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どれほどイエズス様、三位一体、マリア様にとって、祈りと犠牲が価値があるか: 祈りと犠牲こそが、平和と悪の解決策を与えてくれる

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2020年2月7日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2020年2月7日、2月の初金曜日で、イエズス様の聖心のミサをしています。

今日このミサの直後に聖時間があります。イエズス様の聖心をお慰めする為に1時間、どうぞ御聖体の前で礼拝して下さい。

今日このミサで、イエズス様の為に捧げる「祈り」、この「聖時間」、この「犠牲」、「ミサ」がどれほど価値があるか、という事を一緒に黙想したいと思っています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日まず、「イエズス様の目にとって最も価値があるのは、私たちが通常目に見て価値があると思っているようなものとは、全く違う」という事を、ますます今回改めて確認したいと思っています。

有名なドン・ショタールという方が、『使徒職の秘訣』という本を書きました。それは昔は古典であって、聖ピオ十世教皇様も、この本の事を非常に強く勧めていて、「聖ピオ十世会の神学生は、この本を必ず読まなければならない」という本です。

そのドン・ショタールの『使徒職の秘訣』の中には、こんな一節があります。
それによると、「もしも霊魂が回心するならば、異教徒が信仰を持つようになるならば、あるいは殉教者が、その命を捧げても、血を流しても、そのそれを耐え忍ぶ事ができるならば、あるいはもしも宣教師たちの言葉を聞いて、多くの人たちが生活を改めるならば、これは実は、その陰に、多くの修道者たちが、修道院の中で祈りと犠牲を捧げていた、そのおかげのみによる」と。

あるいはドン・ショタールは、別の色々な使徒たちの引用をします。
例えば、北京で働いていたファビエ大司教の話によれば、「彼は、『中国人の回心の為に、20人中国中を駆け回る宣教師たちよりも、更にもっとたった10人でもいいので、修道院の中に閉じこもって、お祈りと犠牲を捧げるような霊魂たちが欲しい。そのトラピストが私たちの教区に来てもらいたい。もしもそのような人たちがいれば、どんな仕事をするよりは、ただ祈りと犠牲のみに専念してもらいたい。そうした方が、他の何十人の使徒たちの働き、労働よりも、もっと価値がある』と言っている」等の言葉を引用をしていました。

つい最近私は、エクアドルのキトという所に巡礼に行きました。そのエクアドルという国は昔は無かったのですけれども、スペイン人たちが、南米に「キト」というそういう町を作るのですけれども、そのような町を作ると、スペイン人たちがまず送ったのは、軍隊ではなかったのです。

その町を創立したと同時に、一番必要だと思ったのが、「修道院」でした。特に観想修道院でした。ドミニコ会、フランシスコ会、アウグスチノ会、無原罪の御孕りの会、あるいはそのような何百人というシスター、あるいは修道士たちがやって来て、そして修道院の中でお祈りをしていた。

そしてその為に、その町は非常に守られて、祝福を受けて、多くのインディオたちが回心して、そして平和に仲良く暮らしていました。

正確な数は私は歴史学者ではないので知らないのですけれども、スペイン王国が植民地、中南米やフィリピンや、あるいはその統治の為に送った軍隊の数は、もうたったほんのわずかで、100人に行くか行かないかでした。その反対に、何千という修道者たちが、エリートの霊魂が送られて、そしてそれによって、スペインという大きな国のもとに一つに集まっていました。

考えてみれば、本当に不思議な事だと思います。朝鮮半島では昔、高麗という国が中国に対して軍隊を送った事があります。ところが高麗の軍隊として送られた武将李成桂が、中国に行こうとして踵を返して、やっぱり自分の国まで帰って来て、そして自分の王様を倒して、そして自分が王様になってしまいました。そして李氏朝鮮というのを作りました。

ところで、スペインから行った小さな船の数十人のスペイン人たちが、南アメリカの金銀宝石をだけを求めていったのだとしたら、それを自分のものにして、スペインの王様を無視して、「俺が王様だ!」と言う事もできたはずだったのです。

けれども、それは全くありませんでした。皆そのようなものはスペインの王様に送られて、あるいは教会を飾る為に作られて、そして全てイエズス、王たるイエズス・キリストの元に一つになっていた、本当に不思議な話です。

