アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
先日、新しい「福音宣教」という概念について指摘し、この方針の変化は第二バチカン公会議にその原因があることを指摘しました。
何故なら第二バチカン公会議の新しい教えは、新しい人間中心主義だからだと言及しました。
新しい宗教である民主教とは、別の言葉で言うと、人間の宗教 religion of Man であって、人民による・人民のための・人民の宗教 Religion of the people, by the peoople, for the people です。
人間中心主義の目的は、人間の尊厳の促進です。つまり、Ad maiorem hominis gloriam (人間のより大いなる栄光のために)です。
人間中心主義運動は、歴史的に、権威の拒否の運動として始まりました。
【国家とカトリック教会との分離の始まり:ダンテ】
人間中心主義が何をやったかというと、まず、世俗の秩序(政治の世界)で、政治権力と教会権力との関係を断ち切ります。国家とカトリック教会との分離です。国家と真の宗教との離婚です。
それまでは、カトリック教会は、国家と教会との協力と調和を訴えて実践してきました。ローマのコンスタンティノ皇帝に現れた啓示は、キリスト教の世界の実践となってきました。コンスタンティノ皇帝は空に十字架の印を見て In hoc signo vinces! という声を聞きます。「この印において勝て!」
政治秩序は、キリストの十字架の印を王の旗に付け、教会の権威に従い、剣を教会の奉仕のために使うことによってのみ、その敵に勝つ力を得ることが出来る。共和国だけの自然の力では、王国だけの内的な自然のちからでは、国を維持し続けることはできない、と。王は、権威を持って、臣下の信仰を促進させなければならない、と。国家は、真の宗教であるカトリック教会を守るべきである、と。
国民がイエズス・キリストに対する生き生きとしている信仰を持つ限り、キリストの代理者である教皇は、国家の上に権威を持ちます。王もそれを尊重しなければならなくなります。そして国民は信仰から王たるキリストの代理者として王を尊敬し、愛国心に燃えることでしょう。
しかし、人間中心主義の結果、カトリック教会の権威から逃れようとする理論が構築されました。その代表がマルシリオ・デ・パドゥア(Marsilio de Padua:1275 - 1342)です。マルシリオは、教会を政治秩序の権威の下に敷こうとする論を宣言しました。
ところで、神曲で有名なダンテ(Dante Alighieri : 1265 - 1321)は、良きカトリック信徒として政治の上に教会の権威があると主張しつつも、人間中心主義者として、政治と教会との両者を分離し、政治に宗教からの自律・独立を与えました。
ダンテの誤りは、世俗国家の目的が純粋に自然的な目的と同じである、としたことです。つまり世俗の国家は超自然と関係ないとしたことです。
確かに、キリスト教的な政治と教会との権威の区分けは、自然の秩序と超自然の秩序との区別にあります。たしかに、自然の秩序と超自然の秩序とが区別される、というところから出発しますが、しかし、だからといってただ単に「世俗国家=自然」「教会=超自然」と同一視することはできません。
例えば、理性的動物としての人間は、肉体と霊魂とに分けられますが、だからといって「肉体=動物」「霊魂=理性」だと同一視することは出来ません。何故なら、人間の肉体がただ単に動物的な目的だけのためにあるわけではないからです。人間の肉体は、理性のために、理性に奉仕するためにも存在しています。
政治も、単に、純粋に自然の秩序のためだけのものではありません。イエズス・キリストが回復させた超自然の秩序のために、超自然の秩序の奉仕のために、教会のために、高められる必要があります。
人間の永遠の命の救いのために、国家は、教会との協力して、調和良く、超自然の目的のために歩調を合わせる必要があります。
何故なら、個人としての人間も、人間の社会も、二つの究極の目的(自然の目的と超自然の目的)があるのではないからです。たった一つ、超自然の目的しかありません。永遠の命の為という目的です。
政治秩序の目的は、究極の目的ではなく、本質的に究極の目的に従属している、中間の目的です。究極の目的の達成ということは、教会の権威に直接に委ねられています。
ところがダンテは切り離せない物を切り離してしまおうとしました。生きている子供を半分に切って、自分の子供だと主張している二人の母親に与えようとしました。教会には恩寵と神学を、国家には自然と哲学を与えよ、と。
