1番です。『マリアを通ってこそ、イエズス・キリストはこの世においでになりました。だから同じくマリアを通してこそ、イエズス・キリストはこの世を支配せねばならないのです。』
これは最初から、マリア様の果たすべき役割を示しています。この文章は、「この地上において、マリア様なしには救いがない」という事を示しています。「マリア様がなければイエズス様はない」と示しています。イエズス様がなければ救いもありません。もしもイエズス様がいなければ、悪魔が支配します。でもイエズス様はマリア様を通してのみ、支配できます。
この第1の文章について、来たるこれから後の273のパラグラフが説明しています。ですからこの1番については、信仰の真理として覚えておいて下さい。公教要理で皆さん信仰の真理を、みんな暗唱してしまうように覚え込んでしまうように、これも覚えて下さい。「はい主よ、私はこれを信じます。私は御身がマリア様を通して、この世に来た事を信じます。そしてマリア様を通してのみ、この世と私の心を支配する統治するという事を信じます。これを受け取らないような全てのものから、私は身を遠ざけます。こうする事によって私は、カトリック信仰に強く留まる事ができます。主よ、私の心を照らして、私の心を強めて下さい。この文章の意味が何かを、深く分かる為に助けて下さい。」
聖グリニョン・ド・モンフォールがどうやってマリア様に近付いていくかは、次の文章などを読むとよく分かります。マリア様の事について言った後に、聖グリニョン・ド・モンフォールはすぐに三位一体の高みまで、私たちを連れて行きます。「天主三位一体が在す。」至聖三位一体です。
なぜ聖グリニョン・ド・モンフォールはこのように私たちに話をするのでしょうか?なぜかというと、全てのマリア様の神秘について、本当の観点から真理の観点から見る事を私たちに望んでいるからです。私たちの目、つまり時々よく間違っている見方ではなくて、聖霊の天主の高みから見る事を望んでいるからです。至聖三位一体。
至聖三位一体に比べれば、全宇宙は全く「在る」と言う事もできないほどの影にすぎません。この天主が全てであり、天主こそが在りて在るものであり、被造物私たちは無くて無いものである、という事をまず認識しなければなりません。
永遠の天主から見れば、全宇宙は本当に小さなゴミに過ぎないようなものですけれども、この天主三位一体は、この小さなゴミのようなものを通って、この小さな小さな小さな塵のようなゴミに対して、至聖三位一体はとても大きな愛を注がれるのです。
皆さん、この机の上にある小さなゴミを見て下さい。この小さなゴミを見て皆さん、このこれこそが全世界で一番大切なものであるかのように思っている人を見て下さい。そのように天主様は、この全宇宙に神経を払って愛しておられます。この特別な愛をもって、天主様の創られたその世界の傑作を御覧になられます。
では、もしも全てはマリア様を通してこの世に来られて、マリア様を通して支配しようと思っているのならば、何でマリア様について聖書には何も書かれていないのでしょうか?なぜ誰もマリア様についてよく知っていないのでしょうか?
私はこれは本当に天主様のユーモアだと思っています。父親が子供たちにとって最も素晴らしい宝物を持っていたとします。でもその宝物を子供たちに隠すのです。この大変な宝物を隠して包んで、次のクリスマスまでとっておきます。子供たちはこの中に何が入っているか、好奇心でたまりません。時が来る前、何が入っているか開けて見ようとさえします、「お父さん、この中に何が入っているんですか?」「ちょっと待っていなさい。この時が、このプレゼントの時が来るまで待っていなさい。その時が来れば、お前のものになるから。」
天国における何千何億という天使たちが、天使たちはマリア様が創造された時の事を見ていました。天地の元后であるマリア様が、この地上では単なる奴隷のような女性でした。「マリア様、あなたは一体どなたですか?インマクラータ、あなたは一体どなたですか?」
マリア様の秘密というのは、この宝物のようです。時はやって来ました。聖霊は私たちの目の前に、この特別の宝物が一体どなたであるか、特別に開けようと皆に知らせようと思っています。もちろんマリア様について知っています。マリア様については何度も昔から黙想してきました。でも天使たちはマリア様について知っていながらも、それにもかかわらず聞きました、「あなたは一体どなたですか?」