でもこれは不思議な話ではありません。それを証明するかのように、今回私が巡礼に行った「善き出来事の聖母」というマリア様が、今から400年ぐらい前に、無原罪の御孕りの創立者の一人である、マザーマリアナという修道女に、色々な秘密を語っています。

その内の一つがやはり、「どれほど天主三位一体にとって、あるいはイエズス様の聖心にとって、『修道生活、祈りと犠牲の生活』というのがどれほど価値があるか」という事でした。

「もしもそのような修道院が無いとしたら、それはこの地上にとって最も不幸な事だ。この生きる人間たちは、その修道院の、その天主に捧げられた霊魂たちの価値を知らない。」

「もしも私たちが肉体的な、あるいは道徳的な悪に対する解決策を求めているとしたら、それはこの修道院に解決がある。もしも霊魂の救いがあるとしたら、罪人が回心をするとしたら、あるいは災害が起こらないとしたら、あるいは大地が食べ物を産物として出すなら、あるいは豊かな豊作があるとしたら、あるいは疫病が無いとしたら、あるいは戦争が終わるとしたら、あるいは人々が皆平和に調和を以て国々が生活するとしたら、これは全部、修道院や、あるいは観想修道会の、その祈りと犠牲の実りによる。」

「もしもこのようなものが無かったら、もしも霊魂が、天主様に捧げられた霊魂が、祈り、犠牲を捧げていなかったら、この地上は、大混乱と、戦争と、飢餓と、疫病と、苦しみに悶えるだろう」と仰っています。

ところで、特にこの善き出来事の聖母は、20世紀の私たちの為に予言をされました。
この先ほど申し上げました、マザーマリアナという方は、「20世紀には、信仰が失われるだろう。信仰の光が消しかかられるだろう。」

そこでその為に、特別にマザーマリアナが祈りと犠牲を捧げて、死ぬような苦しみを受ける事を望まれました。そしてこの彼女は、20世紀の教会の為に、私たちの為に、特別の苦しみと犠牲を捧げた方でした。

「20世紀には、特に3つのものがある」と予言しました。それが、「異端」と、それから「冒瀆」と、そして「不潔」です。

「この為に霊魂は、子供たちも、その罪の無い状態を失ってしまい、そして道徳は腐敗し、信仰は異端によって、信仰の光はかき消されてしまうだろう。そして霊魂を司牧する牧者たちもそれを蔑ろにしてしまい、あるいは司祭はお金を追求するし、そして本当ならば財産を持っている人たちは、霊魂の救霊の為に、あるいは教会の為に使うべきところを、無関心であるし、そして天主に捧げられた霊魂は、祈りと犠牲をするべきところが、それを怠るようになる。そしてそのように守る修道院たちの数は、非常に少なくなってしまう。忠実な霊魂たちは少なくなってしまう」等と予言しておられました。

しかし、皆さんもご存知の通り、善き出来事の聖母は、「しかし、天主の御憐れみによって、教会の聖性を、特に司祭の聖性を復興させる、偉大な高位聖職者が与えられる」と、そして「この高位聖職者は、父親のような愛を以て、司祭の特に聖性を守るように努力する」と。

今回私の提案するのは、どれほどイエズス様の目にとって、三位一体にとって、マリア様にとって、どれほど祈りと犠牲が価値があるかという事、そして祈りと犠牲こそが、私たちの世界に平和と、本当の意味での全ての悪の解決策を与えてくれるもので、その為に捧げられた霊魂たちが特に必要だ、ということです。

今は残念ながら、そのような霊魂たちが非常に少なくなっている、砂漠のような時代であります。ですからおかしな疫病が世界中に広まったり、あるいはおかしな天候があるとか、あるいは地震がどこ各地もあって、火山が噴火する等という事があっても、驚くべき事ではないかもしれません。なぜかというと、祈る霊魂が、捧げられるミサが、どんどん少なくなっているからです。

ですから今日は、この世界の平和の為にも、霊魂の回心の為にも、そしてまた私たちの愛する兄弟姉妹、家族の方々の為にも、今日このミサと御聖体降福式を、聖時間をお捧げ致しましょう。

イエズス様はそのような私たちを御覧になって、どれほど御喜びになる事でしょうか。その愛の眼差しを以て、ますます私たちに御恵みと、特別の祝福を与えて、それを喜びとされるに違いありません。私たちの祖国や世界中に、この御恵みが広がりますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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