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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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キリストの教会は聖である

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アヴェ・マリア・インマクラータ!


「私たちは、主イエズス・キリストの力と来臨とを知らせたとき、巧みな作話をしなかった。私たちはそのみいつの目撃者であったからである。おごそかな光栄の中から「これは私の愛する子である。私はかれをよろこびとする」と声があって、主は父なる天主から、ほまれと光栄とを受けられた。私たちも、かれとともに聖なる山にいたとき、天からくるこの声を聞いた。こうして私たちは預言のことばに深く信頼をおいた。夜明けがはじまり、あけの明星があなたたちの心にのぼるまで、暗闇にかがやくともし火として、預言のことばにたえずより頼むのは、よいことである。」(ペトロの後の手紙)


愛する兄弟姉妹の皆様、

 キリストは、人間の社会組織として教会を創立しました。イエズス・キリストが創立した教会は、四つの特性をもっています。それは、唯一で、普遍的で、使徒継承的で、聖であるという、ことです。

【ポイント】キリストによって創設された教会は、唯一、公、使徒的で、聖なる教会

 それでは、キリストによって創設された教会が、聖であるということを見てみましょう。

キリストの教会は聖である

●キリストが建てた教会は、教会の創設者において聖である
その意味は「天主ご自身が教会の創設者であるから、教会の機構と仕事との主宰者が天主であり、したがって、教会における司牧の機構も、教えも、典礼も、また、目的も聖である」ということです。


●キリストが建てた教会は、教えにおいても聖である
信仰のない人でも、キリストが教える道徳的なおきてが、すぐれて高いことを、みな認めている。しかし、キリストは、単なる自然法にもとづく倫理道徳の水準をはるかにこえた、ご託身の奥義によって、かがやく、うるおいのある教義をおしえました。キリストは天主を知らない人たちでも実行できる、真実とか正直とかいうような、一般的な道徳で満足したのではなく、キリストは、ご自分に従う人びとに、もっと高い霊的な生活を要求したのです。

キリストは、彼らに、英雄的な徳の理想に到達する努力をすすめています。おさない子供たちの信頼に見られるような、天主にたいするあたたかい従順が、兄弟愛にあらわされ、柔和とか、謙遜、そのほか、色々なかたちであらわされることを要求している。たとえば、自発的な清貧、迫害をよろこんでうける精神、信仰を証明するためには死をもよろこんで受けるほどの犠牲心、あるいは、また、苦しんでいる人や、他人の救霊のために、命をすてることまでも実行せよ、という。以上のような、その他のすべての理想をまとめて、キリストは、「あなたたちの天の父が完全であるように、あなたたちも完全なものになれ」と言っています。

キリストは、これら人間聖化の教えを、その他の教えとともに、教会に委託して、「私があなたたちに命じたことを、すべて守るように教えよ」と命じたのでした。
使徒聖ヨハネは、こう書いています。「私たちは天主の子である。」「愛するものたちよ、私たちはいま、天主の子である。のちにどうなるかは、まだあらわれていないが、それがあらわれるとき、私たちは天主に似たものになることを知っている。私たちはかれをそのまま見るであろうから。」(ヨハネ一3:2)


●キリストによって創設された教会は、教会のメンバーにおいても聖である
キリストは、自分の教会の信者が「貧富、上下の別なく、最小限の意味においてさえ、すべてのメンバーが聖人だ」などとは、一度も言ったことはありません。
人間はだれでも、天主から与えられた自由意志を乱用することによって、善にかえて、悪を選ぶことができるからです。天主ご自身と親密な交際をつづけて生活していた筈の使徒たちのなかにさえ、ひとりのうらぎり者(ユダ・イスカリオト)がいたということを、私たちはよく承知しています。私たちはまたキリストが、かれの王国(教会)を、よい魚もよくない魚もいっしょにあつめる網にたとえていることや、あるいは、毒麦もともにそだっていく麦畑にたとえていることも知っています。

しかしながら、キリストの教会は、キリストの天主からの援助をうけているのですから、全体として見る場合、いつの時代にも、聖性においてきわだっていなくてはならないのは当然です。キリストの教会は、いかなることがあっても、その存在目的について、全体として失敗することがあろうはずがないからです。そしてまた、高い理想実現のために、たくさんの例証を示していかなければならないからです。