聖グリニョン・ド・モンフォールは、三位一体のその各一位一位一位に対して、マリア様がどのような関係を取っているのかを説明します。そして4番5番から、三位一体とマリア様とのこの関係について、聖グリニョン・ド・モンフォールは語っています。
「マリア様は天主聖父の最高傑作」「天主聖子の栄光ある御母」「マリア様は聖霊の封印された秘密の花園」このような事を私たちは黙想しなければなりません。これをただスラスラッと読むだけでは、この意味、深い意味は分かりません。これについてゆっくり読んで黙想する時に、この意味が開かれます。聖霊に、イエズス様に、マリア様に願って下さい、「おぉこの心、私の心を開いて下さい。この意味は一体何ですか?教えて下さい。」
「三位一体の至聖所であって、その休み場所である」と書いてあります。これは5番目です。この聖所、憩いの場でこそ、天主は宇宙の他のいかなる場よりも、最も天主らしく素晴らしいのです。ケルビムやセラフィムの上におけるお住まいなど、マリア様に比べたら問題になりません。
天主は無限の海原のような存在です。この全世界は天主に比べれば全く無に等しいものです。ところがこの無に等しいようなこの大宇宙の中から、マリア様という1つの霊魂を選んで、このマリア様という霊魂こそが、御自分の憩いの場所、休みの場所、喜びの場所とされたのです。
皆さんはこの後に黙想しますけれども、黙想しながら新しい何かを学ぶ、何か新しい事を知るというよりは、聖グリニョン・ド・モンフォールと一緒に、マリア様について驚いて下さい、マリア様について感嘆して下さい。マリア様の素晴らしさについて、「あぁ、何と素晴らしい方か!」と思って下さい。
「主よ、御身は偉大な方であって、無限のやり方があって、どのようなお望みのやり方でもする事ができたのですけれども、その何億何兆とある無限の可能性から、この方法を選びました。御身は、イエズス・キリスト様がこの世に来られた時に、アダムが来られたように創る事をお望みになりませんでした。御身にふさわしい、無限の天主の御稜威と威光と栄光に満ちて来る事をお望みになりませんでした。御身は最も謙遜に、これ以上考えられないほどの謙遜なやり方で、この世にやって来られました。この全宇宙の創造主である御身が、無に等しい被造物に全く依存したやり方でお生まれになりました。全能の天主は無限の御業を、この素晴らしいマリア様を通してなさる事をお望みになりました。なぜかというと、このマリア様という無に等しいこの小さな存在は、天主の聖心に極めて心に適う者であって、天主はこのマリア様を愛で囲んでおられたからです。」
第14番をご覧下さい。グリニョン・ド・モンフォールは14番でこうはっきりと言います、「マリア様は無に等しい。全く原子よりもアトムよりも小さい。天主様は全く何も必要とされなかった。天主が必要だった、誰かを必要としたからではなくて、」でも15番に聖グリニョン・ド・モンフォールが、「しかし天主様はこれをお望みになって、全く自由にこのやり方を望んだ」からです。
天主様は御自分の偉大な業を、「マリア様を通してのみする」という事を望まれて、それを決定したからです。この事を、大きな感嘆と驚きとをもって黙想しなければなりません。16番を見ると、長い旧約時代が、来たるべきメシアを待っている待望の時代でした。しかし旧約時代の誰も、この宝を受ける事ができませんでした。マリア様だけが天主の御前に聖寵を見出しました。マリア様を通して、大きな贖いのドラマが、救世の御業が始まります。
聖子はマリア様の御胎内においてのみ、「聖父よ」と言う事ができました。イエズス様という王の王、この世の創造者が、マリア様の御胎内に、小さな小さな赤ちゃんとなります。
御自分は全くマリア様に依存しているものとなる事を望みました。マリア様は実は、全くイエズス様に本当は依存しているのですけれども、このイエズス様がマリア様に依存するようになりました。
それから19番と20番をご覧下さい。イエズス様がこの世に来る事について、マリア様にどれほど依存しているかという事を望んだのみならず、30年間もこの地上の生活においてマリア様に依存し、それに委ねられていました。イエズス様の最初の奇跡は、マリア様の介入によってのみなされました。イエズス様は天主であり、そのやり方を変える方ではありません。最初の奇跡がマリア様を通して行われたのならば、それ以降全てマリア様を通してなさるはずです。
これが、イエズス様におけるマリア様の素晴らしい臨在であって存在です。
では今から30分間時間を与えますので、1番から21番までゆっくり何度も何度も読んで、それに黙想なさって下さい。10時半にまたここで、この続きの話を致します。ではめでたしを唱えます。
