アヴェ・マリア・インマクラータ!
「従って、主よ、私たちは御身に祈る。御身の御名の名誉のために聖別されたこの蝋が、この夜の邪悪を破壊するために、壊されずに守られるように。そして甘美な香りを受け入れ給い、天上の光に混ざり合わされるように。明けの明星がその炎を見いだすように。私は言う、つまり、かの沈むことを知らない明けの明星、キリストのことである。地獄から再び戻ってきた、平和の内に人類を照らしだしたかのキリストである。」(聖伝による EXSULTET「復活の賛歌」より)
愛する兄弟姉妹の皆様、
8月31日には、レネー神父様が大阪で主日のミサを捧げてくださいました!天主様に感謝!信仰と愛徳の燃える火のようなレネー神父様に感謝します。
次のようなご報告を戴きました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
御ミサの報告をさせていただきます。
大阪では
8月31日(主日)には21人の方々が「聖霊降臨後第12主日」の御ミサに、
9月1日 (月) には11人の方々が「聖ピオ十世(9月3日)」の随意ミサに与るお恵みを頂きました。
デオグラチアス!
主日の御ミサの後、病気の激しい痛みに耐えながらも御ミサに来られた信徒の方に、レネー神父様が病者の祝福を与えて下さいました。Sさんの病気の回復をお祈りいたします。
また、歌ミサの歌い方について指導をして下さいました。
普通のクラシック音楽の譜面を読むように音の長さを均一にとるのではなく、詩篇(言葉)に合わせて話すように進めていくと良いこと、アクセントの位置などを教えて頂きました。
この日の歌ミサは馴染みの無いメロディーで、聖歌隊は音を探り探り歌っていたのでいつもにも増してテンポがダラダラとしてしまっていました。
今後、もっと詩篇の一言一言を理解して、祈るように歌うことが出来るようもっと練習したいと思います。
御ミサの後はいつものようにレネー神父様と夕食を頂きました。ボローニャの聖カタリナについての大変興味深いお話を伺いながら、とても楽しいひと時を過ごすことが出来て幸福でした。
いつも多くの犠牲を払って日本の為に、霊魂の救霊の為に来日してくださるレネー神父様に心から感謝申し上げます。
8月31日(主日)のお説教は聖ピオ十世教皇様についてでした。以下のとおりです。
======大阪の説教 8月31日======
先週の8月20日、聖ピオ十世の帰天百周年をお祝いしました。ですから、聖ピオ十世の生涯を黙想するよい機会です。その生涯は、困難に直面している私たちの時代に非常に適した教訓に満ちているからです。
聖ピオ十世は、貧困のうちに生まれ、貧困のうちに生き、貧困のうちに亡くなりました。洗礼名はヨゼフで、イタリア語ではジュゼッペ・サルトと呼ばれました。父親は、小さな村の郵便局員でした。大変収入の少ない仕事でした。学校へ通うとき、若きジョゼッペ・サルトは靴が早く傷むことがないように靴を脱いで道を歩きました。両親が新しい靴を買う余裕がないのを知っていたからです。司祭だったとき、いつも貧しい人々に対して物惜しみしない人でした。司教になったときも同じで、ある貧しい家族に与える物をユダヤ人から借りるのに、保証として司教指輪を出すことまでしました。サルト司教を大変尊敬していたこのユダヤ人は、司教の寛大さに心を打たれ、翌日、指輪を贈り物として自分の手で 司教に返し、負債を免除しました。その後、教皇になってさえも、自分の部屋はまさに質素そのものでした。さらには、自分を墓に埋葬するときは、清貧の精神から、教皇には普通なされる防腐処理を一切しないよう指示を出しました。
しかし、聖ピオ十世は司祭として祭壇にいるときは、司祭にふさわしい祭服を身に着け、司教、枢機卿、そして教皇であったときはいつも、自分が受けた聖務の尊厳にふさわしい振る舞い、自分が代表しているキリストにふさわしい振る舞いをしていました。これは、私たちの時代に照らせば非常に重要なことです。現教皇と比べると大きな違いがあります。現教皇は貧しい人々に関心を寄せているように見えますが、約束をキャンセルすることでお金を浪費し、自分の地位に当然である典礼のための正当な装飾品や礼儀を嫌っているのです。
聖ピオ十世の困窮する人々に対する配慮が特に明らかになったのは、南イタリアに地震があったときでした。国の官僚機構を通さずに、必要な援助を与えるよう命じたのです。この迅速な援助は大変効率的でした。しかし、貧しい人々に効率的に支援する一方で、聖ピオ十世は自分のなすべき任務がもっと高いレベルにあることを知っていました。貧しい人々が、物質的食べ物よりさらに高いレベルの食べ物をも必要としていることも知っていました。それは霊魂の食べ物です。ですから、聖ピオ十世は、教皇になったごく初期のころ、驚くべき目標を明らかにしました。キリストにおいてすべてを復興させることです。人々は、地上の物事以上に、私たちの主イエズス・キリストを必要としています。社会活動は 良いことです。しかし、それは教会の第一の目的ではありませんし、主要な目的でもありません。永遠の救いが教会の目的であり、教会の主要な良き務めなのです。実際、私たちの主イエズス・キリストは、「民を罪から救うために」(マテオ1章21節)来られたのです。教会の第一の目標として、社会活動を挙げたように見える今日の教皇ともう一度比べてみれば、大きな違いがあります。