こうすることによって教皇の尊厳の体裁を保ちつつ、王には教皇からの自由を与えようとしました。国家は、教会とは独立して、哲学と理性だけで統治されている、神学も恩寵も不要だ、ただし、王は国民の道徳を向上させるために、教会を擁護すべきだ、と。これは、国家と教会との離婚の始まりでした。同じ屋根の下で生活しながらも、別々の部屋で眠る夫婦のようでした。
こうして14世紀から始まった離別運動は、16世紀にはルターによって教会の教える権威からの解放があり、これに続いて、プロテスタント運動の一般化によりキリスト教の王が教会の権威から離れようという運動が定着していきました。
17世紀にはデカルトが、方法的懐疑により、キリスト教神学の権威も捨て、異教のアリストテレス哲学の権威もかなぐり捨てました。
権威が無ければ、社会が成立しません。カトリック教会が維持して支えてきた権威の概念(「全ての権威は天主に由来する」)も現実(「キリスト教王の統治する国家」)も破壊されてしまったので、あたらしい「権威」が必要となりました。
マルシリオ・デ・パドゥア(1275 - 1342)は、国家権力を教会の権威よりも上に立つと主張しましたが、この考えはマキャベリ(1469 - 1527)によって完成されます。つまり、マキャベリによると、まず権力を行使するのが先で、それを正当化するために次に理論を構築すると唱えたからです。
教義の原理や道徳的な責任が存在しない、権威の行使としての政治行動が優先するとされたのです。これが、民主主義の詭弁を隠す理論です。
Machiavelli: Photo Credit
【人間中心主義による民主主義の問題点】
人間中心主義は、自由を追求します。権威を振り払います。しかし、権威がなければ自由は保つことが出来ません。
人間は権威の束縛から解放されて自由となり、全ての人々が同じく自由気ままに好き勝手なことをしていたら、強い者・力のある者が勝ち、より大きな自由を楽しみ、弱い者・力の無いものは負けて自由を制限されるか奪われてしまうからです。言ってみれば、狼が羊たちを食べてしまうからです。
カトリック教会は、真理のみが自由がある、善を行う自由がある、と教えてきました。しかし、マキャベリ主義は、真理とか善とかを考慮しない、行動の絶対自由を追求するからです。マキャベリストによる、善悪はない、あるとすれば、自由を行うことが善である、です。
善という目的のための自由、善を行い、善を得るための手段である自由が、自由という究極目的にかなうならば善とされるようになります。自由を邪魔するものは悪だ、と。
ルソー(1712 - 1778)によれば、人間は自分の自由を守るために、結社する全員が自分で自分を統治する社会を作る、とします。社会の構成員が一つの共通の意志を持って、自由を維持するという目的をもって、自分で自分を統治する。権威は自分であって、個人個人の意志は、みんなの共通の意志である共同体を構成する、とします。
ルソーは皆の共通の意志・国民の総意である「一般意志」が、共同体を指導すべきだとします。
ところで、この国民の総意は、民主的な選挙と投票で表明されるとされます。選挙の結果として表れたものが国民の総意であるとされると、これに反対するものは、国民の総意に反するものだとされて、全く無効・間違いであるとされます。共同体は、選挙の結果に絶対的に従わなければなりません。共同体に主権があり、その共同体が決定し、共同体がその決定に従うとされるからです。ルソーによれば、国民の総意に反対するような投票は間違っていた、とされます。
つまり、たとえて言うならば、勝てば官軍負ければ賊軍です。結局は、言ってみれば、狼の自由がもっとも強いので、守られます。その時、全ての人々による統治というよりは、狼の統治です。
狼は羊を守りますが、狼自身の利益のためです。
羊は、羊飼いの権威から逃れて自由になろうとして、狼に投票します。そこで、羊飼いの代わりに、狼の支配を受け入れることになります。きっと自分だけは食べられてはしまわないだろう、と思いつつ。
そこで、民主主義には、三種類の態度があります。
●羊の皮を被った狼がいて、民主主義を使って羊の群れを支配しようとします。
●狼の歯を持った羊がいて、草を食べるのはもう飽きた、肉を食べたい、と自分の自由放埒を正当化しようと民主主義を信じようとします(マキャベリスト)。
●単純な羊がいて、真理を知るのを恐れて民主主義を信じようとします。
【第二バチカン公会議は、その人間中心主義により、民主主義的な教会になろうとする】
こうして、人間中心主義から、マルシリオ・デ・パドゥアや、マキャベリを経て、ルソーを通して、現代の民主主義の考えが生まれました。
第二バチカン公会議は、人間中心主義を採用する以上、今後、カトリック教会にも民主主義を適用させようとします。