当時通訳:小野田圭志神父
この聖グリニョン・ド・モンフォールによる聖母黙想会で皆さんに働きかける事ができるのは、大きな喜びです。私は皆さんのこの美しい国に来るのをとても嬉しく思っています。この前の巡礼では、本当に良い感動を覚えました。この前の巡礼が、私たちのマリア様の信心生活を準備するのに大切だ、と言いましたが、この黙想会もとても大切な準備です。
黙想会の時いつも申し上げますが、黙想会の本当の指導者、そのガイド、そしてその黙想会を導いて下さる方は、「聖霊」です。黙想会の目的は目標は、「聖化」であって、「私たちが聖となる事」であって、「天主様に近付く事」です。ですから私たちの黙想会を聖霊に対する祈りで、聖霊に対する歌で始めました。
聖霊の役割は、私たちの内的な教師です。私たちの主イエズス・キリスト様が、啓示を私たちに教えてくれました。イエズス・キリスト様が天主様の命を私たちに与えて下さいます。イエズス様が私たちをして、天主と一致させて下さいます。これは贖いの業としてなされました。でもイエズス様がなさって下さったその御恵みを、私たちがよく受け入れる事ができるように私たちの心を開かして下さるのが、聖霊です。聖霊は私たちがその神秘の中に深く入って、その中に入り込む事ができるようにしてくれます。これはイエズス様が聖ヨハネの福音の中において教えて下さった事です。聖霊は私たちが真理と光を見る事を妨げるような邪魔者を振り払ってくれます。聖霊は私たちが天主へと戻る為に、立ち戻る為に、怠け者だったり、その力を落としたりするのを強めてくれます。
聖霊はでも、いつも私たちの為に道具を使って、その業をします。聖霊が必ずいつも使っているその道具、そして聖霊といつも一致している道具というのは、「マリア様」で「インマクラータ」です。マリア様を通してインマクラータを通して、霊魂に触れて、この世に影響を及ぼします。
私たちがこの世界中にある多くのマリア様に捧げられた至聖所や、その何千という御出現を見る時、マリア様はそれらを通して、何百万もの何千万人もの方々を回心させて、聖なる生活へと導いて下さいます。しかしマリア様の後ろには聖霊が立っています。マリア様の1つの至聖所からまた別の至聖所、1つの国のマリア様の話からまた別の国のマリア様の話へと、たくさんの話を見る事ができます。もちろん日本もその例外ではありません。日本でマリア様が隠れキリシタンを発見された事、あるいはマキシミリアノ・マリア・コルベ神父様が無原罪の園を造った事、マリア様が多くの霊魂たちをご自分を通してイエズス様へと連れて行っている事を見ました。私たちは秋田に行ってこの事を確認して、多くの御恵みを頂きました。
このマリア様の多くの御業の後ろに、聖霊が立っているのです。聖霊がマリア様を通して、霊魂たちに触れて語りかけるのですけれども、マリア様はお母様であって、そのお母様を通して子供たちに触れるのです。
旧約の時代には聖霊は、バアルの偽りの神々を拝んでいる司祭を450人殺すように言いましたけれども、しかしエリアを使って言いましたけれども、新約時代では聖霊は、マリア様を使って最高の母親を通して、私たちに影響を及ぼそうとしています。
マリア様は聖霊の特別な道具ですけれども、マリア様にもご自分の道具があります。マリア様には普通の道具があります。これは皆さんであって、私であって、マリア様の無原罪の聖母の騎士たちです。マリア様には特別の道具もあります。マリア様から選ばれて、この世で特別な業をする為に選択されました。これはマリア様の忠実な聖人たちです。
マリア様は聖ドミニコを選んで、ロザリオを彼に与えて、この世の回心の道具としました。マリア様は聖シモン・ストックを選んで、彼を通してスカプラリオを与えて、この世の人々にご自分の衣を着せようとされました。マリア様は聖イグナチオを選びました、聖イグナチオを通して、霊操の黙想会を与えました。この霊操を通して多くの、何百万というキリスト教信者を熱心な信仰生活に戻して、多くの人々を聖化へと導きました、本当に多くの人々が。聖マキシミリアノ・コルベを通して、マリア様は特別の軍隊を作って、悪魔とそして獣に対して戦う為に準備をしました。
そしてマリア様は聖グリニョン・ド・モンフォールを選んで、この世に特別のお恵みを与えようとされました。聖グリニョン・ド・モンフォールを通してマリア様は、私たちに最高の、そして本当の完璧なマリア様に対する信心について教えてくれます。