就任して最初の回勅で、聖ピオ十世はキリストにおいてすべてを復興させるという目標を置きましたが、次の回勅は典礼に関するものでした。私たちの生活において、天主は第一の場所を占めるのにふさわしい方です。聖ピオ十世は、その教皇在位中、天主に第一の場所を与えました。天主への礼拝が天主にふさわしくあることを求め、天主への礼拝が人々を上げて天主の方へ向けさせることを求めました。人々が美しい典礼、特にグレゴリオ聖歌で祈ることを求めました。のちの1912年、聖ピオ十世は聖務日課祈祷書(Breviary)に大変重要な改訂を施し、150の詩編を毎週唱えることを復興させるため、典礼法規(rubrics)を修正しました。実際、これは聖職者の古い習慣であったもので、聖務日課の中心であり、修道士、修道女、司祭、そして敬虔な信者たちによって唱えられているのです。現在は第二ヴァチカン公会議によって形をとどめておらず、150の詩編を唱えるのは一カ月に一回と減らされました。そのうえ、完全な形ではなく、詩編のいくつかの節が取り去られてしまっているのです。つまり、(詩編の本当の作者である)聖霊が弾劾(非難)されているのです。
聖ピオ十世のもう一つの大変重要な業績は、頻繁な聖体拝領を復興させたことです。二世紀以上にわたり、ジャンセニズム(ヤンセン主義)が、頻繁にご聖体を受けることから人々を遠ざけていました。これは修道会においてさえも同じでした。聖ピオ十世は、正しい心構えがある限り、頻繁に聖体拝領することに励ましを与え(1905年)、幼い子どもたちの聖体拝領にさえも励ましを与えました(1910年)。聖ピオ十世は、ご聖体を熱意をもって頻繁に受けることであふれ出る数えきれないほどの聖寵があるという強い信仰を持っていました。私たちの主イエズス・キリストが聖体拝領で霊魂に来られるとき、主は霊魂を聖寵で満たし、天主に対する知識、愛、忠実において成長することをまことに助け てくださいます。しかし今日、反対の習慣があります。多くの人々が頻繁にご聖体を受けますが、正しい心構えはなく、特に成聖の恩寵の状態ではありません。つまり、やましく思うような大罪を持ったままなのです。多くの人々が毎回のミサでご聖体を受けますが、告解することはほとんどありません。毎回の聖体拝領の前に必ず告解する必要はないとはいえ、成聖の恩寵の状態であることが必要ですから、頻繁に告解することは非常に有益です。(最低、年に一回の告解が必要ですが、少なくとも毎月一回告解することが強く勧められています。)さて、大罪の状態で聖体拝領することは本当に悪いことであり、汚聖なのです。聖パウロは言います。「主のお体をわきまえずに飲食する者は、自分自身へのさばき [=断罪]を飲食することである」(コリント前11章29節)。この節は、聖伝のミサにおいては、ご聖体の祝日のミサではいつでも読み上げられます。しかし今日では、新ミサにおいては決して読み上げられることはありません。これは、近代主義者たちによって「弾劾(非難)された」聖書の節のうちの一つです。
その後、聖ピオ十世は、ペトロの後継者の本質的な義務の一つに取り組みました。信仰の擁護者となること、「ペトロの信仰」を守ることです。実際、首位権はペトロに与えられました。それは、ペトロが「あなたはキリスト、生ける天主の子です」(マテオ16章16節)と告白した直後でした。主はペトロに答えて言われました。「あなたはペトロである。この岩の上に私の教会を建てよう。地獄の門もこれに勝てぬ。私はあなたに天の国のかぎを与える。あなたが地上でつなぐものはみな天でもつながれ、地上で解くものはみな天でも解かれる」(マテオ16で章19―20節)。また、最後の晩餐の後、私たちの主イエズス・キリストはペトロに言われました。「私はあなたのために信仰がなくならぬよう にと祈った。あなたは心を取り戻し、兄弟たちの心を固めよ」(ルカ22章32節)。
