離教にあらず、破門にあらず 1988年6月30日の司教聖別の考察:時間と空間を超えた教会の伝えられた真の一致を守るために (その2)
曖昧さ
しかしながら、「従順」と真理との見かけ上の葛藤は、実のところ曖昧さのうえに成立している。すなわち、教会位階制度に払うべき従順と、教会の以前の教導職に反して教会の高位聖職者から押し付けられた指針への賛同とが、誤って同一視されている。
例えば、自由放埒主義(liberalism)と宗教統一運動(ecumenism)がそれである。これらは、今の新しい教会の方針であり、聖伝支持のカトリック信者らから最も大きな抵抗を受けている。
自由放埒主義(リベラリズム)とは、「すべての宗教の社会的自由を守るものであり、この自由はそれ自体として社会の諸目的に反せず、理性に合致し、聖福音の精神にかなうとするもの」であり、これは特にグレゴリオ十四世、ピオ九世、レオ十三世らをはじめとする多くの教皇聖下によって、何度も排斥されてきた。
ガリグ・ラグランジュ神父はその著作De Revelationeにおいて、こう言っている。「これは、教皇聖下らの常に教え続けてきたことである。例えば、ボニファチオ八世は、その勅令Unam Sanctamにおいて(Dz469)、マルチン五世は、ヨハネ・フスとウィクリフとの誤謬を排斥する中で(Dz640-82)、そして、レオ十世はマルチン・ルターの異端を排斥する中で教え続けてきた。」
最近では、1967年に、マテオ・ダ・カソーダ神父(Matteo da Casola)は、リベラル・カトリック(カトリック自由放埒主義者)をどのようなことであれローマ教皇の権威を否定する「離教者 schismatiques」として挙げている。リベラル・カトリック(カトリック自由放埒主義者)とは、すなわち「国家が教会と絶対的かつ完全な自由を得ることを教える自由放埒主義の政治宗教システムを受け入れる人々」を挙げている。
そこで、第二バチカン公会義の中の「宗教の自由に関する宣言」(Dignitatis humanae)は、その内容からみて、このマテオ・ダ・カソーダ神父の挙げる「離教者」らによって書かれたものである、と言わねばならない。
わたしたちは、今ここでは議論に入らない。最近百五十年にわたる教皇文書にざっと目を通すだけで今の新しい風潮が、かつて教導職にかたくなにも長い間反し続けて来た古くからの思潮の業である、と言うことが分かる。
公会義中にはこの思潮は多かれ少なかれ正当な方法によって反対され、沈黙を言われてきたが、この思潮が公会義後の重要な地位を占めるようになり、今日では教会の以前の全教導職に反してまでこの個人的な指針に従順であるようにと求めている。
全く同様のことが「いかなる犠牲を払ってでも」の宗教統一、教会統一、について言えるこれは、パウロ六世の典礼の激変以前の、公会義の曖昧で受け入れることのできない文書を息吹いたものだった。この教会統一は、カトリック者にとって、最も多くのそして最も深刻な結果をもたらした。そしてもたらしている。それゆえにこそ、この運動はレオ十三世(Testem benevolentiae また Satis cognitum)によって、聖ピオ十世(Singulari quadam)によって、ピオ十一世(Mortalium animos)によって、ピオ十二世(Humani generis)によって、排斥されてきている。
ピオ十一世はMortalium animosの中でこう書いている。「愛徳は信仰の邪魔をしない。」従って、「聖座はいかなるやり方であろうと、彼ら宗教統一支持者らの集会に参加することはできない。そして、カトリック者はかかる試みにいかなる協力をも、いかなる支持をもすることもできない。そして、もしそうしたとすれば、彼らは偽りのキリスト教に、キリストの唯一の教会とは全く他の宗教に何らかの権威を認めることである」と。
教皇は更に続けて言う。「天主によって啓示された真理が妥協されているのを見て黙っていることかできようか? もし黙ったとしたら、それこそが最悪の不義である。何故なら、こう言う場合において、啓示された真理への尊敬という問題に関わるからである。」このピオ十一世の言葉は、真理と、異議立ての余地のある「従順」との葛藤を表している。この葛藤こそ今日多くのカトリック信者が目の前にしている問題である。
「対話」、すなわち、他のすべての迷える人々と誤謬とを結び付け縫い付ける対話は、教皇パウロ六世の全き発明である。このことは教会の二千年間の歴史においてかつてあったことがなかった。
