2020年4月12日(主日)復活祭のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、主の、私たちの主イエズス・キリストの御復活のお慶びを申し上げます。
本来ならば、コロナ対策で私は御説教を控えなければならないのですけれども、今日は遠くから、特に小さなお友達、私たちの大切な友人たちが来てくれたので、一言、直接、直に言うのを許して下さい。
今日、本当ならば皆さんと一緒に、復活祭のパーティーとかお祝いをしたいのですけれども、それもできませんが、その代わりに、ミサの後の感謝の祈りが終わったら、終課をその代わりに10分ほど歌って、それで解散としたいと思っています。
それからもう1つのお知らせは、私がフィリピンに戻る事が今できなくなっているので、これから毎週主日に、夕方18時からミサが大阪である予定です。いらして下さい。
愛する兄弟の皆さん、私たちの主イエズス・キリストは、本当に、現実に、嘘偽りなく、復活しました。
そしてその事を証明する為に、御自分の復活された体を以って、ユダヤ人たちを恐れて隠れてドアを全く閉め切っていた、3つの密に満ちていた弟子たちに、ブルブル震えていた弟子たちの中にやって来て、「お前たちに平和!」そして御自分が本当に復活された、という事を証明してみせました。
これから40日間、続けて弟子たちに現れます、「本当に復活した」という事を証明します。
イエズス様は私たちの真の天主として、この世の創り主として、御自分の力によって復活されました。
何故でしょうか?
何故かというと、この復活の勝利を、死と、地獄と、悪魔と、罪に打ち勝った、という事を私たちに、この喜びを分かち合う為です。
私たちに、御自分の持っている大勝利の喜びと、平和と、そして栄光を、私たちに「ただ与えたい」と思っているからです。
そしてその為に至る唯一の道が、「十字架の道」です。ですから私たちにとって、十字架というのは、非常に大切なのです。
イエズス様も復活された後に言いました、エンマウスの弟子たちに言いました、「あぁ、何と愚かな者か、心が鈍い者か。キリストは、苦しみを受けて栄光に入るべきではなかったのか」と。
私たちも栄光に入る事に招かれていますが、その唯一の道は、十字架です。
ところで、私たちにとって、最も簡単で、最も優しい近道があります。それは「ミサ聖祭」です。
なぜかというと、ミサにおいては、私たちの主の十字架が、御受難が、そのまま再現されるからです。イエズス様の御体と御血が、聖変化によって全く分離して、「イエズス様が屠られた」という事が、秘跡的に実現するからです。私たちの目の前で起こるからです。
ミサほど大きな、私たちにとって大きな御恵みはありません。このミサに与れば与るほど、私たちは十字架の祝福を、恵みを、たくさん受けるからです。
このミサが、この世界中で挙げられなければなりません。そうすればそうするほど、多くの人が、天国に早く、簡単に、行く事ができるようになるからです。そして、より多くの栄光に導かれるからです。
その為には、私たちには、「聖なるカトリックの司祭」が必要です。多くの、聖伝の信仰を守る聖伝のカトリックの司祭がたくさん、この世界中に溢れるほど必要です。
ですから今日、この復活祭に、ぜひ多くの司祭が与えられますように、聖なる司祭がたくさん与えられますように、そして特にこの日本の地から、殉教の血で満たされたこの地から、多くの聖なるカトリック司祭が生まれますように、イエズス様にお祈りしましょう。
マリア様に、カトリック司祭の母である、イエズス様の大司祭の母であるマリア様にお願いしましょう。どうぞ、私たちに聖なる司祭を、多くの聖なる司祭を送って下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。