聖ピオ十世は、新手の思想、近代主義者の思想を前から知っていました。ペトロの座に着いたとき、最初に、こういう思想を広めてきたロワジー、タイレルといった言うことを聞かない司祭たちを正そうとしました。しかし、彼らの根気強さと強情さを見て、聖ピオ十世は教皇としての最高の権威を使って、近代主義を荘厳に断罪しました。そうすることで、そういう信仰のない司祭たちの博学さ(ロワジーは学者である司祭でした)に影響されやすい素朴な霊魂の持ち主たちの信仰を守ろうとしたのです。そんな素朴な霊魂の持ち主たちの多くは自分で正しい方向に戻りましたが、中には「潜伏して」、聖ピオ十世の死去から20年後に再び自分たちの思想を広め始めた者たちがいました。最初は隠された方法で 、秘密裏に神学校において行い、その後はどんどん広めていったのです。教皇ピオ十二世は大変鋭い方でしたから、これら新近代主義者たちと戦うため聖ピオ十世を列聖しました。しかしピオ十二世の死後、新近代主義者たちは第二ヴァチカン公会議において「一押し」し、今日ではあらゆるところに彼らの誤謬を広めてきています。時には教皇自身によってさえ、誤謬が促進されてきました。私たちは、聖ピオ十世の教えに注意を払う必要があります。全時代の不変の信仰を保持する必要があります。
実際、信仰は霊的生活全般の土台です。近代主義者たちがこれまで行い、今も行っているように、信仰を弱めてしまうと、霊的生活にたちどころに(悪い)結果が出ます。霊的生活もまた弱められ、多くの人々が罪の生活に導かれるのです。多くの人々が自分はカトリック信者だと言いながら、避妊やほかの不道徳なことを実践しているのが今日の状況ですが、これは今述べたことを非常に明確にしています。全時代の信仰、聖人たちの信仰を完全に告白することに立ち返ることが必要です。これは特に、全時代の典礼、聖人たちの典礼に立ち返ることです。そうするならば、聖人たちの道徳が再び栄えることでしょう。この三つは分離できないものです。聖人たちの信仰、聖人たちの典礼、聖人たちの道徳です。
聖ピオ十世は、キリストにおいてすべてを復興させるために活動する最上の方法は、聖なる聖職者たちを通してなされることだと知っていました。ですから、叙階50周年に、聖職者の聖化に関する美しい回勅「エレント・アニモ」を書きました。司教のときすでに、主な関心は自分の神学校に向いていました。教皇のときは、ローマ神学校とカトリック大学、そしてローマのすべての聖職者に気を配りました。ローマの聖職者の中に見られた問題行動を正し、自分のローマ教区をモデル教区としました。
教会法制定の準備をしたという偉大なる業績について触れないとしたら、聖ピオ十世に対して正当な扱いをしたとはいえないでしょう。聖ピオ十世は、本当の意味で指導者でした。信仰の光に照らされて、効率的な方法ですべてを組織化しました。1917年に後継者によって公布されたこの教会法は、主に聖ピオ十世の在位の間に準備され、聖人たちの知恵が豊富にありました。各章の原則はすべて、聖伝に従って美しく表現されました。
聖ピオ十世は、対処すべきすべての問題を抱えている真っただ中において、祈りの人であり続けました。私たちもまた祈る必要があります。教会のため、国家のため、家族のため、自分自身のために祈る必要があります。人間を尊重するのでなく、信仰を保ち信仰を告白するために祈る必要があります。多くの霊魂が信仰に心を向けるよう祈る必要があります。そして、これらすべての祈りを、童貞聖マリアの汚れなき御手によって天主なる御子に捧げなければなりません。「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え」。聖ピオ十世は、無原罪の御宿りの教義制定から50周年のために、美しい回勅を書きました。
聖ピオ十世が教会を守り、ルフェーブル大司教が聖ピオ十世の特別な保護の下に置いた聖ピオ十世会を特に守ってくださいますように。そうして、聖ピオ十世が私たちの模範となり、天において私たちのために力強い仲介者となってくださいますように。聖ピオ十世が、司祭のためだけでなく修道生活のための多くの召命を獲得してくださいますように。聖ピオ十世が、マラキの予言において「ignis ardens=燃えさかる火」と呼ばれたのにふさわしいその燃えさかる愛徳、その愛徳に私たちが満たされて、信仰の人、祈りの人になるよう助けてくださいますように。
アーメン。
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
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愛する兄弟姉妹の皆様、
8月31日には、レネー神父様が大阪で主日のミサを捧げてくださいました!天主様に感謝!信仰と愛徳の燃える火のようなレネー神父様に感謝します。
次のようなご報告を戴きました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
御ミサの報告をさせていただきます。
大阪では
8月31日(主日)には21人の方々が「聖霊降臨後第12主日」の御ミサに、
9月1日 (月) には11人の方々が「聖ピオ十世(9月3日)」の随意ミサに与るお恵みを頂きました。
デオグラチアス!
