ヴィガノ大司教「彼らはカトリックの正統性を擁護する人々に対しては鉄槌を浴びせるが、「信仰の遺産」を攻撃する聖職者たちには敬意を払ってひれ伏す。教会法を良き人々を迫害する道具として利用し、離教者や異端者には利用しない。」
Abp. Vigano to Critics: Instead of “Assuming Schisms” Where There Are None, Better to Fight Long-lasting Errors
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ヴィガノ大司教「ありもしない『離教を想定する』のではなく、長く続いている誤謬と戦う方がよい」
2020年9月3日
【第二バチカン公会議に疑問を投げかけることは、健全な議論を促進しつつある】
数日前、トマス・ワイナンディ神父が同じような論調の論文を公表した直ぐ後に、レイモンド・J・デ・スーザ神父が「ヴィガノ大司教の第二バチカン公会議の拒絶は離教を促進しているか」という題名の論説を書きました。彼の考えは、直ぐそのあとの副題に表わされています。「最新の『証言』で、前教皇大使は、エキュメニカルな公会議の権威に関するカトリック信仰に反する立場を取っている」。
私の意見表明の数々が、多くの点で第二バチカン公会議の支持者たちを少なからずいらだたせていること、また彼らの「偶像」に疑問を呈することは、彼らが離教への反対の叫びをあげ、またそのことが最も厳しい教会法上の制裁を受けるに十分な理由になる、と彼らが主張することを私は理解できます。彼らのいらだちは、公の場に姿を現さないという私の選択にもかかわらず、私の意見表明が関心を呼び起こし、公会議についての、そしてもっと一般的には教会の位階階級の危機についての健全な議論を促進していることへのひがみとないまぜになっています。
私はこの論争を始めたという功績を主張するものではありません。私以前に、他の著名な聖職者たちや有名な知識人たちが、解決されねばならない重要な諸問題を提起してきましたし、また他の人々が第二バチカン公会議と現在の背教との間の因果関係を明らかにしてきました。
【教会法は、正統信仰支持者を罰するためにのみ使われている】
このような数多くの理にかなった批判に直面しても、誰も有効な回答をしたり、解決策を提案したりすることはありませんでした。それどころか、それに対する唯一の答えは、この公会議というトーテム【偶像】を擁護して、対話相手を非合法化し、追放し、そしてそのような人々が教会の一致を攻撃しようとしているというごく一般的な非難をすることだけでした。
そして、この最後の非難については、それを告発する者たちが、教会法的に見ていかに明白に偏った見方をするのかを目の当たりにすると、それはなお一層奇怪なものです。つまり、彼らはカトリックの正統性を擁護する人々に対しては「malleus haereticorum」[異端者たちに与える鉄槌]を浴びせる一方で、「信仰の遺産(depositum fidei)」の一貫性を日々攻撃する聖職者たち、イエズス会士たち、および神学者たちには敬意を払ってひれ伏すのです。
非常に多くの高位聖職者たちが痛ましいまでに苦しんできたことから明らかなことは、その中でもマルセル・ルフェーブル大司教が間違いなく際立っていますが、たとえ具体的な告発が存在しない場合でさえも、教会法上の規範を良き人々を迫害するための道具として巧みに利用しつつ、本当の離教者たちや本当の異端者たちには注意深くそれを利用しないようにする人々がいることです。
この点に関して、【第二バチカン公会議以前に】教職につくことを禁止されたり、神学校から追放されたり、または検邪聖省(Holy Office)【教理省の前身】から検閲を受けたりした神学者たちのことをどうして忘れることができるでしょうか。この神学者たちこそ、これらの「功績」を理由として顧問や専門家として公会議に呼ばれるにふさわしいとされたのです。
ヨハネ・パウロ二世の教皇在位中に警告を受けながら、ベルゴリオによって元の地位に戻された解放神学を奉じる反逆者たちもこれに含めなければなりません。また、アマゾン・シノドスの主役たちや 、異端的で離教的なドイツ国民教会を推進する「シノドスの道」の司教たち、さらにはバチカンと北京の共産党独裁政権との間の合意によって承認された中国愛国教会というセクトの司教たちも忘れてはいけません。
【私たちは、当局から裏切られ騙されてきた】
デ・スーザ神父とワイナンディ神父は、私がこれまで提示してきた議論の中身に入ることなく、二人ともがそれを軽蔑して「本質的に離教的」だと評するのですが、私の考えを非難する前に、私の議論を読むだけの公平さは持つべきです。もしそれを読めば、自分たちに信頼を寄せていた人々を裏切ることができるなどとはこれまで私が想像すらできなかったような権威ある地位にある人々によって私が騙されていたことを、ここ数年のうちに初めて私が理解するに至るまでの苦しみについて、私がそこで言及しているのを見たことでしょう。
この欺瞞を理解し、それを糾弾してきたのは私だけではないと思います。信徒たち、聖職者たち、そして高位聖職者たちが、狡猾に仕組まれていた詐欺を認めなければならないという苦しい状況に置かれてきました。それは、私の考えでは、革新主義者たちのイニシアチブに見かけ上の権威を与えるために一つの公会議に依存し、そして聖職者たちと天主の民から服従を勝ち取ることから成り立っていた詐欺だったのです。そして、このような服従が、キリストの教会を内側から解体するために、牧者たちによって例外なく要求されたのです。
私が何度もこれを書き、そして宣言してきましたが、位階階級の権威を尊重する信徒たちが、異端の教理やプロテスタント化された典礼の押し付けに「一斉に」背く勇気を持たなかったのは、まさにこの歪曲のゆえだったのです。とりわけ、この「革命」は一度にすべてが実施されたのではなく、段階的なプロセスによって、「実験的に(ad experimentum)」導入された新奇なやり方が、常にねじをよりきつく締め続けるように、やがて普遍的な規範とされていったのです。そして、これは私が何度も繰り返し述べてきたことですが、もし第二バチカン公会議の誤謬や曖昧な点が、エキュメニカルな公会議という権威のマントを与えられずにドイツやオランダの司教のグループによって策定されていたとしたら、おそらく彼らは検邪聖省の非難を受けることとなり、彼らの著作は「禁書目録」に掲載されることになっていたことでしょう。公会議の準備草案をひっくり返した人々が、パウロ六世の時代に、わざわざ検邪聖省(Supreme Congregation)を弱体化させ、そして他の時代であれば自分たちの著作が掲載されていたであろう「禁書目録(Index librorum prohibitorum)」を廃止するようにしたのは、おそらくまさにこの理由からだったのでしょう。
