アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
この項は、これから洗礼を受けようとされている方のために書いています。
キリストは、人間の社会組織として教会を創立しました。イエズス・キリストが創立した教会は、四つの特性をもっています。それは、唯一で、普遍的で、使徒的で、聖であるという、ことです。
【ポイント】キリストによって創設された教会は、唯一、公、使徒的で、聖なる教会
ここでは、キリストによって創設された教会が、全世界に及ぶもの、普遍的な(ギリシア語で「カトリックな」)教会であることを見てみましょう。
キリストの教会は、全世界におよぶ、普遍的(カトリック)な教会
キリストの教会は普遍的、あるいはカトリックです。キリストは使徒たちに、非常に力強く命令を与えましたが、それはある特定の民族とか、社会層とかにその教えを限定するためではありませんでした。
キリストは、「すべての国」「すべての人びと」に福音をのべつたえることを、使徒たちに命じました。
「私には、天と地との一切の権力が与えられている。だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。私は、世の終わりまで、常にあなたたちとともにいる。」(マテオ28章)
「あなたたちは、全世界に行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ。信じて洗礼をうける人は救われ、信じない人は亡ぼされる。信じる人々は、私の名によって悪魔をおい出し、新しいことばを話し、へびを握り、毒をのんでも害をうけず、病人に手をおいてなおすなどのしるしを見せるだろう。」(マルコ16章)
使徒たちは、従順にイエズス・キリストのことばをまもり、たとえば、聖パウロは、こう言っています。
「信仰は宣教により、宣教はキリストのみことばによる。しかし私はいう。かれらには聞こえなかったのか?決してそうではない。"その声は全地に響き、そのことばは世界の果てまで及んだ"」と。
従って、聖パウロは、コロサイ人たちに、福音は「全世界で実をむすんでいる」と書きおくることができました。
【ここで注意しなければならない点は、この場合、聖パウロは絶対的な普遍性(catholicitas absoluta)を指していったのではなく、比較的な普通性(catholicitas moralis)として、全世界に福音が実をむすんでいるといったということです。すなわち、キリスト教徒がひろくどこにも見られるという意味で、一般的な表現にしたがって、世界に実をむすんでいる、または、普過的であると言いました。
教会の比較的な普遍性は、また、社会的な面と、数的な面とにおいて、それぞれの普遍性が考えられます。
社会的普遍性というのは、教会のメンバーが、いろいろな文化面とか、階級にわたって、ひろがっている場合にいわれます。
教勢が伸び、教会が世界的にひろがっている場合には、数的普遍性をもつといわれます。】
キリストの教会には、創設後、相当の期間をへた後には、比較的普遍性がなくてはなりません。なぜなら、教会の宣教者たちは、世界につかわされるために、キリストご自身の支持を受けているし、その教えは天主の教えであるから、善意の人びとの精神と心とに強くうったえる力があるからです。
キリストの教会は不朽であるから、現世にいまも存在しつづけ、おなじ理由によって、すなわち、天主の助けと、人間の要求をみたす教えをもつという理由で、比較的普遍性をもっていなくてはなりません。
キリストの真の教会である、だから、全世界の人々の大部分がこれを信じている、という数的な普遍性を必ずしも常に維持しているとは限りません。キリストの教会が普遍性とは、信じる人々の数が減少しようとも、キリストの教会が持つ普遍的な性格のことです。
つまり、一切の人の救霊がキリストの意志なので、キリストの教会はこの意志にしたがって、実際的な、組織だった機構をそなえ、絶対的な普遍性の理想にすすんでいかなければならない、という性格です。
【キリストが建てた教会が、普遍的であるとうことから帰結すること】
キリスト教徒になる義務
「あなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。」(マテオ28章)
「あなたたちは、全世界に行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ。信じて洗礼をうける人は救われ、信じない人は亡ぼされる。」(マルコ16章)
「全世界に行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ」という、使徒たちに与えられたキリストの命令には、立場をかえると、別の大きな意味があります。つまり、人類の側からも、それに相当する義務があり、すべての人は使徒たちとその後継者らの教えを聞き、それに従う義務があるということです。
つまり、キリストの教会のメンバーになる義務があるということです。
「すべての人々に福音をのべ伝えよ。信じて洗礼をうける人は救われ、信じない人は亡ぼされる」といわれているのであるから、まことの教会を知っていながら、故意に信者にならない人たちは、だれも救われません。
まことの教会に属していながら、異端や分派をつくって教会をすてる人も救われません。
「異説を立てる者は、一度か二度いましめてのち、それから遠ざかれ。このような人々は、罪をおかして自分自身を罰した人であると、あなたも知っている」と、聖パウロもいっています。
教会は、キリストをかしらにいただく、生きた体であると聖パウロは教えていますが、教会から自分を切りはなす人は、キリストから分離するわけであるから、救われるはずがありません。
なぜなら、救霊は、キリストにあるだけで、ほかにはないからです。「私はぶどうの木で、あなたたちは枝である。私にとどまっていて、私もまた彼のうちにいるなら、その人は多くの実を結ぶ。なぜなら、私がいないと、あなたたちにはなに一つできないからである。私にとどまらない人は、枝のように外に投げすてられて、枯れはててしまい、人々にひろい集められて、火に投げいれられ、焼かれてしまう」とキリストは言っています。
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
