「助産婦の手記」
46章
私は、リングバッハ夫婦が、もう一週間以来、とても厭(いや)になった。この二人の信じられないぐらいの利己主義者は、生活の勇気を全然失っていたのであるが、同時にまた信じられないほどの自負心があったので、世間に対しまだまだ種々の要求をいだいていた。もっとも自分自身に対してだけは、何も要求しないのであるが。そう、この夫婦は、二人の子供を育てる気はないのである。一週間以来、私はその子供たちを、どこかへ世話しようと骨折ったのであるが、残念ながら無駄だった。出来そうに思われたことも、彼らの傲慢な利己主義のために、話がこわれた。ベルグホーフの百姓のお上さんが、赤児の方を引き受けたいと言った。もっとも一年間くらいは、その母親が赤児のそばにいて、乳を与え、面倒を見てやってほしいと希望した。そのお上さんは、自分で子供を持ったことがないので、そんなに全く小っちゃい子供をどう扱ってよいのか見当がつかなかった。『赤ちゃんが、まあ這いまわりだすようになると、私は自分で何とかやって行くつもりですよ、リスベートさん。よく御存知のように、この家では、私たちが何でも手に入れた以上、それはピーピー鳴いて、自由自在に走り廻ることができるんです。でも、そのお母さんは、しばらく家事を手伝って下さらねばいけないね……』『私が? 乳搾り女になるんですって? 糞を掘りかえすなんて、いえ、そんなことを、あんたは、私に要求することはできませんわ。』と、リングバッハ奥さんは、直ちにはっきり答えた。
もちろん百姓のお上さんは、その母親が大喜びで、一日でも早く自分の家にやって来るだろうと期待していた。というのは、その子供に対しては、親となるべき人の立派な屋敷が開放されているばかりでなく、遙か彼方には、美しい農場に対する相続権が、またたいているからである。私もまた、もしある母親が自分の子供を養育することができなければ、この幸運を、両手をもってつかむだろうと思っていた。従って、彼女が相変わらずそんな態度をとっていることは、全く信じることができなかった。これには聊(いささ)か驚かされたので、私は一日々々と、百姓への返事をのばしていた。しかし、その噂は自然に拡がった。そして私が、リングバッハ奥さんに、やがて二つになる女の児の方をやる気はないかと打診して見たところ、彼女はこう言った。『リスベートさん、手をお焼きにならないでね。もしベルグホーフさんが、社会的に十分良い地位になければ、問題になりませんよ。あたられっきとした母親も、自分の子供にそんな家庭を得させるため、一生、下女で終ってしまうことでしょうね。』
私が、そのお産の後十日目に、リングバッハのうちへ行ったところ、奥さんは、行先を書き残しもしないで、夜のうちに旅立っていた。御主人は、 その日ある知り合いと出会ったが、帰宅して見ると、彼女はいなかった。二人の子供が、ひとりぼっちで置きのこされて泣いていた――一壜(びん)のミルクも家にはなかった、全く何もなかった。ビルク奥さんが、慈悲深く、その遺棄された子供たちの世話をした。母親は、もはや帰っては来なかった。
このやり方によって、最後の望みの綱切れた。『わたしゃ、そんな腐った女の赤児は引き受けないよ。』と百姓のお上さんが言った。『その子の体の中には、何が潜んでいるか知れたものじゃない。つい先だって、こんなことが新聞に出ていたよ。ある養子が、わずかばかりの小金を早く手に入れるために、年寄りの養母を殺したってことが。』『でもね、これまでたびたび息子が実の父親を殺したこともありましたね。私たちは、結局、そんなにひどく取り越し苦労をしてもいけないですよ。』と私は、なだめようと試みた。しかし、それはもはや何の役にも立たなかった。同情心の最後の一片も、その母親の行状によって、粉なみじんとなってしまった。
それらの憐れな子供は、どうなることであろうか? ビルク奧さんに長く厄介をかけることはよろしくない。私は、子供の必要とするものを沢山、彼女のところへ持ち運んだ。しかし、私は彼女が費した時間の償いをすることはできない。しかもそれは少々のものではなかった。急に母親から、もぎ離されたそんな子供というものは、全く非常に注意深い世話を要するものである。黙々と事情を吞みこんで、ビルク奥さんは、その子たちを引き取った。自分自身の子供すら殆んど養育し兼ねる有様ではあったが。それなのに、その子の父親は、子供をまだ一度も見に來ない。彼にとっては、子供はもはや、ないも同然であつた。どうか聖天使たちが、お助け下さるように。さもなければ、私は本件を少年保護局に持ちこまねばならない。代父母制をもっては、この場合は救われない。なぜなら、その追い出された小鳥たちは、暖かい巣を必要とするからである。
