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苦しみの玄義黙想(2019年5月1日 秋田巡礼にて 小野田神父)

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苦しみの玄義黙想(2019年5月1日 秋田巡礼にて 小野田神父)

『苦しみの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、罪を痛悔する恵みを乞い願わん。』

「マリア様は、多くの人が、一人でも多くの人が、マリア様を通してイエズス様と聖父に捧げられるという事を望んでおられる」という事を天使が言いました。
「マリア様は、私たちに回心の恵みを与えようとこの秋田の地を選んだけれども、特に聖母の汚れなき御心に捧げられた日本をとても愛しているけれども、でもこの信心がなされていないのをとても悲しんでおられる」とも天使は言いました。
私たちもこのマリア様の涙に合わせて、罪を痛悔する恵みを乞い求めましょう。


『苦しみの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主が鞭打たれ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、罪を償う恵みを乞い願わん。』

マリア様は、おそらくイエズス様が鞭打たれたのをご覧になり、その肉体は鞭打たれなくても、その御心には、剣でグサリと刺された痛みを感じたに違いありません。マリア様をお慰め致しましょう。


『苦しみの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、主が茨の冠を被せられ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、侮辱を恐れざる恵みを乞い願わん。』

マリア様は、イエズス様がポンシオ・ピラトと共に、茨の冠を被せられて御姿を変えられて現れた時に、どれほど悲しみを持たれた事でしょうか。“Ecce homo!”とピラトは言いました。
現代でも教会は、イエズス様の花嫁である教会は、茨の冠を押し付けられて、そして姿を変えられているかのようです。
私たちもそのマリア様と心合わせて、マリア様の御悲しみをお慰め致しましょう。


『苦しみの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、主が十字架を担い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、苦難を甘んじ受くる恵みを乞い願わん。』

マリア様は、イエズス様の十字架の御跡を一歩一歩、跡を歩かれました。抗議する事もなく、黙って、イエズス様の跡を忍ばれました。しかしキレネのシモン、あるいはベロニカがイエズス様を慰めた時には、どれほどマリア様はお喜びだった事でしょうか。私たちもマリア様をお喜ばせする事ができますように、イエズス様をお慰めする事によってお喜ばせする事ができますように。


『苦しみの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、主が十字架に釘付けにせられて死し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、救霊の恵みを乞い願わん。』

マリア様は、十字架の足下で、御子イエズス様によって、私たちを子供として受けました。マリア様は私たちの本当の母と、霊的母となりました。そしてマリア様は、御子イエズス様をお愛しになった愛と同じ愛で、私たちをお愛しになります。
「あぁ御母マリア様、いつも私がマリア様の良き子供となる事ができますように、そして御子イエズス様に良く倣う事ができますように、助けて下さい。」

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