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聖ピオ十世会の修道女たち──ルフェーブル大司教の霊的娘たち

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Alma Redemptoris Mater, peccatorum miserere!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会の修道女会について更に「聖ピオ十世会の修道女たち──ルフェーブル大司教の霊的娘たち」という記事をご紹介します。

 私たちの主イエズス・キリストの良き御降誕をお迎え下さい。12月25日には、大阪で聖伝のミサがあります。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

SSPX Sisters: Daughters of Archbishop Lefebvre
聖ピオ十世会の修道女たち──ルフェーブル大司教の霊的娘たち



二〇一一年五月十九日

 ご復活から八日目の日曜日(またの名を白衣の主日)の五月一日、聖ピオ十世修道女会は新修練女たちと彼女たちの誓願、そして誓願の更新のための毎年恒例の祭式を催しました。ミシガン州ブラワーヴィル(Browerville)にあるイエズスの聖心修練院での、このすばらしいイベントに先立って、アメリカ管区長ロスタン(Arnaud Rostand)神父様主宰の黙想会がありました。管区長様はそれに続く誓願式と祭式──特集記事として何枚か写真を載せておきます──をも司式してくださいました。



 同様の祭式が、フランス、リュフェック(Rufflec(Charente))にある修道女たちのサン・ミシェル・アン・ブレン(St. Michel-en-Brenne)本部修道院付属の、先日修復された中世風の美しい教会で、アルフォンソ・デ・ガラレタ司教様司式による壮麗な司教荘厳ミサとともに催されました。

 今年はまた、カンザス州セントメリーにあるセントメリー・カレッジとアカデミーに聖ピオ十世修道女会が到着して三十周年を記念しています。修道女たちはここで最も密接に関係した使徒職を実践しています。さらにその後、五十周年のお祝いを迎えることになるはずですが、さしあたって、世界中にさまざまな修道会の姿が広がっているのと同じように、聖ピオ十世修道女会の歴史、目的、生活を簡単にご紹介します。


"Tradidi quod et accepi──私は受け取ったものを伝えた"

 聖パウロのこの言葉を繰り返しながら、ルフェーブル大司教様はローマ・カトリック教会への忠誠を宣言することを望まれました。大司教様は、ミサと聖伝のためのご自分の戦いは、ご自分一人だけの十字軍でもなく、ご自分だけが説いてきた教義でもないということを明確にしていました。それどころか、天主の権利、霊魂、真理──信仰──こそが大司教様の関心でした。大司教様が伝えたものを受け取りながら、私たちは教会が守護者となっている光り輝く宝石のような教義の豊かさと聖性とに、本当に驚嘆しています。天主の用意された道に完全に歩みを合わせた一人の人物は、修道生活というとうとい宝をもその中に含ませていました。聖ピオ十世修道女会です。この会はルフェーブル大司教様によって創立された唯一の修道会ではありませんが、本会の呼称が暗示するように、司祭兄弟会の「姉妹会」を暗示しており、霊性と目的において対を成しています。

始まり

 一九七〇年、シャリエール司教は正式に聖ピオ十世司祭兄弟会の会則を承認しました。そこにルフェーブル大司教様が未来の修道女会について述べているのを読むことができます。しかしながら、この願望は三年近くの間、書面上にあるままでした。何が欠けていたのでしょうか? 修道女たちです! ですが、何事にもしかるべき時というものがあるのです!

 この三年の間、司祭たちと秘跡を求める声が世界中から上がっていました。結果として大司教様は息つく暇もないほど世界中を駆け巡ることとなりました。一九七三年二月、大司教様はオーストラリアのメルボルンに到着されました。そこで、修道生活で天主に身を捧げたいと熱望している十九歳の女性に出会います。入会志望者のジャニン・ワードは母国に入りたい会を見つけられず、あることを耳にしました──噂にすぎないとしても本当のことです!──訪問中のフランス人司教が修道会を創立するというのです。そこで彼女はとても単純に、志願者として受け入れてくれるよう懇願しました。大司教様はというと、この女性が自分に修道会の創立に着手するよう懇願しているのだと考えました。この二人の間に考えのずれがあったため、未来の志願者は旅行を計画しました。