カトリック者は、教皇が自分の使命を果たす限りにおいて、聖ペトロの後継者と交わりを保たねばならない。言い換えると、教皇が信仰の遺産を忠実に伝え、解釈する限りにおいて、である。カトリック信者は、教皇の "adinventiones" 思いつき、意見、見解、個人的指針などに、特にもしそれらの指針が信仰の純粋さと完全さとに反するのであるならば、その限りにおいて、教皇のこれら個人的やり方と交わりを保つ必要はない。聖伝支持のカトリック信者に良心の不安を与えようとこのことがよくぼかされている。今日こそ今まで以上に教皇制度と、教会内におけるその果たす役割について明確な知識をもつことがとみに必要である。
教会には頭が二つあるのではない。
「唯一の教会の唯一の体にはただ一つの頭しかない。もし2つあったら怪物である。その頭とはキリストとその代理者である。主は聖ペトロに言われた。「わたしの羊を牧せよ」と。」
キリストの唯一の教会はそれゆえに一つであり一つの頭の下にある。そして、キリストと教皇は二つの別の頭ではなく唯一の同じ頭であるゆえに、教会はキリストと教皇から二つの別の異なる指針を受け入れることはできない。いわんや、対立する指針をや、である。もしもそのようなことがおこったなら、だれに従わなくてはならないのかはいまさら言う必要がない。
教皇は実に、キリストの代理であって、後継者ではない。さらに教会はキリストの神秘体であって、教皇の神秘体ではない。そのために聖ヒエロニモは教皇ダマソにこう書いている。「わたしのために、わたしは自分の第一の指導者としてキリスト以外のだれにも従わない。そしてその上で、わたしは至福なるあなたと交わりの契りを持つ。すなわち、聖ペトロの使徒座との交わりである。何故ならこの巌の上に教会は建てられたと知っているからである」と。
キリストこそが教会が建っているその隅の首石である。ペトロは、キリストが首石であることに与かることによって、巌であるにすぎない。聖ペトロは確かにこう聞いたのである。彼が巌でなければならないこと、しかしキリストと同じ仕方ではないこと、キリストこそが、まさに実に不動の厳であること、ペトロはただキリストの御力によって、不動であるにすぎないこと、を。
教皇は「教会の頭であり指導者であるが目に見えるレベルでのことであり、栽治権上のことであり、彼の教皇位の限られた時間において不可謬のキリストによって助けられる限りにおいてである。」そこから教皇との交わりはキリストとの交わりと分けることができないと言える。
教会との一致はキリストとその代理者との一致を意味し、キリストなしのあるいはキリストに反した教皇との一致ではない。理性による論理も「我々はそれぞれの位、地位に応じた従順を示さねばならない」と言う。それが正義というものである。
(続く)
曖昧さ
しかしながら、「従順」と真理との見かけ上の葛藤は、実のところ曖昧さのうえに成立している。すなわち、教会位階制度に払うべき従順と、教会の以前の教導職に反して教会の高位聖職者から押し付けられた指針への賛同とが、誤って同一視されている。
例えば、自由放埒主義(liberalism)と宗教統一運動(ecumenism)がそれである。これらは、今の新しい教会の方針であり、聖伝支持のカトリック信者らから最も大きな抵抗を受けている。
自由放埒主義(リベラリズム)とは、「すべての宗教の社会的自由を守るものであり、この自由はそれ自体として社会の諸目的に反せず、理性に合致し、聖福音の精神にかなうとするもの」であり、これは特にグレゴリオ十四世、ピオ九世、レオ十三世らをはじめとする多くの教皇聖下によって、何度も排斥されてきた。
ガリグ・ラグランジュ神父はその著作De Revelationeにおいて、こう言っている。「これは、教皇聖下らの常に教え続けてきたことである。例えば、ボニファチオ八世は、その勅令Unam Sanctamにおいて(Dz469)、マルチン五世は、ヨハネ・フスとウィクリフとの誤謬を排斥する中で(Dz640-82)、そして、レオ十世はマルチン・ルターの異端を排斥する中で教え続けてきた。」
最近では、1967年に、マテオ・ダ・カソーダ神父(Matteo da Casola)は、リベラル・カトリック(カトリック自由放埒主義者)をどのようなことであれローマ教皇の権威を否定する「離教者 schismatiques」として挙げている。リベラル・カトリック(カトリック自由放埒主義者)とは、すなわち「国家が教会と絶対的かつ完全な自由を得ることを教える自由放埒主義の政治宗教システムを受け入れる人々」を挙げている。
そこで、第二バチカン公会義の中の「宗教の自由に関する宣言」(Dignitatis humanae)は、その内容からみて、このマテオ・ダ・カソーダ神父の挙げる「離教者」らによって書かれたものである、と言わねばならない。
わたしたちは、今ここでは議論に入らない。最近百五十年にわたる教皇文書にざっと目を通すだけで今の新しい風潮が、かつて教導職にかたくなにも長い間反し続けて来た古くからの思潮の業である、と言うことが分かる。