愛する兄弟姉妹の皆様、
先日、新しい「福音宣教」という概念について指摘し、この方針の変化は第二バチカン公会議にその原因があることを指摘しました。
何故なら第二バチカン公会議の新しい教えは、新しい人間中心主義だからだと言及しました。
新しい宗教である民主教とは、別の言葉で言うと、人間の宗教 religion of Man であって、人民による・人民のための・人民の宗教 Religion of the people, by the peoople, for the people です。
人間中心主義の目的は、人間の尊厳の促進です。つまり、Ad maiorem hominis gloriam (人間のより大いなる栄光のために)です。
人間中心主義運動は、歴史的に、権威の拒否の運動として始まりました。
【国家とカトリック教会との分離の始まり:ダンテ】
人間中心主義が何をやったかというと、まず、世俗の秩序(政治の世界)で、政治権力と教会権力との関係を断ち切ります。国家とカトリック教会との分離です。国家と真の宗教との離婚です。
それまでは、カトリック教会は、国家と教会との協力と調和を訴えて実践してきました。ローマのコンスタンティノ皇帝に現れた啓示は、キリスト教の世界の実践となってきました。コンスタンティノ皇帝は空に十字架の印を見て In hoc signo vinces! という声を聞きます。「この印において勝て!」
政治秩序は、キリストの十字架の印を王の旗に付け、教会の権威に従い、剣を教会の奉仕のために使うことによってのみ、その敵に勝つ力を得ることが出来る。共和国だけの自然の力では、王国だけの内的な自然のちからでは、国を維持し続けることはできない、と。王は、権威を持って、臣下の信仰を促進させなければならない、と。国家は、真の宗教であるカトリック教会を守るべきである、と。
国民がイエズス・キリストに対する生き生きとしている信仰を持つ限り、キリストの代理者である教皇は、国家の上に権威を持ちます。王もそれを尊重しなければならなくなります。そして国民は信仰から王たるキリストの代理者として王を尊敬し、愛国心に燃えることでしょう。
しかし、人間中心主義の結果、カトリック教会の権威から逃れようとする理論が構築されました。その代表がマルシリオ・デ・パドゥア(Marsilio de Padua:1275 - 1342)です。マルシリオは、教会を政治秩序の権威の下に敷こうとする論を宣言しました。
ところで、神曲で有名なダンテ(Dante Alighieri : 1265 - 1321)は、良きカトリック信徒として政治の上に教会の権威があると主張しつつも、人間中心主義者として、政治と教会との両者を分離し、政治に宗教からの自律・独立を与えました。
ダンテの誤りは、世俗国家の目的が純粋に自然的な目的と同じである、としたことです。つまり世俗の国家は超自然と関係ないとしたことです。
確かに、キリスト教的な政治と教会との権威の区分けは、自然の秩序と超自然の秩序との区別にあります。たしかに、自然の秩序と超自然の秩序とが区別される、というところから出発しますが、しかし、だからといってただ単に「世俗国家=自然」「教会=超自然」と同一視することはできません。
例えば、理性的動物としての人間は、肉体と霊魂とに分けられますが、だからといって「肉体=動物」「霊魂=理性」だと同一視することは出来ません。何故なら、人間の肉体がただ単に動物的な目的だけのためにあるわけではないからです。人間の肉体は、理性のために、理性に奉仕するためにも存在しています。
政治も、単に、純粋に自然の秩序のためだけのものではありません。イエズス・キリストが回復させた超自然の秩序のために、超自然の秩序の奉仕のために、教会のために、高められる必要があります。
人間の永遠の命の救いのために、国家は、教会との協力して、調和良く、超自然の目的のために歩調を合わせる必要があります。
何故なら、個人としての人間も、人間の社会も、二つの究極の目的(自然の目的と超自然の目的)があるのではないからです。たった一つ、超自然の目的しかありません。永遠の命の為という目的です。
政治秩序の目的は、究極の目的ではなく、本質的に究極の目的に従属している、中間の目的です。究極の目的の達成ということは、教会の権威に直接に委ねられています。
ところがダンテは切り離せない物を切り離してしまおうとしました。生きている子供を半分に切って、自分の子供だと主張している二人の母親に与えようとしました。教会には恩寵と神学を、国家には自然と哲学を与えよ、と。
