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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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2019年3月3日(主日)五旬節の主日のミサ サマース神父様御説教(東京)「イエズス様をますますお愛し、完徳へと辿りたい」という望みで聖体拝領しましょう

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Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年3月3日(主日)五旬節の主日のミサ
サマース神父様御説教(東京)
同時通訳:小野田圭志神父


【小野田神父】
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年3月3日、第五旬節の主日のミサを捧げています。

今日はアジア管区長のサマース神父様を迎えて、非常に嬉しく思います。

今日の簡単な予定をお知らせします。このミサの後にいつもの通りに御聖体降福式があります。

3月6日の灰の水曜日は夕方の18時から灰の授与式がありますが、ミサはその直後にあります。早めにいらして下さい。

次の主日のミサは、3月17日の四旬節の第2主日です。

四旬節の私たちのカトリックの伝統では、大小斎を行ないます。昔は40日間大小斎を行なっていましたが、今では2日だけになってしまいました、灰の水曜日と聖金曜日です。その日には私たちは、大小斎を捧げなければなりません。21歳以上から60歳までの健康な成人のカトリックの信徒は、男女も、1日に1食だけ十分な食事をするという大斎、そして肉を食べないという小斎を捧げる義務があります。この、是非この機会に、イエズス様に寛大にこれをお捧げする事に致しましょう。

では、今からサマース神父様の御説教を聞いて下さい。


【サマース神父様】
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

御説教を始める前に、皆さんからの特別なお祈りを求める為に、今からお祈りの意向を申し上げたいと思います。

聖ピオ十世会の総長様の決定によって、「日本に修道院を、聖ピオ十世会の修道院を創立する」という事にGOシグナルを出されました。そして他の神父様が小野田神父と一緒に司祭の共同生活をする為に、司祭が派遣されるのを数ヶ月待たなければなりませんが、それは今年の12月、あるいは来年の1月を期待しています。人間は色々こう計画を立てますけれども、結局は天主様がその計画を実行されなければなりません。

ですから私たちは、その私たちの計画の通りに天主様もその事を望んで下さいますように、お祈り致しましょう。どうぞお祈りをお願い致します。そしてこの計画について、より詳細が分かり次第、皆さんにお知らせ致します。

小野田神父が先ほど申し上げましたように、四旬節が非常にすぐに、もう間近に迫って来ています。公教会は私たちの償いの日をたった2日にまで減少させてしまいましたけれども、しかし伝統に従って私たちは、できる限り寛大に、40日間の償いと犠牲の日を過ごす事に致しましょう。なぜかというと、初代のカトリック信者たちは、その最初の数百年の間は、非常に厳しい償いの日を送っていたからです。私たちの主を真似して40日間の断食をするのですけれども、その時もただパンと水だけで過ごしました。そして告解の秘跡でも、大罪を犯して痛悔したという人に司祭は頻繁に、「では償いとして3週間、あるいは何ヶ月、水とパンだけで生活しなさい」という償いを命じられていました。

もちろん私たちは今、そのような古代の規律を私たちが今、皆さんに強要する事はできませんけれども、しかしパンと水で生活していた、償いを果たしていた、という事は、私たちにあるアイディアを与えてくれます。

まず「パン」は、イエズス様によって、祭壇のいけにえの材料として、質量として選ばれました。そしてイエズス様の天主の御力によって、このパンを御自分の御体と御血と御霊魂と御神性に変えるのです。

ですから今日は特に、「御聖体」という天からのパンを黙想しましょう。そしてそれによって私たちがますます聖なる四旬節を送る事ができますように、そしてこのたとえ一週間に一度、あるいは二週間に一度、この御聖体をその間隔でしか受けられなかったとしても、イエズス様の御聖体には全能の力がありますので、その力は私たちの日々を聖化する事ができます。

ある日イエズス様は、御聖体の制定について大群衆に予言しました、予告しました、「私の肉を食べ、私の血を飲まなければならない。私はお前たちの中に住み、そしてお前たちは私の内に住む。私の与える肉は永遠の命の為の食べ物である。あなた達は決して死ぬ事がない。」

これの仰る意味は、「もしもイエズス様の御体を、ふさわしい状態で、ふさわしい態度で受けるならば、もしもそうならば、私たちはこの地上で、私たちの命を奪おうという者たちでさえも恐れる事はない」という事です。なぜかというと、私たちの主が、「私はお前たちの内に住む。」天主の命が、「私たちの内に住む」という事を約束されたからです。

たとえ私たちの肉体的には、健康が害されたり、あるいは殺害されたり、死を受けたりするかもしれませんが、本物の命は決して無くなる事はありません。成聖の恩寵の内に、天主の命を生きる霊魂は、決して死ぬ事がありません。たとえ肉体が離れて腐ってしまったとしても、いつかはその肉体が霊魂の元に戻ってきて、完璧な姿で生きる事になります。私たちの主の約束は、決して違える事がありません。

この「四旬節」という大変な時期に入ろうとする私たちにとって、イエズス様の約束は何と慰めに満ちたものであるでしょうか。肉体においても、そして霊魂においても、苦しめられる事があるかもしれません。しかし御聖体を受ける事によって、イエズス様御自身を体に、肉体において持ち運ぶ事になるからです。もちろんイエズス様を受けるという事は、イエズス様は三位一体の第二のペルソナですから、その他のペルソナも一緒にいらっしゃるはずです。もしも三位一体が私たちの内に住まわれるのであれば、私たちは何も心配する事も、恐れる事もありません。

この真理を理解すれば理解するほど、私たちの心には平安と喜びが満たされます。カトリックで、そして御聖体を拝領する私たちは、決して心配する事も恐れる事はありません。もしも天主様が私たちの霊魂に、そして肉体にいらっしゃるのであれば、一体誰が私たちに問題を害を引き起こす事ができる人がいるでしょうか。たとえ何か悲劇的な事が、あるいは悪い事がこの人の身に降りかかったとしても、私たちの霊魂に住まわれる天主様が、これに対応する特別の御恵みと、そしてその祝福を与えて下さるので、それをうまく善に変える事ができます。

私たちはですから御聖体拝領を、「イエズス様と強く一致したい」というその大きな望みを持って受ける事に致しましょう。「イエズス様をますますお愛しして、そして完徳へと辿り着きたい」という大きな望みを持って御聖体拝領し、拝領するたびにその望みを大きく致しましょう。

そしてこの時間は、次の御聖体拝領を受ける時まで、この大きな望みを維持するように致しましょう。それがたとえ一日であろうが、一週間であろうが、ある時には数ヶ月であろうが、天主は私たちにその力を与えて下さいます。

数日後に始まるこの聖なる時期を、御恵みに溢れた、この特に回心の御恵みに溢れたこの時期を始める事に致しましょう。御聖体が私たちに与えるこの栄養分と、その祝福と、その善を以って、私たちは信頼を以ってこの聖なる時期に入る事ができます。

「天使のパン」あるいは「天のパン」というのは私たちに、「イエズス様は真に私たちを養って下さる」という事を確信させてくれます。これこそが、私たちが地上で受ける事ができる最高の、最大の宝物です。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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