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【再掲】「キリシタン時代の聖なるロザリオの信心」スペイン、イタリア、その他の国においても、日本ほどロザリオの信心会がうまく運営されているところはない

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アヴェ・マリア!

フランシスコ・カレーロ著 「キリシタン時代の聖なるロザリオの信心」

愛する兄弟姉妹の皆様、
 10月は聖なるロザリオの聖月なので、次の本を推薦します。

「日本諸国における聖なるロザリオと聖ドミニコ会の偉業(1617~1624年)」
フランシスコ・カレーロ著
ドミニコ会士 ホセ・デルガド・ガルシア解説・註
井出勝美訳(1997年)

 これによると、日本ではロザリオの信心がまさに迫害の中発展し、私たち祖先を力づけてきたことがよく分かります。この本にはこんな史実が載っていました。ご紹介します。

*****

 ドミニコ会は日本に1602年に入国。日本にはこれ以前に、「ロザリオの聖母」と命名されたフランシスコ会司祭の教会が江戸にあり、また同じく江戸にマニラのフランシスコ会司祭から許可を得たロザリオの組(信心会 コンフラディア)があった。
 しかしドミニコ会が日本に上陸すると、すぐにロザリオの組(信心会)を設立した。1604年、長崎でロザリオの組に入会したものは二万名を超えた。

「ロザリオに捧げた彼らの信心が深かったので、手あるいは頸にロザリオをかけないキリシタンはまず見られぬほどであった。日本で教会が破壊された時、聖なるロザリオの信心は信徒の心を弱めるどころか、むしろこの教会の荒廃と破壊の中から、さらに勢いよく若芽を出し信徒の心中に根付いていった。組員は某家に参集してロザリオの祈りを唱え、元気を取り戻し、以下に拷問を加えられようとも必ず信仰を主張することを誓い、少しでも必要があり、いくらか弱くなっていると思われる人々を心から助け勇気づけることに賢明に努めていた。」

「ロザリオと悪魔との戦いはすさまじかった。一つ一つの数珠玉(クエンタス)は悪魔を撃ち貫いて苦しめる弾丸であったので、悪魔はあらん限りの手段を用いて数珠玉を砕こうとした。何故なら教会が皆無となったとき[1616年]、・・・聖なるロザリオの組に対する旋風が巻き起こり始めたからである。」(50ページ)

 ファン・デ・ルエダ神父によると「我々は日本でもロザリオの信心と組に関することを全て日本語に翻訳し、全ての人々はロザリオの大切さを熟知している。こう言うわけで1500枚以上のロザリオの聖母像の絵があり、従って、スペイン、イタリア、その他の国においても、日本ほどロザリオの信心会がうまく運営されているところはない。」(55ページ)と言っている。

「至聖なるロザリオが日本諸国で上げた大成果の一つは、我が主キリストの信仰を貫きつつ、それを守るためには些かも躊躇せず生命をかけるようにと、無数のキリシタンの心中に植え付けた不断の勇気と気力である。それは、かくも聖なる信仰がこの国に入る以前には、極めて欠如していたのである。」(61ページ)

 例えば、長崎のロザリオの信心会の組員であったガスパル上田彦次郎とアンドレス吉田との活躍は模範的であった。幕府は宣教師・伝道師・重要人物をことごとく日本から追放しようと1614年11月6日、三艘の船に彼らを載せて追放した。船が沖に出るまで途中まで護送して引き上げた。その後、宣教師たちが長崎に帰還する危険がないと思ったとき、ガスパル上田とアンドレス吉田とはその他の幾艘かの船で陸地からかなり離れた海上に出て、自由意志で帰還したいと希望した宣教師たちを、大胆にも収容して長崎に連れ戻してきた。こうして9名の司祭が戻ってきた。
 将軍の命令に違反して司祭たちに宿を貸すことは、極めて危険なことであったが、彼らは命を奪われることを恐れなかった。

 ガスパル上田は、ドミニコ会のアロンソ・ナバレテ神父(聖ドミニコ会管区長代理)を匿い、アンドレス吉田は、教区司祭で長崎代官の子フランシスコ村山神父と聖アウグスチノ会のエルナンド・デ・アヤラ神父とを匿った。

 ガスパル上田の家は、万民に開放され、近隣の村々から人々が集まり、異教徒は伝道師を、洗礼志願者は洗礼を授けてくれる者を、悔悛者は告解の聴罪師を、離教者は教会に復帰させてくれる者を、そこに見出した。