主日の御ミサの後、病気の激しい痛みに耐えながらも御ミサに来られた信徒の方に、レネー神父様が病者の祝福を与えて下さいました。Sさんの病気の回復をお祈りいたします。
また、歌ミサの歌い方について指導をして下さいました。
普通のクラシック音楽の譜面を読むように音の長さを均一にとるのではなく、詩篇(言葉)に合わせて話すように進めていくと良いこと、アクセントの位置などを教えて頂きました。
この日の歌ミサは馴染みの無いメロディーで、聖歌隊は音を探り探り歌っていたのでいつもにも増してテンポがダラダラとしてしまっていました。
今後、もっと詩篇の一言一言を理解して、祈るように歌うことが出来るようもっと練習したいと思います。
御ミサの後はいつものようにレネー神父様と夕食を頂きました。ボローニャの聖カタリナについての大変興味深いお話を伺いながら、とても楽しいひと時を過ごすことが出来て幸福でした。
いつも多くの犠牲を払って日本の為に、霊魂の救霊の為に来日してくださるレネー神父様に心から感謝申し上げます。
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先週の8月20日、聖ピオ十世の帰天百周年をお祝いしました。ですから、聖ピオ十世の生涯を黙想するよい機会です。その生涯は、困難に直面している私たちの時代に非常に適した教訓に満ちているからです。
聖ピオ十世は、貧困のうちに生まれ、貧困のうちに生き、貧困のうちに亡くなりました。洗礼名はヨゼフで、イタリア語ではジュゼッペ・サルトと呼ばれました。父親は、小さな村の郵便局員でした。大変収入の少ない仕事でした。学校へ通うとき、若きジョゼッペ・サルトは靴が早く傷むことがないように靴を脱いで道を歩きました。両親が新しい靴を買う余裕がないのを知っていたからです。司祭だったとき、いつも貧しい人々に対して物惜しみしない人でした。司教になったときも同じで、ある貧しい家族に与える物をユダヤ人から借りるのに、保証として司教指輪を出すことまでしました。サルト司教を大変尊敬していたこのユダヤ人は、司教の寛大さに心を打たれ、翌日、指輪を贈り物として自分の手で 司教に返し、負債を免除しました。その後、教皇になってさえも、自分の部屋はまさに質素そのものでした。さらには、自分を墓に埋葬するときは、清貧の精神から、教皇には普通なされる防腐処理を一切しないよう指示を出しました。
しかし、聖ピオ十世は司祭として祭壇にいるときは、司祭にふさわしい祭服を身に着け、司教、枢機卿、そして教皇であったときはいつも、自分が受けた聖務の尊厳にふさわしい振る舞い、自分が代表しているキリストにふさわしい振る舞いをしていました。これは、私たちの時代に照らせば非常に重要なことです。現教皇と比べると大きな違いがあります。現教皇は貧しい人々に関心を寄せているように見えますが、約束をキャンセルすることでお金を浪費し、自分の地位に当然である典礼のための正当な装飾品や礼儀を嫌っているのです。
聖ピオ十世の困窮する人々に対する配慮が特に明らかになったのは、南イタリアに地震があったときでした。国の官僚機構を通さずに、必要な援助を与えるよう命じたのです。この迅速な援助は大変効率的でした。しかし、貧しい人々に効率的に支援する一方で、聖ピオ十世は自分のなすべき任務がもっと高いレベルにあることを知っていました。貧しい人々が、物質的食べ物よりさらに高いレベルの食べ物をも必要としていることも知っていました。それは霊魂の食べ物です。ですから、聖ピオ十世は、教皇になったごく初期のころ、驚くべき目標を明らかにしました。キリストにおいてすべてを復興させることです。人々は、地上の物事以上に、私たちの主イエズス・キリストを必要としています。社会活動は 良いことです。しかし、それは教会の第一の目的ではありませんし、主要な目的でもありません。永遠の救いが教会の目的であり、教会の主要な良き務めなのです。実際、私たちの主イエズス・キリストは、「民を罪から救うために」(マテオ1章21節)来られたのです。教会の第一の目標として、社会活動を挙げたように見える今日の教皇ともう一度比べてみれば、大きな違いがあります。
