アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
7月には、色々なイベントが準備されていました。
今回は、ビルコック神父様(聖ピオ十世会)とトマス神父様(イエズス会)とがフランスから来日され、私たちのために霊的な聖務を果たしてくださいました。二人のお陰で、大阪では平日に12回のミサが捧げられました。東京では荘厳ミサが捧げることができ、サマース神父様のミサも含めると17回のミサが捧げられました。天主様に感謝!
7月13日と14日には「フランス革命を見直そう」という国際シンポジウムが開かれ、それに参加することが出来ました。
これについては、また、時を改めて感想を書きたいと思います。特にマリオン・シゴー女史のお話「人民の名によって」がとてもわかりやすく、大きな拍手喝采が送られました。彼女のお陰で最近のフランス革命の研究の成果を知ることができ、リヨンでの虐殺について始めて知りました。
7月15日には、マーチフォーライフがありました。
300名ほどの方々が参加し、今回は二名の司教様たちも参加されました。マーチした聖職者は9名でした。台湾からシスターの方々も三名来られて、参加されました。聖ピオ十世会関係では、司祭4名を含めると33名がマーチに参加しました。天主様に感謝!
東京にあるカトリック教会からは、残念ながら、一部の方々の参加だけでした。
マーチの前に、ビルコック神父様に霊的な講話をして頂きました。数日前にフランスではヴァンサン・ランベールという無罪の男性が殺害されたばかりだったので、とても現代性のあるお話しでした。
ヴァンサン・ランベール(Vincent Lambert)さん(42)は、2008年の交通事故で植物状態になってしまいましたが、医学的な治療処置は必要ではなく、ただ、必要なのは、栄養と水分だけでした。両親は子供が栄養を与えられ続けることを望んだのですが、妻がもう嫌だと言い出し、裁判となりました。裁判所が最近、栄養を与えてはいけないという判決を出し(!)、ヴァンサンの命は奪われました。生命維持装置が取り外され、9日目の7月11日に死去しました。罪のない人々の命が、邪魔だから、負担だからという理由で亡き者にされました。
植物状態だった方々の意識が戻った例はあり、最近でもアラブ首長国連邦 (UAE) の女性ムニラ・アブトゥラ(Munira Abdulla)は、1991年に32歳の時、4歳の子供を学校に迎えに行く途中で、交通事故で重傷を受け、脳に重度の損傷を負い植物人間になりました。この子供は母親の世話をし、2019年に、27年後意識を戻しました。
19歳の時交通事故で植物状態になったのですが、2003年、事後の19年後に意識を戻したアメリカ人の Terry Wallis のケースもあります。
しかし、ヴァンサンにはそれが許されませんでした。お母さんのお腹の中の赤ちゃんと同じように邪魔者扱いされ、亡き者にされました。
この続きについては、ビルコック神父様の講話の書き起こしを、ご期待ください。
では、報告をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日7月14日(主日)の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
9時からの読唱ミサ(小野田神父、トマス神父)の参列者数
男: 6人(内、子供1人)
女: 8人(内、子供1人)
計: 14人(内、子供2人)
10時半からの荘厳ミサ(ビルコック神父、小野田神父、トマス神父)の参列者数
男: 33人(内、子供4人)
女: 31人(内、子供5人)
計: 64人(内、子供9人)
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日7月15日(月)海の日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
10時以前の読唱ミサ(ビルコック神父、小野田神父、トマス神父)の参列者数
8時半からの小野田神父の読唱ミサでは:
男: 4人
女: 5人
計: 9人
10時半からの歌ミサ(サマーズ神父)の参列者数
男: 18人(内、子供2人)
女: 16人(内、子供2人)
計: 34人(内、子供4人)
【報告】
Dear Fr Onoda:
According to our count, the following faithful participated from our group:
男性:13名(内、子供2名)
女性:16名(内、子供2名)
合計:29名(内、子供4名)
+
神父:4名
総計:33名
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
聖霊降臨後第五主日のミサをありがとうございました。
フランスからおいでくださったビルコック神父様とイエズス会のトマス神父様、小野田神父様と御三人で荘厳ミサをおささげくださいましてありがとうございます。