その後、ある朝、私は早朝ミサへ行く途中で、助任司祭、すなわち駅長の御子息に出会った。そして快活な挨拶の後で、彼はこう言った。『あなたにお会いできて嬉しいことです。ブルゲルさん。どうかぜひ、私の妹に赤ちゃんを二三人世話してやっていただきたいものです。妹は、あの女の子ひとりだけでは、とても満足しないんです。しかし妹の夫は、もう父親になることは出来ないでしょう。あの人は、ひどい戦傷を受けたのです。お解りのことと思いますが、そうじゃないでしょうか?』『それは、ヨゼフィンさんにはお気の毒なことです。あの人は、どうあっても、少なくとも六人は、食卓のまわりに坐らせたいと思っていらっしゃったのに。』『そうです。あなたにどうかヨゼフィンをお助け願わねばならないと、夫のパウルがきのう言っていました。彼は、喜んで相当の金は、かけるつもりでいます。しかしそれは健康な、そしてまあ正常な良い素質をもった子供で、将来立派な人となるような子でなければなりませんね。』『それは天主様が私にお送り下さっています。』と私は喜んで言った。『一週間前から、私は二人の赤ちゃんを、一人は二つになる姉、もう一人は、やっと二週間の弟ですが、その子供たちのために暖かい巣を探しているんです。ところが、どうも成功しそうもないんです。誰でも、その不確かな暗い将来と、もし起るかも知れない良からぬ煩(わずら)いのことを心配するんです。』『その子たちは、そんなに良くない境遇から生れたのですか?』そこで私が簡単に事情を話したところ、助任司祭は言った。『それでは、その親たちは、全く責任感のない正真正銘の利己主義者ですね。しかし、それは遺伝素質ではなく、他人と自分との共同責任です。我々は、天主様と協力して、あらゆる木材を材料として、聖人でもルンペンでも彫刻することができるのです。そして、その子供たちの将来は! 人はあまり心配しすぎてはいけません。我々の天主様は、なおまだ、いらっしゃるのです。天主は、おっしゃったではありませんか、「小さきものを、我が名において引き取るものは、すなわち我れを引き取るものなり。主の御自ら住み給う家は、堅牢にして毀(こわ)るることあらじ。」と。』『もし私たちが、この信仰を、もう一度、世間の人たちに与えることができますなら……』『ですから、我々は、その問題を解決しようというのです。』……挨拶しながら、彼は香部屋の中に消えた。
私は、なお何を話すべきであろうか? その二人の子供が、両親の愛と配慮とを受けて、役に立つ人間になったということ? なおそのほかに、二人の棄児が引き取られたということ? リングバッハ夫婦のうち、どちらも、今までその子供たちの安否を尋ねたことがないということ? 彼らは、どうなったのか私は知らない。そう、少し私は報告しよう。
ヨゼフィンの結婚生活には、どんな小さな隙間も生じなかった。なぜなら彼らが夫婦愛の点で、もはや互いに贈り合うことができなかったところのものは、精神的な温情と心よりの愛情とによって完金に補うことができたから、ヨゼフィンの豊かな母性愛は、彼女の五人の子供たちの上に、正しく溢れることができた。一方、彼女の夫の支配人は、父性愛と忠実な配慮とをもつて常に彼女を助けた。この夫婦の間には、何の溝もなかった。役に立たない詮索や、詮議立てをする暇な時間はなかった。二人は、おのおの相手が、自分を喜ばせるために、そしてまた生活をば愛をもつて美化するために、注意深く骨折っていることを常に新たに見、かつ経験した。そしてこのようにして二人の心はいよいよ堅く結び合った。
もしも夫婦というものが、実子であると他人の子であるとを問わず、優しい愛情と、同時に賢明な指導と合理的な熱意とをもって、その子を育てることを共同目的とするなら、多くの婚姻は、戦後の危機から速かに脱することができるであろうと、私は信じるのである。
ビルク奥さんもまた、相手を喜ばせることを常に心がけるというやり方でもって、彼女の夫婦関係を、以前よりますます密接にした。最初のうちは、夫は躊躇したが、自分でもそうやって見る気になり、そして彼は徐(おもむ)ろに、手さぐりしながらこの道をぼつぼつ進んで行こうと試みはじめた……そして間もなく、彼にとっては、家族の方が、ダンスの伴奏よりも大切なものとなった。その伴奏は、もし母親が一緒に行って、楽しみにしようとでもするなら、稀れにやるぐらいのものであった。
互いに熱心に相手に喜びを与えようとすることは、なまじい、あらゆる説教や、または相手を教育し改善しようとすることよりも、遥かに効果的である。
しかし、経済的裏づけのない結婚生活は、存立することはできない。このことは、私たちの心の中に燃えていなければならない。もしも各々の人が、自分にとって可能なことをしようと心掛けさえするならば……私たちがこの課題を解決しないうちは、夜も静かに眠ることはできないであろう。