就任して最初の回勅で、聖ピオ十世はキリストにおいてすべてを復興させるという目標を置きましたが、次の回勅は典礼に関するものでした。私たちの生活において、天主は第一の場所を占めるのにふさわしい方です。聖ピオ十世は、その教皇在位中、天主に第一の場所を与えました。天主への礼拝が天主にふさわしくあることを求め、天主への礼拝が人々を上げて天主の方へ向けさせることを求めました。人々が美しい典礼、特にグレゴリオ聖歌で祈ることを求めました。のちの1912年、聖ピオ十世は聖務日課祈祷書(Breviary)に大変重要な改訂を施し、150の詩編を毎週唱えることを復興させるため、典礼法規(rubrics)を修正しました。実際、これは聖職者の古い習慣であったもので、聖務日課の中心であり、修道士、修道女、司祭、そして敬虔な信者たちによって唱えられているのです。現在は第二ヴァチカン公会議によって形をとどめておらず、150の詩編を唱えるのは一カ月に一回と減らされました。そのうえ、完全な形ではなく、詩編のいくつかの節が取り去られてしまっているのです。つまり、(詩編の本当の作者である)聖霊が弾劾(非難)されているのです。
聖ピオ十世のもう一つの大変重要な業績は、頻繁な聖体拝領を復興させたことです。二世紀以上にわたり、ジャンセニズム(ヤンセン主義)が、頻繁にご聖体を受けることから人々を遠ざけていました。これは修道会においてさえも同じでした。聖ピオ十世は、正しい心構えがある限り、頻繁に聖体拝領することに励ましを与え(1905年)、幼い子どもたちの聖体拝領にさえも励ましを与えました(1910年)。聖ピオ十世は、ご聖体を熱意をもって頻繁に受けることであふれ出る数えきれないほどの聖寵があるという強い信仰を持っていました。私たちの主イエズス・キリストが聖体拝領で霊魂に来られるとき、主は霊魂を聖寵で満たし、天主に対する知識、愛、忠実において成長することをまことに助け てくださいます。しかし今日、反対の習慣があります。多くの人々が頻繁にご聖体を受けますが、正しい心構えはなく、特に成聖の恩寵の状態ではありません。つまり、やましく思うような大罪を持ったままなのです。多くの人々が毎回のミサでご聖体を受けますが、告解することはほとんどありません。毎回の聖体拝領の前に必ず告解する必要はないとはいえ、成聖の恩寵の状態であることが必要ですから、頻繁に告解することは非常に有益です。(最低、年に一回の告解が必要ですが、少なくとも毎月一回告解することが強く勧められています。)さて、大罪の状態で聖体拝領することは本当に悪いことであり、汚聖なのです。聖パウロは言います。「主のお体をわきまえずに飲食する者は、自分自身へのさばき [=断罪]を飲食することである」(コリント前11章29節)。この節は、聖伝のミサにおいては、ご聖体の祝日のミサではいつでも読み上げられます。しかし今日では、新ミサにおいては決して読み上げられることはありません。これは、近代主義者たちによって「弾劾(非難)された」聖書の節のうちの一つです。
その後、聖ピオ十世は、ペトロの後継者の本質的な義務の一つに取り組みました。信仰の擁護者となること、「ペトロの信仰」を守ることです。実際、首位権はペトロに与えられました。それは、ペトロが「あなたはキリスト、生ける天主の子です」(マテオ16章16節)と告白した直後でした。主はペトロに答えて言われました。「あなたはペトロである。この岩の上に私の教会を建てよう。地獄の門もこれに勝てぬ。私はあなたに天の国のかぎを与える。あなたが地上でつなぐものはみな天でもつながれ、地上で解くものはみな天でも解かれる」(マテオ16で章19―20節)。また、最後の晩餐の後、私たちの主イエズス・キリストはペトロに言われました。「私はあなたのために信仰がなくならぬよう にと祈った。あなたは心を取り戻し、兄弟たちの心を固めよ」(ルカ22章32節)。
