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聖ピオ十世会 2020年1月26日主日 聖伝のミサの報告 Traditional Latin Mass SSPX Japan

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アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様!
遅れてしましたが、聖ピオ十世会 2020年1月26日主日の聖伝のミサの報告をご紹介いたします。
【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日はフィリピンからブノワ・ワイエ神父が来て御公現後第三主日のミサを捧げて下さいました。

御説教では今日の福音と書簡に出てくる地獄について、まずそれが天主を失うことであり、また聖母マリアや聖人達を含む天主の友をも失うことであり、さらには感覚への恐ろしい痛みを与える物であることを、聖アントニオ・マリア
・クラレトの引用などを通して詳しく説明して頂きました。

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 19人(内、子供4人)
女: 23人(内、子供3人)
計: 42人(内、子供7人)

【報告】アヴェ・マリア・インマクラータ!

今日の御ミサで感じましたことを送らせていただきます。
今日は ワリエ神父様が地獄のことについてお説教をしてくださいました。

友人は「今日のお説教はとても怖いと思った」と話していました。
私は このひどい人間の私のために長いこと祈ってくださった恩人の言葉を思い出していました。御存命なら九十歳を超えていらっしゃるに違いない年齢と思うその方がおっしゃるには、以前はカトリック教会では地獄がどれほど恐ろしい所かということを地獄の絵図を示されて、しっかりと教え込まれていたということです。それが解っているのでカトリック信仰を捨てるとか背くなどということは とても考えられないことだったようです。

それで自分だけでなく、周りの人も、地獄に行かないようにと愛徳の心からとても一生懸命にお祈りしてくださっていたのだと思いました。

ワリエ神父様は 地獄とは永遠に天主を失うことであると教えてくださいました。
天主とともに居ることを 私はどれほどいつも真剣に望み どれほどいつも天主を心に追い求めているでしょうか。天主とともに歩むことこそ カトリック信者の求める理想の生き方だと私はある日気づかされました。そのことをちゃんと実行することはなかなかできないです。いつも この世のことに心を引かれたまま熱中してしまい、天主のもとにまた戻ることを忘れてしまいます。

この世に住むということは この天主とともに歩むこと。天主の御顔を仰ぎ見ること、天主を見奉る喜びというものと違うものだと思います。それは 地獄ではないけれど、そのままだと地獄に直行することになるのだと 今日のお説教を聞いて思いました。この世に住みながらも、絶えず心の中では天主をお愛し申し上げることが出来ますようにと思います。ちゃんとした内的生活をすることが出来ますようにと思います。
カトリックの教えでは、今日ワリエ神父様が話してくださいましたが、私たちは天主のために創られたのだということです。このことは本当に神秘であると思います。

私は、葡萄畑のブドウがすっぱいので、葡萄畑の持ち主が怒ったという話を思いだします。あるいは、怒った葡萄畑の持ち主は よいブドウの実だけをより分けて、すっぱいブドウの実をつける樹は集めて燃やしてしまうことにしたという話を読んだ覚えがあります。それがきっと地獄のことなのかなと思いだしました。

天主を愛し申し上げるということは 私というブドウの実が甘く熟するようになるということだと ある日聖書のどこかを読んでいて 感じたことがあります。

このブドウが イエズス様という葡萄の樹に接ぎ木されてつながっていれば、イエズス様からの樹液が流れてきて すっぱいブドウしか生らせない葡萄の樹だったものも甘いブドウの実を生らせることができるようになれるということもどこかで読んだように思います。

この世の価値判断は天主の国のそれとは逆になっているので、そのままだと地獄の状態につながり天主を失うことである「天主を軽んじる」状態で生きることになるのでしょう。カトリック教会しか 人間がなぜ何のために創られたかを教えてくれるものはないと思います。本当のカトリック教会では 今日のお説教のお話のように ちゃんと教えてくださるのだと思いました。ワリエ神父様 ありがとうございました。
誰も死がいつやってくるかわからないのに、「天主を軽んじる」ままに生活していたら、幕が下りた時にどれほど苦しまなければならないかを今日教えていただくことが出来ました。火に焼かれるような苦しみのことを具体的にお話しいただいたので、思い出してしっかりと考えてみようと思います。
そして、いつも天主を軽んじるほうが多い自分の生活をもっとまじめに反省して 天主に心を向けなおすことを絶えず努力したいと思います。
いろいろなことで大変な時勢の今です、マニラから日本に来てくださり、御ミサを捧げてくださいまして本当にありがとうございます。

【報告】【大阪】1月26日御公現後第三主日のミサには21人、
1月26日聖クリゾストモのミサには10人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

主日のミサでは地獄について黙想しました。天主様から永遠に離れて永遠の苦しみと永遠の悲しみを受ける霊魂。永遠という言葉の恐ろしさをお説教を聞きながら感じました。ファチマの子供達が地獄のビジョンを見た後、罪人の改心の為に自分達の出来る犠牲を精一杯捧げた事を思いだして、自分ももっと何かしないといけないと思いました。







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