【第二バチカン公会議の名において、私たちはすべてを放棄するよう求められた】
デ・スーザ神父とワイナンディ神父は、どうやら、人が自分の意見を変えることはありえず、自分の歩みをさかのぼって考察するよりも、誤謬のうちに留まることの方が望ましいと信じているようです。しかし、このような態度は非常に奇妙なものです。数多くの枢機卿や司教、司祭や聖職者、修道士や修道女、神学者や道徳家、平信徒やカトリック知識人はみな、位階階級への従順の名の下に、トリエント・ミサを放棄し、代わりにそれがクランマーの「一般祈祷書」から引き写された儀式に置き換えられることを、また、教義や道徳、霊性、計り知れない芸術的、文化的遺産という宝を投げ捨て、さらには教義的ではなく司牧的であることとされていた一公会議の名において、二千年に及ぶ教導職を覆い隠してしまうことを強制されたと感じました。
彼らが聞かされたのは、「公会議の教会」がついにこの世に開かれ、トリエント公会議後の憎むべき「勝利主義」や、中世の「教義の覆い」、「典礼の装飾」、聖アルフォンソの「性嫌悪的な道徳」、聖ピオ十世のカテキズムの「観念論」、そしてパチェリ【教皇ピオ十二世】の教皇庁の「聖職者主義」がそこからはぎ取られたということでした。第二バチカン公会議の名において、私たちはすべてを放棄するよう求められたのです。半世紀以上たった今、私たちが目の当たりにしているのは、その時点ではまだ名目上でも実施され続けているように見えたほんの少しのものでさえ、ひとつも残されなかったということです。
【かつては教会の過去を否定すべきだと言われたが、今日では、第二バチカン公会議に疑問を呈することは離教的だとみなされている】
しかし、「公会議の刷新」を受け入れることによって「公会議前の」カトリック教会を否定することが、偉大な成熟を示す身振り、「預言的なしるし」、「時代と歩調を合わせる」方法、そして究極的には避けられないもの、議論の余地のないものとして歓迎された一方、今日、教会を崩壊に導いた実験の失敗を否定することは、革新主義者たちの「後戻りできない」という標語に基づいて、辻褄の合わないこと、あるいは不従順のしるしとされるのです。
当時、「革命」は有益で必要なことだと言われていましたが、今日では復興は有害であり、分裂の先駆けであると言われます。当時、私たちはアジョルナメント(aggiornamento)[現代化]の名の下に教会の輝かしい過去を否定でき、かつ否定すべきだと言われました。今日では、数十年にわたる逸脱に疑問を呈することは離教的だとみなされるのです。
さらに異様なことには、公会議の擁護者たちが、公会議前の教導職を否定する人々には柔軟に対応する一方で、同じ【公会議前の】教導職との首尾一貫性のためにエキュメニズムと宗教間対話(これらはアッシジ【諸宗教間対話】とアブダビ宣言をもたらしました)や、第二バチカン公会議によって奨励された新しい教会学と典礼改革を受け入れることができない人々には、イエズス会的【詭弁的】で、悪名高い、「かたくなな態度の人々」という汚名を着せるのです。
【第二バチカン公会議絶対視には、いかなる基礎もない】
もちろん、これらすべてには哲学的基礎も、神学的基礎さえもありません。第二バチカン公会議という「超教義」は、他のすべてのものに優先し、すべてを無効化し、すべてを取り消しますが、この公会議自身がその同じ運命をたどることは許さないのです。第二バチカン公会議は正当なエキュメニカルな公会議であるものの、私が他でも断言したように、他の公会議とは同じでないということを確認できるのは、まさにこれによるのです。なぜなら、もしこの公会議が他の公会議と同じだとすれば、第二バチカン公会議より前の諸公会議や教導職は(言葉だけでなく)等しく強制力を持つものとして認められ、それゆえに、第二バチカン公会議のテキストに含まれ、あるいは暗示されている誤謬の定式化が妨がれていなければならなかったからです。Civitas in se divisa[都市は自ら分裂する]・・・。
【第二バチカン公会議への絶対的従順のために、キリスト自信と教会の永年の教導職とに不従順となった】
デ・スーザ神父とワイナンディ神父は、革新主義者たちが採用した策略が非常に狡猾なものであったことを認めたくないのです。その策略とは、自分たちが今見ているのは第一バチカン公会議のようなカトリックの公会議であると考えていた人々から「革命」の承認を得るために、見かけ上の規範を尊重して、この公会議は「司牧的な公会議」に過ぎず、教義的な公会議ではないと宣言することだったのです。これによって、公会議の教父たちは、重要な諸点は何らかの形で解決され、曖昧な諸点は明確にされ、いくつかの改革はもっと穏当なふうに再考されるだろうと信じたのです。
そして、公会議の招集に先立つ少なくとも20年前までに、敵たちは極細部に至るまですべてのことをすでに計画していたのですが、 あたかも聖霊が革新主義者たちの破壊主義的な意志に対抗して行動してくださることができるかのように、天主が近代主義者たちのクーデターを防いでくださると純朴に信じていた人たちがいました。牧者たち、そして何よりも教皇に対しては無条件の従順を示すべきだという信念を持って教育され、成長した大多数の兄弟たちや高位聖職者たちと共に、私自身、このような純朴さに陥ってしまったのです。
こうして、良きカトリック信徒たちは、絶対的従順という歪んだ概念のせいで、自らの牧者たちに無条件に従ったのです。まさに、自分たちの目標がどのようなものであるのかを極めて明確にした人々によって、信徒たちはキリストに対する不従順へと導かれたのです。この場合においてさえ、この公会議の「教導職」への同意が、教会の永年の教導職に対する異議を妨げなかったことは明らかですし、むしろ実際には、その論理的かつ必然的な結果として、そのような異議が要求されたのです。
【革命的な手段がカトリック教会内に使われた、それが第二バチカン公会議だった】
50年以上たっても、議論の余地のない事実を認めることを、私たちはいまだに望んでいません。その事実とは、それまで政治の世界や市民の世界で使われていた破壊主義的な方法を、一切の妥協なしに宗教の世界や教会の世界にも適用しようとする意図が存在したということです。少なくとも唯物論的な世界観を持つ人々に典型的なこの方法を前にして、慰め主(Paraclete)なる聖霊の御働きを「真に」信じていた公会議の教父たちは全く準備ができていませんでした。