では完璧な本当の信心とは何でしょうか?“Devotio”「信心」というのは、私たちが他の方に「自分を与え尽くす」という事です。もしも誰かがある人を愛するとしたら、心も体もその人の為に尽くそうと思います。この態度をマリア様に対する態度を、聖グリニョン・ド・モンフォールを通して私たちは学びます。本当の完璧なマリア様への信心を通して私たちは、完璧な本当の聖霊への信心をも学びます。完璧な聖霊への信心を通して私たちは、全ての恵みを頂く事ができます。つまり聖徳への道です。これが私たちの生涯の目的です。
私はこういう話を聞きます、「神父様、一体現代においてどうして聖徳に達する事ができるでしょうか?それは無理な話です。無理なのです。なぜかというと、この世は私たちを罪に誘って、罪だらけだからです。ちょっと目を周すだけで、それは天主を忘れさせて、本当の真理を忘れさせようとする誘惑に満ちています。『死』について忘れさせて、『審判』についても、そして『永遠の命』に対しても忘れさせようとする誘いです。」「私たちの周りの人は皆こう言います。『これが普通の話だ。』『こうしなきゃなんない、皆こうしている。』『天主なんかもういなくなったんだ。だから皆こうしなきゃならない。』」
私たちはそのような、津波のようなものすごいこの世の激流の中に立ち留まる、力強い巖ではありません。そうではなくて、本当に小さな弱々しいもので、そのような波が来ると、「あぁっ」と言う間に流されてしまいます。この全世界を巻き込んでしまって飲み込んでしまうような悪魔的な波、大波に立ち留まって、皆さんや私のような弱い者がどうやってそれに対抗する事ができるでしょうか?
この信心です。聖グリニョン・ド・モンフォールが私たちに言う事をよく聞いて、それに従う事です。この4日を使ってこの準備をして下さい。どうやって戦うべきか、どうやって立ち向かうべきかという事を準備して下さい。
皆さん、黙想会をしている間、悪魔は眠りません。ですから皆さんを眠らせようとします。敬虔な牛が寝るように、目をパチッと開けて、何も考えずにいるようにさせます。皆さんはもちろん疲れます。なぜかというと皆さんは、毎日何回も何回も講話を聞く習慣がついているわけではないからです。もし皆さんが20分の長い小野田神父様の御説教を、「何だ長いなぁ、退屈だなぁ」と思うならば、私の4時間の話にどうやって耐える事ができるでしょうか。
恐れないで下さい。ちょっとした努力だけで大丈夫です。これは拷問ですが、聖なる拷問です。まず自由時間をどのように過ごすべきか、という事について説明します。これをよく使って下さい。皆さんはとても美しいテーブルに座っています。このテーブルがあるのでメモを取る事ができます。左にはノート、右にはこの本。講話が終わったらすぐにあるいは御聖堂、あるいはご自分の好きな所に行って、この講話の内容について話を黙想なさって下さい。
皆さんに「こうして下さい」と言った事を、正確になさって下さい。この講話の後に30分黙想の時間を与えますので、1番から21番までのところを読んで黙想なさって下さい。ページではなくて番号があります。この番号がどんな言語でも共通の番号であるからです。たくさん読んで、たくさん黙想しなければなりません。
ではこの聖グリニョン・ド・モンフォールのまことの信心について、少し紹介します。第1のポイントは、「マリア様がどなたか」という玄義の核心、そして頂点、そして要約を黙想する事です。この内のいくつかの点についての文章は、子供がいろはにほへと暗記するように、皆さんもこれを全部暗記しなければなりません。この本の中で一番大切な文章、全てそのまま覚えて下さい、というのはそんなに多くありませんが、それを申し上げます。なぜかというと、それを暗唱してしまうほど覚えてしまうと、この言葉を通してマリア様に祈る事ができるからです。
黙想する間に、その言葉が私たちに自然と頭に浮かんできます。問題があった時や困った事があった時に、自然にその言葉が思い上がってきます。悪魔が私たちを誘惑する時に、その時にマリア様は、私たちが覚えてしまった事をこの文章を思い出させてくれます。これから来たる難しい危険な時代を、私たちは準備しているのです。将来どのような状況に置かれるのかよく分かりません。
ちょうど今から75年前、聖マキシミリアノ・コルベはアウシュビッツの飢餓の為の部屋に入りました。コルベ神父様は食べる物や飲む物がなかっただけではありません。読む物もありませんし、何もありませんでした。その時にコルベ神父様の頭には覚えた、自分の覚えた事だけが残っていました。