 未来の修道女会の創立者と、その最初の霊的娘は何語で会話をしたのでしょうか? 英語でしょうか? フランス語でしょうか? 大司教様は彼女のアクセントを理解するのが困難で、彼女はひとこともフランス語を話せませんでした! 一九七三年九月になると、ジャニン・ワードは祖国を離れエコンへと出発しました。彼女が志願者にすぎないことを考えると驚くべきことです。他の修道女たちも、修道会もなかったのですから! しかしながら、あらゆる物事の監督者であるみ摂理は新しい志願者を見捨てませんでした。とはいえ、修道生活での養成ができるようになる前に、言葉の壁を壊さなければなりませんでした。大司教様はブルターニュのドミニコ会の共同体を見つけました。そこでは志願者と、すぐに続いてやってきた他の人々を温かく受け入れてくれました。その後、未来の修道女たちの修道者としての養成は自分には不可能だと確信していたため、大司教様は、宣教女であるご自分の妹、マリー・ガブリエル修母に援助を乞い求めました。



 マリー・ガブリエル修母は、四十年以上、聖霊修道女会で宣教事業に献身していました。霊魂たちのためにほがらかな熱心さに満たされて、彼女はアフリカ大陸で多くの時を過ごしました。

 一九七四年、マリー・ガブリエル修母はヨーロッパで病気療養中でした。愛するアフリカへ戻ることを待つ一方で、天主のみ摂理が別の方向を彼女に指し示しているのを見て取りました。そのしるし──教会内の危機、信仰の喪失が続き、彼女の修道会での修道者の精神が失われていること、衰えた健康、修道生活を伝えていくための助けの手を乞う彼女の兄のねばり強い要請──は徐々にはっきりしていきました。修道会への強い愛情にも関わらず、マリー・ガブリエル修母は大きな一歩を踏み出す決心をしました。聖ピオ十世修道女会の萌芽は彼女の母としての心へと取り入れられたのでした。

 最初の修練院はローマ近郊のアルバノに据えられました。そこでマリー・ガブリエル修母の指導のもと、ジャニンの志願期は、彼女の着衣式──一九七四年九月二十二日──まで続きました。これは新修道会のまことの誕生の日でした。二年後、一九七六年九月二十九日、初誓願が立てられました。儀式の間、お聖堂で十二名の修練女と八名の志願者たちの姿を数えるのはなんという喜びであったことか。マリー・ガブリエル修母は喜んで彼女の妹に手紙を書きました。「私はこの新しい修道会にますます愛着を感じるようになっていると認めます。み摂理がどれほど注意深く私どもを見守っていてくださるか、とてもよくわかるのですから」

 事実、天主はこの修道者共同体を祝福し続けてくださっています。一九七四年に創立されてから、二〇一〇年五月現在では、百五十名の立誓願修道女たちを数えるまでになりました。十ヶ国にある二十四の共同体には、四つの修練院(フランス、アルゼンチン、アメリカ、ドイツ)があります。本部修道院はフランスのSt. Michel-en-Brenneにあります。

共贖者なる聖母の修道女たち

 聖ピオ十世のご保護のもとに修道女たちを置き、信仰を何も分かつことなく保てますようにと聖人の守りを呼び求め、大司教様は、もう一つの美しい呼び名を彼女たちに与えました。すなわち「共贖者なる聖母の修道女たち」です。聖母こそ、大司教様が修道女たちの内的生活の模範、そして理想として提示した霊魂です。

 大司教様は会憲において「聖ピオ十世修道女会の霊性は、ミサの聖なる犠牲への献身を、まったき中心に置くことである」と説明されています。

 これこそ、聖ピオ十世会と「共贖者なる聖母の修道女たち」の創立の背後にあった意向です。カルワリオでのように、ミサ聖祭を捧げる祭壇には一人の司祭がいなければならず、この司祭の傍らには、ミサの聖なる犠牲にまったくその身を捧げた、共贖者の役割にまったくその身を捧げた、聖別された童貞女たちもいなければなりません。彼女たちはまた、そこで、祭壇の足元で、十字架の足元で、「共贖者なる聖母に従い、そのお姿のうちに」みずからをお捧げします。事実、ルフェーブル大司教様によってしるされた聖ピオ十世修道女会の深遠かつ際立った目的は、この共贖者としての生活、そして償いを愛することです。

