2018年11月25日(主日)聖霊降臨後第27主日のミサ
小野田神父説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2018年11月25日、聖霊降臨後最終主日です。
今日は多くの新しい兄弟姉妹の方がいらして非常に嬉しく思います。
いつもならば午後にある公教要理と晩課、また月曜日のミサは、残念ながら今回はありません。
なぜかというと火曜日(11月27日)に、フィリピンのダヴァオという所で聖ピオ十世会のオブレートシスターの修練院で着衣式があって、そこに参加せざるを得なくなったからです。ご了承下さい。
次のミサは12月1日の土曜日の夕方です。ここで歌ミサがあります。
12月2日主日には、10時30分からサマース神父様がミサを捧げて下さいます。その前にも9時頃から私がミサをする予定です。どうぞ多くの皆さんがいらして下さい。特にサマース神父様は私たちに非常に大切なメッセージを送ろうと考えておられます。どうぞいらして下さい。
クリスマスにも、23、24、25日と連続してミサがあります。どうぞいらして下さい。
「天地は過ぎ去るが、私の言葉は過ぎ去らない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、遂に私たちは典礼歴の最後の主日になりました。この最後の主日、ただ単に11月の諸聖人の祝日を祝った、死者の、死せる信者の記念を祝ったのみならず、そして死者の為にお祈りしたのみならず、遂に私たちも最後に、この世の終わりについて黙想する日が来ました。
司祭が今日、侍者と共にこの祭壇の前に入場する時、あたかも私たちは一緒に最高裁判所の前に歩いて行って、そしてこれから裁かれなければならない罪人として、裁判官の前に出るかのようです。天主の家、聖父の家の中の祭壇に昇り、“Judica me, Deus, et discerne causam meam”「主よ、裁き給え。そして私の事を明確にし給え」と司祭は言って祭壇に昇ろうとします。
“Confiteor Deo omnipotenti,…”「私は全能の天主、終生童貞なる聖マリア、大天使聖ミカエル…」罪の告白をします。そして皆さんもその後に罪を告白します。
そして“Kyrie eleison.”「主よ憐れみ給え、キリスト憐れみ給え」と私たちは主に憐れみを乞うて、その祭壇に近付きました。
でも私たちは何と慰めを受けた事でしょうか。入祭誦で、「私の考えは平和の考えであって、罰の考えではない。私はお前たちを全ての所から救いの方に導く」という歌を聞いたからです。しかも素晴らしい歌声で聞きました。
今日そこで、公教会の精神に従って、世の終わりには一体どんな事が私たちに起こるのか?を黙想します。
今日、私たちの主がその事を説明して下さいました、「世の終わりには、天使がラッパを鳴らす。そしてその前に、地上ではものすごい、今まで見た事もなかった艱難がある。国は国に対して立ち上がるだろう。そして『一体この世はどうなるのだろうか』と人々は恐れおののく。」
聖パウロによると、「この世は、火によって燃え尽くされる」との事です。
そして、全ての人々はこの世の終わりに復活します。
悪人は、恐ろしい姿で、自分がそれを以てその罪を犯したその道具である肉体、恐ろしい、おどろ恐ろしい肉体を持って復活します。
義人は、それを以て善を行なった肉体をもう一度、光り輝かんばかりに受け取って復活します。
天使たちが全ての、今までアダムとエヴァに始まって、世の終わりの全ての人々を一所に集めます。聖伝によると、それは「ヨサファトの谷」と言われています。そこに現れた時に、人々は右と左にはっきりと遂に分けられる日が来ます。死後、永遠の苦しみを受けるべき者、永遠の罰を受けるべき者と、永遠の喜びと、至福と命を楽しむべき者の2つです。
これは必ず起こります。世の終わりに必ず起こります。使徒信経の中に私たちが言う通りです。この御説教の後に皆さんが声高く歌う通りです、「生ける人と死せる人と裁かん為に来たり給う主を信じ奉る。」
その時に、人々がヨサファトの谷に集められた時に、天に大きなしるしが現れます。十字架のしるしです。それは私たちを救った贖いの道具です。この道具によって私たちは裁かれます。
私たちがこの十字架に、素直に愛を以て従って、これを受け入れたのか、それとも十字架の敵となったのか、十字架を踏みにじったのか。
天主に愛を以て従ったのか、あるいは天主を拒んだのか否んだのか。
天主に倣ってイエズス・キリストに倣って十字架を、私たちが十字架を取って日々従ったのか、それとも捨てたのか、十字架に罵りと呪いをかけたのか。