皆さんに是非覚えて頂きたいと思っているのは、1番です。『マリアを通ってこそ、イエズス・キリストはこの世においでになりました。だから同じくマリアを通してこそ、イエズス・キリストはこの世を支配せねばならないのです。』
これは最初から、マリア様の果たすべき役割を示しています。この文章は、「この地上において、マリア様なしには救いがない」という事を示しています。「マリア様がなければイエズス様はない」と示しています。イエズス様がなければ救いもありません。もしもイエズス様がいなければ、悪魔が支配します。でもイエズス様はマリア様を通してのみ、支配できます。
この第1の文章について、来たるこれから後の273のパラグラフが説明しています。ですからこの1番については、信仰の真理として覚えておいて下さい。公教要理で皆さん信仰の真理を、みんな暗唱してしまうように覚え込んでしまうように、これも覚えて下さい。「はい主よ、私はこれを信じます。私は御身がマリア様を通して、この世に来た事を信じます。そしてマリア様を通してのみ、この世と私の心を支配する統治するという事を信じます。これを受け取らないような全てのものから、私は身を遠ざけます。こうする事によって私は、カトリック信仰に強く留まる事ができます。主よ、私の心を照らして、私の心を強めて下さい。この文章の意味が何かを、深く分かる為に助けて下さい。」
聖グリニョン・ド・モンフォールがどうやってマリア様に近付いていくかは、次の文章などを読むとよく分かります。マリア様の事について言った後に、聖グリニョン・ド・モンフォールはすぐに三位一体の高みまで、私たちを連れて行きます。「天主三位一体が在す。」至聖三位一体です。
なぜ聖グリニョン・ド・モンフォールはこのように私たちに話をするのでしょうか?なぜかというと、全てのマリア様の神秘について、本当の観点から真理の観点から見る事を私たちに望んでいるからです。私たちの目、つまり時々よく間違っている見方ではなくて、聖霊の天主の高みから見る事を望んでいるからです。至聖三位一体。
至聖三位一体に比べれば、全宇宙は全く「在る」と言う事もできないほどの影にすぎません。この天主が全てであり、天主こそが在りて在るものであり、被造物私たちは無くて無いものである、という事をまず認識しなければなりません。
永遠の天主から見れば、全宇宙は本当に小さなゴミに過ぎないようなものですけれども、この天主三位一体は、この小さなゴミのようなものを通って、この小さな小さな小さな塵のようなゴミに対して、至聖三位一体はとても大きな愛を注がれるのです。
皆さん、この机の上にある小さなゴミを見て下さい。この小さなゴミを見て皆さん、このこれこそが全世界で一番大切なものであるかのように思っている人を見て下さい。そのように天主様は、この全宇宙に神経を払って愛しておられます。この特別な愛をもって、天主様の創られたその世界の傑作を御覧になられます。
では、もしも全てはマリア様を通してこの世に来られて、マリア様を通して支配しようと思っているのならば、何でマリア様について聖書には何も書かれていないのでしょうか?なぜ誰もマリア様についてよく知っていないのでしょうか?
私はこれは本当に天主様のユーモアだと思っています。父親が子供たちにとって最も素晴らしい宝物を持っていたとします。でもその宝物を子供たちに隠すのです。この大変な宝物を隠して包んで、次のクリスマスまでとっておきます。子供たちはこの中に何が入っているか、好奇心でたまりません。時が来る前、何が入っているか開けて見ようとさえします、「お父さん、この中に何が入っているんですか?」「ちょっと待っていなさい。この時が、このプレゼントの時が来るまで待っていなさい。その時が来れば、お前のものになるから。」
天国における何千何億という天使たちが、天使たちはマリア様が創造された時の事を見ていました。天地の元后であるマリア様が、この地上では単なる奴隷のような女性でした。「マリア様、あなたは一体どなたですか?インマクラータ、あなたは一体どなたですか?」
マリア様の秘密というのは、この宝物のようです。時はやって来ました。聖霊は私たちの目の前に、この特別の宝物が一体どなたであるか、特別に開けようと皆に知らせようと思っています。もちろんマリア様について知っています。マリア様については何度も昔から黙想してきました。でも天使たちはマリア様について知っていながらも、それにもかかわらず聞きました、「あなたは一体どなたですか?」
聖グリニョン・ド・モンフォールは、三位一体のその各一位一位一位に対して、マリア様がどのような関係を取っているのかを説明します。そして4番5番から、三位一体とマリア様とのこの関係について、聖グリニョン・ド・モンフォールは語っています。
