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2018年9月2日 聖霊降臨後第15主日のミサ 「ナインの寡婦の息子の復活」

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2018年9月2日(主日)聖霊降臨後第15主日のミサ
小野田神父 説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2018年9月2日聖霊降臨後第15主日のミサを捧げています。

日本と東アジアでいつも平和が保たれますように、戦争が起きませんように、それからカトリック教会の為にも、日本の多くの兄妹姉妹の救霊の為にも、今まで2ヶ月に一度御聖体降福式をしていましたが、とても大きなお恵みを頂いているので、今日から毎月最初の主日に、聖体降福式をしたいと思っています。ミサの直後に行ないます。

14時半頃からいつもの通り公教要理がありますが、今月はこの今回は、次回のミサの歌を練習する事を提案します。

明日は9月3日、聖ピオ十世教皇様の祝日です。私たちの修道会では第一級の大切な祝日です。朝7時からミサがあります。もしもできればいらして下さい。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日私たちの主イエズス様は、ナインという町で、寡婦の一人息子を復活させた、という歴史的な事件を福音書で読みました。

⑴一体これは私たちに今日、どういう意味があるのでしょう?

⑵なぜこれは私たちに、どう今日、2018年9月2日にどう関係しているのでしょうか?それを黙想して、

⑶それではその結果、私たちはどのような遷善の決心を取らなければならないかを、一緒に黙想致しましょう。


⑴愛する兄弟の皆さん、典礼学者によると、「このナインの寡婦の一人息子は、皆さんと私の事だ」と言います。

私たちは死んで、運ばれてきました。なぜ死んだかというと、罪で、罪のおかげです。罪がこの世に入った為に、天主の創造の業は、その御計画は、愛の計画は破壊されました。私たちには、苦しみと、病と、悲しみと、死が、避けられないものとなってしまいました。

私たちはお棺に入っています。朝、曙町会館に、私たちの情欲と、罪と、悪習、悪い習慣と、そしてその他の天主に逆らう事によって、運ばれてきました。

しかしナインである曙町会館には、この聖なる日本の殉教者巡回教会には、イエズス・キリスト様がこの御聖体において本当にいらっしゃるようになります。すると、寡婦、つまり公教会と一緒に運ばれてきた私たちは、御聖体の前に来て、イエズス様からこういう事を聞きます、「若者よ、私は言う。起きなさい。」

そして私たちは、もう一度霊的な命を得て、そしてイエズス・キリスト様の体に養われて、そして「あぁ、今日は、私たちの町に偉大な預言者を主は起こして下さった、私たちは不思議な業を見た」と言って、帰って行く。

もちろん私たちは、よく時間の系列を辿れば、洗礼を受けた時にこそ、イエズス様が私たちに、「起きなさい。」地獄へと私たちは道を歩んでいた、このお棺に入ったまま、そのまま墓場へと進んで、墓場の次には地獄へと行こうとしていた私たちが、イエズス様から呼び止められて、「起きなさい」と洗礼を受けて、成聖の恩寵を受けて、天主の命を受けて、霊的によみがえったものです。

そしてもちろん霊的によみがえったものとして、私たちはこのミサに与りました。しかし主日のミサというのは、典礼学者によると、「主の復活と十字架の記念」でもありますので、「復活祭の再現」でもありますので、「私たちの霊的な復活の事がここで、今日、霊的に実現した、と言っても過言ではない」と言います。

典礼学者によると、「私たちには2つの復活があって、そして今日のこの典礼では、まさにこの2つの復活の事がよく表れている」と言います。

1つは「霊的な復活」であって、もう1つは「肉体の復活」です。

⑵第2のポイントは、この私たちが霊的に復活して、洗礼を受けて、そして主日に教会に与ってミサに与って、また主の命に生きようと思っている私たちは、ではこれからどこに向かって行くか?という事です。

それは、霊的な復活の後には、遂には世の終わりの、肉体の復活に向かっている、という事です。

今日ナインのこの青年が復活したように、肉体において復活したように、私たちも世の終わりの日に、肉体において復活します。私たちがそれに賛成しようとも、反対しようとも、それを思っていなくても、その日はやって来ます。その時の為に私たちはどうすれば良いでしょうか?

聖パウロが言っています、「もしも霊によって生きるならば、霊によって歩め。今まではお棺の中に、罪によって運ばれつつあったのですけれども、今では霊によって生きているので、霊によって歩まなければならない。もしも肉を撒くならば、刈り取るのは肉の実だ。しかし、霊の種を撒くのならば、霊の実りを取る。まだ時がある間に、この霊の業を行なえ。特に信仰を持っている兄弟たちに対してそれを行なえ」と聖パウロは勧めています。そしてそうする事によって私たちは、肉体の復活を準備します。

それができるようにイエズス様は、御自分の御体を与えて、私たちが食べる事ができるように、イエズス様と一致している力を持つ事ができるように、とされます。
そこで歌われるのが聖体拝領誦です、「私の肉は真の食べ物であり、私の血は真の飲み物である。これを飲む人は永遠に生きる。」


⑶では私たちは今日、何をしなければならないのでしょうか?

ぜひ、「霊的に生まれ変わった、ナインのこの青年である」という事を自覚なさって下さい。「あぁ、福音のこの男の子は良かったなぁ」と他人事ではなくて、実はそれと同じ事が私たちに、皆さんと私に起こった、という事を知って下さい。イエズス様が今日その青年と会ったように、皆さんにもお会いする、という事を知って下さい。ナインの青年にはできていなかった事を、私たちは御聖体拝領によってできる、という事も知って下さい。ナインで起こったものすごい奇跡よりも、更に偉大な事が今、この場所で起ころうとしています。是非それをなさって、その私たちはこのナインの人々と同じ気持ちを以て、ミサに与りましょう。そして御聖体拝領を致しましょう。

そして、もしもこれを言うのを許されれば、付け足しですけれども、そうすると、もしも皆さんがナインの人であれば、司祭は、キリストの事だ。すると、イエズス・キリストの司祭は、カトリックの司祭は、どれほど人々の霊的な復活の為に、心を砕かなければならないのか、イエズス様のその憐れみの御業を続ける為に、どれほどますますキリストのようにならなければならないか、という事が分かります。

イエズス様はヤイロの娘を復活させたし、このナインの未亡人の子供、一人息子を復活させたし、ラザロを復活させたし、イエズス様はいたる所に行って、人々に霊的な復活、あるいは慰めを与えた。

願わくは、カトリック司祭が、このますますイエズス様の似姿に倣う者となりますように、皆さんの熱烈なお祈りをもお願い致します。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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