46章
私は、リングバッハ夫婦が、もう一週間以来、とても厭(いや)になった。この二人の信じられないぐらいの利己主義者は、生活の勇気を全然失っていたのであるが、同時にまた信じられないほどの自負心があったので、世間に対しまだまだ種々の要求をいだいていた。もっとも自分自身に対してだけは、何も要求しないのであるが。そう、この夫婦は、二人の子供を育てる気はないのである。一週間以来、私はその子供たちを、どこかへ世話しようと骨折ったのであるが、残念ながら無駄だった。出来そうに思われたことも、彼らの傲慢な利己主義のために、話がこわれた。ベルグホーフの百姓のお上さんが、赤児の方を引き受けたいと言った。もっとも一年間くらいは、その母親が赤児のそばにいて、乳を与え、面倒を見てやってほしいと希望した。そのお上さんは、自分で子供を持ったことがないので、そんなに全く小っちゃい子供をどう扱ってよいのか見当がつかなかった。『赤ちゃんが、まあ這いまわりだすようになると、私は自分で何とかやって行くつもりですよ、リスベートさん。よく御存知のように、この家では、私たちが何でも手に入れた以上、それはピーピー鳴いて、自由自在に走り廻ることができるんです。でも、そのお母さんは、しばらく家事を手伝って下さらねばいけないね……』『私が? 乳搾り女になるんですって? 糞を掘りかえすなんて、いえ、そんなことを、あんたは、私に要求することはできませんわ。』と、リングバッハ奥さんは、直ちにはっきり答えた。
もちろん百姓のお上さんは、その母親が大喜びで、一日でも早く自分の家にやって来るだろうと期待していた。というのは、その子供に対しては、親となるべき人の立派な屋敷が開放されているばかりでなく、遙か彼方には、美しい農場に対する相続権が、またたいているからである。私もまた、もしある母親が自分の子供を養育することができなければ、この幸運を、両手をもってつかむだろうと思っていた。従って、彼女が相変わらずそんな態度をとっていることは、全く信じることができなかった。これには聊(いささ)か驚かされたので、私は一日々々と、百姓への返事をのばしていた。しかし、その噂は自然に拡がった。そして私が、リングバッハ奥さんに、やがて二つになる女の児の方をやる気はないかと打診して見たところ、彼女はこう言った。『リスベートさん、手をお焼きにならないでね。もしベルグホーフさんが、社会的に十分良い地位になければ、問題になりませんよ。あたられっきとした母親も、自分の子供にそんな家庭を得させるため、一生、下女で終ってしまうことでしょうね。』
私が、そのお産の後十日目に、リングバッハのうちへ行ったところ、奥さんは、行先を書き残しもしないで、夜のうちに旅立っていた。御主人は、 その日ある知り合いと出会ったが、帰宅して見ると、彼女はいなかった。二人の子供が、ひとりぼっちで置きのこされて泣いていた――一壜(びん)のミルクも家にはなかった、全く何もなかった。ビルク奥さんが、慈悲深く、その遺棄された子供たちの世話をした。母親は、もはや帰っては来なかった。
このやり方によって、最後の望みの綱切れた。『わたしゃ、そんな腐った女の赤児は引き受けないよ。』と百姓のお上さんが言った。『その子の体の中には、何が潜んでいるか知れたものじゃない。つい先だって、こんなことが新聞に出ていたよ。ある養子が、わずかばかりの小金を早く手に入れるために、年寄りの養母を殺したってことが。』『でもね、これまでたびたび息子が実の父親を殺したこともありましたね。私たちは、結局、そんなにひどく取り越し苦労をしてもいけないですよ。』と私は、なだめようと試みた。しかし、それはもはや何の役にも立たなかった。同情心の最後の一片も、その母親の行状によって、粉なみじんとなってしまった。
それらの憐れな子供は、どうなることであろうか? ビルク奧さんに長く厄介をかけることはよろしくない。私は、子供の必要とするものを沢山、彼女のところへ持ち運んだ。しかし、私は彼女が費した時間の償いをすることはできない。しかもそれは少々のものではなかった。急に母親から、もぎ離されたそんな子供というものは、全く非常に注意深い世話を要するものである。黙々と事情を吞みこんで、ビルク奥さんは、その子たちを引き取った。自分自身の子供すら殆んど養育し兼ねる有様ではあったが。それなのに、その子の父親は、子供をまだ一度も見に來ない。彼にとっては、子供はもはや、ないも同然であつた。どうか聖天使たちが、お助け下さるように。さもなければ、私は本件を少年保護局に持ちこまねばならない。代父母制をもっては、この場合は救われない。なぜなら、その追い出された小鳥たちは、暖かい巣を必要とするからである。