ほとんど席が埋まって信者さんでいっぱいになり、もう座る場所がなく、立ち席での方もいらっしゃったようです。ミサが始まってからも幾人もいらっしゃったようです。
はじめて見える方も、久しぶりに見える方も、そして中には前日の国際シンポジウムの会場で見かけた方々も幾人もいらっしゃいました。
フランスの美しい聖堂でいつも厳かにこの伝統的なミサ聖祭を捧げていらっしゃるフランスの神父様たちには、すべてが日本式の古びた貸会場のにわか作りの聖堂が、どんなふうに目に映り、どんな感想を持たれたことでしょう。
丁度、前日当日の午後に行われた“フランス革命を見直そう”というシンポジウムでは、フランスでかつてカトリック信者が大変な酷い迫害を受けた時代があったことを、紹介してくださいました。
フリーメーソンや天主に反抗するような思想などが、少しずつカトリック教会を攻撃し始め、教会のなかにもそのような思想の影響を受けた司祭が入りこむようになり、やがて勃発したフランス革命による策略で自分たちの信じるカトリック信仰を捨て去るよう強要されて、ヴァンダ地方やリヨンの街は、根こそぎやられてしまって、それまでのごく普通の信仰を中心にして営まれていた素朴な生活が奪われるどころか、全市民の命までも失われてしまったこと。フランスの国では、長い間、少なくともフランス革命から数えるのでさえも230年もの間、今も伝統的カトリック信仰を迫害し、悪魔の仕掛けた革命の考えがそそのそうとする別な偽物の信仰と取りかえようとしたり混ぜ込もうとしたりする動きに対して、断固して抵抗し闘い続けているカトリック信者が今もいるということを知らされることは、言葉にできない何かでした。
日本でも、フランスでの例えば観想修道会に対する迫害によってたくさんの修道女がギロチンに架けられて殺されたり国外へ逃亡したりした歴史がある云うことは、知られているようです。
けれどその本来の流れがどこから始まり、どこに続いていて、今のカトリック教会の状況とどのようにつながっているか、日本ではまったく紹介されていない。
ただ過去の歴史の一部分がその部分を切り取られて知らされているに過ぎない。
しかし、その流れが行き着いた先が、第二バチカン公会議後の現代のプロテスタント化され革命の精神によって汚染された教会だと思うのは、行き過ぎなのか?いや、けっしてそうではないと感じました。
フランスでは、今も本当のカトリック信仰のためにまだまだごくわずかの人たちが、働いている。私たちの修道会のビルコック神父様とイエズス会のトマス神父様は、そのような方々の中のお一人のように思いました。
とてもお優しくとても聖なる佇まいの御二人の司祭様達は、そのような歴史を鳥瞰する大きな視野をお持ちの方々なのだと感じました。
こういったことの状況はあまりにも大変で、それも本当にあった出来事がことごとく隠蔽されちゃんとしたことが伝わってきていないことを、感じました。
私は今受けている衝撃の大きさを、把握することもできないまま、ただ呆然としているように思います。
日本の聖ピオ十世会も、まったくカトリック教会の内側からの攻撃の中にあるかのようだと思いました。それは、そのフランスの国で230年以上前から戦わなければならなかった信仰を守るための戦いと、本質的に同じ路線の上にあるのかもしれません。
そのことは、いま聖ピオ十世会に普段見えている信者にすら見えていないかもしれません。(当然といえば当然ですけれど。)私たち信者は、ごく普通の凡人ばかりなので、聖伝のミサに与りたいと思ってこられた方が、聖伝のミサにある本当のカトリック信仰だけに目を向けるようにされて、みじめな信者のふるまいなどに目を向けませんようにと願ってしまいます。けれども大切な聖なる御ミサを汚すような信者のふるまいは、よくよく注意してなければならないのに、今の状態はよくわからない有様です。私は、聖ピオ十世会のミサに与りに来ている信者の方々も、フリーメーソン・革命・プロテスタント主義の影響を受けることを避けられないでいる状況の中で生きなければならないでいることを思います。私たちは聖なるミサをもっと大切にすることの意味をもっと考えて実行しなければならないと思いました。押し寄せるサタンの力に抵抗するために、どうしても必要だからです。
ビルコック神父様とイエズス会のトマス神父様は、おそらく想像もつかないような御忍耐を、このような私たちに対してなさってくださったのだと思います。素晴らしい神父様にお会いできその御ミサにあずからせていただいて、心から天主様に感謝申し上げます。ただそこにおられるだけで、何か日常とは異なる何か感じられますことは、小野田神父様と同じです。この現代の日本で、フランス人二人と日本人の司祭による、それもお一人はカトリック信仰を最初に日本に宣教したイエズス会の司祭によって、聖伝のラテン語による背面の荘厳ミサが、この混迷を極めている2019年に、東京で捧げられていることは、とても意味深く有難く感動する出来事に思いました。
私は、ご一緒させていただいた時間のなかで、お二人のフランス人の神父様がずっと日本にいてくださって、小野田神父様とご一緒にいつも御ミサを立ててくださるような錯覚を覚えてしまいました。まことにまことにありがとうございます。
