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ヴィガノ大司教「エキュメニズムが聖母を貶めたり真理を黙殺するなら、天主をお喜ばせしない。世界中で秘蹟やミサが奪われているのは、教会での汚聖、手による聖体拝領による冒涜などのための罰である。」

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ヴィガノ大司教、危機の原因を公会議にさかのぼる

2020年6月2日 FSSPX.NEWSサイト

コロナウイルスの世界的感染流行の折、前駐米教皇大使カルロ・マリア・ヴィガノ大司教はいくつかのインタビューに応じ、その中で、すでに数カ月前から勇敢に行ってきたように、ためらうことなく第二バチカン公会議の誤謬に疑義を呈しました。このローマの高位聖職者である大司教は、決して劇的な効果を狙うのではなく、むしろその原因にさかのぼり、エキュメニズムや新しい典礼、教会がこの世へ開かれたこと、そして司教団体主義を弾劾しました。

エキュメニズムは天主をお喜ばせしない

2020年4月7日、バチカン専門家のアルド・マリア・ヴァッリ(Aldo Maria Valli)の質問に答えて、ヴィガノ大司教は、第二バチカン公会議によって推進されたエキュメニズムに異議を唱えました。「[2019年12月に、共贖者というマリアの称号を『ナンセンス』だとみなした教皇の]不敬が異端者たちを喜ばせようという望みから来ているのなら、それは言い訳ではなく、むしろその罪をより重くする要件です。実際、もしエキュメニズムが聖なる童貞の名誉を貶めたり、誤っている人々を喜ばせるためにカトリックの真理を黙殺したりすることに繋がるのであれば、それはエキュメニズムが天主をお喜ばせしないというさらなる証拠です」。

「もうひとつ、私が強く訴えたいことがあります。教義や神学上の真理を否定することは、それがたとえ荘厳に定義されていないものであったとしても、極めて破壊的な結果を意味します。なぜなら、天主そのものである真理には、犠牲にしてよい部分などあり得ないからです。三位一体論やキリスト論の教義に関連して、一見ささいな教義のひとつにでも触れるのは、教義の体系全体に触れることになります。そして、思い出していただきたいのですが、マリアの混血に関する恐ろしい言明[12月12日にはまた、教皇は童貞マリアが『混血』であると発言していました]に加えて、さらに、悪名高い反カトリック新聞[日刊紙『ラ・レプブリカ』の創立者エウジェニオ・スカルファリと]のインタビューで、キリストの神性そのものについての誤った考えをこそこそとほのめかしたのです」。

「忌まわしいパチャママに関しては、世界統合主義的(globalist)なエコロジー宗教への敬意から、天主の御母を徐々に母なる地球に置き換える作業が進んでいることは明らかです。彼らが聖なる童貞をあざけるとき、彼らは十分心しておくべきです。ご自分に向けられたときには主がお許しになる罪であっても、それらがもし主のいとも聖なる御母に向けられるならば、主はお許しにならないからです。」

同じインタビューの中で、ヴィガノ大司教は、新しい典礼と手による聖体拝領を弾劾します。「世界中で秘蹟やミサが人々から奪われていることは、私たちの不忠実、非常に多くの天主の役務者たちの無関心によって私たちの教会で毎日行われている汚聖、手による聖体拝領による冒涜、典礼挙行の際の注意の欠如などのため、私たちに与えられている更なる罰であることも、私たちは理解しなければなりません。典礼の静かで純粋な声は、下品で世俗的な叫び声に取って代わられてしまいました。これでは、いかにして私たちの祈りが天をお喜ばせすることを望むことができるでしょうか?」。

ファチマの第三の秘密

4月21日、ヴィガノ大司教はポルトガルのウェブサイト「Dies Iræ」のインタビューに応じ、その中でファチマの第三の秘密に言及し、それを第二バチカン公会議と関連づけています。「第三の秘密を読んだ人々は、その内容が教会の聖職者たちの背教に関するものであることを証言していますが、まさにその背教が1960年代初頭に始まり、今日では平信徒が認識できるほど明らかな段階にまで達しています。アブダビ宣言に見られるような、宗教的相対主義や宗教的無関心、偽りのエキュメニズム、マルサス主義的生態学、同性愛の異端、移民主義(イミグレーショニズム)といった、教会が常に排斥してきた主題にほとんど執拗とも言えるほどこだわるのは、二世紀以上前に秘密のセクトによって考案された計画が成就したということです」。

