アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2020年6月14日、御聖体の荘厳祭に東京で録画した小野田神父のメッセージの書き起こしをご紹介いたします。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日、日本では、御聖体の荘厳祭を祝いました。何と嬉しい事でしょうか。
私たちは御聖体を尊敬して、崇敬して、礼拝して、お愛し申し上げて、そして讃美を歌って、・・。
そしてイエズス様の聖心を慰める事ができたその日。とても嬉しい事です。
ところで今日は、「手による御聖体拝領」について、少しお話したいと思います。
2つのポイントがあります。
⑴ カトリック教会の長い、使徒からの歴史は、御聖体は口によって聖体拝領することです。歴史の、私たちの記憶に残っている限りは、少なくとも1500年間、日本が大化の改新等をする、どうのこうの、というよりも以前から、教会は口で聖体拝領をするようにしています。
一度、アレキサンドロのチリロ(376年 – 444年)という聖人の書いた文によれば、一度、手による聖体拝領が一部の地域で導入された事があったようです。しかしすぐに教会は、それによる乱用、それによる危険、特に「御聖体が冒瀆される危険がある」という事に気が付き、ストップしました。「これはいけない!ダメだ!」
そして教会は常に、御聖体を最も大切にするような行動を取ってきました。
ところが、第二バチカン公会議の後に新しいミサができて、特にドイツ・オランダ・ベルギー・フランスの一部で、今までの禁止にもかかわらず、今までの法律にもかかわらず、今までのルールにも反対して、反して、全く不従順から、革命的に、やりたい放題、手による聖体拝領を始めてしまいました。これは革命によって、不従順によって、乱用によって、生まれたものです。
その時に、この手による聖体拝領があまりにも広がってしまったので、教皇様は、その時の列聖聖省の長官であったバッフィレ枢機卿(Cardinal Bafile)に相談しました、「どうしたら良いだろう?」
すると枢機卿様はすぐに答えました、「教皇様、教皇聖下、やめて下さい、手による聖体拝領は今すぐ禁止です。なぜかというと、御聖体というのは、どんなに小さなかけらであっても、イエズス様が全体、全てが含まれています。手による御聖体拝領によって、そのイエズス様が色んな所に散らかってしまって、あるいは冒瀆を受ける、あるいは蔑ろにされる、あるいは無視される、侮辱される危険があります。すぐに、今すぐ、即刻中止、禁止させて下さい。」
パウロ六世はその通り、『メモリアーレ・ドミニ』Memoriale Domini という指針を発表しました。
それによると、「口による聖体拝領の仕方がどれほど立派なもので、どれほど聖なるもので、どれほど使徒の時代から私たちが受けたもので、私たちはこれを守らなければならないか、どれほど素晴らしい方法か。これは私たちの法であって、私たちが守るべき義務であって、これを尊敬して、これを敬って、そのまま続けなさい。全世界においてこれを続けなさい」と言いました。
しかし、誰が、一体誰が付けたのか私たちは知りませんけれども、その最後に、誰かが書いたかのように、分かりませんけれども、「しかし、既に手による聖体拝領が行なわれてしまっているところは、そのような乱用を、そのような反乱を、そのような不従順を、私たちは禁止せずにおく事ができる。だから特別の許可によって、特別の黙認によって目をつぶるから、彼らはそのまま続けていい。」
「口による聖体拝領」は、「私たちの守るべき掟」です。「法律」です。「手による聖体拝領」は、「禁止」。これが基本です。しかし特別に、そのような既にある所には、例外的に目をつぶって黙認されているだけでした。
しかし、今ではそれが法律になっています。これはカトリック教会の精神でも、カトリック教会の心でも、教皇様の望みでも全くありません。
教会は常に、御聖体が大切に、尊敬を受ける事を望まれています。私たちはそれを続けるべきです。誰も教会の破壊に手を貸さないで下さい。
イエズス様がこんなに侮辱されているのに、「私は知らない」等と言わないで下さい。私たちは2歳や3歳の子供ではありません。頭を使って、私たちの常識を使って、私たちの良識を使って、私たちは手による聖体拝領を拒否しなければなりません。良心の問題です。信仰の問題です。カトリック信仰の問題です。御聖体拝領は、「教会の掟」に従って、跪いて、口で拝領して下さい。
⑵ 第2に、更に全く想像を超えている事は、コロナです。新型コロナ。これで私たちはますます、口による聖体拝領をしなければならない時が来ました。今こそそれに戻らなければなりません。
なぜかというと、お医者さんは全て言っています、「体の中で一番不衛生的な部分は、手である」と。
考えてもみて下さい。私たちは家から教会まで歩いて行く時に、あるいは車で運転して、電車に乗って行く時に、マスクをして、そして一番手が色々なところを触る部分です。エレベーターのボタンを押したり、車のハンドルを持ったり、ドアを開けたり、その他椅子に座ったり、体に触ったり、財布に触ったり、色んな部分に触ります。例え何度も何度も手がふやけるほど洗っても、その後で触れます。1回触ったらもうそれで終わりです。
ところが、口は全く守られています。口による御聖体拝領の時に、司祭は御聖体のほんの先っちょを少しだけつまんで、そして口に直接与えるので、非常に衛生的なのです。
ところが今、この一番汚い部分を使って、「さぁ、手による聖体拝領をしなければならない」と言っています。これは全く医学的にも衛生学的にも、学問に反しています。
つい最近、ヨーロッパのカトリック医学、医者の連盟(FIAMC: Fédération Internationale des Associations Médicales Catholiques)のその会長、イタリア人、これはフランスで作られたものですけれども、会長はイタリア人です。フィリッポ・マリア・ボシア (Filippo Maria Boscia)という方は、つい最近インタビューに答えてこう言っています、「私たちは、この手が一番不衛生な部分なので、手による聖体拝領はやめるべきだ」と。「手による聖体拝領はやめるべきだ。手による聖体拝領は、口よりももっと危険だ。」【注*】
ですから、愛する兄弟の皆さん、どうぞ御聖体拝領は口でなさって下さい。非常に危険です。手を使わないで下さい。ご自分の為にも、そしてイエズス様が瀆聖を受けない為にも、ぜひ、是非お願い致します。これは私たちの良心の問題です。
私たちはよく聞きます、「第二バチカン公会議では、私たちの良心を尊重しなければならない。他の人の言う事に耳を澄ませなければならない。今までは権威を以て、権威主義者でやってきた、聖職者主義だったけれども、これからは人々の心を聞いて…」
言って下さい、「神父様、司教様、私たちは、口による聖体拝領を望みます。私たちは、イエズス様を愛したいのです。礼拝したいのです。イエズス様を愛させて下さい。イエズス様を礼拝させて下さい」と仰って下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
【注*】
"Communion on the tongue is safer than hand Communion. The hands, as I said, touch everything. Hand Communion is therefore definitely more contagious."
"Seriously, after the Spanish flu, we continued to practice oral Communion, and it was all the same as before. ... As a doctor, I am convinced that hand Communion is less hygienic and therefore less safe than oral Communion."
------ Prof. Filippo Maria Boscia, President of the Association of Catholic Doctors
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