2018年9月22日(土)四季の斎日 土曜日のミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年9月22日、四季の斎日の土曜日のミサをしております。
今日このミサの後の感謝の祈りが終わりましたら、シスターが、聖ピオ十世会のシスター会の生活はどのようなものか、という事をスライドショーで見せて下さる予定です。皆さんご覧になって下さい。次のミサは、10月の最初の金・土です。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日はとても長いミサなのですが、簡単な説教をする事を許して下さい。
今日のポイントは3つあります。
⑴ローマでは、最初の迫害の300年の間、いつも主日の前には土曜日には、徹夜でミサの前の準備をしていました。迫害が特に厳しくなって、デオクレチアノ皇帝の時には、その事は既にする事が非常に困難になっていましたが、それでも復活の徹夜祭や、この四季の斎日にはその名残りが残っています。そこで多くのお祈りと読書があります。
⑵第2のポイントは、今日特にミサで、ミサのでテキストで強調されているのは、「新約のこのミサは、新約の全ての儀式は、旧約の影を実現させるものである」というところです。
特に旧約時代には、月の第7番目、第7の月には、秋の収穫の感謝と、そして幕屋祭のお祭りをしていました。これはどういう事かというと、「罪を犯していたにも関わらず、天主が憐れみを以て、これほどの地上での実りを送って下さった事を感謝する」という事、「その感謝の為に、断食や、そして祈りを捧げる」ということです。
もう1つは、「ヤーウェが、旧約の時代にモーゼを通してエジプトから脱出させてくれて、そしてシナイの砂漠をさまよっている間、マンナで養って下さった。そしてその間に天主は幕屋にも住み給うた。その幕屋を感謝する。天主がいつも私たちと共に居られる」という事を感謝する祈りです。
それが旧約の時代という影が、新約の実体ではこの9月です。9月というのは実はラテン語では「7番目の月」と言うのです。“september(セプテンベール)”というのはつまり、「7(septem)の月」といういみです。「それによって完成させられた。なぜかというと、霊的な実りを私たちは受け取って、そしてこの地上で悪魔から、洗礼を以て解放されて、そしてイエズス・キリストの御体によって、天からの本当のマンナによって養われ、そして天主の本当の幕屋である教会を持っている。私たちの霊魂が天主の幕屋となる」という事を実現しているからです。
⑶第3のポイントは、福音です。これは福音では、2つの話が語られます。関係ないように見えて、実は深い関係があります。
1つは、私たちは新約の時代に生きていて、イエズス様の為に多くの実りをもたらさなければならない者であるにも関わらず、しかしあまりにもこの地上の事に関わっているが為に、天主に祈りを捧げる事ができない、霊的に実をもたらしていない、イエズス様の為に実を付ける事ができない、役に立たない木のようである。しかし、そのような私たちを見て天主聖父は、「あぁ、この木を植えて、洗礼を授けて、もう何年にもなるにも関わらず、全く実りを付けない。何で私のこの公教会という畑に植わっているのか。実りは無いではないか」と言うと、農夫であるイエズス様が天主聖父に、「お待ち下さい。この根の周りに溝を掘って肥やしをやります。水をかけます。太陽がちゃんと照るように心を砕きます。どうぞもう少しお待ち下さい。しかしそれにもかかわらず実を付けないのであれば、抜き取って焼いて下さい。火にくべて下さい。」
「イエズス様は私たちの為に、私たちが霊的な実を付けるように心を砕いて下さる。その為に肥やしとして、御自分の御体を与えて、聖父に執り成して下さる。御血を、御自分の御血を以て、手で作られない幕屋に入って、そして私たちの為に、永遠の大司祭として執り成しをして下さる」という事が話されます。
そしてそればかりか、今日は土曜日ですけれども、旧約の時代ではこの土曜日の事を“sabbato”「安息日」と言っていました。この土曜日に、あまりにも地上ばかりを見て、この地上の事だけを見て、背中が曲がってしまった老人のように、真っ直ぐになる事ができない私たちにイエズス様がやって来て、「18年間、天を見る事もできないのか。真っ直ぐになれ」と言うと、今日この安息日に、おばあさんがシャキッと天を見る事ができて、天主を讃美した奇跡が起こります。
もしもこのおばあさんの腰をも真っ直ぐにする事ができたのであったならば、イエズス様は私たちの霊魂をも、この地上の事から引き上げて、引き離して、真っ直ぐに上げる事ができます。「今日その事が起こる」と教会は言っています。なぜかというと、聖体拝領誦の時に私たちは、「旧約の時代が過ぎ去って、新約の時代が、御聖体拝領によって完成させられる」事が歌われるからです。イエズス様が御体を、御血をも、肥やしとして私たちに与えて下さるからです。
ですから今日は、このイエズス様の憐れみ深い奇跡を起こす日である、という感謝と償いの日として、そして四季の土曜日を過ごす事に致しましょう。マリア様に御取り次ぎを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年9月22日、四季の斎日の土曜日のミサをしております。