こうすることによって教皇の尊厳の体裁を保ちつつ、王には教皇からの自由を与えようとしました。国家は、教会とは独立して、哲学と理性だけで統治されている、神学も恩寵も不要だ、ただし、王は国民の道徳を向上させるために、教会を擁護すべきだ、と。これは、国家と教会との離婚の始まりでした。同じ屋根の下で生活しながらも、別々の部屋で眠る夫婦のようでした。
こうして14世紀から始まった離別運動は、16世紀にはルターによって教会の教える権威からの解放があり、これに続いて、プロテスタント運動の一般化によりキリスト教の王が教会の権威から離れようという運動が定着していきました。
17世紀にはデカルトが、方法的懐疑により、キリスト教神学の権威も捨て、異教のアリストテレス哲学の権威もかなぐり捨てました。
権威が無ければ、社会が成立しません。カトリック教会が維持して支えてきた権威の概念(「全ての権威は天主に由来する」)も現実(「キリスト教王の統治する国家」)も破壊されてしまったので、あたらしい「権威」が必要となりました。
マルシリオ・デ・パドゥア(1275 - 1342)は、国家権力を教会の権威よりも上に立つと主張しましたが、この考えはマキャベリ(1469 - 1527)によって完成されます。つまり、マキャベリによると、まず権力を行使するのが先で、それを正当化するために次に理論を構築すると唱えたからです。
教義の原理や道徳的な責任が存在しない、権威の行使としての政治行動が優先するとされたのです。これが、民主主義の詭弁を隠す理論です。
Machiavelli: Photo Credit
【人間中心主義による民主主義の問題点】
人間中心主義は、自由を追求します。権威を振り払います。しかし、権威がなければ自由は保つことが出来ません。
人間は権威の束縛から解放されて自由となり、全ての人々が同じく自由気ままに好き勝手なことをしていたら、強い者・力のある者が勝ち、より大きな自由を楽しみ、弱い者・力の無いものは負けて自由を制限されるか奪われてしまうからです。言ってみれば、狼が羊たちを食べてしまうからです。
カトリック教会は、真理のみが自由がある、善を行う自由がある、と教えてきました。しかし、マキャベリ主義は、真理とか善とかを考慮しない、行動の絶対自由を追求するからです。マキャベリストによる、善悪はない、あるとすれば、自由を行うことが善である、です。
善という目的のための自由、善を行い、善を得るための手段である自由が、自由という究極目的にかなうならば善とされるようになります。自由を邪魔するものは悪だ、と。
ルソー(1712 - 1778)によれば、人間は自分の自由を守るために、結社する全員が自分で自分を統治する社会を作る、とします。社会の構成員が一つの共通の意志を持って、自由を維持するという目的をもって、自分で自分を統治する。権威は自分であって、個人個人の意志は、みんなの共通の意志である共同体を構成する、とします。
ルソーは皆の共通の意志・国民の総意である「一般意志」が、共同体を指導すべきだとします。
ところで、この国民の総意は、民主的な選挙と投票で表明されるとされます。選挙の結果として表れたものが国民の総意であるとされると、これに反対するものは、国民の総意に反するものだとされて、全く無効・間違いであるとされます。共同体は、選挙の結果に絶対的に従わなければなりません。共同体に主権があり、その共同体が決定し、共同体がその決定に従うとされるからです。ルソーによれば、国民の総意に反対するような投票は間違っていた、とされます。
つまり、たとえて言うならば、勝てば官軍負ければ賊軍です。結局は、言ってみれば、狼の自由がもっとも強いので、守られます。その時、全ての人々による統治というよりは、狼の統治です。
狼は羊を守りますが、狼自身の利益のためです。
羊は、羊飼いの権威から逃れて自由になろうとして、狼に投票します。そこで、羊飼いの代わりに、狼の支配を受け入れることになります。きっと自分だけは食べられてはしまわないだろう、と思いつつ。
そこで、民主主義には、三種類の態度があります。
●羊の皮を被った狼がいて、民主主義を使って羊の群れを支配しようとします。
●狼の歯を持った羊がいて、草を食べるのはもう飽きた、肉を食べたい、と自分の自由放埒を正当化しようと民主主義を信じようとします(マキャベリスト)。
●単純な羊がいて、真理を知るのを恐れて民主主義を信じようとします。
【第二バチカン公会議は、その人間中心主義により、民主主義的な教会になろうとする】
こうして、人間中心主義から、マルシリオ・デ・パドゥアや、マキャベリを経て、ルソーを通して、現代の民主主義の考えが生まれました。
第二バチカン公会議は、人間中心主義を採用する以上、今後、カトリック教会にも民主主義を適用させようとします。