Quantcast
Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

聖ピオ十世会 聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)報告 SSPX Japan Traditional Latin Mass

$
0
0
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖ピオ十世会の聖伝のミサの報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】
Ave Maria Immaculata!

7月の所感をご報告いたします。

7月13日・14日の東京でのシンポジウムのために、フランスから聖ピオ十世会のビルコック神父様とイエズス会のトマス神父様が来日されて、
大阪では、9日から12日まで毎日3つの御ミサを捧げてくださいました。
また14日には、アジア管区長のサマーズ神父様が大阪で主日の歌ミサを捧げてくださるために、
東京の前に大阪にお立ち寄りくださりくださいましたこと、天主様に感謝申し上げます。

私たち日本の信徒にとって、ビルコック神父様はお会いする前から、存じ上げていた神父様でした。
毎週日曜日に、有志の信徒の方が、ビルコック神父様のカテキズム動画に日本語字幕をつけてアップしてくださり、毎週楽しみに視聴していたからです。

※聖ピオ十世会フランス管区のWEBサイトでビルコック神父様によるカテキズム動画(1話10分ほど)がアップされています

カテキズムのお話は簡潔でわかりやすく、毎回、初めて知ることがあり、「天主様に感嘆、感謝」せざるを得ません。

動画を拝見していると、神父様は頭脳明晰で、厳格であられるイメージを持っておりましたが、実際のお人柄は、柔和で高貴な聖なる雰囲気をたたえた神父様でした。

歌ミサでは聖歌隊となって一緒にグレゴリオ聖歌を歌ってくださったり、終課を一緒に歌いました。

神父様が素朴な美しい声でお歌いになると、教会の祈りであることを思い起こされ、感激いたしました。

イエズス会のトマス神父様は、威厳があられるのに、お優しく、控え目で謙遜な雰囲気を持っておられました。

東京で、マーチフォーライフの前のビルコック神父様の講話中に、どなたかが階段をすべらせたような音がしたときに、トマス神父様が咄嗟に階段に助けに向かわれたお姿が印象的でした。

2点についてご報告したいと思います。

その①
このたび「フランス革命」と「マーチフォーライフ」に関係性があることを理解しました。
特に、ビルコック神父様の講演と講話でお話になられておられていたと思います。

【マーチフォーライフの前の講話の要旨】をまとめてみました。

・「革命」の真の姿は「天主に対する憎しみ」「天主の秩序に対する憎しみ」「天主をひきずりおろして玉座についた人間」だと。(講演より)

・本来革命を阻止すべき役割、できるはずだった聖職者は啓蒙主義の毒に冒されて、自らが崩壊のために働き犠牲となってしまったと知りました。(講演より)

・堕胎・同性愛・安楽死の考え方は罪の精神(悪魔の精神)であり、生命を攻撃するのは「自由享楽の精神」・「個人主義」の精神。

・自由の精神こそ「革命の精神」であり「人間が天主になろうとすること」

・人間中心主義は、人間の死に行き着く。自由を求めて生命に逆らうほど不幸になる。現代社会は人類の自殺の文化(死の文化)といえます。

・マーチフォーライフは単なる堕胎反対のみならず、生命の掟十戒に逆らう全ての文化に対する反対を表明するものなので、
 私たちカトリックはマーチフォーライフなどで戦うことが必要。

・マーチフォーライフに参加することは勇気のあること。それは国の法律に反対の声を挙げることだから。私たちの知性と意志を罪の精神から守ることです。

・聖フィリッポ・ネリは毎朝、天主に祈っていた。「主よお護りください。主の御助けなくしては、夜にはイスラム教徒となってしまうでしょう」と。祈りこそ重要。

・ですからマーチに参加にしながら、お祈りしてください。私たちが快楽・自由の精神から守られるように。

・マーチは自然の生命だけを守るのではなく、超自然の行為であって「信仰宣言」なのです。

・天主ご自信が生命であり、生命は全て天主のものである。生命である天主が人間となり、人間の生命を贖うためにこの世に来られた。

・マリア様の胎内から、洗者聖ヨハネを聖別され、病人を癒し、死者には生命をお与えになって、天主自らが、どれほど人間の生命を大切にされたかを示された。

・堕胎はイエズス様の事業を軽蔑し、主ご自身をも軽蔑することになる。

・なぜ主は人間の生命を大切に思われたのか?それは身体を活かしているのは霊魂であり、霊的生命は永遠であるから。

・肉体を滅ぼさない状態で、人間の霊魂を殺すことができる。それは霊魂に天主に対する敵対をおく(罪の状態にあること)ことで、罪は永遠の地獄を招く。
 よって死の文化=地獄の文化といえる。

・1917年7月にファチマの聖母は三人の子供たちに地獄のビジョンを見せられた。1917年には堕胎法も安楽死もなく、教会にはまだ多くの信徒がいて、教会の権威もあった時代だった。もしも今日、マリア様が地獄を見せられたら、どれほど多くの人が地獄に落ちていることか?

