苦しみの玄義 第1玄義黙想 2020年3月7日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 小野田神父
『苦しみの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、罪を痛悔する恵みを乞い願わん。』
御聖体の内に真に在し給うイエズス様の聖心の御前で、初土の信心として、15分間、ロザリオの玄義を黙想致しましょう。
今日、3月の初土曜日の信心では、イエズス様がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給う、というこの苦しみの第1玄義を黙想する事を提案します。
イエズス様は公生活の最初に、40日間、祈りと断食、苦業の生活に入られました。これは、イエズス様の為ではなく、私たちの為でした。私たちの罪の償いを代わって、私たちに代わって、進んで、断食と、苦業と、祈りを以て、私たちの為に捧げて下さいました。
イエズス様は御受難の直前に、ゲッセマニの園にて、やはり同じく、祈りを捧げられます。イエズス様の苦しみはあまりにもひどく、その汗は血が滲む汗でした。
なぜこれほどまで苦しまれたかというと、罪のその醜さ、天主の清い最も聖なる御目から見る罪の厭わしさ、その毒々しさ、その醜さ、おどろおどろしいその罪の醜さは、あまりにも酷く、イエズス様はそれを見て、非常に苦しみます。
天主から愛された人類が、天主の愛に逆らって、被造物を愛し、天主の無限の愛を捨ててしまう。天主を憎むまで、自分の欲望に愛着してしまう。
イエズス様のその苦しみは特に、主から愛を受けた、主の子供となった、洗礼を受けた信徒たちの罪、あるいは主に奉献された人々の罪によって、更に大きくなります。
たった一つの大罪でも、イエズス様を死に至らしめるような大きな苦しみを与えます。たった一つの大罪でも、その持っている無限の極悪さ、邪悪さは、イエズス様を殺させてしまう、死に至らせるまで苦しめてしまうほどです。
ゲッセマニの園にて、天主の特別の摂理によって、アダムとエヴァの最初の罪から、何千年に渡る全人類の全ての大罪、小罪、諸々の罪を、イエズス様は一人でそれを受けられます。異教徒の罪、旧約時代の選ばれたユダヤ民族の罪、キリスト教の信徒の罪、聖職者の罪。
その苦しさのあまりイエズス様は、三人の弟子たちに近くに来て祈るようにお願いします。しかし、イエズス様が助けを求めて彼らの元に行ってみると、その三人は眠りこけていました。主の御変容を見た、その三人でした。
それと同時にイエズス様は、イエズス様の為に犠牲や償いを捧げる、小さな霊魂たちも御覧になります。マリア様の霊魂、あるいはイエズス様を慕って祈りと犠牲を捧げる霊魂たち、御聖体の前で礼拝し、初土の信心を行なう霊魂たち、世界中にいるそのような全時代の霊魂の祈りと犠牲を見て、償いを見て、イエズス様はえも言われない喜びと慰めを受けられます。
イエズスの至聖なる聖心、かつて私も、御身の聖心をひどく悲しませた、価値のない霊魂ではありますが、どうぞ今、私の捧げるこの拙い祈りと、償いのいけにえと、礼拝を、憐れんで顧みて下さい。
イエズス様を悲しませる事のないように、むしろ拙いながら、イエズス様をお慰めする事ができますように、マリア様に倣う事ができますように、御力を乞い求め、この御聖体礼拝を御捧げいたします。この15分の黙想を御捧げします。真の罪の痛悔の御恵みをお与え下さい。