アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
遅くなりましたが、大阪で、8月のミサ聖祭の後でレネー神父様が霊的講話をしてくださり、それは以下のようなものでした。ご紹介します。
【報告】
●土曜日のミサの後、この日の聖福音にあったマテオ福音章のキリストと家系図と、ルカが残したキリストの家系図には少し差があり、どうしてこういう事が生じたのかという説明でした。マテオは、genuit=生んだ という言葉を用いて、肉体的な系図を示した。これに対してルカは、begatという言葉を使い、〜の子という律法的な意味においてユダヤの習慣に従って、子供が出来なかった長男に代わってその兄弟に子ができると、長男の子とされる事から律法的な系図を作ったためこの差が生じたという事でした。なるほど〜( ゚Д゚)と理解いたしました。
●次に、安楽死を自然法において考える勉強では、
人は自分自身を自ら作ることは出来ず、親でさえ子を設計して、自身の力で作ることは出来ず、人は天主から作られるという結論に至ります。
従って、者は作った人の所有であるのだから、人の生命は自分のものではなく天主のものである。天主のものである生命を人が自分たちの勝手になくして(殺して)しまう事はゆるされない。
現代社会においては唯物論者などの思想がはびこり、物がすべてであるかのように思われていることが多い。
しかし人間は霊魂と体を有す超自然的複合体で、この超自然部分が霊魂である。我々が物事を考えるとき、イメージとアイデアを使っている。目から物質的な情報を感覚(senses)を通してイメージとして得、知識によってアイデア、考えを作る。この知識は目に見えない超自然のもので、霊魂にある。
"自分の命だから自分で自由に出来る"とか、"自由には制限がない(No limit to freedom)","物だから何をしても許される" という考えは全く間違いである。
●この後、延命治療についての質問があり、以下のような内容でした。
"It is permitted to diminish suffering but not permitted to shorten life(to kill in order not to suffer)"
苦痛を軽減すること(緩和治療)はゆるされているが、苦しみをなくすために命をなくすことはゆるされない。
It is permitted to let the sickness "do it work"
病気を受け入れるという意味で病気の進行にゆだねることはゆるされる。
"It is permitted ,bat not obligatory to use extra-ordinary means to exted life"
延命させるため非日常的な方法を使う事は、ゆるされてはいるが、義務ではない。
"It is not permitted to reject ORDINARY means (food....) to extend life.
延命の通常の手段(飲食など)を拒否することはゆるされない
●また、実定法法と自然法の違いについての質問もありました。
実定法は自然法に基づいて決められるものである。例えば、結婚ついて言えば、自然法では婚姻は一人の男性と一人の女性で成されるものであるという決まりがあり、実定法のなかで(国によって)18歳以上であるとか、20歳以上と決められているという事でした。
実定法という聞きなれない言葉をきいて(^^;)質問された方は本当によく勉強されている方なんだなあと感心してしまいました。
なにを質問してもキッチリ、スッキリ、お答え下さる神父様に感謝と脱帽でした!!
小野田 神父様に質問ですが、
"When we think, we have image (particular) + idea (general)" イメージとparticular、アイデアとgeneral の関係がよくわかりませんでした。
この場合のparticular, general はどういう意味でしょうか?
【お返事】
こんにちは!ご報告と質問をありがとうございます。
"When we think, we have image (particular) + idea (general)"
「私たちが考えるとき、イメージ(個別)と概念(一般)を持つ」とのことですが、私の思うには、時計、と言った場合、時計の一つ一つのイメージを腕時計、置き時計、壁時計、鳩時計、日時計、腹時計など、個別のものをイメージします。
しかし、「時計」という概念は、「時間を知る装置」として、一般化されています。そのようなことをおっしゃろうとされたのではないでしょうか。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
============
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい
============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA
毎年恒例の聖ピオ十世会公式秋田巡礼にご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。
愛する兄弟姉妹の皆様、
遅くなりましたが、大阪で、8月のミサ聖祭の後でレネー神父様が霊的講話をしてくださり、それは以下のようなものでした。ご紹介します。
【報告】
●土曜日のミサの後、この日の聖福音にあったマテオ福音章のキリストと家系図と、ルカが残したキリストの家系図には少し差があり、どうしてこういう事が生じたのかという説明でした。マテオは、genuit=生んだ という言葉を用いて、肉体的な系図を示した。これに対してルカは、begatという言葉を使い、〜の子という律法的な意味においてユダヤの習慣に従って、子供が出来なかった長男に代わってその兄弟に子ができると、長男の子とされる事から律法的な系図を作ったためこの差が生じたという事でした。なるほど〜( ゚Д゚)と理解いたしました。
●次に、安楽死を自然法において考える勉強では、
人は自分自身を自ら作ることは出来ず、親でさえ子を設計して、自身の力で作ることは出来ず、人は天主から作られるという結論に至ります。
従って、者は作った人の所有であるのだから、人の生命は自分のものではなく天主のものである。天主のものである生命を人が自分たちの勝手になくして(殺して)しまう事はゆるされない。
現代社会においては唯物論者などの思想がはびこり、物がすべてであるかのように思われていることが多い。
しかし人間は霊魂と体を有す超自然的複合体で、この超自然部分が霊魂である。我々が物事を考えるとき、イメージとアイデアを使っている。目から物質的な情報を感覚(senses)を通してイメージとして得、知識によってアイデア、考えを作る。この知識は目に見えない超自然のもので、霊魂にある。
"自分の命だから自分で自由に出来る"とか、"自由には制限がない(No limit to freedom)","物だから何をしても許される" という考えは全く間違いである。
●この後、延命治療についての質問があり、以下のような内容でした。
"It is permitted to diminish suffering but not permitted to shorten life(to kill in order not to suffer)"
苦痛を軽減すること(緩和治療)はゆるされているが、苦しみをなくすために命をなくすことはゆるされない。
It is permitted to let the sickness "do it work"
病気を受け入れるという意味で病気の進行にゆだねることはゆるされる。
"It is permitted ,bat not obligatory to use extra-ordinary means to exted life"
延命させるため非日常的な方法を使う事は、ゆるされてはいるが、義務ではない。
"It is not permitted to reject ORDINARY means (food....) to extend life.
延命の通常の手段(飲食など)を拒否することはゆるされない
●また、実定法法と自然法の違いについての質問もありました。
実定法は自然法に基づいて決められるものである。例えば、結婚ついて言えば、自然法では婚姻は一人の男性と一人の女性で成されるものであるという決まりがあり、実定法のなかで(国によって)18歳以上であるとか、20歳以上と決められているという事でした。
実定法という聞きなれない言葉をきいて(^^;)質問された方は本当によく勉強されている方なんだなあと感心してしまいました。
なにを質問してもキッチリ、スッキリ、お答え下さる神父様に感謝と脱帽でした!!
小野田 神父様に質問ですが、
"When we think, we have image (particular) + idea (general)" イメージとparticular、アイデアとgeneral の関係がよくわかりませんでした。
この場合のparticular, general はどういう意味でしょうか?
【お返事】
こんにちは!ご報告と質問をありがとうございます。
"When we think, we have image (particular) + idea (general)"
「私たちが考えるとき、イメージ(個別)と概念(一般)を持つ」とのことですが、私の思うには、時計、と言った場合、時計の一つ一つのイメージを腕時計、置き時計、壁時計、鳩時計、日時計、腹時計など、個別のものをイメージします。
しかし、「時計」という概念は、「時間を知る装置」として、一般化されています。そのようなことをおっしゃろうとされたのではないでしょうか。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
============
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい
============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA
毎年恒例の聖ピオ十世会公式秋田巡礼にご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。