他方、敵たちは公会議の委員会の票を改竄し、反対派を弱め、確立された手続からの例外扱いを手に入れ、見た目は無害に見える規範を提示して、後になってその規範から破壊主義的で正反対の効果を引き出す方法を知っていたのです。そして、「あの」公会議がバチカン大聖堂で行われ、教父たちがミトラとカッパあるいは聖歌隊の衣装を身にまとい、ヨハネ二十三世が三重冠とマントを身につけていたという事実は、特に参加者たちを欺き、「subsistit in(~に存する)」に関する混乱や信教の自由に関する大失敗さえも最終的には聖霊が治してくださるだろうと、参加者たちを本当に安心させるための「舞台装置」が計画されていたことと完全に首尾一貫するものだったのです。
この点に関して、ここ数日の間に「Settimo Cielo(第七天)」【バチカン専門家サンドロ・マジステル氏のブログ】に掲載された「第二バチカン公会議を歴史化する。当時の世界がいかにして教会に影響を及ぼしたか(Historicizing Vatican Council II. Here’s How the World of Those Years Influenced the Church)」と題した記事を引用したいと思います。サンドロ・マジステル氏は、公会議に関するロベルト・ペルティチ教授の研究を私たちに知らせてくれました。私はこの研究の全体を読むようにお勧めしますが、それは次の二つの引用部分で要約できると思います。
「第二バチカン公会議をどのように判断するかについて教会を熱くさせている論争は、神学的なものだけであってはなりません。なぜなら、第一に、そのイベントの歴史的背景が分析されなければならないからであり、その議題を設定する際に『世に開く』ことを望むことを宣言した公会議については、なおさらそうだからです」。
「パウロ六世が回勅『エクレジアム・スアム(Ecclesiam Suam)』の中で繰り返し述べたように、教会はこの世にあるものの、しかし、この世には属していないということを私はよく知っています。教会は、教会に固有の価値観、行動、手順を持っており、単に歴史・政治的、俗世界的な基準のみで判断したり、理解したりすることは不可能です。ただ言い足さなければならないのは、また一方で教会は【この世と】切り離された団体ではないということです。1960年代には、公会議の諸文書はこの趣旨の引用に満ちていますが、当時の世界は現在『グローバリゼーション』と呼ばれているものに向かっており、新しいマスメディアの影響をすでに強く受けていて、前例のない考えや態度が急速に広まっており、世代間の模倣の形態が出現し始めていました。公会議という巨大な広さと意義を持つイベントが、聖ペトロ大聖堂の囲いの中だけで、【外部で】起こっていたことと自らを比べることなしに行われていたなどということは考えられません」。
【公会議により、議会主義という偶像が教会内に認められた】
私の考えでは、これは第二バチカン公会議についての興味深い解釈上の鍵であって、第二バチカン公会議における「民主主義的」思想の影響を裏付けるものです。この公会議の大いなる口実は、団体主義的で、ほとんど直接投票的な決定によって、そうでなければ受け入れられることのないような諸変更を導入したことを自ら示したことでした。北欧の教会の一部にすでに浸透し始めていた異端の諸教義を取り上げたのは、教令の具体的な内容でもなければ、「公会議の精神」の照らしによる将来的な意義でもなく、むしろ当時の位階階級の多数が時代のメンタリティーにほとんど従属するというイデオロギー的服従の名の下に、全世界の司教たちによってほとんど無意識のうちに形成された「民主主義というカリスマ」だったのです。
フランス革命から生まれたこの議会主義という偶像は、社会秩序を破壊するのに非常に効果的であることを実証しましたが、一部の高位聖職者たちは、教会が提案し続けていたことがらのうち、いまだに古くて「時代遅れ」なことがらに対して現代世界の側がある種の寛容を示す代償として、教会の近代化において避けることのできない一段階としてその議会主義という偶像を認める、と理解したに違いないのです。これは非常に重大な間違いでした。
位階階級の側のこの劣等感、進歩やイデオロギーの要求に対する後進性や不十分さという感情は、超自然的な見方が全く不足していること、そしてまた神学的聖徳の実践がさらに不足していることを示しています。この世を自らに引き寄せ、この世を回心させるのが教会であり、その逆ではありません。
この世がキリストと福音に回心しなければならないのであって、私たちの主がチェ・ゲバラ風の革命家として提示されたり、教会が霊魂の永遠の救いよりもエコロジーにより気を配る慈善団体として提示されたりするようなことがあってはなりません。
【トリエント公会議や第一バチカン公会議は否定しても、第二バチカン公会議の否定は許されないという矛盾】
デ・スーザ神父は、私がこれまで書いてきたことに反して、私が第二バチカン公会議を「悪魔の公会議(devil council)」と呼んだと断言します。私がこの言葉を使ったという報告を彼がどこで見つけたのか知りたいものです。この表現は、「コンチリアボロ(conciliabolo)」という言葉を、現代のイタリア語での意味とは一致しない、その言葉のラテン語の語源による、間違った、かつ僭越な翻訳に起因する表現であろうと私は推測します。この誤った翻訳から、彼は、私が「エキュメニカルな公会議の権威に関してカトリックの信仰に反する立場」をとっていると推論するのです。
もし彼がこの話題に関する私の文章を読む時間を取っていたならば、まさしく私がエキュメニカルな諸公会議の権威と、全教導職一般に対する最大の敬意を持っているがゆえに、第一バチカン公会議に至るまでのすべての公会議の明確で正統的な教えと、第二バチカン公会議の曖昧で時には異端的でさえある教えとを私が調和させることができないということを、彼は理解することができたことでしょう。しかし、このように考えるのは私だけではないようです。ワイナンディ神父自身が、キリストの代理者の役割と、教皇職の保持者であると同時に破壊者でもあるホルヘ・マリオ・ベルゴリオとを調和させることができないでいます。
しかし、デ・スーザ神父とワイナンディ神父にとっては、あらゆる論理に反して、キリストの代理者を批判することは許されても、公会議、いやむしろ、「あの」公会議、「あの公会議だけ」は批判することが許されないのです。実際私は、ある神学者たちが【第二バチカン公会議による改革としての】「教皇制の範囲の変更」あるいは「シノドスの道」について話すとき、それと同様の憂慮をもって【教皇の絶対性を荘厳に定義した】第一バチカン公会議の条文を改めて取り上げるところに遭遇したことはありませんし、【第二バチカン公会議により】カトリック司祭職の本質そのものが否定されるとき、それと同様の数において【カトリック司祭職を荘厳に定義した】トリエント公会議の権威を擁護する人々を見たこともありません。