至聖なるイエズスの聖心、我らを憐れみ給え
聖母の汚れなき御心、我らのために祈り給え
日本の殉教者、我らのために祈り給え
聖マリアの汚れなき御心のうちに
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
7月7日のレポートを送らせていただきます。
聖霊降臨後第四の主日のミサをありがとうございました。
私たちの乗っている舟が一体どういった舟であるか、カトリック教会という箱舟は、いったいどういうものなのか、はっきりとしたお話によって、知ったように思います。また本当の愛徳の行為とはどういうことかというお話も強く心に残っております。お説教がとても力強く感動してちょっぴり涙ぐんでしまいました。
私達は、教皇様のために、いつも必ずミサの後に「ミサの後の祈り」をさせていただいております。
歴代の教皇様たちが、どのようにこのカトリック教会を定義されていたかというと、カトリック教会はイエズス様が唯一の救いの箱舟としてこの地上に設立されたのであり、このペトロの舟に入ることで救われる、と定められたものだとのお話でした。
小野田神父様が日本で宣教を始められてから26年、いよいよ日本に設立される修道院から舟をこぎ出して日本各地にて網を投げかけようとするその決意が込められているように、お説教は私の胸に響いてまいりました。 遠くマニラの修道院からではなく、この日本の真ん中に置かれる修道院から舟を出すこともすぐ間近になってきました。この日は、途中からも椅子を出すほどで、聖堂はいっぱいになりました。まさに、沖に漕ぎ出せと宣言する小野田神父様を祝福してくださるようなマリア様からのお恵みと思いました。
ペトロの舟に乗る者は昆虫でも獣でも動物でも人間でも何でもよい、救われるためただこの舟に乗ればよいのですと言われた時、本当に私のようなものでもカトリックの舟に乗せていただいていることへの感謝でいっぱいになりました。罪深いものである私を憐れんでくださいますように、どうか最後まで堅忍して償いを果たしカトリックの舟に乗っていることのできますようにと祈りました。
それと前日から祈っていたことですが、遠い所にお住まいでなかなか機会がない方たちにもこのミサの恵みが届けられますようにと一生懸命お祈りいたしました。私自身何の功徳もないものなのに、イエズス様の十字架上のいけにえの再現によりその御血がもう一度霊的に流される聖伝のミサに与らせていただいています。天主様からの愛が私たちの上に降り注がれるこの聖伝のミサが、もっと受け入れられますように。もしも、日本の各地からこの聖伝のミサを立てていただきたいと連絡が届きますなら、神父様はきっとすぐ沖に漕ぎ出しますことでしょう。
神父様は、叙階後すぐ日本にて聖伝のミサを挙行されるため尽力はじめたようですが、様々な誤解や中傷などによって思うように各地で継続的にミサを捧げることが難しかったと人づてに伝え聞いたことがあります。聖伝のミサに対する酷いバッシングがあり、今もそれが続いていることを感じます。
今、カトリックのミサというのはこの対面式の日本語で捧げられるミサしかないと思っている人がほとんどと思います。もしかしたら二千年前からノブスオルドミサが捧げられてきているとうっかり勘違いしがちになるやもしれません。少し前のミサがどのようなものであったかさえまったく知らされることがなく、全てがかき消され自然風化するにまかせ、カトリック教会の歴史が歪められているかのような異様な様相に、深く心を痛める者の一人です。数十年の長い年月、軒下に追いやられてしまってほとんど顧みられることのなくなったとしても、カトリック教会には“教皇様によって聖別されたミサ”が今もあることに気づいていただきたいと思います。なぜ聖伝のミサが、陰湿さをもってタブー視されるのか、その理由をよく考えてみなければならないと思います。
私の個人的な想いとしてなのですが、しっかりした事実を知らないまま、カトリック教会がなにであるかを知ろうとしても、無理があるように思います。(しっかりとしたペトロの船に乗ったことにならないのではないかとの意味。)
というのは、過去を封印しようとしているその裏には、プロテスタントとフリーメーソン(秘密結社)によって教会が破壊されようとしている事実が隠されていると知るようになってきたからです。すでに膿(うみ)をもって病んでいても、決して患部を切開してその傷を癒そうとせずに、口を閉ざす姿であってはなりません。明確な理由とか、正当な判断とかではなく、捏造することでしか、その病を隠すことができないのは、大変なことと思います。それゆえに、自分でも自分が何者であるかをわからなくなるほどの混乱に陥ってしまい、変更されるはずのないような教義がいじられようとされても、それがどうしてよくないかさえも判別ができなくなっているのならば、悲しみをおぼえずにいられません。私は、衆愚・暗愚という言葉がけっしてカトリックの内部を表現するものではないと信じたいのです。私達カトリック教徒は誰もがみんな真剣に私たちの霊的母親であるマリア様に寄り縋り祈っているからです。