イエズス・キリストに倣って、謙遜に、あるいは愛徳をもって、あるいは従順に、特に天主の御旨に従順に生きたのか、それとも憎しみと、悪意と、傲慢と、支配、権力、富を求めて悪事を働いたのか、否か。
十字架を忍耐強く担ったのか、私たちに害を与えるような人でさえも、私たちを辱めたり、貶めたり、苦しめたりするような人でも、柔和に愛を以て許したか、それとも憎んだか、復讐をしようとしたか。
私たちは十字架のしるしによって裁かれます。
天主こそがイエズス・キリストこそが、私たちの最終の裁判官です、審判官です。隣人、他の人間ではありません。
もしも私たちが嘘をつけば、それは必ず明らかにされて排斥されます、断罪されます。私たちの全ての悪意、悪事は暴かれて、それは全ての人の前で排斥され、断罪されます。隠される事はありません。
十字架のしるしの後に、マリア様、使徒たちの元后、諸聖人の元后マリア様が現れます。天使たちも現れます。そして遂に、最高の裁判官であるイエズス様が、権威と力をもって、威厳をもって、御稜威の内に現れます。これは本当にある事です。
私がまだ大学生だった頃に、授業を待っていて教室にいると、ある若い女性がやって来ました。とても優しい声で私に、「聖書を読んだ事がありますか?」と聞いてきたのです。「はい、あります。」それで、「あの、救世主が来られた、というのを知っていますか?」と言うのです。「救世主?救世主は雲に乗って、威厳を持って来られるのですよ。」「いえ、もう現れたのです。名前も知っていますよ。文鮮明です。」
それは全く嘘です。たとえ誰がなんと言おうとも、聖書の通りに、世の終わりに、イエズス・キリストが必ず来られます。今、天に上げられて、そして私たちを愛の目をもって見て下さっているイエズス・キリストが来られます。
その時に、私たちの「良心の書」が全てオープンに開かれて、隠し事は全てできません。証拠の書類、証拠の隠滅、書き換えはできません。全てが明らかになって、私たちは、「はい、その通りです」と言うしかありません。
その時、悪人にとって、イエズス様のその最高裁判官の前にいる事はどれほど恐ろしい事でしょうか。全てをお見通しですから、全ての証拠が揃っています。そして悪魔は、「もっと悪い事をした!」と言い広めるかもしれません。どれほど逃げ出したい、恐ろしい日である事でしょうか。その日は私たちに必ず来ます。
それはどこかの自動車の会社の会長のみならず、ある時突然逮捕をするべく警察がやって来るかのように、死がやって来て、私たちの全ての罪がそこで調査されます。そして最後の審判の時には、公審判の時には、それが全ての人に公開されます。今まで秘密に隠していた悪事がバレバレになってしまいます。
しかしその時に、皆さんと私たち、善人はどれほど喜ぶ事でしょうか。今日このミサの時に、聖堂に入った時の聖父の言葉を聞いて下さい、「私の考えは平和の考えであって、罰ではない。」
なぜかというと、私たちにはリハーサルするチャンスが与えられているからです。なぜかというと、聖パウロが言ったように、聖パウロは祈って懇願して、そして更に祈って、「私たちが天主の栄光の遺産を受け継ぐに相応しい者となるように、その『天主の御旨は何か』という事を知るように」と祈って、教会も同じ言葉で祈っています。
今日私たちは、「あぁ、世の終わりにイエズス様が来るんだな」という話を聞いたばかりか、今日聖変化の時に、イエズス様は私たちの前にいらっしゃいます。裁く為ではなくて、憐れむ為に。
皆さん今朝、たくさんの方が告解をしました。公教会の掟によると、「1年に少なくとも1回、告白の秘跡を受けるように」とあります。イエズス様は告解の秘跡の時にもいらっしゃいます。裁く為ではなく、平和を与える為に、赦しの喜びを与える為に。そして皆さんは、喜びと平和の内に今、ミサに与っています。
イエズス様は本当に大きな力と威厳をもって、御稜威の内に、御聖体拝領の内にも来られます。どうぞ、イエズス様を愛を込めて御聖体拝領なさって下さい。
世の終わりの準備をする事ができる私たちはどれほど恵まれた者でしょうか。これほど準備をして、世の終わりを迎える人たちが他にどこにいるでしょうか。
最後に、マリア様にお祈り致しましょう。マリア様は私たちの良き母、避難所であって、天主へと導いている道です。マリア様は仰いました、ファチマで。
「マリア様、どうぞ私たちが良い一生を送りますように、この世の終わりに最後の公審判の時に、選ばれた者の側に居る事ができますように、マリア様と共に、永遠の喜びの側に居る事ができるように、いつも助けて下さい。十字架を愛する事ができるように助けて下さい。マリア様のマントで、マリア様の力で守って下さい。そして私たちのこの兄弟姉妹、また今日ミサに来れなかった多くの方々が、マリア様の側にいつも居るように助けて下さい」とお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2018年11月25日、聖霊降臨後最終主日です。
