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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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マリア様の無原罪の御孕りの神秘を垣間見る:おおマリアよ、あなたは全く美しい!

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2019年12月8日(主日)聖母マリアの無原罪の御孕りの大祝日のミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年12月8日、聖母の無原罪の御孕りの大祝日、そして待降節の第二主日です。

今日、月の最初の主日のミサですので、いつものように御聖体降福式を行ないたいと思っています。今日午後には16時頃から、グレゴリオ聖歌による第二晩課がありますが、その前に14時半から、クリスマスに向けてそのミサの練習を、聖歌の練習をしたいと思っています。できれば与っていって下さい。

12月のミサの詳しい日程については、皆さんのお手元のインフォメーションの紙に書かれてありますので、どうぞそれをご参照下さい。

2つほど、お祈りのお願いがあります。

1つは、来たるクリスマスに、大阪で一人の若い女性の方が「マリア・フィロメナ」という霊名で、洗礼を受けようと今、一生懸命準備をしています。大阪の教会にも何年も通っている方です。良い洗礼の準備をして、洗礼の御恵みを受ける事ができるように、お祈り下さい。日本では、この方がもしも洗礼を受ければ、15名になります。今年はたくさんの洗礼の御恵みがあって、本当に感謝しております。

もう1つのお祈りのお願いは、待降節に非常にふさわしいニュースです。聖ピオ十世会の日本の最初の修道院が、東京に、来年の8月15日にオープンするという予定です。今から9ヶ月ほど待たなければなりません。その為に、これが本当に実現する事ができますように、皆さんのたくさんのお祈りを必要としています。

司祭が少なくとも2人常駐し、それでそれ以降は、この曙町会館では、毎週主日がある予定です。そしてその修道院では、毎日ミサがある予定です。どれほど多くの御恵みが日本に注がれるか、本当に思っただけでも感謝でいっぱいです。

サマース神父様は、このグランドオープンのセレモニーを9月6日に、9月の最初の主日に、聖ピオ十世教皇の祝日の荘厳ミサをする事によって、その感謝の記念を行ないたい、と決定されました。このグランドオープンが多くの方に祝福されて、多くの方の臨席の元で行なわれる事ができますようにと願っています。

皆さんの心からのお祈りを、9ヶ月の、待降節のその待つ期間を、皆さんにお願いしたします。来年それまでは、できるだけここで主日にミサがあるように、計画を今練っております。

“Tota pulchra es O Maria.”
おおマリアよ、あなたは全く美しい!

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今から約150年前、1854年12月8日、今日、ピオ九世教皇様が、天主から伝えられた啓示の一部として、そして使徒たちから伝えられた真理として、かつてないほどそれに対して不安が起こっているので、はっきりと私たちに、「マリア様の無原罪の御孕り」のドグマを、「全ての洗礼を受けたキリスト教信者が、これを信じなければならない、啓示の一部である」という事を宣言なさいました。

その4年後、それをあたかも確認するかのように、ルルドのマッサビエルの洞窟で、ベルナデッタという、聖ベルナデッタという女性に女の子に、聖母が現れて、御自分の名前を明かし、この無原罪の御孕りのドグマの真実を証明しました、「私は、無原罪の御孕りです」と。

ルルドの最初の御出現は、2月11日で、日本の建国記念日でもあり、マリア様の無原罪の御孕りと日本は、非常に深く繋がっております。

そこで今日この大祝日に、私たちがマリア様の無原罪の御孕りの神秘を垣間見る事は、その中にできれば深く入る事ができれば、何という喜びでしょうか。

そこで今日、3つの事を提案します。

⑴1つは、人間にとって一番大切な、人間を最も高貴なものとするものは何か?

⑵第2に、では「無原罪の御孕り」というのは一体何だったのか?

⑶第3に、私たちは今日、その無原罪の御孕りの大祝日に、どのような遷善の決心を取らなければならないかを黙想致しましょう。


⑴ある有名な文章の中に、「人間にとって一番素晴らしい事は、自由である。善と悪を選ぶ自由であって、そして人間が全世界を被造物を支配すれば、それだけ天主に栄光が与えられるだろう」と書かれていますが、カトリックの教えは、それとは別の事を言っています。

人間にとって一番最も高貴な要素、人間を最も崇高なものとするものというのは、「自由」ではありません。人間を最も崇高で、尊厳のあるものとするものは、「人間の分際で、被造物の分際であるにも関わらず、天主の命にまで、その高みにまで上げられた」というその事にあります。

人間がいわば、天主と一つになる事ができる。天主のようになる事ができる。天主の命を、天主の、創造主の、至福の喜びを、私たちも共にする事ができる。ここにこそ、人間の最も高い尊厳があります。そしてこの高みに、皆さんと私は呼ばれています。

この、どれほど「天主の命に参与する」という事が、ものすごい出来事であるか、この全被造物をはるかに超越する、超えるものであるか、という事を、私たちは考えても考えても、想像しても想像しても、それをし尽くす事ができません。私たちの身分が、天使・大天使・ケルビム・セラフィムをさらに超えて、唯一の絶対の創造主、天主、善のそのものと、その中に、それに与る、それに参与する、それを私たちが受ける、それと同等になる、一体どれほどの事でしょうか。

身分の卑しい奴隷が、天皇陛下の身分を取ったとしても、それはほんの影にすぎません。「被造物が、天主になる。」ここにこそ、人間の最高の尊厳があります。

この特別な賜物を、天主様は全人類に与えようと思いました。そこで最初の私たちの先祖アダムとエヴァに、この大切な賜物を、完全な創造の美しさと、義と、美の真理において、それをお与えになりました。

ところがアダムとエヴァは、私たちの先祖は何をしたかと言うと、それをゴミ箱に捨ててしまいました。それを足蹴にして、そしてその結果、アダムとエヴァ、そして私たちは、それを失ってしまいました。

ところが、この最も貴重な、「天主の命に与る」という、「天主の本性に与る」という、ものすごい、私たちのとても手の届かないような事を、「もう一度、私たちに与えよう」と思われました。

どのようにして?