今日このミサの後の感謝の祈りが終わりましたら、シスターが、聖ピオ十世会のシスター会の生活はどのようなものか、という事をスライドショーで見せて下さる予定です。皆さんご覧になって下さい。次のミサは、10月の最初の金・土です。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日はとても長いミサなのですが、簡単な説教をする事を許して下さい。
今日のポイントは3つあります。
⑴ローマでは、最初の迫害の300年の間、いつも主日の前には土曜日には、徹夜でミサの前の準備をしていました。迫害が特に厳しくなって、デオクレチアノ皇帝の時には、その事は既にする事が非常に困難になっていましたが、それでも復活の徹夜祭や、この四季の斎日にはその名残りが残っています。そこで多くのお祈りと読書があります。
⑵第2のポイントは、今日特にミサで、ミサのでテキストで強調されているのは、「新約のこのミサは、新約の全ての儀式は、旧約の影を実現させるものである」というところです。
特に旧約時代には、月の第7番目、第7の月には、秋の収穫の感謝と、そして幕屋祭のお祭りをしていました。これはどういう事かというと、「罪を犯していたにも関わらず、天主が憐れみを以て、これほどの地上での実りを送って下さった事を感謝する」という事、「その感謝の為に、断食や、そして祈りを捧げる」ということです。
もう1つは、「ヤーウェが、旧約の時代にモーゼを通してエジプトから脱出させてくれて、そしてシナイの砂漠をさまよっている間、マンナで養って下さった。そしてその間に天主は幕屋にも住み給うた。その幕屋を感謝する。天主がいつも私たちと共に居られる」という事を感謝する祈りです。
それが旧約の時代という影が、新約の実体ではこの9月です。9月というのは実はラテン語では「7番目の月」と言うのです。“september(セプテンベール)”というのはつまり、「7(septem)の月」といういみです。「それによって完成させられた。なぜかというと、霊的な実りを私たちは受け取って、そしてこの地上で悪魔から、洗礼を以て解放されて、そしてイエズス・キリストの御体によって、天からの本当のマンナによって養われ、そして天主の本当の幕屋である教会を持っている。私たちの霊魂が天主の幕屋となる」という事を実現しているからです。
⑶第3のポイントは、福音です。これは福音では、2つの話が語られます。関係ないように見えて、実は深い関係があります。
1つは、私たちは新約の時代に生きていて、イエズス様の為に多くの実りをもたらさなければならない者であるにも関わらず、しかしあまりにもこの地上の事に関わっているが為に、天主に祈りを捧げる事ができない、霊的に実をもたらしていない、イエズス様の為に実を付ける事ができない、役に立たない木のようである。しかし、そのような私たちを見て天主聖父は、「あぁ、この木を植えて、洗礼を授けて、もう何年にもなるにも関わらず、全く実りを付けない。何で私のこの公教会という畑に植わっているのか。実りは無いではないか」と言うと、農夫であるイエズス様が天主聖父に、「お待ち下さい。この根の周りに溝を掘って肥やしをやります。水をかけます。太陽がちゃんと照るように心を砕きます。どうぞもう少しお待ち下さい。しかしそれにもかかわらず実を付けないのであれば、抜き取って焼いて下さい。火にくべて下さい。」
「イエズス様は私たちの為に、私たちが霊的な実を付けるように心を砕いて下さる。その為に肥やしとして、御自分の御体を与えて、聖父に執り成して下さる。御血を、御自分の御血を以て、手で作られない幕屋に入って、そして私たちの為に、永遠の大司祭として執り成しをして下さる」という事が話されます。
そしてそればかりか、今日は土曜日ですけれども、旧約の時代ではこの土曜日の事を“sabbato”「安息日」と言っていました。この土曜日に、あまりにも地上ばかりを見て、この地上の事だけを見て、背中が曲がってしまった老人のように、真っ直ぐになる事ができない私たちにイエズス様がやって来て、「18年間、天を見る事もできないのか。真っ直ぐになれ」と言うと、今日この安息日に、おばあさんがシャキッと天を見る事ができて、天主を讃美した奇跡が起こります。
もしもこのおばあさんの腰をも真っ直ぐにする事ができたのであったならば、イエズス様は私たちの霊魂をも、この地上の事から引き上げて、引き離して、真っ直ぐに上げる事ができます。「今日その事が起こる」と教会は言っています。なぜかというと、聖体拝領誦の時に私たちは、「旧約の時代が過ぎ去って、新約の時代が、御聖体拝領によって完成させられる」事が歌われるからです。イエズス様が御体を、御血をも、肥やしとして私たちに与えて下さるからです。
ですから今日は、このイエズス様の憐れみ深い奇跡を起こす日である、という感謝と償いの日として、そして四季の土曜日を過ごす事に致しましょう。マリア様に御取り次ぎを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。