今日は多くの新しい兄弟姉妹の方がいらして非常に嬉しく思います。
いつもならば午後にある公教要理と晩課、また月曜日のミサは、残念ながら今回はありません。
なぜかというと火曜日(11月27日)に、フィリピンのダヴァオという所で聖ピオ十世会のオブレートシスターの修練院で着衣式があって、そこに参加せざるを得なくなったからです。ご了承下さい。
次のミサは12月1日の土曜日の夕方です。ここで歌ミサがあります。
12月2日主日には、10時30分からサマース神父様がミサを捧げて下さいます。その前にも9時頃から私がミサをする予定です。どうぞ多くの皆さんがいらして下さい。特にサマース神父様は私たちに非常に大切なメッセージを送ろうと考えておられます。どうぞいらして下さい。
クリスマスにも、23、24、25日と連続してミサがあります。どうぞいらして下さい。
「天地は過ぎ去るが、私の言葉は過ぎ去らない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、遂に私たちは典礼歴の最後の主日になりました。この最後の主日、ただ単に11月の諸聖人の祝日を祝った、死者の、死せる信者の記念を祝ったのみならず、そして死者の為にお祈りしたのみならず、遂に私たちも最後に、この世の終わりについて黙想する日が来ました。
司祭が今日、侍者と共にこの祭壇の前に入場する時、あたかも私たちは一緒に最高裁判所の前に歩いて行って、そしてこれから裁かれなければならない罪人として、裁判官の前に出るかのようです。天主の家、聖父の家の中の祭壇に昇り、“Judica me, Deus, et discerne causam meam”「主よ、裁き給え。そして私の事を明確にし給え」と司祭は言って祭壇に昇ろうとします。
“Confiteor Deo omnipotenti,…”「私は全能の天主、終生童貞なる聖マリア、大天使聖ミカエル…」罪の告白をします。そして皆さんもその後に罪を告白します。
そして“Kyrie eleison.”「主よ憐れみ給え、キリスト憐れみ給え」と私たちは主に憐れみを乞うて、その祭壇に近付きました。
でも私たちは何と慰めを受けた事でしょうか。入祭誦で、「私の考えは平和の考えであって、罰の考えではない。私はお前たちを全ての所から救いの方に導く」という歌を聞いたからです。しかも素晴らしい歌声で聞きました。
今日そこで、公教会の精神に従って、世の終わりには一体どんな事が私たちに起こるのか?を黙想します。
今日、私たちの主がその事を説明して下さいました、「世の終わりには、天使がラッパを鳴らす。そしてその前に、地上ではものすごい、今まで見た事もなかった艱難がある。国は国に対して立ち上がるだろう。そして『一体この世はどうなるのだろうか』と人々は恐れおののく。」
聖パウロによると、「この世は、火によって燃え尽くされる」との事です。
そして、全ての人々はこの世の終わりに復活します。
悪人は、恐ろしい姿で、自分がそれを以てその罪を犯したその道具である肉体、恐ろしい、おどろ恐ろしい肉体を持って復活します。
義人は、それを以て善を行なった肉体をもう一度、光り輝かんばかりに受け取って復活します。
天使たちが全ての、今までアダムとエヴァに始まって、世の終わりの全ての人々を一所に集めます。聖伝によると、それは「ヨサファトの谷」と言われています。そこに現れた時に、人々は右と左にはっきりと遂に分けられる日が来ます。死後、永遠の苦しみを受けるべき者、永遠の罰を受けるべき者と、永遠の喜びと、至福と命を楽しむべき者の2つです。
これは必ず起こります。世の終わりに必ず起こります。使徒信経の中に私たちが言う通りです。この御説教の後に皆さんが声高く歌う通りです、「生ける人と死せる人と裁かん為に来たり給う主を信じ奉る。」
その時に、人々がヨサファトの谷に集められた時に、天に大きなしるしが現れます。十字架のしるしです。それは私たちを救った贖いの道具です。この道具によって私たちは裁かれます。
私たちがこの十字架に、素直に愛を以て従って、これを受け入れたのか、それとも十字架の敵となったのか、十字架を踏みにじったのか。
天主に愛を以て従ったのか、あるいは天主を拒んだのか否んだのか。
天主に倣ってイエズス・キリストに倣って十字架を、私たちが十字架を取って日々従ったのか、それとも捨てたのか、十字架に罵りと呪いをかけたのか。
イエズス・キリストに倣って、謙遜に、あるいは愛徳をもって、あるいは従順に、特に天主の御旨に従順に生きたのか、それとも憎しみと、悪意と、傲慢と、支配、権力、富を求めて悪事を働いたのか、否か。