女性助祭の問題を研究するための委員会が最近設立されたことについて尋ねられたヴィガノ大司教は、次のように答えました。「聖なる品級はその本質において変わり得ず、決して変えることができません。司祭職への攻撃は常に異端者たちや彼らに触発を受けた者たちの行動の中心でしたから、これも同じであることがわかります。つまり、司祭職を傷つけることは、聖なるミサとご聖体を破壊すること、そしてまた秘蹟の体系全体を破壊することを意味するのです。聖なる品級の宿敵としては、もちろん近代主義者たちがその最たるものでした。彼らは19世紀以来、司祭のいない教会、あるいは司祭と女性司祭の両方がいる教会を想定してきたのです。フランスの近代主義を代表する一部の者たちが抱いていたこのような幻想が公会議において生じたのは、聖なる品級から生じる職位的司祭職と、洗礼から生じる信徒の共通司祭職の間に一定の同等性が存在するとこじつける試みによってでした。重要なのは、まさにこの、あえて望んだ誤解を利用することによって、典礼改革も『ルーメン・ジェンティウム(Lumen Gentium)=現代世界憲章』の教義上の誤謬によって影響を受け、叙階された役務者を集会の単なる座長に格下げしてしまったことです。そうではなく、司祭は『もう一人のキリスト(alter Christus)』であり、人々による指名によるのではなく、自らの生活の聖性と、独身によっても象徴されている絶対的な奉献によってキリストを模倣すべく、存在論的に大司祭イエズス・キリストにかたどられているのです」。

また、いわゆる司牧的日和見主義を名指しで弾劾しました。「教会の教義に対するこの[新しい]アプローチが確認していることは、教皇ベルゴリオがいわゆる状況神学を採用したという、否定することのできない事実です。この神学によれば、神学的な場とは諸事実、すなわち、この世や自然、女性像、若者たちといった偶発的な事象です。この神学は天主の永遠不変の真理に基づかず、その逆に、現代世界の期待に応える答えを提供するため、[社会]現象の差し迫った緊急性を認識するところから始まるのです」。

さらにこの前教皇大使は、第二バチカン公会議によって提唱された教会の現代世界への開きによって可能となった、教会と現代の世界統合主義(globalism)との連携を弾劾します。このように、現在の教会が「自ら新世界秩序(new World Order)の霊的部門、かつ普遍的宗教の擁護者となっている」と大司教はみなしています。「この意味で、公会議の革命は、まず教会の遺産である数千年の聖伝を廃止しなければなりませんでした。教会は自らの活力と、キリストの神秘体としての自らの権威をその聖伝から得ていたからです。その後、この革命は古い位階階級の代表者たちを取り除き、そして、ごく最近になって、まさにうそ偽りのない自らの正体を現し始めたのです」。

「第二バチカン公会議のどういった点が問題だと思いますか?」という非常に直接的な質問に答えて、ヴィガノ大司教は、この公会議を完全に忘れることを勧めました。「公会議の問題点を私よりうまく指摘してこられた著名な方々が数多くいらっしゃると思います。ある人々は、ピストイアの司教会議(シノドス)に対して教会と教皇たちが行った対策に従うことが、面倒が少なく確かにより賢明であろうと考えます。この司教会議でさえ、その中には良いところもあったにもかかわらず、この会議が支持した誤謬があまりにも度を超していたため、そのすべてを忘れ去るべきだとされたのです」。しかしながら、また思い起こすべきことは、ヤンセニズムやヨゼフィニズムの理論を展開したピストイアの教区司教会議(シノドス)(1786年)が(信仰の真理をあいまいに表現したために)、1794年8月28日の勅書「アウクトレム・フィデイ[Auctorem Fidei]=信仰の権威」において、教皇ピオ六世による詳細で議論を尽くした排斥の対象となったことです。

インタビューの最後に、このローマの高位聖職者である大司教は、私たちが希望を持ち続けるべき理由と手段について次のように述べています。「教会は、この恐ろしく、非常に長く続く復活祭前の聖なる三日間【とも言える期間】の後に、主の栄光とともに再び輝くことでしょう。しかし、祈りは確かに不可欠ですが、キリストの十字架の旗の下に勇敢な戦いをする証人となり、善き戦いを戦うことをやめてはなりません。脅しに乗らないようにしましょう! 真理を宣べ伝えようとする人々に、寛容という名の猿ぐつわがかけられないようにしましょう! 私たちの言葉が勇気をもって天主の国とその義を宣べ伝えるように、童貞マリアにお願いいたしましょう」。


司教団体主義が司教の権威に取って代わる

4月29日、ヴィガノ大司教はバチカン専門家のマルコ・トサッティ(Marco Tosatti)のインタビューに応じました。大司教は、それぞれの教区における権限がイタリア司教協議会(CEI)の中に吸収されてしまった司教の多くが沈黙している原因である、司教団体主義を弾劾しました。