 この目的は、みずからの聖化のため、使徒職の実りのために自分たちを捧げながら、聖ピオ十世会の司祭たちを霊的に支援する者になって欲しいとの、ルフェーブル大司教様の熱烈な望みに親密に結びついています。カルワリオにおいてすら、聖主はおひとりでご自分の犠牲を捧げようとは望まれず、聖母との一致と奉献を通して、聖母が世界を共に贖う者になって欲しいと強く望まれました。同じように、修道女たちは観想と犠牲によって、聖ピオ十世会の司祭たちのたゆまぬ活動と熱心な使徒職を支援するのです。

使徒職の霊魂

 聖ピオ十世修道女会は「半観想の」修道会です。つまり活動と観想の両方の一体化した「混合生活」を守っています。聖主ご自身、説教をなさり奇跡を起こし、その後、祈りに多くの時間を割ける孤独な場所へと退かれた、混合生活を送られました。修道会は使徒職の活動的事業を引き受ける一方で、その原則となる目的は、使徒職と修道者の聖霊の源なる、修道女たちの共贖者としての生活です。従って、修道女たちは通常の黙想に加え、ミサ、ロザリオ、そしてほとんどの修道会で唱える聖務日課など、修道女たちはご整体のみ前で礼拝の一時間を過ごします。すなわち、この一時間は教皇のため、司教たちのため、司祭たち、そして奉献された霊魂たちのための祈りに、特に、共贖者なる聖母に一致して、ご整体のうちにまします聖主に対して犯される侮辱を償うために捧げられています。

お召しの声

 聖ピオ十世修道女会の修道女たちの養成は、その他多くの修道会が要求する基本的なことと少しも変わりはありません。十八歳から三十歳までの、正しい意向に導かれ、共同体のさまざまな仕事に従事できる充分な健康を持っている女性ならば、修道会に入会できる可能性があります。まず初めに、少なくとも六ヶ月間の志願期が要求されます。この間、志願者は世間の多くのものに背を向け、みずからの召命を吟味し、修道生活の養成を受け、聖ピオ十世修道女会の霊性「愛徳の精神、祈りの精神、償いの精神、聖主の犠牲と自分自身の捧げを通して霊魂の救いを熱烈に望む精神(会憲)」を染み込ませることを探し求めます。

 この期間の終わりに、志願者は会の修道服をいただくことを願う許可を得ます。着衣式ののち、修練期が、修道者特有の生活が始まります。聖にして母なる教会は、少なくとも一年間の修練期を要求しており、二年目には修練女に会の霊性を深めることに没頭するよう奨励しています。これが聖ピオ十世修道女会の修練です。

修練女

「おお聖霊よ、我がうちに新しき心を作り給え。されば我、我がとうとき召命の霊と徳のうちに、休むことなく前へと進めるであろう」(着衣式中に唱えられる奉献の祈りより)

 修練女の生活、のちには誓願を立てた修道女としての生活は、内面的にも外面的にも非常に忙しいものです。修練女は超自然的生活を深めるため、日々それをもっと深めて生活するために働きます。修練女は聖パウロが言うように「新しい人間」、つまり天主のご意志を果たし、その栄光のために働けるよう、地上の物事から離脱し、天主へと向かう霊魂にならなければなりません。この変容は、聖堂にて沈黙のうちに、三位一体の天主のみこころを教えてくださる天主にてまします訪れの霊によってのみ、「経験から来る思索ではない、聖主の知識と愛」(ルフェーブル大司教)によってのみ、もたらされるのです。それにも関わらず、徳を得ようとの個人の(終生にわたる)努力もまた、最も必要なものです。修練長の母らしい指導のもとで、修練女はこの務めを勤勉に続けるのです。

 修練女には日々の家事仕事も与えられ、共同体の必要なものを満たせるよう「新しい仕事」を教えられます。後になって、彼女が任命されるさまざまな共同体でそれを生かすことになるでしょう。修練女は裁縫、料理、庭仕事、さまざまなメンテナンスの技術さえも習います。なによりもまず、修練女は信仰を熟知していなければなりません。この目的のため、修道院付き司祭によって、また数名の立誓願修道女たちによって教えられる、教義、典礼、護教論、教会史、修道生活などについての授業と霊的講話の時間があります。