【ヴィガノ大司教の意図は教会の最高権威を助けること】
デ・スーザ神父は、私がワイナンディ神父へ手紙を書いたのは、私が彼を同盟者として求めたものと考えています。もしそうだとしても、この同盟が愛徳の絆において真理を擁護することを目的としている限り、そこに何も悪いところはないであろうと思います。しかし実際には、私の意図は私が最初から述べてきたこと、すなわち、いずれその時が訪れた際、教会の最高権威がそれについての宣告をすることができるように、現在の危機とその諸原因についてのより大きな理解に到達することができるための比較を可能とすることにありました。
私は決して自ら最終的な解決策を押し付けようとしたことはありませんし、大司教としての私の役割を超えた問題や、私ではなく使徒座が直接の権限を有する諸事項を解決しようとしたこともありません。ですから、デ・スーザ神父の言っていることは正しくありませんし、ましてやワイナンディ神父が不可解にも私に当てはめていること、すなわち私が「聖霊に反する、許されざる罪」に陥っている、ということも正しくありません。
もし二人がその共通の敵たちに対しても、自分たち自身に対しても、同じ厳格さをもって裁きを下すのであれば、おそらく私は二人の善意を信じることができるでしょうが、残念ながら二人はそのようなことをするとは私には思えません。
【第二バチカン公会議の中の誤謬や曖昧な文言があるのは確立された事実】
デ・スーザ神父はこう尋ねます。「離教。異端。悪魔の仕業。許されざる罪。そのような言葉が、尊敬されかつ慎重な人々によって、ヴィガノ大司教に今当てはめられているのはどうしてでしょうか」。その答えは今や明らかだと思います。タブーが破られ、これまでは教会という団体の非常に限られた領域内に限定されていた第二バチカン公会議についての議論が、今や大規模に開始されたからです。
そして、公会議を支持する人々を最も不安にさせるのは、この論争の対象が、公会議を批判することが「許されるか否か」ではなく、公会議中の誤謬や曖昧な文言を正すために「何をすべきか」であるということです。そしてこれは確立された事実であり、この事実を非合法化する努力をすることは、今や不可能です。
このことを、マジステル氏も「Settimo Cielo」で次のように呼んでいます。「第二バチカン公会議をどのように裁くかに関して、今教会を燃え立たせている論争」、そしてまた、「第二バチカン公会議の意味と、この公会議と教会の現在の状況との間に存在する関連性とについて何度も、繰り返しわき起こるさまざまな『カトリック』メディア上での論争」。公会議を批判することはできないと人々に信じさせることは、その曖昧さや異端性を批判する人々の意図に関わらず、現実を改竄することにあたります。
【公会議の欠陥を指摘する人は、無慈悲に非難されている】
デ・スーザ神父はさらに、ジョン・ポール・ミーナン教授が「LifeSiteNews」において、「ヴィガノ大司教の議論の弱点と彼の神学的な間違い」を証明したかのように主張します。ミーナン教授には、私が言ってもいないことを意図的に歪曲したものではなく、私が実際に言っていることに基づいて、私の発言を論駁していただかなくてはなりません。ここでもまた、公会議の教令に対してはどれほどの寛容さが示されているでしょうか。またそれに対して、その教令の欠陥を指摘する人々に対しては、ドナティズムの疑いを当てこするほどにまで、どれほどの無慈悲な厳格さが示されているでしょうか。
【永遠の救いのためのカトリック教会の必要性と同時に、公会議の教えによるアブダビ宣言が同時に成り立つ「連続性の解釈学」はありえない】
有名な「連続性の解釈学」については、これは、教会の情勢に対するいささかカント主義的なビジョンにおそらく触発された結果生じた、この公会議以前には一度も必要とされたことのないような、「公会議前」と「公会議後」を調和させようとする試みですが、それが試みのままにとどまっていることは明らかだと私は思います。
連続性の解釈学は明らかに効果的なものであり、カトリックの論議内では従われるべきものです。神学的な用語では、それは「analogia fidei[信仰の類比]」と呼ばれており、神学を学ぶ者が順守しなければならない礎石の一つです。しかし、まさにそれ自身の曖昧さに基づいて、本来公然と非難されるべきだったことを言ったり暗示したりすることに成功した「孤語(hapax)」[である第二バチカン公会議]に、この基準を適用しても意味がありません。なぜなら、教会の真の教導職と、教皇庁立アカデミーや大学によって、また司教座や神学校校長によって教えられ、説教壇から説かれているような、真の教導職に反するいわゆる「教導職」との間に本当の一貫性が存在することを、その前提としているからです。
しかし、すべての真理がその真理自体と一貫性があることは存在論的に必要なことですが、また同時に、無矛盾律という原則を破ることは不可能です。無矛盾律とは、二つの互いに排他的な命題が両方とも真であることはありえない、ということです。したがって、永遠の救いのためのカトリック教会の必要性を支持するとともに、同時に公会議の教えと連続性を持つアブダビ宣言が確認していることをも支持するような「連続性の解釈学」はありえません。
ですから、私がこの解釈学自体を拒絶しているというのは事実ではなく、それを私が拒絶するのは明らかに異質の文脈に対しては適用できないという場合に限られるのです。しかし、もし私のこの見方が根拠のないものであることが判明し、彼らがその欠陥を証明したいというのであれば、私は自らすすんでそれを否認することでしょう。
【どれほど多数の進歩的な枢機卿たちや司教たちが異端者と離教者となっていることか!】
記事の最後で、デ・スーザ神父は挑発的にこう尋ねます。「司祭、教皇庁高官、外交官、教皇大使、管理者、改革者、内部告発者。このリストの一番最後に、異端者と離教者という言葉が付け加えられる可能性があるのでしょうか?」。私は、マルタ騎士団に属する同神父の侮辱的でまことに無礼な言い方— ————— それはもちろん騎士には似つかわしくない言葉です —————— に答えるつもりはありません。
私はこれだけを彼に尋ねることにします。いったいどれほど多数の進歩的な枢機卿たちや司教たちに対しては、これと同じ質問を投げかけることさえ不必要なことでしょうか! 悲しいことに、その答えは「その通り」であることは、もう分かっているのですから。
おそらく、【ヴィガノ大司教に関して】ありもしない離教や異端を想定する前に、彼ら【進歩的高位聖職者ら】が何十年にもわたって育て、広めてきた誤謬や分裂と戦うことのほうが適切であり、より有益なことでしょう。