 しかし聖ドミニコ会のアロンソ・ナバレテ神父と聖アウグスチノ会のエルナンド・デ・アヤラ神父とは3年後の1617年6月1日に殉教した。その後、聖ドミニコ会のファン・デ・ルエダ神父に出会った。ファン・デ・ルエダ神父は、「司祭を泊めるべからず違反すれば死罪」という将軍の命令のために、毎日、宿を変え多くの労苦を嘗めていた。そこでガスパル上田は、ファン・デ・ルエダ神父に自分の家を使うことを懇願さえした。
 ガスパル上田もアンドレス吉田も、1617年8月21日、遂に逮捕され、財産を没収され、見事な広大な屋敷を奪われた。

 奉行が「修道会士を家に泊めることは将軍から厳禁されているにもかかわらず、なにゆえに無謀なことをしたのか」と尋問すると、彼らはキリシタンとしてこう答えた。

「我らはキリシタンであり、聖なる掟を守る以外に救いの方法は他になく、パードレ様がいなければ告解を聞いて下さる方がいないので、掟を守ることが至難だと心得ています。さすれば家にパードレ様をお泊めしてきたのです。」(70ページ)

 奉行は彼らに斬首刑を命じた。この2名のロザリオの信心会の組合員はこの最終判決を感謝して受け入れた。

 その当時はロザリオの聖母の大祝日は10月の第1主日であり、典礼上はその前日の土曜日の夕からロザリオの聖母の荘厳な祝日が始まっていた。彼らが刑場についてのはまさに9月30日土曜日の夜であった。
 1617年10月1日の主日、ロザリオの聖母の祝日早朝に、「祝福された二人の殉教者は地上に跪き、目を天へ心をデウスへ向けて祈りを唱えながら聖なる頸を斬られた。」(72ページ)

 フランシスコ・カレーロ著 「キリシタン時代の聖なるロザリオの信心」のつづきをお読みになりたい方は、発行所にご連絡下さい。


発行 聖ドミニコ修道会
ロザリオの聖母管区日本地区
愛媛県松山市衣山5丁目1646-6

P. Fr. Francisco Carrero O.P.,
Triumfo del Santo Rosario y Orden de Santo Domingo
en los Reinos del Japon
desde el Ano del Senor 1617 hasta el de 1624,
tercera edicion, Madrid, 1993.

「日本諸国における聖なるロザリオと聖ドミニコ会の偉業(1617~1624年)」
フランシスコ・カレーロ著
ドミニコ会士 ホセ・デルガド・ガルシア解説・註
井出勝美訳(1997年)



ロザリオの祈りについて
レオ13世 回勅「オクトブリ・メンセ」 1891年9月22日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥス』1883年9月1日
レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 回勅『フィデンテム・ピウムクェ』1896年9月20日
レオ13世 回勅『マニェ・デイ・マートリス』1892年9月7日

レオ13世 回勅『マニェ・デイ・マートリス』1892年9月7日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥ』1883年9月1日
レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 使徒書簡『サルターリス・イッレ』1883年12月24日
レオ13世 回勅『アドュトリーチェン・ポプリ』1895年9月5日

レオ13世 使徒書簡『パルタ・フマノ・ジェネリ』1901年9月8日
ピオ11世 書簡『インクリタム・アク・ペリルストレム』1934年3月6日
レオ13世 回勅『フィデンテム・ピウムクェ』1896年9月20日

レオ13世 回勅『アウグスティッシメ』1897年9月12日
レオ13世 回勅『アドュトリーチェン・ポプリ』1895年9月5日

レオ13世 使徒書簡『パルタ・フマノ・ジェネリ』1901年9月8日
ピオ12世 回勅『イングルエンティウム・マロールム』1951年9月15日

レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥス』1883年9月1日
レオ13世 レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日

レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥス』1883年9月1日
レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 使徒憲章『ウビ・プリームム』1898年10月2日
レオ13世 回勅『アドュトリーチェン・ポプリ』1895年9月5日
レオ13世 使徒書簡『パルタ・フマノ・ジェネリ』1901年9月8日
レオ13世 書簡『ヴィ・エ・ベン・ノート』1887年9月30日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥス』1883年9月1日
レオ13世 回勅『フィデンテム・ピウムクェ』1896年9月20日
ピオ12世 回勅『イングルエンティウム・マロールム』1951年9月15日

レオ13世 回勅『オクトブリ・メンセ』1891年9月22日
ピオ11世 回勅「イングラヴェシェンティブス・マリス」1937年9月29日
ベネディクト15世 回勅「ファウスト・アッペテンテ・ディエ」
1921年6月29日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラトゥス』1883年9月1日
ピオ12世 回勅『イングルエンチウム・マロールム』1951年9月15日
ピオ12世 回勅『アド・チェリ・レジナム』1954年10月11日





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