アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛するM君、
前回は、教皇ホノリウスのケースを取り上げました。
教皇ホノリウスが、総大司教セルジウス一世から受けた質問に対する、公式の回答を与えた複数の書簡は、確かに教皇としてのローマの回答でしたが、しかし、不可謬権を使って全教会に教えを強要するものではありませんでした。
そしてホノリウスは、そのキリストの意志が一つであるという単意論の異端のために、教会によって異端者として排斥されました。
Philip ShaffのExcursus on the Condemnation of Pope Honoriusには、この歴史的事実が確かである証拠が列挙されています。
1. ホノリウスの排斥は、第三コンスタンティノープル公会議の第十三総会の決議文にある。
2. 同総会によってホノリウスの二つの書簡が焚書されることが命じられた。
3. 第三コンスタンティノープル公会議の第十六総会でその他の異端者に対するのと同じく、異端者ホノリウスに排斥あれ!と司教たちが叫んだ。
4. 同公会議の第十八総会で定められた信仰宣言で「悪の作者[悪魔]は、自分の意志するところを働くために相応しい道具を見つけた。古きローマの教皇であったホノリウスらである。」と宣言した。
5. 公会議の皇帝への大宣言は、「我々は、すべての余分な新奇なことども及びその発明者どもを教会から追放し、正しく排斥した。すなわち、ローマの統治者 (πρόεδρον) であったホノリウスであり(…)」と述べている。
6. 第三コンスタンティノープル公会議の教皇アガトへの書簡で、公会議は「我々は彼らを排斥した、すなわち、(…)ホノリウスを」と述べている。
"we slew them with anathema, as lapsed concerning the faith and as sinners, in the morning outside the camp of the tabernacle of God, that we may express ourselves after the manner of David, in accordance with the sentence already given concerning them in your letter, and their names are these: Theodore, bishop of Pharan, Sergius, Honorius, Cyrus, Paul, Pyrrhus and Peter."
7. 皇帝の勅令もホノリウスの排斥について語っている。「(…)皇帝が以前の五つの公会議を認めたように、彼はすべての異端者どもを排斥した。魔術師シモンから始まって、特に新しい異端の組織者と保護者どもを。テオドシウスとセルジウス、また、これらの異端者どもの支持者であり保護者であり確信者である古いローマの教皇であったホノリウスをも。(…)」
8. 教皇レオ二世も第三コンスタンティノープル公会議の教令を確認して、自分もホノリウスを排斥している。
“Honorius, qui hanc apostolicam sedem non apostolicæ traditionis doctrina lustravit, sed profana proditione immaculatam fidem subvertere conatus est, et omnes, qui in suo errore defuncti sunt.”
9. 第二ニケア公会議によってもホノリウスは排斥されている。
10. 第四コンスタンティノープル公会議も、ホノリウスを排斥した。
11. アナスタシウスが書いたレオ二世の伝記(Vita Leonis II.)によれば、ホノリウスの名前は排斥の教令の写本に見いだされる。
12. しかも、五世紀から十一世紀まで、新教皇が選ばれると教皇職を受けるときの荘厳な教皇宣誓があった。おそらくグレゴリオ二世によって、第三コンスタンティノープル公会議が教皇ホノリウスを排斥したことを認めると誓っている。このことは、その当時の Liber Pontificalis と Liber Diurnus に認めることが出来る。
13. 十六世紀に至るまで、教皇聖レオ二世の祝日の聖務日課では、第三コンスタンティノープル公会議によってホノリウスが排斥され破門された者の一人に挙げられている。
以上から分かることは、
聖なる教皇たちや司教たちが数回の公会議に招集して、全会一致の教令として教皇ホノリウスを排斥し、破門し、教会から追放している事実です。
しかし、カトリック教会は、いちどもホノリウスのことを「異端により自動的に教皇職を失った」とか、「反教皇」とか、「偽教皇」などと、一度も言ったことはありません。ホノリウスは、異端者だったとは言え、教皇として常に認められていました。ただ、異端者としては排斥されています。
この歴史的事実を見ても、教皇が異端に陥ると自動的に教皇職を失うというのが嘘であることが分かります。
異端者ホノリウス教皇を見ると、第一バチカン公会議が宣言した教皇の不可謬性が、とても限られたカリスマ(得能)だという教義が分かります。セルジウス宛てのホノリウスの書簡が公式の教皇書簡であったとしても、教義の決定の書簡ではありませんでした。1913年のCatholic Encyclopedia には、次のようにあります。"the letter cannot be called a private one, for it is an official reply to a formal consultation." Vol. VII, p. 452.
つまり、教皇の不可謬権の行使のための条件がすべてそろっていませんでした。不可謬権の行使のためには、教皇は全教会に教えを信じるように強制しなければならないからです。
従って、「我々は、新しい誤謬の創始者ども、すなわち、テオドシウス、セルジウス、(…)そしてこの使徒継承の教会を使徒継承の聖伝の教えを持って聖化しようとせず、その代わりに世俗の裏切りによってその純粋性を汚されることを許したホノリウスを、排斥する。」(レオ二世)しかし、それでもホノリウスは教皇としての職務を保持しています。聖なる教会は、またいかなる後継者の教皇も、ホノリウスを教皇ではなかったと宣言した事実はありません。
ホノリウスに適応されることが、第二バチカン公会議以後の教皇らに対しても言うことが出来ます。
第二バチカン公会議以後の教皇は、カトリック教会によって、公式に異端者であると宣言されたこともなければ、公式に教皇ではなかったと宣言されたこともありません。
従って、真の教皇たちであると受け入れなければなりません。たとえ、彼らが第二バチカン公会議の新しい教えによって、そしてこの使徒継承の教会を使徒継承の聖伝の教えを持って聖化しようとせず、その代わりに世俗の裏切りによってその純粋性を汚されることを許したとしても、です。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)