従って、教会は、教会の子らのうちに各時代にわたって、英雄的な徳をあらわしていかなければならないのです。キリストの教会は、《よい木》で、《よい実を結ぶ》べきなのです。教会は、善徳の実をむすばせなければならない。なぜなら、教会の創設者であって、天主ご自身であるキリストが、いつも教会といっしょにいるからです。

教会の聖性は、奇跡によって証明される
キリストは、奇跡をもって、教会の聖性を証明することをやめるはずがありません。なぜなら、「信ずる人には、私の名によって、悪魔をおいだし、あたらしい言葉を話し、蛇を握り、毒を飲んでも害をうけず、病人に手をおいて癒すなどのしるしを見せるだろう」と。また、「私を信ずる人は、私のするようなことをおこなうであろう。そればかりか、もっと偉大なことをおこなうだろう」といっているからです。


キリストの教会は不可謬である
キリストが創立した教会の特徴を持っている教会が、今現在どこにあるかを、考察する前に、キリストの教会が持っているはずの別の特徴「不可謬性」について触れておきましょう。

キリストによって創設された教会が不謬であるというのは、キリストが教会に委託した信仰と真理とについて、教会がこれを教える場合にも、説明する場合にも、決してまちがいを犯すことができないという意味です。

間接的な証明
(1)もしも、キリストの教会が、教会の教えに関する信仰を強要していながら、まちがうことがありうるということを認めるとすれば、つぎのようなことが実現することになります。
(a)天主は、永遠の苦罰を用意してまで、まちがいを信じさせるために、人びとを束縛しているということになるから。なぜなら、「信じない人は、亡ぼされる」のだからです。
(b)そのうえ、ある教えが、天主の教えであるか、どうかについて、なんら確信がえられないことになるから。

(2)もしも、地上に、不謬の教権をもっている機構が存在しないとすれば、教師としてのキリストの聖務は、キリストがこの世を去った時に終りをつげたことになるだろう。さて、これが、どういう結果になるかを考えてみよう。旧約時代というはかり知れない長い間、天主はご自分のおん子をつかわすために、天啓につぐ天啓という特別な恵みをくだし、くわしい祭式の体系を制定して、人びとの心を準備した。時みちて、救い主がきた。ところが、かれは、三年たらずのあいだ、不謬の権をもって教えたにすぎない。世界のちょっとした片隅の、しかも、一握りほどの人びとに教えただけです。常識からいっても、このような不合理な前後の比率を認めるわけにはいかない。天主が、キリストの時代に、ユダヤ人たちに与えたことを、世界の終末にいたるまで、すべての人びとに与えるということを、私たちが、期待することは、当然なことです。私たちが、今日もなお、天主のおん子の不謬の声を聞くことができるために、私たちのうちに、天主が不謬の権を用意したということは、けだし当然の主張と思われる。

直接の証明
不朽性による証明
キリストの教会はけっしてなくなりません。教会はいつも、天主の権をもって、人びとを教えます。なぜなら、キリストは、常に教会とともにいると約束しているからです。したがって、教会は、教会の教えについて、誤ることができません。

信仰の唯一性による証明
キリストの教会は、いつの時代にも天主の与えた同一の真理体系をおしえ、これを信じていかなければなりません。教会は信仰の唯一性をもっているのであるから、当然、この唯一性をたもち、まもっていく方法手段をもっていなくてはならないわけです。
歴史が証明するように、また、聖パウロ自身の手記によってもわかるように、キリスト教のもっともあきらかな教えまでが、人間の気まぐれと、あるいは、よからぬ傾向とのゆえに、いつもまちがった解釈の危険にさらされてきました。したがって、キリストの教会は、常に誤謬におちいる危険にさらされているのです。誤謬は一致にとって、致命的なものです。それで、ある教義が啓示された教えであるか、またはそうでないかを宣言し、教会の決定をすてるすべての人に、破門宣告を与えて、教会のふところからおいだすことができる不謬の権を、キリストはかれの教会に賦与しておかなければならなかったのです。
キリストによって創設された教会は、不朽であるから、今日もなお、賦与された一切の権力をもって、地上に存在しなければならなりません。この教会は、見える、唯一の、全世界におよぶ、聖なる、使徒的な、そして不謬の教会です。

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