判断の基準となるところが崩壊している様相を見せる現代社会では、いったいどうしたら、真のキリストの教えにたどり着けるでしょうか。
小野田神父様が、その救いの箱舟はカトリック教会であると話された時、それは「二千年続くカトリック教会全体の重みと実体」を証言されたのであり、「ここ数十年の変遷をたどるカトリック教会の状況でのこと」ではないとわかりました。
私達は、カトリック教会全体を正しく見る目を持つ導き手に、導かれなければならないのではと思います。過去を正しくとらえることを拒否したままでは、無理でしょう。ここ数十年だけの変化しようとするカトリック教会だけの姿を述べ伝えようとしても、その深い底流に流れている大きな聖なる恵みにまで容易にたどり着けるでしょうか。乾いた表土が舞いたてる埃が、信徒の眼を曇らせ悩ませるだけかもしれません。(高じれば信徒が司祭の指導もないままに勝手な解釈などしますでしょう。)、現代が蒙っている病(革命とフリーメーソンと近代主義)に侵されていない健全な神学によって培われたペテロの舟の漕ぎ手・導き手が、本当の愛徳をもって日本のどこでも宣教される時代が来ることを強く望んでお祈りいたします。
(この数十年の間にカトリック教会とプロテスタント教会の間にはどれほどの近似点が生じるようになったことでしょう。もしプロテスタントの理論を取り入れてしまえば、それはもうカトリック教会ではありません。これまでの聖人たちが、強く攻撃すべきものとしてどれほど霊的な戦いを戦ってきたことでしょう。)
もし仮に、救いの港まで到達しないような舟に乗ってしまっていると感じるなら、誰でもちゃんとしっかりした舟に乗らなければなりません、マリア様のおっしゃられるように自分の責任でその舟に乗らなければならない時が来ているのでしょうから。
この聖ピオ十世会の修道会の司祭様達は、二千年の間変わらずカトリック教会を司牧してきたそのやり方のままを学んで司祭になられた神父様達ですので、こここそは確かな箱舟の一つであるに違いないと思います。
無学なものであるのにこんなに長い感想ではご迷惑ではないかと心配しつつ、書いてしまいました。すみません。使徒継承から続いている救いの舟、ペトロの舟に乗ることができましたので、迷うことなく信心の生活に励み、罪の償いをいたし、イエズス様とマリア様と聖ヨゼフ様により頼んで、祈りたいと思います。
どうか、十字架上のイエズス様に向かって捧げられる、イエズスさまの犠牲の再現により私たちの罪の赦しのために捧げられる、この背面式のラテン語のミサのほうが、世界中で初めから長い間捧げられてきているものだということが、知られるようになりますように。決して禁止されているものではないということが、知られるようになりますように。日本のカトリック教会で、ラテン語の背面式のミサを、信徒が望むならばどの教会でも捧げることができるようになりますように。
またこの日は続いて、ご聖体降福式のなかで「日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り」を更新してくださいました。
神父様はこの長文の祈りを一気に奉献してくださいました。すごい迫力で感動いたしました。一緒に一所懸命にお祈りいたしました。お友達は、このお祈りはマリア様と日本の初めからの関係がとてもしっかりと表現されていて素晴らしいお祈りの文章に感激しました、自宅でも時間があったらこの奉献文でお祈りしたいと話されていました。
大阪ではずっとこのようなお祈りを聖母行列とともにマリア様にお捧げしてこられて、どれほどマリア様は大阪教区のために恵みを取り次いでくださっていることでしょう。大阪に倣って、東京でも少しでも熱心にこの「日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り」を唱える機会が増えますようと思います。東京教区、さいたま教区、横浜教区でも、それぞれ私たちの教区を聖母の汚れなき御心に奉献していただけるよう、祈ることができるようにと思います。教皇様が来日されました時は、どうか日本の司教団全員でこの日本を聖母の汚れなき御心に奉献してくださいますように、心からお祈り申し上げます。
この日は二人の可愛い男の子の洗礼式が行われました。ペトロの舟に乗れたことの意味がまだ分からない小さな子も、しっかりしたお兄ちゃんと優しいお父さんの敬虔な祈りによって、きっと良きカトリック信者に成長されますことでしょう。私もしっかりと祈らせていただきます。
童貞聖マリアの無原罪の御心よ、我らのために祈り給え!
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
こんばんは!☆(^O^)/
今日産みの日は、マーチ・フォー・ライフの日でしたね!
今年は鹿児島の司教様と、大阪の司教様もマーチに参加して下るのですね!
小野田神父様とサマース神父様とビルコック神父様とトマス神父様と4名の神父様方がマーチに参加して下さって、去年よりも多い神父様方が参加して下さったのではないかと、とても嬉しく思います!
デオ・グラチアス!ファチマのマリア様に感謝!