質問:多くの信徒や司祭は、[政府による公開ミサの禁止に直面して]イタリア司教協議会や司教たちから見捨てられ、気遣われていないと感じています。

回答:「誤解を避けるために言っておきますが、司教協議会は司教たちに対して何らの権限も持っておらず、司教一人一人が、教皇座と一致して、自らの教区における完全な裁治権を持つ、ということを明確にしておかねばなりません。そして、CEI全体がイタリア政府に対してあまりにも従順だったこと、あるいはむしろイタリア政府に支配されてきたことを私たちが理解するならば、これはさらにもっと重要なことになります」。

「司教たちは、裁治権のない団体が何をすべきかについて指示するのを待つべきではありません。信者に対して秘蹟とミサの挙行を保証するために、慎重さと知恵をもって、どのように行動すべきかを決定するのは司教一人一人の責任です。そしてどの司教も、司教協議会や国家に尋ねる必要なしに行動することができるのであり、国家の権限は私たちの教会の入り口で終わるのであって、そこで止まらなければなりません」。

「イタリア司教協議会がこのような乱用を容認し続けることは前代未聞であり、これは教会の持つ天主の権利を棄損し、国家の法律に違反し、また非常に深刻な前例を生み出しています。そして、日曜日[4月26日]の夕方に発表された声明は、イタリアの司教団の指導者たちが、この政府が提案している手段のみならず、その目的についても合意していることを証明している、と私は思います」。

「CEIと個々の教区の長である司教がほぼすべて冷然と沈黙していることから、これが前例のない国家への従属状態であることは明らかであり、信徒たちや司祭たちは自分たちが見捨てられた状況にあると正しく認識しています。最も象徴的な例は警察当局によるミサの挙行の中断であり、その冒涜的な傲慢さには、バチカンの国務長官が即座に非常に強い抗議をすべきでした。イタリアの駐バチカン大使を聖座に召喚し、イタリア政府が政教条約(コンコルダート)に重大な違反をしていることに対する厳しい抗議文を手渡すべきだったのであり、聖座はイタリア政府に対し、同政府の違法な規定が撤回されない場合には、駐イタリア大使を引き揚げる権利を行使する旨を通告すべきでした」。

また、ヴィガノ大司教は司教団の同僚たちに対して、こう呼びかけます。「感染症とされるものを口実に、教会の自由が制限されるのを許してはいけません![「感染症とされるもの」という主張は著者の見解です。編集者注]国家やCEIがそれをするのを許してはいけません! 主は、教区長であるあなたに対して、秘蹟を受けられずに死んだ霊魂たちについて、主と和解することができなかった罪びとたちについて、コンスタンティヌス大帝の勅令(313年)以来初めて信徒たちが復活祭をふさわしく祝うのを禁じられたことについて、申し開きをするようにお求めになるでしょう。あなたの司祭たちは恐れていません。彼らは英雄的な証人であり、あなたが彼らに与えた恣意的な命令のために苦しんでいます。あなたの信徒たちはあなたに懇願しています。彼らの叫びに耳をふさいだままにしないでください!」。

質問:これらは、国家当局以前に、教会当局への不従順を誘うように思われる言葉です。

答え:「従順とは真理と善に秩序づけられたものであり、そうでなければ、それは"へつらい"です。私たちは、『真理を証しする』ということが何を意味するのか、もはや理解できないほど良心が鈍ってしまっているのです。もし私たちがチェザルに従順だったことによって天主に対して不従順であった場合、主が私たちを、チェザルに従順であったかどうかに基づいてお裁きになるとでも考えているのでしょうか? キリスト教徒は、たとえ仕事においても、求められていることが天主の法に反している場合には、良心に基づいた反論をする義務があるのではないでしょうか? もし私たちの信仰が従順のみに基づいていたとしたら、殉教者たちは国家の法が定めた苦しみに直面する必要はなかったことでしょう。ただ従順に、皇帝の像の前で一粒の香を焚くだけで十分だったことでしょう。

ヴィガノ大司教は、「分裂を招く」いう非難に対して、次のように答えました。「信仰と愛徳における一致は霊魂の救済に基づいているのであって、霊魂への害に基づいているのではありません。CEIによる『話し合い』は不十分であり、笑顔の教皇とイタリア首相の会談も不十分です。その会談で首相は寛大な協力を提供されましたが、そこから明らかになるのは共謀と協同です。真理を宣言することは必然的に「分裂を招く」ものであり、それは光が闇と対立するように真理が誤謬に対立するからです。ですから、主は私たちにこうおっしゃっています。「私が地上に平和を与えるために来たと思うのか。私は言う。そうではない、むしろ分裂のために来た」(ルカ12章51節)。


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