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「助産婦の手記」39章  新時代の一人の新市民を!

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「助産婦の手記」
39章
かつての職工長のシュテルンは、革命後の数週間のうちに、本当に村の厄介者となった。そして彼の奥さんも同様である。彼は、ロシヤの状態をドイツに実現する時期が到来したと信じ、そして来たるべきプロレタリヤ支配の時代について、あらゆる居酒屋で、最も美しい演説を行った。曰く、今や絶対的共産主義の理想は、ついに実現されるであろう。労働者抑圧の時代は、もはや過ぎ去った。今や工場は、共有財産となり、誰でもそれに対し同一の請求権を持つこととなるであろう。一切の生産手段は、今後は全体に属するであろう。田畑は、もはや農民各個人には属さずに、共有となり、そして農産物は、共同で取り入れられ、穀倉におさめられるであろう、と。
幸いなことには、聴衆には、来たらんとする時代への信頼が欠けていた。農民たちは、大農から小農に至るまで、改革には賛成しなかった。労働者たちは、自分たちの手で、大工場を何とか経営して行くことの不可能なことをあまりにも明瞭に認めた。彼らにとっては、車輪を再び回転させる人が誰かやって来なければならないことが、日毎にますます明白になった。なぜなら、シュテルンが希望をかけているその国家は、ちっとも建設されなかったからだ。現在の政府は、あらゆる小さな暴動の企てに対抗して、日々にますます強固になって行った。共産主義者たちが政権を掌中に収めることは、明らかに成功しなかった。そこで、ある人たちは、信念上よりして、シュテルンの運動から遠ざかり他の人々は、無気力よりしてその運動から離れた。ただ最も若い煽動者のうちの数名のみが、今なおシュテルンのお先棒をかついでいるだけであるが、彼らは終戦前の数週間中に召集された音に聞えた連中のうちから出ている。彼らは、何ものかをなし遂げるには不十分であったが、しかし常に不安をかもし、騒ぎを起し、秩序を乱すには十分であった。
そのうちに、シュテルン奧さんは、第二百十八条は、もはや廃止されたこと、婦人はすべて、もし子供がほしくなければ、それを除去してもらう権利を獲得したことを、到るところで説明することによって、婦人たちを反逆的にならせようと試みた。こういうことは、今後は全く、ただ母親の意思のみに任せられるのだ。母親は、自分の体を処分する権利があるというのである。その頃というものは、私は古くからの神聖な道徳律を擁護せねばならぬ困難な立場にあった。多くの人々にとっては、前に述べたような新しい便利な説に従って、窮状から脱し得られるということは、非常に好都合であった。なぜなら、ロシヤ人の種が、幾つか成長しつつあったし、また幾人かの父親は、自分が作った子でないのに、家族が増したような有様であったからである。道徳は、すでにそんなに弛んでいたのであるから、それを全く破壊するには、大した手数は要しなかった。
その時、あたかも天主が御自身で、私を助けようと思われたかのような出来事が起った。少なくとも婦人たちは、そう見たのであった。私は、その考えを人に洩らしたことはなかったが。
誰あろうシュテルン奥さんが、身重になったことが判った。彼女は、そのことをちっとも秘密にしなかったのみか、却って自分はいま子供がほしいのだと、到るところで吹聴した。新時代に対して、一人の市民を送りたい、全く粒選りの優れた子孫を。すなわち、来たるべき世代において、いま生きている人間たちが仕事をするにはあまりに、もうろくした時に、父親の仕事を完成するような優秀な子孫を。そう、新時代の一人の新市民を! 父親のシュテルンも、その子のことを、あらゆる居酒屋で吹聴した。その子は、大理想の担い手に決められていた。世界史における新時代の先駆者に。『そんなに大きなことを言いなさんなよ。』 と村長が言った。『運命は、あんたを愚弄するかも知れませんよ。 するとあんたは、 世間の笑われ者となりますよ。』 しかし、 それは何の効き目もなかった。これより先き、シュテルンは、村役場の中に、住宅係りの小さな職分を作ってもらっていた。