そして拙いながらも私もその時間にロザリオを唱えさせて頂き、霊的に参加させて頂きました。
愛する兄弟姉妹の皆様、
7月には、色々なイベントが準備されていました。
今回は、ビルコック神父様(聖ピオ十世会)とトマス神父様(イエズス会)とがフランスから来日され、私たちのために霊的な聖務を果たしてくださいました。二人のお陰で、大阪では平日に12回のミサが捧げられました。東京では荘厳ミサが捧げることができ、サマース神父様のミサも含めると17回のミサが捧げられました。天主様に感謝!
7月13日と14日には「フランス革命を見直そう」という国際シンポジウムが開かれ、それに参加することが出来ました。
これについては、また、時を改めて感想を書きたいと思います。特にマリオン・シゴー女史のお話「人民の名によって」がとてもわかりやすく、大きな拍手喝采が送られました。彼女のお陰で最近のフランス革命の研究の成果を知ることができ、リヨンでの虐殺について始めて知りました。
7月15日には、マーチフォーライフがありました。
300名ほどの方々が参加し、今回は二名の司教様たちも参加されました。マーチした聖職者は9名でした。台湾からシスターの方々も三名来られて、参加されました。聖ピオ十世会関係では、司祭4名を含めると33名がマーチに参加しました。天主様に感謝!
東京にあるカトリック教会からは、残念ながら、一部の方々の参加だけでした。
マーチの前に、ビルコック神父様に霊的な講話をして頂きました。数日前にフランスではヴァンサン・ランベールという無罪の男性が殺害されたばかりだったので、とても現代性のあるお話しでした。
ヴァンサン・ランベール(Vincent Lambert)さん(42)は、2008年の交通事故で植物状態になってしまいましたが、医学的な治療処置は必要ではなく、ただ、必要なのは、栄養と水分だけでした。両親は子供が栄養を与えられ続けることを望んだのですが、妻がもう嫌だと言い出し、裁判となりました。裁判所が最近、栄養を与えてはいけないという判決を出し(!)、ヴァンサンの命は奪われました。生命維持装置が取り外され、9日目の7月11日に死去しました。罪のない人々の命が、邪魔だから、負担だからという理由で亡き者にされました。
植物状態だった方々の意識が戻った例はあり、最近でもアラブ首長国連邦 (UAE) の女性ムニラ・アブトゥラ(Munira Abdulla)は、1991年に32歳の時、4歳の子供を学校に迎えに行く途中で、交通事故で重傷を受け、脳に重度の損傷を負い植物人間になりました。この子供は母親の世話をし、2019年に、27年後意識を戻しました。
19歳の時交通事故で植物状態になったのですが、2003年、事後の19年後に意識を戻したアメリカ人の Terry Wallis のケースもあります。
しかし、ヴァンサンにはそれが許されませんでした。お母さんのお腹の中の赤ちゃんと同じように邪魔者扱いされ、亡き者にされました。
この続きについては、ビルコック神父様の講話の書き起こしを、ご期待ください。
では、報告をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日7月14日(主日)の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
9時からの読唱ミサ(小野田神父、トマス神父)の参列者数
男: 6人(内、子供1人)
女: 8人(内、子供1人)
計: 14人(内、子供2人)
10時半からの荘厳ミサ(ビルコック神父、小野田神父、トマス神父)の参列者数
男: 33人(内、子供4人)
女: 31人(内、子供5人)
計: 64人(内、子供9人)
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日7月15日(月)海の日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
10時以前の読唱ミサ(ビルコック神父、小野田神父、トマス神父)の参列者数
8時半からの小野田神父の読唱ミサでは:
男: 4人
女: 5人
計: 9人
10時半からの歌ミサ(サマーズ神父)の参列者数
男: 18人(内、子供2人)
女: 16人(内、子供2人)
計: 34人(内、子供4人)
【報告】
Dear Fr Onoda:
According to our count, the following faithful participated from our group:
男性:13名(内、子供2名)
女性:16名(内、子供2名)
合計:29名(内、子供4名)
+
神父:4名
総計:33名
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
聖霊降臨後第五主日のミサをありがとうございました。
フランスからおいでくださったビルコック神父様とイエズス会のトマス神父様、小野田神父様と御三人で荘厳ミサをおささげくださいましてありがとうございます。
