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The Oblates of the Priestly Society of St Pius X 聖ピオ十世奉献修道女

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会には、「聖ピオ十世奉献修道女」たちが含まれています。先日ご紹介した聖ピオ十世修道女会(Sisters of the Society of Saint Pius X)は、創立者を同じくするけれども、聖ピオ十世会とは別の修道会です。聖ピオ十世会の総長と、聖ピオ十世修道女会の総長(Mother General)とは別の方です。この二つの修道会は、ちょうど兄弟姉妹のような関係です。
 しかし、今回ご紹介する「聖ピオ十世奉献修道女」は、聖ピオ十世会の一部をなしています。
 元々は、すでに修道女であり、修道生活をしてきたシスターの方々が、聖伝のミサのもとで修道生活を送ることが出来るように、ルフェーブル大司教様に助けを求めて来たことに由来します。
 この記事を日本語に訳して下さった方に心から感謝します。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

女子修道会 第十九章

The Oblates of the Priestly Society of St Pius X
聖ピオ十世奉献修道女


オブレートとはどういう意味でしょうか?

 ラテン語の動詞「offere」に由来し、「捧げる」という意味です。「Oblatus, oblata」は捧げられたもののことであり、これを奉献といいます。

 「オブレート」という言葉は直接的には贈り物、捧げもの、生贄という考えを表しています。私たちがここで使う「オブレート」という言葉は、生贄を捧げるシスターのことです。厳密に言えば、「シスター」という言葉は通常、誓願を立てた者のことを言います。オブレートとは誓願を立てることなく自分自身をお捧げした者のことです。この言葉を文字通りに見てみるなら、「オブレート」はより生贄の側面を強調している一方で、「シスター」はもっと兄弟的愛徳に関係する言葉です。



 旧約聖書では「oblates」や「oblations」に何度も言及されています。これらは天主に捧げられたものでした。生贄であり、生贄にされた物体、生贄とされた犠牲者のことでした。「生贄」という言葉は行為へともっと注意を向けており、「捧げもの」という言葉は、捧げられたものへと、より注意を向けています。

 従って「oblate」という言葉は非常に美しい言葉であり、多くの事物を指し、天主へと自分自身を与える人生にとっての課程となる言葉です。これは、絶え間なく与えるという行為にある霊魂の状態である、と言えるでしょう。

入会、志願期、修練期、養成

 聖ピオ十世会は、厳密な教会法上の言葉の意味では、無誓願の共同生活を送る会であり、全会員は清貧、貞潔、従順の三つの福音的勧告を実践するよう努力しています。奉献修道女(オブレート)も同じく無誓願の共同生活を送り、聖ピオ十世会の司祭たちのように、会への誓約(engagement)を立てます。ですが、個人的に、あるいは霊的指導司祭の同意を得て、私的誓願を立てることもあります。

 多くの修道会にあるような、入会に際しての年齢制限はありません。奉献修道女会は、かつて所属していた会が第二バチカン公会議の改革によって破壊されつつある、あるいは破壊されてしまったことにもはや耐えられない修道女たちをも受け入れています。このような修道女たちは、一年間の見習い期間ののちに入会が認められます。



 修道生活を送ったことがない人々のためには、一年間の志願期があり、その後、着衣式を経て一年間の修練期に入ります。この二年の養成期間ののちに、奉献修道女は聖ピオ十世会でみずからを奉献する許可を願います。



 この二年間の間に、奉献女は祈りや手仕事に加えて、霊性、教会史、聖書、教義、公教要理、典礼やラテン語などのさまざまな科目の授業に出席します。霊魂を豊かにするための霊的講話も同様です。

歴史、発展

 ルフェーブル大司教様による一九七四年の創立以来、奉献修道女たちは今や五十名という予想以上の会員を得ています。二つの修練院があります。一つはフランス語圏の召命のためにスイス南部のヴァレー州サルヴァンに、もう一つはアメリカ、コネチカットにあります。



奉献女の霊性

 奉献女の霊性は、天主にすべてを捧げつつ十字架のみ足元に立たれた共贖者なる聖母に一致することです。この称号をいただく聖母は奉献女の保護者です。教父たちは、「婦人よ、あなたの子だ」という聖主のみことばにより、聖母は新しい使命を受け取ったのなら、「子よ、あなたの母だ」というみことばで、聖ヨハネは人類を表していると教えています。聖母の慎ましい生活と使徒的生活により、彼女はすべての者の母、とりわけおん子の司祭たちの母となられました。聖母の祈り、謙遜、単純さ、そして従順によって、奉献修道女たちはみずからの模範である共贖者なる聖母にならおうと努め、こうしてみずからの召命をまっとうするのです。



 次の言葉は、ルフェーブル大司教様が会則における奉献女の霊性をどのように説明しておられるかを示しています。「霊的生活は天主に捧げられた者たちの存在理由です。あたかも、一人一人の霊魂が主イエズス・キリストのおん血で洗われるかのようにです。マリアを通してイエズスの生命を生きながら、ミサ聖祭と秘跡による恩寵のうちに成長しながら、典礼と個人的祈りによる、イエズスとマリアに一致したすべての思いと仕事による、これこそがまことの奉献修道女の霊性です」



「奉献修道女は、霊的生活の意向として、共同受難の観想と、十字架上のイエズスのおん悲しみと保護者である共贖者なる聖母の似姿を付け加える。また、霊魂の贖いのため、司祭たちの聖化のため、みずからの聖化のために祈りを捧げる」(会則、point C, paragraphs 1, 2 and 3)



使徒職

 天主の花園には多くの花々があり、それぞれが独自の美しさと目的、天主の栄光を称える独特のやり方を持っています。観想修道会は、小さき群れのために祈っている聖にして母なる教会の燃料です。教育修道会は青少年の霊魂を養い、半観想修道会にはさまざまな使徒職があります。活動修道会は病人や貧しい人々の世話をします。では、奉献女のそれはどういうものでしょうか? 彼女たちの務めは何でしょうか?



 奉献修道女は、ちょうど聖ヨハネや使徒たちとともにおられた聖母のように、さまざまな方法で司祭たちを助けます。私たちのいるこのような困難な時代にあって攻撃されているものは聖なる司祭職と聖なるミサであり、奉献女が必要とされているのは、本質的にここなのです。まことの司祭職が存在しないなら、まことのミサもあり得ません。ですから、奉献女の召命がどれほど重要であるかは、言うまでもありません。

 奉献修道女の主な目的は、「すべてをキリストにおいて復興させる」という司祭たちの仕事を助けることです。



 このようにして、奉献修道女は、なによりもまず、最も重要な祈りによって支援します。祈りは霊的生活の基礎だからです。また、高齢者や病人たちの世話をするという愛徳のわざによっても支援します。学校で教えることで、黙想の家で働くことでも支援します。



 台所からタイプライターまで、香部屋から裁縫室まで、このような慎ましい仕事をすることでみずからをお捧げし、奉献女たちは霊魂たちを救う務めにある司祭たちを支え、司祭たちがその義務にいっそうみずからを捧げるために、日常の雑務から彼らを解放しているのです。



Novice Mistress
Noviciat Ste Thérèse
1922 Salvan (VS)
Switzerland

Telephone No. +41 27 761 2128



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