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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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主日のミサとは復活祭のミサのミニチュア版で、聖体拝領と洗礼とを荘厳に行う聖木曜日・聖金曜日・復活祭を毎週主日に記念している

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2019年7月21日(主日)聖霊降臨後第6主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年7月21日、聖霊降臨後第6主日の御ミサをしております。

最初にお礼を申し上げます。
先週の主日には、フランスの二人の神父様たちの訪問の為に特別献金をさせて頂きました。
皆さんから、第2献金として、108,062円の温かいサポートを頂きました。今回の経費として大切に使わせて頂きたいと思っています。ありがとうございました。
今日は晩課が15時からあります。
明日も朝7時からミサがあります。

次のミサは、8月4日第1主日と、8月18日です。予定されていた大阪での黙想会は残念ながら今年はできなくなってしまいました、申し訳ありません。

それから私たちの姉妹の一人は、もうすぐ、その第3番目の赤ちゃんの予定日が近付いております、お母さんも子供も、健康に、安全な出産ができ、子供も元気に産まれてきますように、お祈り下さい。おそらく今度の8月の最初のミサの時には、洗礼式が待っているのではないかと期待しております。

8月5日のミサの後に、翌日月曜日に、ここでのミサの後に、私は岩国の海兵隊の所に行く予定です。そこでも赤ちゃんが産まれたという事で、洗礼を授けに行く事になりました。どうぞこの生まれた赤ちゃんの為にも、生まれつつ赤ちゃんの為にもお祈り下さい。多くの命が私たちに与えられて、本当に感謝致します。


“Misereor super turbam.”
「私は、この群衆を憐れむ。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、先週の主日は私たちは、非常に貴重な「荘厳ミサ」を行ないました。司式司祭、そして助祭、副助祭、そして侍者の素晴らしい奉仕の元で、そして素晴らしい聖歌隊の歌の元で、香を焚き、そして助祭が北を向いて福音書を読み、副助祭が書簡を読んだ。実はこれこそが、ミサの元々の形でした。

「ミサ」というのは、元々は司教様がなさって、そしてその下に司祭、副助祭などがこう奉仕して、一人で捧げました。共同司式というのはありませんでした。

これを見ると、この今の主日のミサというのは、この荘厳ミサのミニチュア版というのでしょうか、その荘厳ミサを本当ならしたいのだけれども、する事ができないのでその代わりに、助祭の代わりに、助祭や副助祭ができるような事を、侍者がやる、という事をしています。

ですから本当ならば助祭が、あるいは副助祭がこう準備しなければならないカリスを、あるいはブドウ酒や水を、侍者が今やっています。

これは何を意味しているかというと、「私たちはいつも毎週の主日で、本来ならばある荘厳ミサ、司祭、副助祭たちが集まってされる荘厳ミサのミニチュア版を、毎週やっている」という事です。

司祭や副助祭たちがそうやって集まる事ができるのは、特に聖週間です。特に聖木曜日、あるいは復活の徹夜祭、あるいは聖金曜日などは、他にはミサが捧げられない、一つの教会にたった一つなので、多くの聖職者たちが一堂に会して荘厳ミサをします。主日はその象りです。

今日の実はミサを見ると、まさに主日のミサというのが、復活のミサ、復活の徹夜祭と、復活祭のミニチュア版だ、そのミニチュア版を毎週主日にやっている、という事がよく分かります。

例えば聖福音では、イエズス様の元に群衆がやって来ます。これは何かというと、教会のイメージです。

「主日に、多くのキリスト教徒信者たちがイエズス様の元にやって来る」という、生き生きとしたイメージです。4000名がやって来ました。これを7つのパンとちょっとの魚でイエズス様は養います。

イエズス様はまず御説教をします。群衆はその話を、シーンと耳を澄まして聞いています。イエズス様は霊的な糧を、御説教を与えたのみならず、パンでも養います、「もしもこのまま家に帰ったら、彼らはお腹が減っているので、倒れてしまうかもしれない。遠くから来た者もいる。」

ミサでも聖福音を読み、そして書簡を読み、そして説教があり、そしてイエズス様の御言葉を聞き、私たちはイエズス様の御聖体によって養われて、帰路に着きます。なぜかというと、次のミサまで、まだ長い時間が待っているからです。私たちはこの家に、家の道を辿るまでの栄養分を、霊的にも、そして御聖体によっても養われます。