「天主が人間となる」その事によって。私たちが今度祝う、クリスマスのその神秘もそうでした。

既にアダムとエヴァが罪を犯した時に、天主は人類にこう予言しました、「蛇よ、私は、お前と女の間に、敵対を置く。絶対和解のできない対立を置く。そしてお前の子孫と女の子孫のこの間にも対立を置く。敵対を置く。彼女はお前の頭を踏み砕くだろう。」

既に天主は、どのようにこの人類を救おうか、という事を見通しておられました。


⑵第2のポイントは、ではそれは一体、今日の祝日とどういう関係があるのでしょうか?

まさにこの原初の予言が、マリア様の無原罪の御孕りによって成就しました。天主はちょうど私たちの、畳を見るように上から見て、この一畳が全人類の歴史だとすると、人間の全ての行ないを見ていて、イエズス様の、天主の御子の十字架のいけにえ、その償いをはるかに見通して、それをマリア様に既に適用させたのです。

そしてマリア様はその御受胎の、マリア様がそのお母様聖アンナの胎内に存在を始めるその最初の瞬間から、一切の悪魔・サタン・罪の汚れの支配を逃れて、その反対に、天主の聖寵の充満、満ち溢れ、光の満ち溢れを受けて、とても綺麗に美しい状態で、存在をし始めました。

時々私たちが山に登って、富士山から日の出が昇った、とても日本晴れで綺麗だ、青い空と輝く太陽と、そして紅葉と、美しい紅葉と、あるいは透き通った湖と、あるいは南国のサンゴのあるような綺麗な、あるいは北海道のまりもが浮くような綺麗な湖、あるいは星々が輝く青空、綺麗に咲く桜並木のあるいは美しい花々に、私たちがそのような大自然の美しさ、天主様が創ったその業を見ると、「あぁ、なんと素晴らしい事か!」その感動して、もう目に涙が浮かぶほどの事です。

ところが、自然のどのような美しさも、マリア様の霊魂の美しさから比べれば、本当の塵のようです。太陽の燦然とした輝きも、マリア様の霊魂の美しさには、その最初の美しさから比べれば、全く暗闇のようです。

マリア様の無原罪の御孕りの瞬間、天使・大天使・ケルビム・セラフィム・全ての9つの天の階級は、どれほどこの天主の創造の御業の美しさに、素晴らしさに、讃美と、感嘆と、脱魂のような、えも言えない感動をした事でしょうか。

旧約聖書には、あまりにも多くのマリア様を意味する表現があります、「あぁ、私の小鳩よ、さぁ私においで。」「私の愛する者よ、汚れの無い者よ、おぉ、あなたは全く美しい。」あるいはその他ゲデオンの皮衣、契約の櫃、全て、マリア様がどのようなものであるか、罪の無いものであるかを予言しておりました。

大天主聖ガブリエルもマリア様に仰います、「聖寵充ち満てる方よ、あなたに挨拶致します。」「めでたし、聖寵充ち満てるマリア。主、御身と共に在す。御身は女の内にて祝せられ給う。」

マリア様はその最初の瞬間から、天主のその霊魂の清さをますますいや増して、保っておられました。

では、このマリア様の生活はどのようだったでしょうか?

マリア様の生活は、だからといって辛い事がなかった、あるいは全てうまくいった、ではありませんでした。貧しさ、十字架、悪口、困難、迫害、誤解など、どれほど苦しい目に遭われたでしょうか。一体、罪の無い、その天主の御母に対して、なぜここまで?
マリア様はそれを受けながら、天主を愛する為に、それを忍耐しておられました。


⑶マリア様のこの無原罪の御孕りにおいて、では私たちはどのような決心を立てれば良いでしょうか?

第一に、是非、「私たちにもとてつもない御恵みが、私たちを最も高貴なものとする事ができる、聖寵の御恵みが与えられている」という事を知って下さい。私たちにとって最も大切なものです。天主の命。私たちは天主の本性に与るものとなっています。

罪によってこれを失ってしまう事ができます。マリア様はどのような事があっても、これを守り通しました。最初の瞬間から終わりまで、被昇天に至るまで。

ですから是非、今日マリア様にお祈り致しましょう。マリア様に倣って、この罪の汚れの無さ、最も大切なものを、私たちが守る事ができますように。

第二にそして最後に、マリア様の無原罪の御孕りは、ただマリア様のものだけではありませんでした。いえ、三位一体は、このマリア様を私たちに母親として、しかも優しい、理解のある、憐れみ深い私たちのお母さんとして、私たちに与える為に、このように、悪魔と一切関係のない、綺麗な、美しい、力のある方を下さいました。その為にこそ、この無原罪の御孕りがあります。

「マリア様という方が、私たちの母親である」という事を、ぜひ皆さん理解なさって下さい。私たちの母は、皇后陛下でも、あるいは全世界の帝王のお母様よりも、はるかに身分の高い方です。

「天主の御母」「無原罪の御孕り」こそが、私たちの母として与えられて、私たちの為にいつも祈っておられる、という事をぜひ今日知って下さい。

どのように辛い事があったとしても、悲しい事があったとしても、私たちには、「無原罪の御孕り」が母としていらっしゃいます。

“Tota pulchra es O Maria.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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