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愛する兄弟姉妹の皆様、
この項は、これから洗礼を受けようとされている方のために書いています。
キリストは、人間の社会組織として教会を創立しました。イエズス・キリストが創立した教会は、四つの特性をもっています。それは、唯一で、普遍的で、使徒的で、聖であるという、ことです。
【ポイント】キリストによって創設された教会は、唯一、公、使徒的で、聖なる教会
ここでは、キリストによって創設された教会が、全世界に及ぶもの、普遍的な(ギリシア語で「カトリックな」)教会であることを見てみましょう。
キリストの教会は、全世界におよぶ、普遍的(カトリック)な教会
キリストの教会は普遍的、あるいはカトリックです。キリストは使徒たちに、非常に力強く命令を与えましたが、それはある特定の民族とか、社会層とかにその教えを限定するためではありませんでした。
キリストは、「すべての国」「すべての人びと」に福音をのべつたえることを、使徒たちに命じました。
「私には、天と地との一切の権力が与えられている。だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。私は、世の終わりまで、常にあなたたちとともにいる。」(マテオ28章)
「あなたたちは、全世界に行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ。信じて洗礼をうける人は救われ、信じない人は亡ぼされる。信じる人々は、私の名によって悪魔をおい出し、新しいことばを話し、へびを握り、毒をのんでも害をうけず、病人に手をおいてなおすなどのしるしを見せるだろう。」(マルコ16章)
使徒たちは、従順にイエズス・キリストのことばをまもり、たとえば、聖パウロは、こう言っています。
「信仰は宣教により、宣教はキリストのみことばによる。しかし私はいう。かれらには聞こえなかったのか?決してそうではない。"その声は全地に響き、そのことばは世界の果てまで及んだ"」と。
従って、聖パウロは、コロサイ人たちに、福音は「全世界で実をむすんでいる」と書きおくることができました。
【ここで注意しなければならない点は、この場合、聖パウロは絶対的な普遍性(catholicitas absoluta)を指していったのではなく、比較的な普通性(catholicitas moralis)として、全世界に福音が実をむすんでいるといったということです。すなわち、キリスト教徒がひろくどこにも見られるという意味で、一般的な表現にしたがって、世界に実をむすんでいる、または、普過的であると言いました。
教会の比較的な普遍性は、また、社会的な面と、数的な面とにおいて、それぞれの普遍性が考えられます。
社会的普遍性というのは、教会のメンバーが、いろいろな文化面とか、階級にわたって、ひろがっている場合にいわれます。
教勢が伸び、教会が世界的にひろがっている場合には、数的普遍性をもつといわれます。】
キリストの教会には、創設後、相当の期間をへた後には、比較的普遍性がなくてはなりません。なぜなら、教会の宣教者たちは、世界につかわされるために、キリストご自身の支持を受けているし、その教えは天主の教えであるから、善意の人びとの精神と心とに強くうったえる力があるからです。
キリストの教会は不朽であるから、現世にいまも存在しつづけ、おなじ理由によって、すなわち、天主の助けと、人間の要求をみたす教えをもつという理由で、比較的普遍性をもっていなくてはなりません。
キリストの真の教会である、だから、全世界の人々の大部分がこれを信じている、という数的な普遍性を必ずしも常に維持しているとは限りません。キリストの教会が普遍性とは、信じる人々の数が減少しようとも、キリストの教会が持つ普遍的な性格のことです。
つまり、一切の人の救霊がキリストの意志なので、キリストの教会はこの意志にしたがって、実際的な、組織だった機構をそなえ、絶対的な普遍性の理想にすすんでいかなければならない、という性格です。
【キリストが建てた教会が、普遍的であるとうことから帰結すること】
キリスト教徒になる義務
「あなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。」(マテオ28章)
「あなたたちは、全世界に行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ。信じて洗礼をうける人は救われ、信じない人は亡ぼされる。」(マルコ16章)
「全世界に行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ」という、使徒たちに与えられたキリストの命令には、立場をかえると、別の大きな意味があります。つまり、人類の側からも、それに相当する義務があり、すべての人は使徒たちとその後継者らの教えを聞き、それに従う義務があるということです。
つまり、キリストの教会のメンバーになる義務があるということです。
「すべての人々に福音をのべ伝えよ。信じて洗礼をうける人は救われ、信じない人は亡ぼされる」といわれているのであるから、まことの教会を知っていながら、故意に信者にならない人たちは、だれも救われません。
まことの教会に属していながら、異端や分派をつくって教会をすてる人も救われません。
「異説を立てる者は、一度か二度いましめてのち、それから遠ざかれ。このような人々は、罪をおかして自分自身を罰した人であると、あなたも知っている」と、聖パウロもいっています。
教会は、キリストをかしらにいただく、生きた体であると聖パウロは教えていますが、教会から自分を切りはなす人は、キリストから分離するわけであるから、救われるはずがありません。
なぜなら、救霊は、キリストにあるだけで、ほかにはないからです。「私はぶどうの木で、あなたたちは枝である。私にとどまっていて、私もまた彼のうちにいるなら、その人は多くの実を結ぶ。なぜなら、私がいないと、あなたたちにはなに一つできないからである。私にとどまらない人は、枝のように外に投げすてられて、枯れはててしまい、人々にひろい集められて、火に投げいれられ、焼かれてしまう」とキリストは言っています。
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
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