ところで私たちの「家」、つまり究極に至らなければならない家というのは何でしょうか?それは「天国」の故郷です。今日聖パウロの美しい書簡をぜひ何度もお読み下さい。どうぞこれを黙想なさって下さい。

復活祭の時に、普通は洗礼式があります。復活の徹夜祭に洗礼水を祝福して、復活のローソクによって祝福して、そして洗礼式がよくあります。霊的に復活するという事です。聖パウロはその事を思い出させます。

「私たちは、キリストの死において、キリストに接木されたものだ。私たちは新しい人を着ている。古い人を十字架に付けた。私たちはだから、新しい命を歩まなければならない。復活の命を歩かなければならない。キリストと共に行列をして、司祭を先頭にキリストに向かって行列しなければならない。天国に向かって巡礼の旅に出なければならない。罪には死んだ者として、天主にのみ生きる者として、歩まなければならない。」

主日のミサの時に、教会は“Asperges me”「灌水式」を行ないます。これも、「イエズス様の洗礼を受けた、イエズスに接木された、イエズス様と共に洗礼の中に入って葬られて、そしてキリストと共によみがえったものである」という事を意味しています。

聖水を作るのは、「水」と「お塩」です。
「水」は、人間の本性を、イエズス・キリストの「御人性」を表しています。
「塩」は、イエズス・キリストの「御神性」「天主性」を表しています。
その二つが結合して、「イエズス・キリスト」となります。

そして聖水で、キリストをシンボルとする聖水を、もう一度私たちは受けて、洗礼の約束を更新します。ですから詩編でも、“Miserere mei Domine”「主よ、私を憐れみ給え」と、罪を痛悔する詩編も唱えます。

私たちはキリストによって洗礼によって、主の民の一部となりました。主の遺産の一部となりました。これこそ今日入祭誦で歌われて、そしてこれこそ祈祷文で歌われているものです。

なぜ私が今、こういう事を申し上げたかというと、天主様の御恵みによりて、マリア様の御取次ぎによりて、そして皆さんの多くの世界中の方々からのご支援や、皆さんの寛大な支援によって、できれば聖ピオ十世会の修道院を、来年東京に造りたいと思っているからです。それが与えられるように願っているからです。そうすると、日本で最初の聖週間を、皆さんと共に祝う事ができる、と期待しています。

そしてその聖週間のその典礼こそが、この主日の典礼の頂点に立つものであって、そのカトリックの聖伝の典礼の原型であって、その最高の姿であるので、是非この聖週間の典礼に、皆さんにぜひ与って頂きたいと願っております。

ただ物理的に、あるいは肉体的に、ただ座ってボーッと見ているのではなくて、その聖週間の典礼、聖木曜日・聖金曜日・復活の徹夜祭・あるいは復活の日中のミサなど、そのなぜこういう儀式があるのか?何がどのような事が意味されているのか?そのシンボル、その象徴が意味するものは何なのか?この行動の深い意味は何なのか?なぜこうなのか?という事をしみじみと味わって、そしてその復活の神秘の中に深く入って頂きたいと思っています。

ちょうど先週荘厳ミサが行なわれたという事は、それの良い前兆であるかのように私は感じています。

まさに教会の全ての、最も芸術的な、天才的な、グレゴリア聖歌や、あるいは教会の建物、聖人、諸聖人の御像、あるいはステンドグラス、あるいは教会の絵画、全ては、このイエズス様の神秘を、ミサ聖祭の祭壇で行なわれている目に見えない神秘を表す為に、これを守る為に、これを私たちが生きる為に、私たちがこれによって養われる為に、作られました。

2000年間、天才たちが、大聖人たちが、そして歴代の教皇様たちが、博士たちが、神学者たちが、祈りを以て、学術を尽くして、そして聖霊に導かれながら完成させた、この典礼のその「花」である聖週間、これをぜひ私たち皆さんが深く味わう事ができますように、と願っています。

その為にも今日この主日、小さな復活祭の主日のミサの中に深く味わって下さい。イエズス様は私たちを見て仰るに違いありません、「あぁ、この群衆を憐れむ。彼らは遠くから来ている。何とかして養わなければならない。」

マリア様にお願い致しましょう。私たちのこの拙い願いが、しかし熱烈な願いが、聞き届けられますように。そしてマリア様の憐れみによって、イエズス様のその御憐れみによって、私たちに多くの、より多くの御恵みが与えられ、司祭の常駐が、聖伝のミサが毎日捧げられる事が、自由にこのミサが挙げられる事がなされますように、お祈り致しましょう。

“Misereor super turbam.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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