聖ピオ十世、われらのために祈りたまえ。
2020年9月3日教皇証聖者聖ピオ十世の祝日
Abp. Vigano to Critics: Instead of “Assuming Schisms” Where There Are None, Better to Fight Long-lasting Errors
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ヴィガノ大司教「ありもしない『離教を想定する』のではなく、長く続いている誤謬と戦う方がよい」
2020年9月3日
【第二バチカン公会議に疑問を投げかけることは、健全な議論を促進しつつある】
数日前、トマス・ワイナンディ神父が同じような論調の論文を公表した直ぐ後に、レイモンド・J・デ・スーザ神父が「ヴィガノ大司教の第二バチカン公会議の拒絶は離教を促進しているか」という題名の論説を書きました。彼の考えは、直ぐそのあとの副題に表わされています。「最新の『証言』で、前教皇大使は、エキュメニカルな公会議の権威に関するカトリック信仰に反する立場を取っている」。
私の意見表明の数々が、多くの点で第二バチカン公会議の支持者たちを少なからずいらだたせていること、また彼らの「偶像」に疑問を呈することは、彼らが離教への反対の叫びをあげ、またそのことが最も厳しい教会法上の制裁を受けるに十分な理由になる、と彼らが主張することを私は理解できます。彼らのいらだちは、公の場に姿を現さないという私の選択にもかかわらず、私の意見表明が関心を呼び起こし、公会議についての、そしてもっと一般的には教会の位階階級の危機についての健全な議論を促進していることへのひがみとないまぜになっています。
私はこの論争を始めたという功績を主張するものではありません。私以前に、他の著名な聖職者たちや有名な知識人たちが、解決されねばならない重要な諸問題を提起してきましたし、また他の人々が第二バチカン公会議と現在の背教との間の因果関係を明らかにしてきました。
【教会法は、正統信仰支持者を罰するためにのみ使われている】
このような数多くの理にかなった批判に直面しても、誰も有効な回答をしたり、解決策を提案したりすることはありませんでした。それどころか、それに対する唯一の答えは、この公会議というトーテム【偶像】を擁護して、対話相手を非合法化し、追放し、そしてそのような人々が教会の一致を攻撃しようとしているというごく一般的な非難をすることだけでした。
そして、この最後の非難については、それを告発する者たちが、教会法的に見ていかに明白に偏った見方をするのかを目の当たりにすると、それはなお一層奇怪なものです。つまり、彼らはカトリックの正統性を擁護する人々に対しては「malleus haereticorum」[異端者たちに与える鉄槌]を浴びせる一方で、「信仰の遺産(depositum fidei)」の一貫性を日々攻撃する聖職者たち、イエズス会士たち、および神学者たちには敬意を払ってひれ伏すのです。
非常に多くの高位聖職者たちが痛ましいまでに苦しんできたことから明らかなことは、その中でもマルセル・ルフェーブル大司教が間違いなく際立っていますが、たとえ具体的な告発が存在しない場合でさえも、教会法上の規範を良き人々を迫害するための道具として巧みに利用しつつ、本当の離教者たちや本当の異端者たちには注意深くそれを利用しないようにする人々がいることです。
この点に関して、【第二バチカン公会議以前に】教職につくことを禁止されたり、神学校から追放されたり、または検邪聖省(Holy Office)【教理省の前身】から検閲を受けたりした神学者たちのことをどうして忘れることができるでしょうか。この神学者たちこそ、これらの「功績」を理由として顧問や専門家として公会議に呼ばれるにふさわしいとされたのです。
ヨハネ・パウロ二世の教皇在位中に警告を受けながら、ベルゴリオによって元の地位に戻された解放神学を奉じる反逆者たちもこれに含めなければなりません。また、アマゾン・シノドスの主役たちや 、異端的で離教的なドイツ国民教会を推進する「シノドスの道」の司教たち、さらにはバチカンと北京の共産党独裁政権との間の合意によって承認された中国愛国教会というセクトの司教たちも忘れてはいけません。
【私たちは、当局から裏切られ騙されてきた】
デ・スーザ神父とワイナンディ神父は、私がこれまで提示してきた議論の中身に入ることなく、二人ともがそれを軽蔑して「本質的に離教的」だと評するのですが、私の考えを非難する前に、私の議論を読むだけの公平さは持つべきです。もしそれを読めば、自分たちに信頼を寄せていた人々を裏切ることができるなどとはこれまで私が想像すらできなかったような権威ある地位にある人々によって私が騙されていたことを、ここ数年のうちに初めて私が理解するに至るまでの苦しみについて、私がそこで言及しているのを見たことでしょう。
この欺瞞を理解し、それを糾弾してきたのは私だけではないと思います。信徒たち、聖職者たち、そして高位聖職者たちが、狡猾に仕組まれていた詐欺を認めなければならないという苦しい状況に置かれてきました。それは、私の考えでは、革新主義者たちのイニシアチブに見かけ上の権威を与えるために一つの公会議に依存し、そして聖職者たちと天主の民から服従を勝ち取ることから成り立っていた詐欺だったのです。そして、このような服従が、キリストの教会を内側から解体するために、牧者たちによって例外なく要求されたのです。
私が何度もこれを書き、そして宣言してきましたが、位階階級の権威を尊重する信徒たちが、異端の教理やプロテスタント化された典礼の押し付けに「一斉に」背く勇気を持たなかったのは、まさにこの歪曲のゆえだったのです。とりわけ、この「革命」は一度にすべてが実施されたのではなく、段階的なプロセスによって、「実験的に(ad experimentum)」導入された新奇なやり方が、常にねじをよりきつく締め続けるように、やがて普遍的な規範とされていったのです。そして、これは私が何度も繰り返し述べてきたことですが、もし第二バチカン公会議の誤謬や曖昧な点が、エキュメニカルな公会議という権威のマントを与えられずにドイツやオランダの司教のグループによって策定されていたとしたら、おそらく彼らは検邪聖省の非難を受けることとなり、彼らの著作は「禁書目録」に掲載されることになっていたことでしょう。公会議の準備草案をひっくり返した人々が、パウロ六世の時代に、わざわざ検邪聖省(Supreme Congregation)を弱体化させ、そして他の時代であれば自分たちの著作が掲載されていたであろう「禁書目録(Index librorum prohibitorum)」を廃止するようにしたのは、おそらくまさにこの理由からだったのでしょう。