ほとんど席が埋まって信者さんでいっぱいになり、もう座る場所がなく、立ち席での方もいらっしゃったようです。ミサが始まってからも幾人もいらっしゃったようです。
はじめて見える方も、久しぶりに見える方も、そして中には前日の国際シンポジウムの会場で見かけた方々も幾人もいらっしゃいました。
フランスの美しい聖堂でいつも厳かにこの伝統的なミサ聖祭を捧げていらっしゃるフランスの神父様たちには、すべてが日本式の古びた貸会場のにわか作りの聖堂が、どんなふうに目に映り、どんな感想を持たれたことでしょう。
丁度、前日当日の午後に行われた“フランス革命を見直そう”というシンポジウムでは、フランスでかつてカトリック信者が大変な酷い迫害を受けた時代があったことを、紹介してくださいました。
フリーメーソンや天主に反抗するような思想などが、少しずつカトリック教会を攻撃し始め、教会のなかにもそのような思想の影響を受けた司祭が入りこむようになり、やがて勃発したフランス革命による策略で自分たちの信じるカトリック信仰を捨て去るよう強要されて、ヴァンダ地方やリヨンの街は、根こそぎやられてしまって、それまでのごく普通の信仰を中心にして営まれていた素朴な生活が奪われるどころか、全市民の命までも失われてしまったこと。フランスの国では、長い間、少なくともフランス革命から数えるのでさえも230年もの間、今も伝統的カトリック信仰を迫害し、悪魔の仕掛けた革命の考えがそそのそうとする別な偽物の信仰と取りかえようとしたり混ぜ込もうとしたりする動きに対して、断固して抵抗し闘い続けているカトリック信者が今もいるということを知らされることは、言葉にできない何かでした。
日本でも、フランスでの例えば観想修道会に対する迫害によってたくさんの修道女がギロチンに架けられて殺されたり国外へ逃亡したりした歴史がある云うことは、知られているようです。
けれどその本来の流れがどこから始まり、どこに続いていて、今のカトリック教会の状況とどのようにつながっているか、日本ではまったく紹介されていない。
ただ過去の歴史の一部分がその部分を切り取られて知らされているに過ぎない。
しかし、その流れが行き着いた先が、第二バチカン公会議後の現代のプロテスタント化され革命の精神によって汚染された教会だと思うのは、行き過ぎなのか?いや、けっしてそうではないと感じました。
フランスでは、今も本当のカトリック信仰のためにまだまだごくわずかの人たちが、働いている。私たちの修道会のビルコック神父様とイエズス会のトマス神父様は、そのような方々の中のお一人のように思いました。
とてもお優しくとても聖なる佇まいの御二人の司祭様達は、そのような歴史を鳥瞰する大きな視野をお持ちの方々なのだと感じました。
こういったことの状況はあまりにも大変で、それも本当にあった出来事がことごとく隠蔽されちゃんとしたことが伝わってきていないことを、感じました。
私は今受けている衝撃の大きさを、把握することもできないまま、ただ呆然としているように思います。
日本の聖ピオ十世会も、まったくカトリック教会の内側からの攻撃の中にあるかのようだと思いました。それは、そのフランスの国で230年以上前から戦わなければならなかった信仰を守るための戦いと、本質的に同じ路線の上にあるのかもしれません。
そのことは、いま聖ピオ十世会に普段見えている信者にすら見えていないかもしれません。(当然といえば当然ですけれど。)私たち信者は、ごく普通の凡人ばかりなので、聖伝のミサに与りたいと思ってこられた方が、聖伝のミサにある本当のカトリック信仰だけに目を向けるようにされて、みじめな信者のふるまいなどに目を向けませんようにと願ってしまいます。けれども大切な聖なる御ミサを汚すような信者のふるまいは、よくよく注意してなければならないのに、今の状態はよくわからない有様です。私は、聖ピオ十世会のミサに与りに来ている信者の方々も、フリーメーソン・革命・プロテスタント主義の影響を受けることを避けられないでいる状況の中で生きなければならないでいることを思います。私たちは聖なるミサをもっと大切にすることの意味をもっと考えて実行しなければならないと思いました。押し寄せるサタンの力に抵抗するために、どうしても必要だからです。
ビルコック神父様とイエズス会のトマス神父様は、おそらく想像もつかないような御忍耐を、このような私たちに対してなさってくださったのだと思います。素晴らしい神父様にお会いできその御ミサにあずからせていただいて、心から天主様に感謝申し上げます。ただそこにおられるだけで、何か日常とは異なる何か感じられますことは、小野田神父様と同じです。この現代の日本で、フランス人二人と日本人の司祭による、それもお一人はカトリック信仰を最初に日本に宣教したイエズス会の司祭によって、聖伝のラテン語による背面の荘厳ミサが、この混迷を極めている2019年に、東京で捧げられていることは、とても意味深く有難く感動する出来事に思いました。
私は、ご一緒させていただいた時間のなかで、お二人のフランス人の神父様がずっと日本にいてくださって、小野田神父様とご一緒にいつも御ミサを立ててくださるような錯覚を覚えてしまいました。まことにまことにありがとうございます。