聖ピオ十世は、新手の思想、近代主義者の思想を前から知っていました。ペトロの座に着いたとき、最初に、こういう思想を広めてきたロワジー、タイレルといった言うことを聞かない司祭たちを正そうとしました。しかし、彼らの根気強さと強情さを見て、聖ピオ十世は教皇としての最高の権威を使って、近代主義を荘厳に断罪しました。そうすることで、そういう信仰のない司祭たちの博学さ(ロワジーは学者である司祭でした)に影響されやすい素朴な霊魂の持ち主たちの信仰を守ろうとしたのです。そんな素朴な霊魂の持ち主たちの多くは自分で正しい方向に戻りましたが、中には「潜伏して」、聖ピオ十世の死去から20年後に再び自分たちの思想を広め始めた者たちがいました。最初は隠された方法で 、秘密裏に神学校において行い、その後はどんどん広めていったのです。教皇ピオ十二世は大変鋭い方でしたから、これら新近代主義者たちと戦うため聖ピオ十世を列聖しました。しかしピオ十二世の死後、新近代主義者たちは第二ヴァチカン公会議において「一押し」し、今日ではあらゆるところに彼らの誤謬を広めてきています。時には教皇自身によってさえ、誤謬が促進されてきました。私たちは、聖ピオ十世の教えに注意を払う必要があります。全時代の不変の信仰を保持する必要があります。
実際、信仰は霊的生活全般の土台です。近代主義者たちがこれまで行い、今も行っているように、信仰を弱めてしまうと、霊的生活にたちどころに(悪い)結果が出ます。霊的生活もまた弱められ、多くの人々が罪の生活に導かれるのです。多くの人々が自分はカトリック信者だと言いながら、避妊やほかの不道徳なことを実践しているのが今日の状況ですが、これは今述べたことを非常に明確にしています。全時代の信仰、聖人たちの信仰を完全に告白することに立ち返ることが必要です。これは特に、全時代の典礼、聖人たちの典礼に立ち返ることです。そうするならば、聖人たちの道徳が再び栄えることでしょう。この三つは分離できないものです。聖人たちの信仰、聖人たちの典礼、聖人たちの道徳です。
聖ピオ十世は、キリストにおいてすべてを復興させるために活動する最上の方法は、聖なる聖職者たちを通してなされることだと知っていました。ですから、叙階50周年に、聖職者の聖化に関する美しい回勅「エレント・アニモ」を書きました。司教のときすでに、主な関心は自分の神学校に向いていました。教皇のときは、ローマ神学校とカトリック大学、そしてローマのすべての聖職者に気を配りました。ローマの聖職者の中に見られた問題行動を正し、自分のローマ教区をモデル教区としました。
教会法制定の準備をしたという偉大なる業績について触れないとしたら、聖ピオ十世に対して正当な扱いをしたとはいえないでしょう。聖ピオ十世は、本当の意味で指導者でした。信仰の光に照らされて、効率的な方法ですべてを組織化しました。1917年に後継者によって公布されたこの教会法は、主に聖ピオ十世の在位の間に準備され、聖人たちの知恵が豊富にありました。各章の原則はすべて、聖伝に従って美しく表現されました。
聖ピオ十世は、対処すべきすべての問題を抱えている真っただ中において、祈りの人であり続けました。私たちもまた祈る必要があります。教会のため、国家のため、家族のため、自分自身のために祈る必要があります。人間を尊重するのでなく、信仰を保ち信仰を告白するために祈る必要があります。多くの霊魂が信仰に心を向けるよう祈る必要があります。そして、これらすべての祈りを、童貞聖マリアの汚れなき御手によって天主なる御子に捧げなければなりません。「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え」。聖ピオ十世は、無原罪の御宿りの教義制定から50周年のために、美しい回勅を書きました。
聖ピオ十世が教会を守り、ルフェーブル大司教が聖ピオ十世の特別な保護の下に置いた聖ピオ十世会を特に守ってくださいますように。そうして、聖ピオ十世が私たちの模範となり、天において私たちのために力強い仲介者となってくださいますように。聖ピオ十世が、司祭のためだけでなく修道生活のための多くの召命を獲得してくださいますように。聖ピオ十世が、マラキの予言において「ignis ardens=燃えさかる火」と呼ばれたのにふさわしいその燃えさかる愛徳、その愛徳に私たちが満たされて、信仰の人、祈りの人になるよう助けてくださいますように。
アーメン。
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
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