【第二バチカン公会議の名において、私たちはすべてを放棄するよう求められた】
デ・スーザ神父とワイナンディ神父は、どうやら、人が自分の意見を変えることはありえず、自分の歩みをさかのぼって考察するよりも、誤謬のうちに留まることの方が望ましいと信じているようです。しかし、このような態度は非常に奇妙なものです。数多くの枢機卿や司教、司祭や聖職者、修道士や修道女、神学者や道徳家、平信徒やカトリック知識人はみな、位階階級への従順の名の下に、トリエント・ミサを放棄し、代わりにそれがクランマーの「一般祈祷書」から引き写された儀式に置き換えられることを、また、教義や道徳、霊性、計り知れない芸術的、文化的遺産という宝を投げ捨て、さらには教義的ではなく司牧的であることとされていた一公会議の名において、二千年に及ぶ教導職を覆い隠してしまうことを強制されたと感じました。
彼らが聞かされたのは、「公会議の教会」がついにこの世に開かれ、トリエント公会議後の憎むべき「勝利主義」や、中世の「教義の覆い」、「典礼の装飾」、聖アルフォンソの「性嫌悪的な道徳」、聖ピオ十世のカテキズムの「観念論」、そしてパチェリ【教皇ピオ十二世】の教皇庁の「聖職者主義」がそこからはぎ取られたということでした。第二バチカン公会議の名において、私たちはすべてを放棄するよう求められたのです。半世紀以上たった今、私たちが目の当たりにしているのは、その時点ではまだ名目上でも実施され続けているように見えたほんの少しのものでさえ、ひとつも残されなかったということです。
【かつては教会の過去を否定すべきだと言われたが、今日では、第二バチカン公会議に疑問を呈することは離教的だとみなされている】
しかし、「公会議の刷新」を受け入れることによって「公会議前の」カトリック教会を否定することが、偉大な成熟を示す身振り、「預言的なしるし」、「時代と歩調を合わせる」方法、そして究極的には避けられないもの、議論の余地のないものとして歓迎された一方、今日、教会を崩壊に導いた実験の失敗を否定することは、革新主義者たちの「後戻りできない」という標語に基づいて、辻褄の合わないこと、あるいは不従順のしるしとされるのです。
当時、「革命」は有益で必要なことだと言われていましたが、今日では復興は有害であり、分裂の先駆けであると言われます。当時、私たちはアジョルナメント(aggiornamento)[現代化]の名の下に教会の輝かしい過去を否定でき、かつ否定すべきだと言われました。今日では、数十年にわたる逸脱に疑問を呈することは離教的だとみなされるのです。
さらに異様なことには、公会議の擁護者たちが、公会議前の教導職を否定する人々には柔軟に対応する一方で、同じ【公会議前の】教導職との首尾一貫性のためにエキュメニズムと宗教間対話(これらはアッシジ【諸宗教間対話】とアブダビ宣言をもたらしました)や、第二バチカン公会議によって奨励された新しい教会学と典礼改革を受け入れることができない人々には、イエズス会的【詭弁的】で、悪名高い、「かたくなな態度の人々」という汚名を着せるのです。
【第二バチカン公会議絶対視には、いかなる基礎もない】
もちろん、これらすべてには哲学的基礎も、神学的基礎さえもありません。第二バチカン公会議という「超教義」は、他のすべてのものに優先し、すべてを無効化し、すべてを取り消しますが、この公会議自身がその同じ運命をたどることは許さないのです。第二バチカン公会議は正当なエキュメニカルな公会議であるものの、私が他でも断言したように、他の公会議とは同じでないということを確認できるのは、まさにこれによるのです。なぜなら、もしこの公会議が他の公会議と同じだとすれば、第二バチカン公会議より前の諸公会議や教導職は(言葉だけでなく)等しく強制力を持つものとして認められ、それゆえに、第二バチカン公会議のテキストに含まれ、あるいは暗示されている誤謬の定式化が妨がれていなければならなかったからです。Civitas in se divisa[都市は自ら分裂する]・・・。
【第二バチカン公会議への絶対的従順のために、キリスト自信と教会の永年の教導職とに不従順となった】
デ・スーザ神父とワイナンディ神父は、革新主義者たちが採用した策略が非常に狡猾なものであったことを認めたくないのです。その策略とは、自分たちが今見ているのは第一バチカン公会議のようなカトリックの公会議であると考えていた人々から「革命」の承認を得るために、見かけ上の規範を尊重して、この公会議は「司牧的な公会議」に過ぎず、教義的な公会議ではないと宣言することだったのです。これによって、公会議の教父たちは、重要な諸点は何らかの形で解決され、曖昧な諸点は明確にされ、いくつかの改革はもっと穏当なふうに再考されるだろうと信じたのです。
そして、公会議の招集に先立つ少なくとも20年前までに、敵たちは極細部に至るまですべてのことをすでに計画していたのですが、 あたかも聖霊が革新主義者たちの破壊主義的な意志に対抗して行動してくださることができるかのように、天主が近代主義者たちのクーデターを防いでくださると純朴に信じていた人たちがいました。牧者たち、そして何よりも教皇に対しては無条件の従順を示すべきだという信念を持って教育され、成長した大多数の兄弟たちや高位聖職者たちと共に、私自身、このような純朴さに陥ってしまったのです。
こうして、良きカトリック信徒たちは、絶対的従順という歪んだ概念のせいで、自らの牧者たちに無条件に従ったのです。まさに、自分たちの目標がどのようなものであるのかを極めて明確にした人々によって、信徒たちはキリストに対する不従順へと導かれたのです。この場合においてさえ、この公会議の「教導職」への同意が、教会の永年の教導職に対する異議を妨げなかったことは明らかですし、むしろ実際には、その論理的かつ必然的な結果として、そのような異議が要求されたのです。
【革命的な手段がカトリック教会内に使われた、それが第二バチカン公会議だった】
50年以上たっても、議論の余地のない事実を認めることを、私たちはいまだに望んでいません。その事実とは、それまで政治の世界や市民の世界で使われていた破壊主義的な方法を、一切の妥協なしに宗教の世界や教会の世界にも適用しようとする意図が存在したということです。少なくとも唯物論的な世界観を持つ人々に典型的なこの方法を前にして、慰め主(Paraclete)なる聖霊の御働きを「真に」信じていた公会議の教父たちは全く準備ができていませんでした。
