「コロナウイルス以後においては、手による御聖体拝領を中止すべき」
2020年5月16日(土)聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さん、
非常事態宣言が一部で解除されました。天主様に感謝致します。
宣言が解除されても、私たちは「コロナウイルスの対策をよくやり続けるように」と勧められています。
特に、手洗いをこまめにするという事です。手に付いたウイルスが口や目から入って、感染する危険が非常に高いとの事です。
非常事態宣言の解除を受けて、これからは教会でもミサに与る事ができるようになる事でしょう。ミサこそ、必要不可欠の事だからです。
しかし、コロナウイルスの以後においては、手による御聖体拝領を中止すべきです。
【第一の理由:御聖体がいとも聖なる天主御自身だから】
そもそも御聖体については、二つに一つしかありません。「カトリック信仰が正しいか」、あるいは「そうでないか」です。
一つは、カトリック教会が2000年間信じ続け、主張し続けてきたように、「御聖体とは、真のイエズス・キリストの御体である」という事、つまり、「パンの外観の下に、人となった真の天主が、真に、現実に、実体的にまします」という事です。
もう一つは、カトリックの信仰を否定するものです。異端者の主張のように、たとえば「御聖体はイエズス・キリストのシンボルであって、実体はただのパンにすぎない」というものです。
「御聖体が何であるか」によって、私たちは御聖体に対する態度も、それにふさわしいものにしなければなりません。
御聖体が、「私たちの為に犠牲(いけにえ)となった天主」であれば、当然私たちは、御聖体を礼拝すべきです。御聖体の前に跪き、うやうやしく、ちょうど小鳥が親鳥から養われるように、謙遜に拝領すべきです。
たとえ小さな粉であっても、御聖体が粗末に扱われる事のないように、口で聖体拝領すべきです。
ファチマでは、ポルトガルの守護の天使が、額づいて御聖体を礼拝するように子供たちに教えました、「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我御身を深く礼拝し奉る!」と。
これは、「御聖体が天主そのものである」という事を示しています。私たちよりもはるかに優れた天使を、私たちも見習うべきです。
しかし、もしも御聖体が単なるシンボルで、ただのパンであるなら、私たちはこの前に礼拝してはなりません。立ったまま、手で受けても差し支えない事になります。
しかし、これは天使の取る態度ではありませんし、カトリック教会の聖伝の取る態度でもありません。
今、現在、手による聖体拝領がなされていたり、御聖体の前に跪く事が禁止されているという事は、嘘のような事で、全く信じる事ができない現実です。
【第二の理由:司祭の手は、御聖体を触ることができるように叙階の秘跡で特別に聖別されている】
叙階式で、司祭は、手を聖香油で聖別されて、それからミサを捧げて、御聖体を手で触れる事ができるようになります。
聖なる御聖体を触るのは、聖なる手でなければなりません。叙階された司祭と平信徒では、秘跡による絶対的な違いがあります。聖別されていない手で、御聖体に触れる事はできません。
御聖体が、「天主である、天主御自身でまします」という事から、御聖体はどれほど聖なるものでしょうか!御聖体に触れるのは、どれほど聖なる手でなければならないでしょうか!
【第三の理由:御聖体を手で拝領するのはウイルス感染のリスクが極めて高い】
「疫病を防ぐ」という防疫の観点から見てみても、聖伝のやり方が優れているという事が分かります。
2000年の歴史の中で、カトリック教会が新型コロナウイルスのような疫病を経験するのは決して初めてではありません、その反対です。カトリック教会は、疫病で長く苦しんだ時代を何度も経験してきています。
ペストもコレラも、伝統的な聖体拝領の方法で乗り切ってきました。ペストやコレラの時代において、決して聖体拝領を手で行なう等という事はありませんでした。
聖伝のミサでは、典礼法規によって、司祭はミサの直前に必ず手をよく洗います。聖変化の直前でももう一度手をすすぎます。聖変化の直後からは、司祭は親指と人差し指を合わせて、聖変化した御聖体以外の何物にも触れる事は禁止されています。コロナウイルス防衛のこの観点からみても、きわめて衛生的です。
他方で、新しいミサにおいて、手による聖体拝領をする信者は、必ずしも手を洗っているとは限りません。教会まで移動する間に、色々なものに触っているはずです。
たとえミサの始まる前に手を洗ったとしていても、その後、ミサの中で色々な身の回りのもの(例えば自分の持ち物や、ミサの小冊子、お祈りの本、椅子、手すり、携帯等)に手を触れてしまっています。
その手に御聖体を受けて、それをまた別の手で口に取って口の中に入れるというのは、感染リスクの非常に高いやり方です。
更に、聖体奉仕者のような第三者を通して御聖体を拝領する場合、更にリスクが高くなります。
カトリック信仰の論理的な結論を態度で表明する為にも、自分の健康を守って感染リスクを抑える為にも、御聖体は、教会の聖伝に従って、必ず口で拝領するようにお願い致します。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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2020年5月16日(土)聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さん、