 こういったことが、修練女の心と祈りの両方に不可欠な、滋養のある霊的食物を提供しながら、霊魂たちと一体化した修練女の未来の使徒職のためだけでなく、特に修練女自身の霊的かつ修道者としての生活の堅固な基礎となります。

 修練期はその上、共同体の喜びと試練に慣れていくための時です。「私たちは天主の教会において小さな家族を形成する」(会憲)この「家族生活」は修道女たちのすべての共同体にある規則です。すなわち、一人の総長(修母)によって、また総会によって治められる修道会ということです。各共同体は少なくとも三名の修道女で構成され、そのうちの一人がそこの長上になります。

天主へのまったき奉献

 見習いの二年間ののち、修練女は修道生活の義務と雄大さを理解しつつ、清貧、貞潔、従順の三つの誓願を立てることで、最後にはすべてのものに対し「はい」と答えます。この三誓願を通して、霊魂は彼女の持てるすべて、そして彼女の存在すべて──彼女の人格全体、彼女の持ち物すべてを天主にお捧げします。司教あるいは代理の司祭は修練女の指に指輪を置き、このように言います。「我はいと高きおん父のおん子、イエズス・キリストに汝をめとらす。ゆえに、この結婚の忠実の指輪、聖霊の封印を受けよ。汝が天主の浄配として生きんがために」この儀式は、祭壇の足元で、聖櫃の扉を開いた前で、ミサの奉献の時に行われます。イエズスの聖心そのものが新しい浄配を受け取るために開かれており、十字架の影で、生贄の祭壇で、互いを交換し合います。この三つの誓願は、教会の名のもとに受け取られ、天主に修道女を完全に奉献し、彼女が祈りと使徒職に完全に没頭できるよう、世間の財産と自分自身から離脱します。修道女は一年ごとに誓願を更新し、少なくとも十年間誓願を立て続けたのち、終生誓願を立てます。

 誓願を立てると、修道女は会の共同体の一つへ任命されます。ヨーロッパ、南北アメリカ、オーストラリアの修道院、あるいはどこかの宣教地で献身するよう呼ばれているのかも知れません。そこでは、共同体の使徒職の内容がどんなものであれ、修練院でのすべての霊操を保ちます。各自の能力に応じて、聖主イエズス・キリストの統治の拡大に協力するために必要なすべての恩寵を、そこから任命された場所に引き寄せるためにです。

刈入れは多けれども、働く者は少ない

 一般的方法では、修道女たちの使徒的活動には、司祭の使徒職を助け、完遂させるためという目的があります。

 修道女たちはどうやって司祭の使徒職を助けるのか? と問う人がいるかもしれません。聖主と使徒たちに従っていた聖母と聖なる婦人たちにならって、修道女たちは、洗濯、アイロンがけ、料理、家事などのような物質的心労から司祭たちを解放し、このようにして、司祭たちが勤めを成し遂げるために、彼らをもっと自由な状態にさせておくのです。

 修道女たちはミサ聖祭を中心とするすべてのもの、祭服の縫製から祭壇の準備、祭壇布やグレゴリオ聖歌を歌うことや教えることにまで献身しています。

 そして、司祭の使徒職を完遂させるためには? 各共同体や修道院で見つけられる家事に加え、修道女たちは教区や宣教地で修道者にふさわしい務めを引き受けます。すなわち、公教要理の時間に秘跡を受けるために子どもたちを準備すること、小学校で教えること、病人や老人を見舞うこと、などです。修道女たちのさまざまな仕事をよくよく見てみると、労働の分野の広大なことを改めて確認させられます。

 フランスの本部修道院は、一九八三年に大司教様から修道女たちに委ねられた仕事──「ファチマの聖母の通信教育カテキズム」を監督しています。信仰の知識と愛の次にあるものを渇望する霊魂はおおむね良いとしても、カトリック学校が欠けています。従って、通信教育による公教要理は、子どもたちのために深い宗教教育を探し求める家庭に教えの種を蒔くよう、特に定められています。三つの言語のバージョンがあり、何十年にも渡って、世界中の何千という霊魂たちに届けることに成功しています──ロシア国内にさえもです。公教要理の本はフランス語、英語、ドイツ語で書かれ、何百人もの霊魂たちに毎月送付されています。