他方、敵たちは公会議の委員会の票を改竄し、反対派を弱め、確立された手続からの例外扱いを手に入れ、見た目は無害に見える規範を提示して、後になってその規範から破壊主義的で正反対の効果を引き出す方法を知っていたのです。そして、「あの」公会議がバチカン大聖堂で行われ、教父たちがミトラとカッパあるいは聖歌隊の衣装を身にまとい、ヨハネ二十三世が三重冠とマントを身につけていたという事実は、特に参加者たちを欺き、「subsistit in(~に存する)」に関する混乱や信教の自由に関する大失敗さえも最終的には聖霊が治してくださるだろうと、参加者たちを本当に安心させるための「舞台装置」が計画されていたことと完全に首尾一貫するものだったのです。
この点に関して、ここ数日の間に「Settimo Cielo(第七天)」【バチカン専門家サンドロ・マジステル氏のブログ】に掲載された「第二バチカン公会議を歴史化する。当時の世界がいかにして教会に影響を及ぼしたか(Historicizing Vatican Council II. Here’s How the World of Those Years Influenced the Church)」と題した記事を引用したいと思います。サンドロ・マジステル氏は、公会議に関するロベルト・ペルティチ教授の研究を私たちに知らせてくれました。私はこの研究の全体を読むようにお勧めしますが、それは次の二つの引用部分で要約できると思います。
「第二バチカン公会議をどのように判断するかについて教会を熱くさせている論争は、神学的なものだけであってはなりません。なぜなら、第一に、そのイベントの歴史的背景が分析されなければならないからであり、その議題を設定する際に『世に開く』ことを望むことを宣言した公会議については、なおさらそうだからです」。
「パウロ六世が回勅『エクレジアム・スアム(Ecclesiam Suam)』の中で繰り返し述べたように、教会はこの世にあるものの、しかし、この世には属していないということを私はよく知っています。教会は、教会に固有の価値観、行動、手順を持っており、単に歴史・政治的、俗世界的な基準のみで判断したり、理解したりすることは不可能です。ただ言い足さなければならないのは、また一方で教会は【この世と】切り離された団体ではないということです。1960年代には、公会議の諸文書はこの趣旨の引用に満ちていますが、当時の世界は現在『グローバリゼーション』と呼ばれているものに向かっており、新しいマスメディアの影響をすでに強く受けていて、前例のない考えや態度が急速に広まっており、世代間の模倣の形態が出現し始めていました。公会議という巨大な広さと意義を持つイベントが、聖ペトロ大聖堂の囲いの中だけで、【外部で】起こっていたことと自らを比べることなしに行われていたなどということは考えられません」。
【公会議により、議会主義という偶像が教会内に認められた】
私の考えでは、これは第二バチカン公会議についての興味深い解釈上の鍵であって、第二バチカン公会議における「民主主義的」思想の影響を裏付けるものです。この公会議の大いなる口実は、団体主義的で、ほとんど直接投票的な決定によって、そうでなければ受け入れられることのないような諸変更を導入したことを自ら示したことでした。北欧の教会の一部にすでに浸透し始めていた異端の諸教義を取り上げたのは、教令の具体的な内容でもなければ、「公会議の精神」の照らしによる将来的な意義でもなく、むしろ当時の位階階級の多数が時代のメンタリティーにほとんど従属するというイデオロギー的服従の名の下に、全世界の司教たちによってほとんど無意識のうちに形成された「民主主義というカリスマ」だったのです。
フランス革命から生まれたこの議会主義という偶像は、社会秩序を破壊するのに非常に効果的であることを実証しましたが、一部の高位聖職者たちは、教会が提案し続けていたことがらのうち、いまだに古くて「時代遅れ」なことがらに対して現代世界の側がある種の寛容を示す代償として、教会の近代化において避けることのできない一段階としてその議会主義という偶像を認める、と理解したに違いないのです。これは非常に重大な間違いでした。
位階階級の側のこの劣等感、進歩やイデオロギーの要求に対する後進性や不十分さという感情は、超自然的な見方が全く不足していること、そしてまた神学的聖徳の実践がさらに不足していることを示しています。この世を自らに引き寄せ、この世を回心させるのが教会であり、その逆ではありません。
この世がキリストと福音に回心しなければならないのであって、私たちの主がチェ・ゲバラ風の革命家として提示されたり、教会が霊魂の永遠の救いよりもエコロジーにより気を配る慈善団体として提示されたりするようなことがあってはなりません。
【トリエント公会議や第一バチカン公会議は否定しても、第二バチカン公会議の否定は許されないという矛盾】
デ・スーザ神父は、私がこれまで書いてきたことに反して、私が第二バチカン公会議を「悪魔の公会議(devil council)」と呼んだと断言します。私がこの言葉を使ったという報告を彼がどこで見つけたのか知りたいものです。この表現は、「コンチリアボロ(conciliabolo)」という言葉を、現代のイタリア語での意味とは一致しない、その言葉のラテン語の語源による、間違った、かつ僭越な翻訳に起因する表現であろうと私は推測します。この誤った翻訳から、彼は、私が「エキュメニカルな公会議の権威に関してカトリックの信仰に反する立場」をとっていると推論するのです。
もし彼がこの話題に関する私の文章を読む時間を取っていたならば、まさしく私がエキュメニカルな諸公会議の権威と、全教導職一般に対する最大の敬意を持っているがゆえに、第一バチカン公会議に至るまでのすべての公会議の明確で正統的な教えと、第二バチカン公会議の曖昧で時には異端的でさえある教えとを私が調和させることができないということを、彼は理解することができたことでしょう。しかし、このように考えるのは私だけではないようです。ワイナンディ神父自身が、キリストの代理者の役割と、教皇職の保持者であると同時に破壊者でもあるホルヘ・マリオ・ベルゴリオとを調和させることができないでいます。
しかし、デ・スーザ神父とワイナンディ神父にとっては、あらゆる論理に反して、キリストの代理者を批判することは許されても、公会議、いやむしろ、「あの」公会議、「あの公会議だけ」は批判することが許されないのです。実際私は、ある神学者たちが【第二バチカン公会議による改革としての】「教皇制の範囲の変更」あるいは「シノドスの道」について話すとき、それと同様の憂慮をもって【教皇の絶対性を荘厳に定義した】第一バチカン公会議の条文を改めて取り上げるところに遭遇したことはありませんし、【第二バチカン公会議により】カトリック司祭職の本質そのものが否定されるとき、それと同様の数において【カトリック司祭職を荘厳に定義した】トリエント公会議の権威を擁護する人々を見たこともありません。