十字架を忍耐強く担ったのか、私たちに害を与えるような人でさえも、私たちを辱めたり、貶めたり、苦しめたりするような人でも、柔和に愛を以て許したか、それとも憎んだか、復讐をしようとしたか。
私たちは十字架のしるしによって裁かれます。
天主こそがイエズス・キリストこそが、私たちの最終の裁判官です、審判官です。隣人、他の人間ではありません。
もしも私たちが嘘をつけば、それは必ず明らかにされて排斥されます、断罪されます。私たちの全ての悪意、悪事は暴かれて、それは全ての人の前で排斥され、断罪されます。隠される事はありません。
十字架のしるしの後に、マリア様、使徒たちの元后、諸聖人の元后マリア様が現れます。天使たちも現れます。そして遂に、最高の裁判官であるイエズス様が、権威と力をもって、威厳をもって、御稜威の内に現れます。これは本当にある事です。
私がまだ大学生だった頃に、授業を待っていて教室にいると、ある若い女性がやって来ました。とても優しい声で私に、「聖書を読んだ事がありますか?」と聞いてきたのです。「はい、あります。」それで、「あの、救世主が来られた、というのを知っていますか?」と言うのです。「救世主?救世主は雲に乗って、威厳を持って来られるのですよ。」「いえ、もう現れたのです。名前も知っていますよ。文鮮明です。」
それは全く嘘です。たとえ誰がなんと言おうとも、聖書の通りに、世の終わりに、イエズス・キリストが必ず来られます。今、天に上げられて、そして私たちを愛の目をもって見て下さっているイエズス・キリストが来られます。
その時に、私たちの「良心の書」が全てオープンに開かれて、隠し事は全てできません。証拠の書類、証拠の隠滅、書き換えはできません。全てが明らかになって、私たちは、「はい、その通りです」と言うしかありません。
その時、悪人にとって、イエズス様のその最高裁判官の前にいる事はどれほど恐ろしい事でしょうか。全てをお見通しですから、全ての証拠が揃っています。そして悪魔は、「もっと悪い事をした!」と言い広めるかもしれません。どれほど逃げ出したい、恐ろしい日である事でしょうか。その日は私たちに必ず来ます。
それはどこかの自動車の会社の会長のみならず、ある時突然逮捕をするべく警察がやって来るかのように、死がやって来て、私たちの全ての罪がそこで調査されます。そして最後の審判の時には、公審判の時には、それが全ての人に公開されます。今まで秘密に隠していた悪事がバレバレになってしまいます。
しかしその時に、皆さんと私たち、善人はどれほど喜ぶ事でしょうか。今日このミサの時に、聖堂に入った時の聖父の言葉を聞いて下さい、「私の考えは平和の考えであって、罰ではない。」
なぜかというと、私たちにはリハーサルするチャンスが与えられているからです。なぜかというと、聖パウロが言ったように、聖パウロは祈って懇願して、そして更に祈って、「私たちが天主の栄光の遺産を受け継ぐに相応しい者となるように、その『天主の御旨は何か』という事を知るように」と祈って、教会も同じ言葉で祈っています。
今日私たちは、「あぁ、世の終わりにイエズス様が来るんだな」という話を聞いたばかりか、今日聖変化の時に、イエズス様は私たちの前にいらっしゃいます。裁く為ではなくて、憐れむ為に。
皆さん今朝、たくさんの方が告解をしました。公教会の掟によると、「1年に少なくとも1回、告白の秘跡を受けるように」とあります。イエズス様は告解の秘跡の時にもいらっしゃいます。裁く為ではなく、平和を与える為に、赦しの喜びを与える為に。そして皆さんは、喜びと平和の内に今、ミサに与っています。
イエズス様は本当に大きな力と威厳をもって、御稜威の内に、御聖体拝領の内にも来られます。どうぞ、イエズス様を愛を込めて御聖体拝領なさって下さい。
世の終わりの準備をする事ができる私たちはどれほど恵まれた者でしょうか。これほど準備をして、世の終わりを迎える人たちが他にどこにいるでしょうか。
最後に、マリア様にお祈り致しましょう。マリア様は私たちの良き母、避難所であって、天主へと導いている道です。マリア様は仰いました、ファチマで。
「マリア様、どうぞ私たちが良い一生を送りますように、この世の終わりに最後の公審判の時に、選ばれた者の側に居る事ができますように、マリア様と共に、永遠の喜びの側に居る事ができるように、いつも助けて下さい。十字架を愛する事ができるように助けて下さい。マリア様のマントで、マリア様の力で守って下さい。そして私たちのこの兄弟姉妹、また今日ミサに来れなかった多くの方々が、マリア様の側にいつも居るように助けて下さい」とお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。