「マリア様は天主聖父の最高傑作」「天主聖子の栄光ある御母」「マリア様は聖霊の封印された秘密の花園」このような事を私たちは黙想しなければなりません。これをただスラスラッと読むだけでは、この意味、深い意味は分かりません。これについてゆっくり読んで黙想する時に、この意味が開かれます。聖霊に、イエズス様に、マリア様に願って下さい、「おぉこの心、私の心を開いて下さい。この意味は一体何ですか?教えて下さい。」
「三位一体の至聖所であって、その休み場所である」と書いてあります。これは5番目です。この聖所、憩いの場でこそ、天主は宇宙の他のいかなる場よりも、最も天主らしく素晴らしいのです。ケルビムやセラフィムの上におけるお住まいなど、マリア様に比べたら問題になりません。
天主は無限の海原のような存在です。この全世界は天主に比べれば全く無に等しいものです。ところがこの無に等しいようなこの大宇宙の中から、マリア様という1つの霊魂を選んで、このマリア様という霊魂こそが、御自分の憩いの場所、休みの場所、喜びの場所とされたのです。
皆さんはこの後に黙想しますけれども、黙想しながら新しい何かを学ぶ、何か新しい事を知るというよりは、聖グリニョン・ド・モンフォールと一緒に、マリア様について驚いて下さい、マリア様について感嘆して下さい。マリア様の素晴らしさについて、「あぁ、何と素晴らしい方か!」と思って下さい。
「主よ、御身は偉大な方であって、無限のやり方があって、どのようなお望みのやり方でもする事ができたのですけれども、その何億何兆とある無限の可能性から、この方法を選びました。御身は、イエズス・キリスト様がこの世に来られた時に、アダムが来られたように創る事をお望みになりませんでした。御身にふさわしい、無限の天主の御稜威と威光と栄光に満ちて来る事をお望みになりませんでした。御身は最も謙遜に、これ以上考えられないほどの謙遜なやり方で、この世にやって来られました。この全宇宙の創造主である御身が、無に等しい被造物に全く依存したやり方でお生まれになりました。全能の天主は無限の御業を、この素晴らしいマリア様を通してなさる事をお望みになりました。なぜかというと、このマリア様という無に等しいこの小さな存在は、天主の聖心に極めて心に適う者であって、天主はこのマリア様を愛で囲んでおられたからです。」
第14番をご覧下さい。グリニョン・ド・モンフォールは14番でこうはっきりと言います、「マリア様は無に等しい。全く原子よりもアトムよりも小さい。天主様は全く何も必要とされなかった。天主が必要だった、誰かを必要としたからではなくて、」でも15番に聖グリニョン・ド・モンフォールが、「しかし天主様はこれをお望みになって、全く自由にこのやり方を望んだ」からです。
天主様は御自分の偉大な業を、「マリア様を通してのみする」という事を望まれて、それを決定したからです。この事を、大きな感嘆と驚きとをもって黙想しなければなりません。16番を見ると、長い旧約時代が、来たるべきメシアを待っている待望の時代でした。しかし旧約時代の誰も、この宝を受ける事ができませんでした。マリア様だけが天主の御前に聖寵を見出しました。マリア様を通して、大きな贖いのドラマが、救世の御業が始まります。
聖子はマリア様の御胎内においてのみ、「聖父よ」と言う事ができました。イエズス様という王の王、この世の創造者が、マリア様の御胎内に、小さな小さな赤ちゃんとなります。
御自分は全くマリア様に依存しているものとなる事を望みました。マリア様は実は、全くイエズス様に本当は依存しているのですけれども、このイエズス様がマリア様に依存するようになりました。
それから19番と20番をご覧下さい。イエズス様がこの世に来る事について、マリア様にどれほど依存しているかという事を望んだのみならず、30年間もこの地上の生活においてマリア様に依存し、それに委ねられていました。イエズス様の最初の奇跡は、マリア様の介入によってのみなされました。イエズス様は天主であり、そのやり方を変える方ではありません。最初の奇跡がマリア様を通して行われたのならば、それ以降全てマリア様を通してなさるはずです。
これが、イエズス様におけるマリア様の素晴らしい臨在であって存在です。
では今から30分間時間を与えますので、1番から21番までゆっくり何度も何度も読んで、それに黙想なさって下さい。10時半にまたここで、この続きの話を致します。ではめでたしを唱えます。