【ヴィガノ大司教の意図は教会の最高権威を助けること】
デ・スーザ神父は、私がワイナンディ神父へ手紙を書いたのは、私が彼を同盟者として求めたものと考えています。もしそうだとしても、この同盟が愛徳の絆において真理を擁護することを目的としている限り、そこに何も悪いところはないであろうと思います。しかし実際には、私の意図は私が最初から述べてきたこと、すなわち、いずれその時が訪れた際、教会の最高権威がそれについての宣告をすることができるように、現在の危機とその諸原因についてのより大きな理解に到達することができるための比較を可能とすることにありました。
私は決して自ら最終的な解決策を押し付けようとしたことはありませんし、大司教としての私の役割を超えた問題や、私ではなく使徒座が直接の権限を有する諸事項を解決しようとしたこともありません。ですから、デ・スーザ神父の言っていることは正しくありませんし、ましてやワイナンディ神父が不可解にも私に当てはめていること、すなわち私が「聖霊に反する、許されざる罪」に陥っている、ということも正しくありません。
もし二人がその共通の敵たちに対しても、自分たち自身に対しても、同じ厳格さをもって裁きを下すのであれば、おそらく私は二人の善意を信じることができるでしょうが、残念ながら二人はそのようなことをするとは私には思えません。
【第二バチカン公会議の中の誤謬や曖昧な文言があるのは確立された事実】
デ・スーザ神父はこう尋ねます。「離教。異端。悪魔の仕業。許されざる罪。そのような言葉が、尊敬されかつ慎重な人々によって、ヴィガノ大司教に今当てはめられているのはどうしてでしょうか」。その答えは今や明らかだと思います。タブーが破られ、これまでは教会という団体の非常に限られた領域内に限定されていた第二バチカン公会議についての議論が、今や大規模に開始されたからです。
そして、公会議を支持する人々を最も不安にさせるのは、この論争の対象が、公会議を批判することが「許されるか否か」ではなく、公会議中の誤謬や曖昧な文言を正すために「何をすべきか」であるということです。そしてこれは確立された事実であり、この事実を非合法化する努力をすることは、今や不可能です。
このことを、マジステル氏も「Settimo Cielo」で次のように呼んでいます。「第二バチカン公会議をどのように裁くかに関して、今教会を燃え立たせている論争」、そしてまた、「第二バチカン公会議の意味と、この公会議と教会の現在の状況との間に存在する関連性とについて何度も、繰り返しわき起こるさまざまな『カトリック』メディア上での論争」。公会議を批判することはできないと人々に信じさせることは、その曖昧さや異端性を批判する人々の意図に関わらず、現実を改竄することにあたります。
【公会議の欠陥を指摘する人は、無慈悲に非難されている】
デ・スーザ神父はさらに、ジョン・ポール・ミーナン教授が「LifeSiteNews」において、「ヴィガノ大司教の議論の弱点と彼の神学的な間違い」を証明したかのように主張します。ミーナン教授には、私が言ってもいないことを意図的に歪曲したものではなく、私が実際に言っていることに基づいて、私の発言を論駁していただかなくてはなりません。ここでもまた、公会議の教令に対してはどれほどの寛容さが示されているでしょうか。またそれに対して、その教令の欠陥を指摘する人々に対しては、ドナティズムの疑いを当てこするほどにまで、どれほどの無慈悲な厳格さが示されているでしょうか。
【永遠の救いのためのカトリック教会の必要性と同時に、公会議の教えによるアブダビ宣言が同時に成り立つ「連続性の解釈学」はありえない】
有名な「連続性の解釈学」については、これは、教会の情勢に対するいささかカント主義的なビジョンにおそらく触発された結果生じた、この公会議以前には一度も必要とされたことのないような、「公会議前」と「公会議後」を調和させようとする試みですが、それが試みのままにとどまっていることは明らかだと私は思います。
連続性の解釈学は明らかに効果的なものであり、カトリックの論議内では従われるべきものです。神学的な用語では、それは「analogia fidei[信仰の類比]」と呼ばれており、神学を学ぶ者が順守しなければならない礎石の一つです。しかし、まさにそれ自身の曖昧さに基づいて、本来公然と非難されるべきだったことを言ったり暗示したりすることに成功した「孤語(hapax)」[である第二バチカン公会議]に、この基準を適用しても意味がありません。なぜなら、教会の真の教導職と、教皇庁立アカデミーや大学によって、また司教座や神学校校長によって教えられ、説教壇から説かれているような、真の教導職に反するいわゆる「教導職」との間に本当の一貫性が存在することを、その前提としているからです。
しかし、すべての真理がその真理自体と一貫性があることは存在論的に必要なことですが、また同時に、無矛盾律という原則を破ることは不可能です。無矛盾律とは、二つの互いに排他的な命題が両方とも真であることはありえない、ということです。したがって、永遠の救いのためのカトリック教会の必要性を支持するとともに、同時に公会議の教えと連続性を持つアブダビ宣言が確認していることをも支持するような「連続性の解釈学」はありえません。
ですから、私がこの解釈学自体を拒絶しているというのは事実ではなく、それを私が拒絶するのは明らかに異質の文脈に対しては適用できないという場合に限られるのです。しかし、もし私のこの見方が根拠のないものであることが判明し、彼らがその欠陥を証明したいというのであれば、私は自らすすんでそれを否認することでしょう。
【どれほど多数の進歩的な枢機卿たちや司教たちが異端者と離教者となっていることか!】
記事の最後で、デ・スーザ神父は挑発的にこう尋ねます。「司祭、教皇庁高官、外交官、教皇大使、管理者、改革者、内部告発者。このリストの一番最後に、異端者と離教者という言葉が付け加えられる可能性があるのでしょうか?」。私は、マルタ騎士団に属する同神父の侮辱的でまことに無礼な言い方— ————— それはもちろん騎士には似つかわしくない言葉です —————— に答えるつもりはありません。
私はこれだけを彼に尋ねることにします。いったいどれほど多数の進歩的な枢機卿たちや司教たちに対しては、これと同じ質問を投げかけることさえ不必要なことでしょうか! 悲しいことに、その答えは「その通り」であることは、もう分かっているのですから。
おそらく、【ヴィガノ大司教に関して】ありもしない離教や異端を想定する前に、彼ら【進歩的高位聖職者ら】が何十年にもわたって育て、広めてきた誤謬や分裂と戦うことのほうが適切であり、より有益なことでしょう。
聖ピオ十世、われらのために祈りたまえ。
2020年9月3日教皇証聖者聖ピオ十世の祝日