・霊魂の生命を殺すことは、もっと重大なこと、マーチフォーライフは胎児のために生命を守るために、また超自然の生命を守り生きることを願って歩きましょう。

・マーチフォーライフに参加することは良いことだが、最も大切なことは祈ること。

・カトリック信者は個人的にそして公的に祈る義務がある。公的に祈るのは、信仰を告白し、生命である主に属していることを表明するためです。

・大切なのはマーチで歩きながら、祈ること。周囲の人々に生命を守ることが大切だと見せるとともに、もっと高貴な霊魂の生命を守るために歩かなければいけない。

・霊魂の生命は本当の光、生命は真の光であったと聖福音に書かれている。祈りながら生命を守るだけでなく、周囲の人々の光とならなければならない。

・こうすることで主の真の弟子となることができる。主のように生命と光をもたらすからだ。

・生命を守る最善の方法は、ロザリオを祈ること。ファチマの聖母は地獄のビジョンを見せられたときに、地獄にいかない薬もお示しになられた。ロザリオを祈ることだ。

・ロザリオの祈りの単純さは天主から来たことを証明している。ロザリオは単純で、普遍的。三歳の子供でさえも、老人も一緒にロザリオを唱えることができる。

・頻繁に多くロザリオを唱えることは、天国を約束されているといえる。

・現代社会に生きて仕事をしておられる皆さんにもロザリオは大変重要です。時間の隙間で三分で一連唱えれば、いちにちに一環以上のロザリオとなるでしょう。

・今日のみならず、いつもロザリオを唱えましょう。

・今日はファチマの聖母と一緒に歩きましょう。ファチマの聖母はロザリオの聖母でもあられます。

・ロザリオはフランス語で「王冠」という意味。肉体と霊魂の生命を守るために歩くように、おみこしのバラの花、物質的な冠と霊的な王冠をマリア様に差し上げるために歩きましょう。


その②
このたび初めてマーチフォーライフに参加いたしました感想としましては、

・今年はカトリックの司教様がお二人も参加されて、神父様やシスターがたもおられ、大変嬉しく心強かったです。

 カトリック教会への良い影響となり、来年は更に多くの司教様、神父様、シスターが参加されますように!

・うれしいことに、今年は前年より多い300人以上の方が参加されたそうで、築地教会の正面のお庭には人があふれているようでした。

・今後さらに参加人数が増えることを想定すると、日比谷公園などの大きな公園での集合→大きな公園までのマーチとなっていくのかな?と思いました。

・私たちは、小野田神父様のご指導どおり、ファチマのマリア様から離れずに、ロザリオで祈りの行進をすることができたと思います。
 アヴェ・マリアとグロリアの歌声があるほうが、沿道の通行人の方がたへ「祈り」をアピールできたのでは?と思いました。

小野田神父様は、シンポジウムの準備、通訳、マーチフォーライフ、来日された神父様がたのお世話や案内、日本のミッションでの細かなことまで気配りをされて、
大変お疲れになられたことと思います。充分に休養される間もなく、いつものように次のミッションに向かわれてしまいましたが、
くれぐれもご無理なさいませんように。

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、このたび来日くださった神父様がた、小野田神父様をお護り、御助けください。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

今年も、小野田神父様のロザリオの先導で、百合や薔薇で飾られたファチマのマリア様とマーチフォーライフを歩けましたことありがとうございました。
サマース神父様、ビルコック神父様、トマス神父様と、4人の神父様達もご一緒でした。
北から南から遠くからおいでになった友人たちも、今回マーチフォーライフに初めて参加したけれど、とても素晴らしい体験だったと話してくださいました。

私たちはマーチフォーライフに参加する前、フランスからおいでくださったパリのサン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会で働いておられる司祭であるビルコック神父様から、いのちをテーマにした霊的講話を拝聴し、カトリックの祈りをこのような形で公式に表明することもとても大切なことですというお話を伺って、カトリックの精神に従って、築地カトリック教会から日比谷公園まで祈りの行進をいたしました。

私自身が周りのカトリック信者さんにマーチフォーライフのことをお伝えして、一緒に参加できるとよいですねと申し上げると、「中絶反対とか堕胎はダメというのは現実の世の中の厳しさ悲惨さを知らないからで、生まれてこないほうが親のためにお腹の子のためにも良い場合があるのよ、それに第一私たちの行っているカトリック教会では神父様がマーチフォーライフで訴える内容を話しているのを聞いたことがない」という答えが返ってくるのが多く、悲しい思いをしてしまいました。

“今回は司教様達も参加してくださるんです”と言っても参加の反応がよくなくて、インターネット上にも中傷の記事が見られるなど、まことにカトリック信徒としてあまりに情けない様子が見られました。

このまま日本の東京近辺のカトリック教会が、中絶も堕胎も場合によっては仕方ないことという態度を表立っていわないとしても、このようなマーチフォーライフという活動を敢えて無視する態度を取るということは、一体どういうことなのだろうかと、考えこんでしまいました。どんな活動でも、その過度期というのは、いつでもこんな具合なのでしょうか。