その後、ある朝、私は早朝ミサへ行く途中で、助任司祭、すなわち駅長の御子息に出会った。そして快活な挨拶の後で、彼はこう言った。『あなたにお会いできて嬉しいことです。ブルゲルさん。どうかぜひ、私の妹に赤ちゃんを二三人世話してやっていただきたいものです。妹は、あの女の子ひとりだけでは、とても満足しないんです。しかし妹の夫は、もう父親になることは出来ないでしょう。あの人は、ひどい戦傷を受けたのです。お解りのことと思いますが、そうじゃないでしょうか?』『それは、ヨゼフィンさんにはお気の毒なことです。あの人は、どうあっても、少なくとも六人は、食卓のまわりに坐らせたいと思っていらっしゃったのに。』『そうです。あなたにどうかヨゼフィンをお助け願わねばならないと、夫のパウルがきのう言っていました。彼は、喜んで相当の金は、かけるつもりでいます。しかしそれは健康な、そしてまあ正常な良い素質をもった子供で、将来立派な人となるような子でなければなりませんね。』『それは天主様が私にお送り下さっています。』と私は喜んで言った。『一週間前から、私は二人の赤ちゃんを、一人は二つになる姉、もう一人は、やっと二週間の弟ですが、その子供たちのために暖かい巣を探しているんです。ところが、どうも成功しそうもないんです。誰でも、その不確かな暗い将来と、もし起るかも知れない良からぬ煩(わずら)いのことを心配するんです。』『その子たちは、そんなに良くない境遇から生れたのですか?』そこで私が簡単に事情を話したところ、助任司祭は言った。『それでは、その親たちは、全く責任感のない正真正銘の利己主義者ですね。しかし、それは遺伝素質ではなく、他人と自分との共同責任です。我々は、天主様と協力して、あらゆる木材を材料として、聖人でもルンペンでも彫刻することができるのです。そして、その子供たちの将来は! 人はあまり心配しすぎてはいけません。我々の天主様は、なおまだ、いらっしゃるのです。天主は、おっしゃったではありませんか、「小さきものを、我が名において引き取るものは、すなわち我れを引き取るものなり。主の御自ら住み給う家は、堅牢にして毀(こわ)るることあらじ。」と。』『もし私たちが、この信仰を、もう一度、世間の人たちに与えることができますなら……』『ですから、我々は、その問題を解決しようというのです。』……挨拶しながら、彼は香部屋の中に消えた。
私は、なお何を話すべきであろうか? その二人の子供が、両親の愛と配慮とを受けて、役に立つ人間になったということ? なおそのほかに、二人の棄児が引き取られたということ? リングバッハ夫婦のうち、どちらも、今までその子供たちの安否を尋ねたことがないということ? 彼らは、どうなったのか私は知らない。そう、少し私は報告しよう。
ヨゼフィンの結婚生活には、どんな小さな隙間も生じなかった。なぜなら彼らが夫婦愛の点で、もはや互いに贈り合うことができなかったところのものは、精神的な温情と心よりの愛情とによって完金に補うことができたから、ヨゼフィンの豊かな母性愛は、彼女の五人の子供たちの上に、正しく溢れることができた。一方、彼女の夫の支配人は、父性愛と忠実な配慮とをもつて常に彼女を助けた。この夫婦の間には、何の溝もなかった。役に立たない詮索や、詮議立てをする暇な時間はなかった。二人は、おのおの相手が、自分を喜ばせるために、そしてまた生活をば愛をもつて美化するために、注意深く骨折っていることを常に新たに見、かつ経験した。そしてこのようにして二人の心はいよいよ堅く結び合った。
もしも夫婦というものが、実子であると他人の子であるとを問わず、優しい愛情と、同時に賢明な指導と合理的な熱意とをもって、その子を育てることを共同目的とするなら、多くの婚姻は、戦後の危機から速かに脱することができるであろうと、私は信じるのである。
ビルク奥さんもまた、相手を喜ばせることを常に心がけるというやり方でもって、彼女の夫婦関係を、以前よりますます密接にした。最初のうちは、夫は躊躇したが、自分でもそうやって見る気になり、そして彼は徐(おもむ)ろに、手さぐりしながらこの道をぼつぼつ進んで行こうと試みはじめた……そして間もなく、彼にとっては、家族の方が、ダンスの伴奏よりも大切なものとなった。その伴奏は、もし母親が一緒に行って、楽しみにしようとでもするなら、稀れにやるぐらいのものであった。
互いに熱心に相手に喜びを与えようとすることは、なまじい、あらゆる説教や、または相手を教育し改善しようとすることよりも、遥かに効果的である。
しかし、経済的裏づけのない結婚生活は、存立することはできない。このことは、私たちの心の中に燃えていなければならない。もしも各々の人が、自分にとって可能なことをしようと心掛けさえするならば……私たちがこの課題を解決しないうちは、夜も静かに眠ることはできないであろう。