2020年4月3日(初金)聖マリアの七つの御悲しみのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2020年4月3日、御受難の第1主日の後の金曜日、そして聖ピオ十世会では一級の大祝日で祝う、マリア様の七つの御悲しみの祝日を祝っています。
今日初金曜日ですので、本来ならば聖時間を行なうのですが、1時間の聖時間を短縮して、コロナウィルスの対策として、御聖体の前でロザリオを唱えて、そして御聖体による祝福を受けて、聖時間とする事に致します。
“Stabat Mater Dolorosa.”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する姉妹の皆さん、マリア様は、十字架の下で佇んでおられました。この事は私たちに、3つの事を教えています。
1つは、天主の御摂理によって、イエズス様がお生まれになった時、御幼年の時、あるいはイエズス様の人生の最初だけではなく、イエズス様の人生の最も大切なその時である、「御受難」の時にも、マリア様がいらしたという事です。
これこそ、御摂理がお望みになった、という事です。マリア様は、十字架から決して離れる事はありませんでした。
第2のポイントは、マリア様は一体なぜ、十字架の下に佇んだのでしょうか?その動機は何でしょうか?
それはイエズス様の、イエズス・キリストの聖心の動機と全く同じです。
イエズス様は、聖父の栄光と、そして人類の罪の赦しの為に、十字架に喜んで架かりました。イエズス様の聖心は愛に燃えていました。聖霊の愛に燃えていました。そしてイエズス様が望んだ事は、ただひたすらに聖父の栄光であって、罪の償いを果たす事によって、天主聖父に栄光を帰すという事でした。
マリア様もやはり、聖霊の愛に燃えて、聖父の栄光を求めてのみ、そして私たちの罪の償いの為に、イエズス様と共に御自分の苦しみを、十字架の下で捧げていました。
ですからマリア様は、天主の栄光を、苦しみの中で歌っていた事になります。苦しみの中で、主を讃美していた事になります。
苦しみの中において、苦悩の中において、苦痛の中において、主の御旨を讃美し、それに栄光を帰していました。
ですから普通、もしかしたらイエズス様と離れた、あるいは聖心の愛に燃えていない人たちが、絶望したり、悲しんだり、イラついたり、あるいはむかついたり、あるいはその他「自尊心が傷付いた」等と、あるいは「俺の思い通りにいかなかった」等と言って腹を立てる、苦しむ、嫌になる、という事とは、全く別の事でした。愛に燃えていました。
第3の点は、イエズス様と同じ愛に燃えていたが為に、マリア様のこの外見の表れも、平和で、そしてある意味で、愛と喜びに満ちていたものでした。
矛盾するかもしれませんが、しかし「イエズス様と共に苦しむ」という事によって、マリア様の心には平和と、そして朗らかさがありました。これは愛に燃えていたからです。
ですからマリア様は、この苦しみの極致にもかかわらず、十字架の下で立ち留まっている事ができました。嘆き苦しんで、地面にのたうち回る事もありませんでした。
今日このマリア様の七つの御悲しみで、私たちもマリア様と共に、十字架の下に佇む事ができますように、イエズス様の御下に佇む事ができますように、御取り次ぎを乞い願いましょう。
特に聖ピオ十世会のシスターたち、奉献修道女たちは、マリア様のこの御悲しみを保護者としていますので、シスターたちの為にたくさんお祈り下さい。
シスターたちは、司祭、イエズス・キリストの代理者である司祭を助ける為に、祈りと、犠牲と、苦しみと、黙想を以って助ける為に、またその他の奉仕によって助ける為に、イエズス様の下に佇もうと、マリア様に倣っておられます。
どうぞこのシスターたちの為にたくさんお祈り下さい。そしてこのようなマリア様に倣う霊魂たちが日本の地からもたくさん出ますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2020年4月3日、御受難の第1主日の後の金曜日、そして聖ピオ十世会では一級の大祝日で祝う、マリア様の七つの御悲しみの祝日を祝っています。
今日初金曜日ですので、本来ならば聖時間を行なうのですが、1時間の聖時間を短縮して、コロナウィルスの対策として、御聖体の前でロザリオを唱えて、そして御聖体による祝福を受けて、聖時間とする事に致します。
“Stabat Mater Dolorosa.”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する姉妹の皆さん、マリア様は、十字架の下で佇んでおられました。この事は私たちに、3つの事を教えています。
1つは、天主の御摂理によって、イエズス様がお生まれになった時、御幼年の時、あるいはイエズス様の人生の最初だけではなく、イエズス様の人生の最も大切なその時である、「御受難」の時にも、マリア様がいらしたという事です。
これこそ、御摂理がお望みになった、という事です。マリア様は、十字架から決して離れる事はありませんでした。
第2のポイントは、マリア様は一体なぜ、十字架の下に佇んだのでしょうか?その動機は何でしょうか?
それはイエズス様の、イエズス・キリストの聖心の動機と全く同じです。
イエズス様は、聖父の栄光と、そして人類の罪の赦しの為に、十字架に喜んで架かりました。イエズス様の聖心は愛に燃えていました。聖霊の愛に燃えていました。そしてイエズス様が望んだ事は、ただひたすらに聖父の栄光であって、罪の償いを果たす事によって、天主聖父に栄光を帰すという事でした。
マリア様もやはり、聖霊の愛に燃えて、聖父の栄光を求めてのみ、そして私たちの罪の償いの為に、イエズス様と共に御自分の苦しみを、十字架の下で捧げていました。
ですからマリア様は、天主の栄光を、苦しみの中で歌っていた事になります。苦しみの中で、主を讃美していた事になります。
苦しみの中において、苦悩の中において、苦痛の中において、主の御旨を讃美し、それに栄光を帰していました。
ですから普通、もしかしたらイエズス様と離れた、あるいは聖心の愛に燃えていない人たちが、絶望したり、悲しんだり、イラついたり、あるいはむかついたり、あるいはその他「自尊心が傷付いた」等と、あるいは「俺の思い通りにいかなかった」等と言って腹を立てる、苦しむ、嫌になる、という事とは、全く別の事でした。愛に燃えていました。
第3の点は、イエズス様と同じ愛に燃えていたが為に、マリア様のこの外見の表れも、平和で、そしてある意味で、愛と喜びに満ちていたものでした。
矛盾するかもしれませんが、しかし「イエズス様と共に苦しむ」という事によって、マリア様の心には平和と、そして朗らかさがありました。これは愛に燃えていたからです。
ですからマリア様は、この苦しみの極致にもかかわらず、十字架の下で立ち留まっている事ができました。嘆き苦しんで、地面にのたうち回る事もありませんでした。
今日このマリア様の七つの御悲しみで、私たちもマリア様と共に、十字架の下に佇む事ができますように、イエズス様の御下に佇む事ができますように、御取り次ぎを乞い願いましょう。
特に聖ピオ十世会のシスターたち、奉献修道女たちは、マリア様のこの御悲しみを保護者としていますので、シスターたちの為にたくさんお祈り下さい。
シスターたちは、司祭、イエズス・キリストの代理者である司祭を助ける為に、祈りと、犠牲と、苦しみと、黙想を以って助ける為に、またその他の奉仕によって助ける為に、イエズス様の下に佇もうと、マリア様に倣っておられます。
どうぞこのシスターたちの為にたくさんお祈り下さい。そしてこのようなマリア様に倣う霊魂たちが日本の地からもたくさん出ますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。