至聖なるイエズスの聖心、我らを憐れみ給え
聖母の汚れなき御心、我らのために祈り給え
日本の殉教者、我らのために祈り給え
聖マリアの汚れなき御心のうちに
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
7月7日のレポートを送らせていただきます。
聖霊降臨後第四の主日のミサをありがとうございました。
私たちの乗っている舟が一体どういった舟であるか、カトリック教会という箱舟は、いったいどういうものなのか、はっきりとしたお話によって、知ったように思います。また本当の愛徳の行為とはどういうことかというお話も強く心に残っております。お説教がとても力強く感動してちょっぴり涙ぐんでしまいました。
私達は、教皇様のために、いつも必ずミサの後に「ミサの後の祈り」をさせていただいております。
歴代の教皇様たちが、どのようにこのカトリック教会を定義されていたかというと、カトリック教会はイエズス様が唯一の救いの箱舟としてこの地上に設立されたのであり、このペトロの舟に入ることで救われる、と定められたものだとのお話でした。
小野田神父様が日本で宣教を始められてから26年、いよいよ日本に設立される修道院から舟をこぎ出して日本各地にて網を投げかけようとするその決意が込められているように、お説教は私の胸に響いてまいりました。 遠くマニラの修道院からではなく、この日本の真ん中に置かれる修道院から舟を出すこともすぐ間近になってきました。この日は、途中からも椅子を出すほどで、聖堂はいっぱいになりました。まさに、沖に漕ぎ出せと宣言する小野田神父様を祝福してくださるようなマリア様からのお恵みと思いました。
ペトロの舟に乗る者は昆虫でも獣でも動物でも人間でも何でもよい、救われるためただこの舟に乗ればよいのですと言われた時、本当に私のようなものでもカトリックの舟に乗せていただいていることへの感謝でいっぱいになりました。罪深いものである私を憐れんでくださいますように、どうか最後まで堅忍して償いを果たしカトリックの舟に乗っていることのできますようにと祈りました。
それと前日から祈っていたことですが、遠い所にお住まいでなかなか機会がない方たちにもこのミサの恵みが届けられますようにと一生懸命お祈りいたしました。私自身何の功徳もないものなのに、イエズス様の十字架上のいけにえの再現によりその御血がもう一度霊的に流される聖伝のミサに与らせていただいています。天主様からの愛が私たちの上に降り注がれるこの聖伝のミサが、もっと受け入れられますように。もしも、日本の各地からこの聖伝のミサを立てていただきたいと連絡が届きますなら、神父様はきっとすぐ沖に漕ぎ出しますことでしょう。
神父様は、叙階後すぐ日本にて聖伝のミサを挙行されるため尽力はじめたようですが、様々な誤解や中傷などによって思うように各地で継続的にミサを捧げることが難しかったと人づてに伝え聞いたことがあります。聖伝のミサに対する酷いバッシングがあり、今もそれが続いていることを感じます。
今、カトリックのミサというのはこの対面式の日本語で捧げられるミサしかないと思っている人がほとんどと思います。もしかしたら二千年前からノブスオルドミサが捧げられてきているとうっかり勘違いしがちになるやもしれません。少し前のミサがどのようなものであったかさえまったく知らされることがなく、全てがかき消され自然風化するにまかせ、カトリック教会の歴史が歪められているかのような異様な様相に、深く心を痛める者の一人です。数十年の長い年月、軒下に追いやられてしまってほとんど顧みられることのなくなったとしても、カトリック教会には“教皇様によって聖別されたミサ”が今もあることに気づいていただきたいと思います。なぜ聖伝のミサが、陰湿さをもってタブー視されるのか、その理由をよく考えてみなければならないと思います。
私の個人的な想いとしてなのですが、しっかりした事実を知らないまま、カトリック教会がなにであるかを知ろうとしても、無理があるように思います。(しっかりとしたペトロの船に乗ったことにならないのではないかとの意味。)
というのは、過去を封印しようとしているその裏には、プロテスタントとフリーメーソン(秘密結社)によって教会が破壊されようとしている事実が隠されていると知るようになってきたからです。すでに膿(うみ)をもって病んでいても、決して患部を切開してその傷を癒そうとせずに、口を閉ざす姿であってはなりません。明確な理由とか、正当な判断とかではなく、捏造することでしか、その病を隠すことができないのは、大変なことと思います。それゆえに、自分でも自分が何者であるかをわからなくなるほどの混乱に陥ってしまい、変更されるはずのないような教義がいじられようとされても、それがどうしてよくないかさえも判別ができなくなっているのならば、悲しみをおぼえずにいられません。私は、衆愚・暗愚という言葉がけっしてカトリックの内部を表現するものではないと信じたいのです。私達カトリック教徒は誰もがみんな真剣に私たちの霊的母親であるマリア様に寄り縋り祈っているからです。
判断の基準となるところが崩壊している様相を見せる現代社会では、いったいどうしたら、真のキリストの教えにたどり着けるでしょうか。