それは、人のよく知っている諺(ことわざ)に従ったものだ、『悪い犬には、骨を投げてやれ』と。その地位では、大した給料にありつけなかったが、彼は、自分自身を非常に重要欠くべからざるものと感じていた。シュテルン夫婦は、生れて来ようとする子供のために、当時最も金のある人々でさえも、しなかったような準備をした。ケースやリボンのついた沢山の下着類、部屋かごと乳母車、すべてのものが用意してあった。やがて大いなる日が近づいた。産褥看護婦は、活動にはいる時機を待っていた。乳母が必要かどうかの話も出た。しかし、それには私が反対した。強い健康な婦人は、自分で子供に授乳せねばならない。今度の場合には、授乳してはいけないというような原因は、ちっともないではないか。ところが彼女は、あの周知の愚かな言い草を、私に対して並べ立てた。すなわち、授乳すると、容姿を損なう、美しさを失って醜くなり、非常に早く老いこむ、飲食物に注意せねばならない……と。それならば、子供というものは、母親がそのような犠牲を払うに値いしないものであろうか? 右に述べた抗議箇条のうち、最後のもの以外は、どれも本当ではない! 私は、子供が七人も、または、それ以上もありながら、殆んど今日の若い女と同じように、そんなに若々しく新鮮に見える母親たちを知っている!
そこで、私に反対しようとするものは、一人もいない。婦人たちは、母親というものは自分の子供に授乳すべきであるということを、私が助産婦を始めてから十年のうちに学んだのであった。それは、激しい戦いであった。私が開業した当時は、この母親の義務を履行したものは、百人中、わずかに十人あるかないかであった。あのバベット婆さんは、母親のしたい放題に任せたものだから、授乳のことなんか、婆さんにとってはどうでもよいことであった。しかし私は、それが至当だと言った。私は、もし授乳されない子供が死ぬと、母親にその責任があるように思われる。私は、強いて子供に授乳させることにした。もちろん、助産婦は、もし授乳を徹底させようと思うなら、遙かに多くの時間をかけねばならない。しかし、それは私には全く同じである。子供の授乳のために尽くすことは、私の職務上の義務に属するのであり、そして私は、それを履行しているのである。私は、このことは、もし義務がなくてもするであろう。なぜなら、それは子供のために、実に善いことだからである。
このようにして、私たちは、 シュテルンの家で、子供の生れぬうちから、もう授乳のことについて、議論した。このようなことをするのは、時間が速くたって行くために、時として全く興味あることである。さもなければ、シュテルン奧さんの精神状態では、理性的なことは一言も話すことはできなかった。そして私は、ひそかに絶えず、教会の聖なる祭壇の所の窓の燈火(ともしび)の方を、かの永遠の光の方を眺めやっていた。私には、このお産はどうも気持がよくなかった。何か起るぞという感じがした。そしてこのような予感は、私を決して欺かないのである。成程、私は、それが果して何であろうか、または、それが何処から来るかということは、言うことができない。ただ私は、何ものかが空中にただようていることを確かに知っているのである。
シュテルン奥さんは、恐ろしい身ぶりをした。彼女が、今すすり泣いたり、わめいたりしている時の有樣は、彼女が普段いつもたたいていた大口には全然ふさわしくないものだった。それは全く、石をも軟らかにするほどだった。これに反して、しっかりした母親は、しばしばいかに勇敢であり、極度の苦痛の下にありながらも、生れようとする子供に向って、いかに喜ばしそうに、ほほ笑みかけることであろうか!『もし私がこのことを知っていたら、もしこんなとき、何を凌がねばならぬかということを予感していたら、私はこんなことを背負いはしなかったでしょう! 男たちは、うまいことを言うものですね……』『それは、そんなに悪いものじゃありませんよ。ここで、歯を少しばかり喰いしばらねばなりません。ほかの母親たちは、子供を五人も六人も産みながら、またもや一人できれば、いつも喜んでいるのです。あなたが、赤ちゃんを産んだ後では――その時には、以前あったすべてのことは、忘れてしまいますよ……』『あんたも、男たちと同じようなことを言いますね。