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地獄について:ブノワ・ワリエ神父様 2020年の御公現後第三主日の説教

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2020年1月26日東京、大阪 御公現後第三主日の説教―地獄について

聖ピオ十世会 ブノワ・ワリエ神父

愛する兄弟の皆さん、

先ほど本日の福音と書簡で聞いたことは次の通りです。

「国の子らは外の闇に投げ出され、そこで泣いて歯ぎしりするだろう」(福音:マテオ8章12節)

「復讐は私がする!」(書簡:ローマ12章19節)

聖パウロによるヘブライ人への次の言葉もあります。

「生ける天主の御手に落ちるのは恐ろしいことである」(ヘブライ10章31節)

地獄での痛みとは、本質的かつ永遠に天主を失うことであり、また感覚によって責めさいなまれる苦しみです。

I.天主を失うこと

罪とは、天主を軽んじることです。「彼らは私に逆らった」(イザヤ1章2節)

1.天主と共にいることのできる喜び、および天主の特別な御摂理をはく奪されること

 ◆審判のとき、地獄の宣告を受けた者は、天主の本性についての特別な照らしを受け、次のようにさとるのです。私は天主のためにつくられたのだった!・・・

◆そのあと、彼は天主から無理やり引き離されることになるのです。

「のどの渇いた者が、手足を縛られて、千年にもわたって、とてもおいしい飲み物の入った大きな飲み物の器が目の前にありながら、それに口をつけることができず、一滴さえも味わえないという拷問はどのようなものでしょうか?」(聖アントニオ・マリア・クラレトから引用)

◆天主の気遣い、照らし、励ましはどうでしょうか? ・・・天主はもはや彼を気に掛けてくださいません。

「霊魂は、もういかなる善も行えないようになります。想像の中に出てくる恐ろしい亡霊以外の何者でもありません。心の中は、最も深い苦悩で満たされます。意志は、怒りや狂気、失望で永遠にかき乱されます。記憶は、最も痛々しい思い出に、永遠に悲しみを感じるままとなります。その霊魂がどちらを向いても、混乱と苦みを見るのです」(聖アントニオ・マリア・クラレト)

 

2.天主を究極の悪として認識すること―天主の御怒り

究極の善としての天主を失う者は、天主を究極の悪と考えるようになります。

◆激しく御怒りになり、報復のために常に武装され、永遠に彼を苦しめて追及し続けるという天主の存在から逃れる方法はありません。

◆地獄に落ちた者の最大の望みは、死ぬことです。

「人々は死を求めても、見いださず、死を望んでも、死は彼らから逃げるであろう」(黙示録9章6節)

 

3.永遠に後悔すること―私たち自身の良心が私たちの審判者となる

霊魂には、自分が有罪であることと、自分の受ける永遠の不幸に対して自分以外には責めるものが誰もいないということが、次のようにはっきりと分かります。天主は私に本当に多くの恩寵を与えてくださった。私が永遠に滅びるとしたら、それは私の過ちのせいである。

 

II.天主の友を失うこと

天主を失うということに加えて、天主の友をも失うこと

1.童貞聖マリア、諸聖人、守護の天使、救われた私たちの友人たちや親せきたち

2.彼らは天主の正義に満足します

「正しい人は復讐を見て喜ぶ」(詩篇57章11節)

彼らは、私たちの側ではなく、天主の側につくのです。

 

III.感覚による痛み―悪魔の餌食

最もよく知られる痛みは火によるものです。火山の激しい熱を見れば、地獄の永遠の苦しみがどのようなものであるか、ほんの少しだけわかることでしょう…

しかし、これに加えて、悪魔は地獄に落ちた者を、自分の望み通り、好きなように拷問にかけることができます。なぜなら、天主は引き下がられ、地獄に落ちた人は悪魔の専制支配のもとに置かれたままとなるからです。

ここ地上で私たちの聞いたことのある最も残虐な行為や拷問は、そのすべてを合わせても、実際の地獄をわずかに反映したものに過ぎないのです。

皆さんは閉所恐怖症ですか? その恐ろしい感覚が永遠に続くことを想像してください。

 

結論

地獄に関する聖パウロの明確な教えが、テサロニケ人への後の書簡にあります。

「主イエズスがその能力の天使たちとともに天からくだり、炎の中で、天主を知らぬ人々と主イエズスの福音に服従せぬ人々に仇を討たれるとき、その人々は、主のみ顔とその力の光栄から遠ざけられ永遠の滅びの罰を受けるであろう」(テサロニケ後書1章7-9節)

聖パウロは、地獄には感覚による痛み(火)と、天主を失ったことによる心の痛みがある、と明確に強調しています。

このことは、私たちの信仰の教義です。

・ですから、ここまで引用した筆者たちが地獄のことを大げさに述べていると思いたい誘惑に私たちがかられるときは、地獄は特に罰のためにつくられた場所だということを、ただ思い起こしましょう。永遠に続くグアンタナモ収容所のようなものです。

・地獄では、拷問は合法なのです。


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