でも実際のマーチフォーライフでは、いくつものカトリック教会から来られたかたや、プロテスタント教会の方や一般の市民の方々大勢のかたと警察の方に助けていただきながら、東京のど真ん中を歩けたことを感謝申し上げます。

私自身、カトリック教会がいのちのことをどのように教えているのかをよくわかっていないものですから、これからもっと学ぶ機会が与えられますようにと思っています。同じ気持ちの方が手を取り合って連絡しあって、もっとこの東京・千葉・神奈川・埼玉のカトリック信者のなかにおいてもカトリック教会が教えているいのちの尊厳のことを、神父様たちや専門の博士(リガヤ博士)から学んでいくことが大切かなと感じられました。

教皇様も教皇大使も枢機卿様も司教様も、マーチフォーライフを応援してくださるメッセージをくださいました。そして、海の日のマーチフォーライフでは、命を尊ばなければならないというカトリック精神を、一緒にアピールできましたこと、ありがとうございました。

来年こそは、カトリック教会全体の中で、このマーチフォーライフの盛り上がりが興りますように、心からお祈り申し上げます。

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日(2019年7月21日)の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 25人(内、子供5人)
女: 26人(内、子供4人)
計: 51人(内、子供9人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖霊降臨後第六主日のミサをありがとうございました。

今月は3回も主日ミサが東京で捧げられて、全部で21回のミサが捧げられました。
そのうちの一回は、初めて与る素晴らしい荘厳ミサでした。デオ・グラチアス!
たくさんのミサに与ることができましたこと、感謝申し上げます。

7月は、なかには500キロメートルとかあるいは700キロメートルも遠い所にお住まい方々も、久々の御ミサに与られたご様子に、とてもうれしくマリア様に感謝いたしました。

昨日はこのミサで、「ミサはいつも聖週間の縮小版が行われているが、来年の復活節には日本で初めて典礼の頂点となる聖週間のミサが行われる予定となっています」ということをお話しいただきました。修道院設立のために本当にたくさんの祈りが必要だとお話しくださいました。

そして2000年の間、カトリック教会では、この伝統的な聖伝のミサを通して、たくさんの聖人や教会博士・神学者たちが輩出されてきたことを、お話しくださいました。

現在、それでは、プロテスタント化されたかのような全く替えられてしまったミサを通しては、どうなっているのでしょう。

友人が今日、最近お友達が亡くなったのだけれど、彼女こそは人知れぬ大聖人だと思うと話してくださいました。

そのお話にもっと耳を傾けてみると、その理由は、そのお友達の方が、地方の教会にお住まいだったこと、跪きの廃止や手でのご聖体拝領のみ許可というここ数年に一気に強まりを佩びている“伝統的なカトリック信仰を守り通したいという信者”を迫害するような上層部からの指導に、断固として抵抗した方だから、というのです。

その方は、亡くなるまで最後まで、御自分がかつて神父様から教えていただいたままのカトリック信仰を貫き通して、けっして立ったまま手でご聖体拝領をしなかったのだそうです、ごく最近亡くなったのだそうですが。

ご自分は何時間もかかるけれど聖ピオ十世会のミサに通えるところに住んでいるから今は安心して御ミサに与れるけれど、そのお友達は最後まで大変な辛い思いをしなければご聖体拝領をすることができない状況で苦しまれていた様子を、お話しくださいました。

でもそのご老人だったというカトリック信者さんは、伝統的なカトリック信仰を伝統的な司祭から教えていただいたからその信仰を保とうとすることができたのだと思います。聖変化の意味・ご聖体を礼拝しなければならない理由などを教えていただいていて、しっかりとした信仰が身についていたのだと思います。 そもそも、伝統的なカトリック信仰を教えられる機会がないままに洗礼を受けている信者の運命は、いったいどうなるのでしょうか。

現代の第二バチカン公会議後のミサ典礼のあり方に反対して、アンケートなどの集計結果を拝見したこともあります。いま昨今は、聖人は、自分の信仰を守るために、周囲からの嫌がらせや迫害に耐えることを、求められているとしたら、何とも皮肉な!という以上にもっと深刻な、恐ろしい事態にあることを、考えさせられました。

そして、そのお話を伺いながら、ミサが内側から変えられようとしていることの深い理由と実情を、神父様から教えていただくことができました。

私たちにできることはカトリック教会のためにお祈りをすることしかできませんね、ということになり、今は少ない人数ですが励ましあってお祈りを続けていきましょうということになりました。

このイベントを機会に、毎回ミサに与るようになられた方も増えていらっしゃるご様子に心強く思いながら。

東京に修道院が設立できることのために一生懸命お祈りいたします。

小野田神父様、いつも私たちのために、聖伝のミサをお捧げくださいまして本当にありがとうございます。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

Trending Articles