あんたにとっては、それはまた何でもないばかりか、却ってそれは、あんたのパンです。しかし、私はもう二度とこういうことには、決してならないつもりです。目まいが去ったら、すぐ私は、もう一度避妊手術をしてもらいますよ。』そこで非常な驚きのため、私は体中がぞっとした。さし迫った不吉の原因が、どこにあるかということを予感した。『では、あなたは、もう既に一度そんなことをなさったのですか?』『もちろんですよ。あんたは、私が戦争の四年間というものを、一切の楽しみを捨てようとしたとでも思っていますか? 男たちは、前線で妻を手もとに置いていない埋め合わせを、やっていたのです。今は、正常の時代ではありません。だから、正常な定木(じょうぎ)を当てることはできないんですよ……』『で、あなたは、レントゲン放射は、後に生れて来るかも知れぬ子供に対して、非常な害を引き起すことがあるかも知れないということを、決してお聞きにはならなかったんですか?』『どうしてですか?』と彼女は、さすがに驚いた。『それは、こうです。まだ非常に発育が後れていて、何年か後にはじめて成熟するような卵細胞はX光線の作用によって、全く破壊されてしまうということはありませんが、しかし、多かれ少なかれ損われ得るからです。そこで、そんな子供は、肉体的にも、精神的にも、出来損いになることがあり得るのです。』『止して下さい――そんな恐ろしいこと―――もしも――もしも……』『私はただ「あり得る」と言っただけです。「なるでしょう」とは言いません。個々の場合について、私たちは、何も予言することはできないんです。』
一時間後に、子供が生れた。この子ぐらい、私が憐れに思った赤ちゃんは珍しい。そうだ、親の罪悪は、報いを受ける……奇形の手足、でかい脳水腫。驚異的新時代の憐れな担い手!母親は、その子を見たとき、髪をかきむしった。父親はわめきあばれた。自分を追って来た宿命を呪った。姑は、一日中泣きわめいた。ただ産褥看護婦だけが、その憐れな子供を気の毒に思った。私は、できるだけ両親を慰めた。『赤ちゃんが乳離れしたら、すぐ整形外科をする治療院へ入れなさい。手足は、奇形が殆んど人に気づかれぬぐらいに直すことができます。私は、そんな子供たちを、そこで見たことがあります。入院が早ければ早いだけ、それだけたやすく、うまく行きますよ。』私は、その子の智能も平均以下であろうと怖れていたが、そのことは黙って置いた。もし実際、そうだとすれば、両親に段々それが判って行く方が、堪えられやすいのである。『僕の子には、洗礼は受けさせない! 僕たちは、迷信を捨ててしまったんだ。』 とシュテルンは、反対した。しかし彼の威張りは、大へん下火になった。
数日のうちに、そのことは、もう村中に知れわたった。どういう具合に、すべてのことが人々の間に知れるのか、判らない。到るところで、婦人たちは尋ねた。『リスベートさん、それは実際、ほんとですか?…』そして、たとえ誰も、そのことをあえて公然とは言わなかったが、この事件では、親が人間の芽を損なったことが子供に影響を及ぼしたのだということを、みんな感じたのであった。人は、そのような因果関係については、一つの直覚を持っている。そして多くの人の頭の中に、これに関する考えが再び明瞭になり、そして道徳的観念が再び取りもどされた。その憐れな小さな不具者は、治療を受けた。普通の子供と同じ様に歩けるように、足を真直ぐにされた。また手も幾らか使えるようになった。しかし、憐れなその頭に欠けているものは、誰もそれを与えることはできなかった。その子は、学校へ行かないうちに死んだ。弟妹は、生れなかった。私はその子の病気の頃、しょっちゅう見舞ってやったが、父親は、ある日、こう言った。『もしもあんたがお喜びになるのでしたら、あの子に洗礼を授けて下さってもいいですよ。神父さんは、この家には来ません。しかし、僕はあんたを喜ばしてあげたいのですが……』私は、このことを二度と繰り返して言わせなかった。そして、今その憐れな小さな不具者は、天上の天使たちのそばにいるのである。



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