 修道女たちは、小学校で司祭の使徒職をも果たします。校長としてであれ、公教要理の教師としてであれ、国内経済や宗教以外の科目を教えます。ヨーロッパのいくつかの学校での状況はこのようなものです。ベルギー(ブリュッセル)、スイス(ジュネーブとウィル)、フランス(ユニユー、マルセイユ、ボルドー)で、同じように、アルゼンチンのラ・レハ、オーストラリアのシドニー、アメリカのカンザス州のセントメリーとミシガン州のヴェネタにある聖ピオ十世会の学校で教えています。

 カンザス州のセントメリーでは、修道女たちは約五百名の子どもたち(小学校一年生から中学三年生まで)に公教要理を毎日教えています。

 教えることに加えて、信心会(マリアの子ども会のような)、サマーキャンプ(八ヶ国において伸びつつある修道女たちのための使徒職)、夏期講座(裁縫、料理、他の実践的技術の指導)を通して、修道女たちは、子どもたちや若い女性たちに教えと敬虔を身につけた堅固な基礎を築かせようと努力しつつ、キリスト教的徳を霊魂のうちに育んでいます。修道女たちはすべての共同体で、修道女たちは病人と老人たち──キリストの苦しむ会員たちを定期的に見舞います。これはフランスのル・ブレミアンの老人ホームで毎日行われています。そこでは、修道女たちは入居者を訪れ、秘跡を受けることと聖なる死を迎えるための準備ができるよう助けます。

 遠く離れた宣教地ではどうでしょうか? そこでも聖ピオ十世修道女会の修道女たちは、霊魂たちにキリストをもたらすことで宣教師たちを助けられるのです。例えば、ガボンの修道女たちは聖ピオ十世会ミッションに登録している子どもと大人に公教要理を教えている司祭たち、修道士たちを支援しています。修道女たちがそこで世話をする霊魂たちは数百名います。

 二〇〇九年以来、修道女たちの共同体がドミニカ共和国にあるイエズスの聖心修道院の司祭たちを支えています。修道女たちの主な務めの一つは、修道院付属の小学校で生徒たちに公教要理を教えることです。

 つまり、キリストの司祭たちを通してキリストにお仕えすることで、修道女たちは信者たちの霊的、肉体的に必要なことに献身しています。収穫の主が多くの寛大な働き手たちを送ってくださいますように。

「私が持っているものはなんでも与えましょう」(ルフェーブル大司教)

 二人の宣教師の娘なる修道女たちは、宣教師の霊の炎を持っています。すなわち、天主のうちに生き、天主に親密に結びつくことで、心において霊魂たちを天主に与え、すべての人々に天主を知らせ、愛させるのです。使徒職に呼ばれたのですから、労働の広大な畑の必要性と、信者たちの数え切れないほど多くの、さまざまな要求を満たすために、修道女たちは各自の異なる能力と才能を一致させ、熱心にみずからを与えています。修道女たちはこれらすべての仕事──ささやかで目立たないものであれ、もっと直接に使徒的なものであれ──を、同じ愛、同じ犠牲の精神で果たします。「修道女たちの生活に取るに足りないものなどない。万事が恩寵となり、修道女たちを聖化する」(会憲)

「修道生活は、ゆるやかに、非常にゆるやかに理解されていくものです。その美しさ、その実りを──なぜならその深遠さ、誠実さ、その目的の故にです……。修道生活とは、私たちが成し遂げる偉大なことではなく、私たちがあるべき姿であると理解します。新しい地平線が非常にゆるやかに見えてきます……そして、聖主は最良の部分を与えてくださったことで、私たちを甘やかしてくださったのだと、私たちにわかることはただこれだけです」(マリー・ガブリエル修母)

 このようなまことの修道者の霊魂は、みずからの召命への感謝にみちあふれており、その内省によって、本会の修道者たちは、みずからの召命の崇高さと謙遜と単純さのうちに、ふさわしく繰り返しています。

「この奉献と共贖者の霊性を終生生きる者たちは幸いなるかな! 彼女たちは天国の永福を勝ち取るため、最もすぐれた意向のうちに、この地上での巡礼の目的地に辿り着くだろう」(会憲)




この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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日本語の良い公教要理のウェブ・サイトのリンクをご紹介します。


公教要理図解(ワグネル訳)
カトリック中央協議会編集の公教要理(1958年)
聖ピオ十世 公教要理詳解
ローマ公教要理 【使徒信経の部】


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