非常事態宣言が一部で解除されました。天主様に感謝致します。
宣言が解除されても、私たちは「コロナウイルスの対策をよくやり続けるように」と勧められています。
特に、手洗いをこまめにするという事です。手に付いたウイルスが口や目から入って、感染する危険が非常に高いとの事です。
非常事態宣言の解除を受けて、これからは教会でもミサに与る事ができるようになる事でしょう。ミサこそ、必要不可欠の事だからです。
しかし、コロナウイルスの以後においては、手による御聖体拝領を中止すべきです。
【第一の理由:御聖体がいとも聖なる天主御自身だから】
そもそも御聖体については、二つに一つしかありません。「カトリック信仰が正しいか」、あるいは「そうでないか」です。
一つは、カトリック教会が2000年間信じ続け、主張し続けてきたように、「御聖体とは、真のイエズス・キリストの御体である」という事、つまり、「パンの外観の下に、人となった真の天主が、真に、現実に、実体的にまします」という事です。
もう一つは、カトリックの信仰を否定するものです。異端者の主張のように、たとえば「御聖体はイエズス・キリストのシンボルであって、実体はただのパンにすぎない」というものです。
「御聖体が何であるか」によって、私たちは御聖体に対する態度も、それにふさわしいものにしなければなりません。
御聖体が、「私たちの為に犠牲(いけにえ)となった天主」であれば、当然私たちは、御聖体を礼拝すべきです。御聖体の前に跪き、うやうやしく、ちょうど小鳥が親鳥から養われるように、謙遜に拝領すべきです。
たとえ小さな粉であっても、御聖体が粗末に扱われる事のないように、口で聖体拝領すべきです。
ファチマでは、ポルトガルの守護の天使が、額づいて御聖体を礼拝するように子供たちに教えました、「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我御身を深く礼拝し奉る!」と。
これは、「御聖体が天主そのものである」という事を示しています。私たちよりもはるかに優れた天使を、私たちも見習うべきです。
しかし、もしも御聖体が単なるシンボルで、ただのパンであるなら、私たちはこの前に礼拝してはなりません。立ったまま、手で受けても差し支えない事になります。
しかし、これは天使の取る態度ではありませんし、カトリック教会の聖伝の取る態度でもありません。
今、現在、手による聖体拝領がなされていたり、御聖体の前に跪く事が禁止されているという事は、嘘のような事で、全く信じる事ができない現実です。
【第二の理由:司祭の手は、御聖体を触ることができるように叙階の秘跡で特別に聖別されている】
叙階式で、司祭は、手を聖香油で聖別されて、それからミサを捧げて、御聖体を手で触れる事ができるようになります。
聖なる御聖体を触るのは、聖なる手でなければなりません。叙階された司祭と平信徒では、秘跡による絶対的な違いがあります。聖別されていない手で、御聖体に触れる事はできません。
御聖体が、「天主である、天主御自身でまします」という事から、御聖体はどれほど聖なるものでしょうか!御聖体に触れるのは、どれほど聖なる手でなければならないでしょうか!
【第三の理由:御聖体を手で拝領するのはウイルス感染のリスクが極めて高い】
「疫病を防ぐ」という防疫の観点から見てみても、聖伝のやり方が優れているという事が分かります。
2000年の歴史の中で、カトリック教会が新型コロナウイルスのような疫病を経験するのは決して初めてではありません、その反対です。カトリック教会は、疫病で長く苦しんだ時代を何度も経験してきています。
ペストもコレラも、伝統的な聖体拝領の方法で乗り切ってきました。ペストやコレラの時代において、決して聖体拝領を手で行なう等という事はありませんでした。
聖伝のミサでは、典礼法規によって、司祭はミサの直前に必ず手をよく洗います。聖変化の直前でももう一度手をすすぎます。聖変化の直後からは、司祭は親指と人差し指を合わせて、聖変化した御聖体以外の何物にも触れる事は禁止されています。コロナウイルス防衛のこの観点からみても、きわめて衛生的です。
他方で、新しいミサにおいて、手による聖体拝領をする信者は、必ずしも手を洗っているとは限りません。教会まで移動する間に、色々なものに触っているはずです。
たとえミサの始まる前に手を洗ったとしていても、その後、ミサの中で色々な身の回りのもの(例えば自分の持ち物や、ミサの小冊子、お祈りの本、椅子、手すり、携帯等)に手を触れてしまっています。
その手に御聖体を受けて、それをまた別の手で口に取って口の中に入れるというのは、感染リスクの非常に高いやり方です。
更に、聖体奉仕者のような第三者を通して御聖体を拝領する場合、更にリスクが高くなります。
カトリック信仰の論理的な結論を態度で表明する為にも、自分の健康を守って感染リスクを抑える為にも、御聖体は、教会の聖伝に従って、必ず口で拝領するようにお願い致します。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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