栄えの玄義 第1玄義黙想
2020年5月2日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父
『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』
15分間、マリア様の汚れなき御心をお慰めする為に、聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為に、ロザリオの玄義の1つを黙想致しましょう。
今日は、復活祭直後の初土曜日ですから、イエズス様の御復活の玄義、栄えの第一玄義を黙想する事を提案します。もちろんどの玄義でも黙想する事ができます。
特にこの15分間、イエズス様が御復活なさって、その最初の瞬間マリア様に御現れになった、カトリックの伝統に聖伝に従うと、マリア様にすぐに御現れになって、マリア様をお慰め給うた、御自分が復活されたという事を明かし給うた事を黙想致しましょう。
「天の元后、喜び給え!」
天使たちはマリア様に歌を歌います。マリア様こそ、十字架の下に佇まれ、イエズス様の復活を固く信じていた、最初の唯一の方でした。罪の無い御方、聖寵充ち満てる御方であるが故に、罪の償いに完璧に参与された方でした。
生木で、生き生きとする木の枝であるキリストと、罪の全く汚れの無い、聖寵に満ちた、天主の命に充ち満ちたマリア様が、このように苦しんだその十字架の下、イエズス様はすぐにマリア様の元に現れになって、復活を告げ知らせました。
マリア様の御喜びとその慰め、またマリア様の喜びを見たイエズス様の喜び、罪と死に勝ったそのイエズス様とマリア様、私たちもこの御二方の喜びに、喜びを添えて、信仰をますます固めて下さるように乞い願いましょう。
天主が人となって、30年間、隠れた生活をされて、労働と清貧と従順。そしてマリア様と共に捧げられた十字架の苦しみ。流された全ての天主の御血。蔑み、受けた非難、受けた嘲り、馬鹿にされた天主の御稜威。悪人の一人として、罪が無いにもかかわらず受けたその屈辱、不正義、攻撃、讒言。マリア様の受けたその御悲しみ、沈黙の内に捧げられたその御悲しみと苦しみ。
全て、私たちの霊魂の救いの為、永遠の命の為、来世での救霊の為、流された御血を以って創立されるその秘跡、七つの秘跡と聖なるカトリック教会、永遠の命の為に、天主の捧げられた一生とその苦しみ。
これを人々が、無関心で、感謝もせずに、反対に、嘲りと忘恩で応えているのを見て、イエズス様もマリア様も、その悲しみは今でも、ファチマで私たちに訴える為に来られました。
私たちの為に復活されたイエズス・キリスト、私たちの為に準備された、私たちの復活。それを無にする現代の人々、無にしようとする人々。しかもそれは教会の中にまで、教会の最も権威のある人にまで、その無関心は到達してしまいました。
マリア様の汚れなき御心の御取り次ぎによって、聖母と共に、イエズス様の十字架の下に立ち留まる事ができますように、イエズス様の復活を深く信じ通す事ができますように。
全世界の国連も、あるいはWHOも、あるいはその他世俗の権威は、イエズス・キリストの教えた永遠の命に、復活について、ますます否定し、そして別のイデオロギーを押し付けようとするでしょう。
イエズス様とマリア様の御苦しみで最も大きかったものは、このイエズス様とマリア様の御受難の贖いの功徳が、人々の無関心と忘恩、冒瀆によって無益になることです。それは特に現代において当てはまります。
聖母の汚れなき御心を避難所として、伝えられたカトリック信仰を信じ続ける恵みをこい求めましょう。