小野田神父様が、その救いの箱舟はカトリック教会であると話された時、それは「二千年続くカトリック教会全体の重みと実体」を証言されたのであり、「ここ数十年の変遷をたどるカトリック教会の状況でのこと」ではないとわかりました。
私達は、カトリック教会全体を正しく見る目を持つ導き手に、導かれなければならないのではと思います。過去を正しくとらえることを拒否したままでは、無理でしょう。ここ数十年だけの変化しようとするカトリック教会だけの姿を述べ伝えようとしても、その深い底流に流れている大きな聖なる恵みにまで容易にたどり着けるでしょうか。乾いた表土が舞いたてる埃が、信徒の眼を曇らせ悩ませるだけかもしれません。(高じれば信徒が司祭の指導もないままに勝手な解釈などしますでしょう。)、現代が蒙っている病(革命とフリーメーソンと近代主義)に侵されていない健全な神学によって培われたペテロの舟の漕ぎ手・導き手が、本当の愛徳をもって日本のどこでも宣教される時代が来ることを強く望んでお祈りいたします。
(この数十年の間にカトリック教会とプロテスタント教会の間にはどれほどの近似点が生じるようになったことでしょう。もしプロテスタントの理論を取り入れてしまえば、それはもうカトリック教会ではありません。これまでの聖人たちが、強く攻撃すべきものとしてどれほど霊的な戦いを戦ってきたことでしょう。)
もし仮に、救いの港まで到達しないような舟に乗ってしまっていると感じるなら、誰でもちゃんとしっかりした舟に乗らなければなりません、マリア様のおっしゃられるように自分の責任でその舟に乗らなければならない時が来ているのでしょうから。
この聖ピオ十世会の修道会の司祭様達は、二千年の間変わらずカトリック教会を司牧してきたそのやり方のままを学んで司祭になられた神父様達ですので、こここそは確かな箱舟の一つであるに違いないと思います。
無学なものであるのにこんなに長い感想ではご迷惑ではないかと心配しつつ、書いてしまいました。すみません。使徒継承から続いている救いの舟、ペトロの舟に乗ることができましたので、迷うことなく信心の生活に励み、罪の償いをいたし、イエズス様とマリア様と聖ヨゼフ様により頼んで、祈りたいと思います。
どうか、十字架上のイエズス様に向かって捧げられる、イエズスさまの犠牲の再現により私たちの罪の赦しのために捧げられる、この背面式のラテン語のミサのほうが、世界中で初めから長い間捧げられてきているものだということが、知られるようになりますように。決して禁止されているものではないということが、知られるようになりますように。日本のカトリック教会で、ラテン語の背面式のミサを、信徒が望むならばどの教会でも捧げることができるようになりますように。
またこの日は続いて、ご聖体降福式のなかで「日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り」を更新してくださいました。
神父様はこの長文の祈りを一気に奉献してくださいました。すごい迫力で感動いたしました。一緒に一所懸命にお祈りいたしました。お友達は、このお祈りはマリア様と日本の初めからの関係がとてもしっかりと表現されていて素晴らしいお祈りの文章に感激しました、自宅でも時間があったらこの奉献文でお祈りしたいと話されていました。
大阪ではずっとこのようなお祈りを聖母行列とともにマリア様にお捧げしてこられて、どれほどマリア様は大阪教区のために恵みを取り次いでくださっていることでしょう。大阪に倣って、東京でも少しでも熱心にこの「日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り」を唱える機会が増えますようと思います。東京教区、さいたま教区、横浜教区でも、それぞれ私たちの教区を聖母の汚れなき御心に奉献していただけるよう、祈ることができるようにと思います。教皇様が来日されました時は、どうか日本の司教団全員でこの日本を聖母の汚れなき御心に奉献してくださいますように、心からお祈り申し上げます。
この日は二人の可愛い男の子の洗礼式が行われました。ペトロの舟に乗れたことの意味がまだ分からない小さな子も、しっかりしたお兄ちゃんと優しいお父さんの敬虔な祈りによって、きっと良きカトリック信者に成長されますことでしょう。私もしっかりと祈らせていただきます。
童貞聖マリアの無原罪の御心よ、我らのために祈り給え!
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
こんばんは!☆(^O^)/
今日産みの日は、マーチ・フォー・ライフの日でしたね!
今年は鹿児島の司教様と、大阪の司教様もマーチに参加して下るのですね!
小野田神父様とサマース神父様とビルコック神父様とトマス神父様と4名の神父様方がマーチに参加して下さって、去年よりも多い神父様方が参加して下さったのではないかと、とても嬉しく思います!
デオ・グラチアス!ファチマのマリア様に感謝!
そして拙いながらも私もその時間にロザリオを唱えさせて頂き、霊的に参加させて頂きました。