公会義中にはこの思潮は多かれ少なかれ正当な方法によって反対され、沈黙を言われてきたが、この思潮が公会義後の重要な地位を占めるようになり、今日では教会の以前の全教導職に反してまでこの個人的な指針に従順であるようにと求めている。
全く同様のことが「いかなる犠牲を払ってでも」の宗教統一、教会統一、について言えるこれは、パウロ六世の典礼の激変以前の、公会義の曖昧で受け入れることのできない文書を息吹いたものだった。この教会統一は、カトリック者にとって、最も多くのそして最も深刻な結果をもたらした。そしてもたらしている。それゆえにこそ、この運動はレオ十三世(Testem benevolentiae また Satis cognitum)によって、聖ピオ十世(Singulari quadam)によって、ピオ十一世(Mortalium animos)によって、ピオ十二世(Humani generis)によって、排斥されてきている。
ピオ十一世はMortalium animosの中でこう書いている。「愛徳は信仰の邪魔をしない。」従って、「聖座はいかなるやり方であろうと、彼ら宗教統一支持者らの集会に参加することはできない。そして、カトリック者はかかる試みにいかなる協力をも、いかなる支持をもすることもできない。そして、もしそうしたとすれば、彼らは偽りのキリスト教に、キリストの唯一の教会とは全く他の宗教に何らかの権威を認めることである」と。
教皇は更に続けて言う。「天主によって啓示された真理が妥協されているのを見て黙っていることかできようか? もし黙ったとしたら、それこそが最悪の不義である。何故なら、こう言う場合において、啓示された真理への尊敬という問題に関わるからである。」このピオ十一世の言葉は、真理と、異議立ての余地のある「従順」との葛藤を表している。この葛藤こそ今日多くのカトリック信者が目の前にしている問題である。
「対話」、すなわち、他のすべての迷える人々と誤謬とを結び付け縫い付ける対話は、教皇パウロ六世の全き発明である。このことは教会の二千年間の歴史においてかつてあったことがなかった。
カトリック者は、教皇が自分の使命を果たす限りにおいて、聖ペトロの後継者と交わりを保たねばならない。言い換えると、教皇が信仰の遺産を忠実に伝え、解釈する限りにおいて、である。カトリック信者は、教皇の "adinventiones" 思いつき、意見、見解、個人的指針などに、特にもしそれらの指針が信仰の純粋さと完全さとに反するのであるならば、その限りにおいて、教皇のこれら個人的やり方と交わりを保つ必要はない。聖伝支持のカトリック信者に良心の不安を与えようとこのことがよくぼかされている。今日こそ今まで以上に教皇制度と、教会内におけるその果たす役割について明確な知識をもつことがとみに必要である。
教会には頭が二つあるのではない。
「唯一の教会の唯一の体にはただ一つの頭しかない。もし2つあったら怪物である。その頭とはキリストとその代理者である。主は聖ペトロに言われた。「わたしの羊を牧せよ」と。」
キリストの唯一の教会はそれゆえに一つであり一つの頭の下にある。そして、キリストと教皇は二つの別の頭ではなく唯一の同じ頭であるゆえに、教会はキリストと教皇から二つの別の異なる指針を受け入れることはできない。いわんや、対立する指針をや、である。もしもそのようなことがおこったなら、だれに従わなくてはならないのかはいまさら言う必要がない。
教皇は実に、キリストの代理であって、後継者ではない。さらに教会はキリストの神秘体であって、教皇の神秘体ではない。そのために聖ヒエロニモは教皇ダマソにこう書いている。「わたしのために、わたしは自分の第一の指導者としてキリスト以外のだれにも従わない。そしてその上で、わたしは至福なるあなたと交わりの契りを持つ。すなわち、聖ペトロの使徒座との交わりである。何故ならこの巌の上に教会は建てられたと知っているからである」と。
キリストこそが教会が建っているその隅の首石である。ペトロは、キリストが首石であることに与かることによって、巌であるにすぎない。聖ペトロは確かにこう聞いたのである。彼が巌でなければならないこと、しかしキリストと同じ仕方ではないこと、キリストこそが、まさに実に不動の厳であること、ペトロはただキリストの御力によって、不動であるにすぎないこと、を。
教皇は「教会の頭であり指導者であるが目に見えるレベルでのことであり、栽治権上のことであり、彼の教皇位の限られた時間において不可謬のキリストによって助けられる限りにおいてである。」そこから教皇との交わりはキリストとの交わりと分けることができないと言える。
教会との一致はキリストとその代理者との一致を意味し、キリストなしのあるいはキリストに反した教皇との一致ではない。理性による論理も「我々はそれぞれの位、地位に応じた従順を示さねばならない」と言う。それが正義というものである。
(続く)