2020年10月4日(主日)聖霊降臨後第18主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日福音でイエズス様は、2つの奇跡を行ないます。1つは霊的な奇跡で、もう1つは肉体的な奇跡です。
最初の霊的な奇跡は、イエズス様が、病気の人が運ばれて来た、その「運んで来た人の信仰」を見て、その彼らの信仰を見て、進んで癒します。「子よ、信頼せよ。お前の罪は赦された。」
そして第2の奇跡は、肉体的なものです。この肉体的な奇跡は、天主でなければできないのですけれども、価値はずっと低いものです。なぜかというと、「霊魂の癒し、罪の赦し」というのは、「私たちの永遠の命」に関わる事で、永遠の天国に行く事ができるかできないか、それに「永遠」に関わるものですけれども、肉体の健康は、このいくら治されても、この地上で終わってしまう、限りがあるものです。
しかしこの肉体での、目に見える奇跡を、信仰を持たせる為に、永遠の命への縁(よすが)とする手段とする為に、その力を、イエズス様が罪を赦すという力を持っている事を明らかにする為に、手段として、行ないます。「起きよ。床を取って、家に帰れ。」
その言葉を聞くや否や、何十年もおそらく中風で苦しんでいた人が起き上がって、ひょこりと、そして何事かもなかったかのように、今まで寝ていた床を取って、家に帰って行きましす。これを見て人々は、主の憐みのその力と、その偉大な力に、感謝します。讃美します。
これは私たちに、21世紀の私たちに同じ事を、イエズス様は起こそうとしています。
つい最近、一週間ぐらい前に聞いた話ですが、ある有名な女優さんが、結婚していて、子供を産んだばかりで、お金もあるし、名声もあるし、ファンもいるし、美人だし、健康だし、何の不足もないように見えたにも関わらず、心はうつろで、虚しく、絶望していて、何の為に生きているのか、どこに喜びがあるのか分からずに生きておられたようです。
はたから見れば本当に羨ましいような生活をしていたにも関わらず、本当は一人、寂しく、全く意味を見出せなかったようです。間違った選択をしてしまいました。
そして、もしもこの方が「実は、本当は、私たちの命は、永遠の命の為にある」と、「イエズス様からこれほど愛されているのだ。その憐れみを受け続けているのだ。」「私たちがどんなに苦しい事があったとしても、たった一人だったとしても、私たちにはイエズス様がいる。愛している方がいる。」そしてこの愛する方が、その人に、「娘よ、心配するな」といつも呼びかけている、という事を知っていたら、おそらくそんな間違った事はしなかったと、私は信じています。
そしてきっとこの方も「あぁ、お父さん、イエズス様、私を愛している方、愛しの方。私の愛」と、イエズス様の事を知っていたら、「どんな事があっても、この命を、イエズス様の為に良く使おう」と思っていた事に違いありません。
21世紀の現代の人は、イエズス様を知らないが為に、虚しく、苦しんで、そしてどうして良いか、絶望の極地に立っているように思われます。
統計によると、日本で特に若い人で死んでいる人は、自殺なのだそうです。統計によると、はるかに多い、交通事故よりも、コロナよりも、はるかに多い自殺。かわいそうに。イエズス様の憐みを知らないから。このような人にこそ、イエズス様からの信仰の御恵み、洗礼の御恵みが必要です。
そして21世紀の私たちに、洗礼を受けた私たちにも、イエズス様はその憐れみを、その愛を、知らせようとしています。イエズス様はやはり私たちにも、洗礼を受けた私たちにも、「子よ、娘よ、心配するな。」「元気を出せ。」「安心せよ。お前の罪は赦された」と、「安心せよ。さぁ、床を取って、天国に行け。家に帰れ。」「平和を持て。安心せよ」と。
今日ミサの入祭誦から、どれほど「平和を求める」という祈りが繰り返される事でしょうか。「平和がありますように。」そして「『私たちは家に帰ろう、家に行こう』と、この言葉を聞いて、私たちは喜んだ。」「私たちは、さぁ家に帰って、天国に行こう。」
では、この奇跡が起こる為に、今日福音では誰かが担いで来なければなりませんでした。一体誰が、私たちを担いで来るのでしょうか?
もちろん、教会の祈る人々、そして犠牲を払う人々のその祈りが、犠牲が、病の人を運びます。
しかし皆さんもご存知のように、もっと力強い方が、私たちをイエズス様の前に運んで下さいます。それがマリア様です。ですから10月はロザリオの月、マリア様にたくさんお祈りしましょう。
日本の多くの方が、イエズス様の前に運ばれて来ますように、聖伝の信仰の前に運ばれて来ますように、そして「イエズス様からどれほど愛されているか」という事を知って、そして罪の赦しの喜び、平和を以って、遂には天国の永遠の幸せに入る事ができますように、お祈り致しましょう。マリア様にお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日福音でイエズス様は、2つの奇跡を行ないます。1つは霊的な奇跡で、もう1つは肉体的な奇跡です。
最初の霊的な奇跡は、イエズス様が、病気の人が運ばれて来た、その「運んで来た人の信仰」を見て、その彼らの信仰を見て、進んで癒します。「子よ、信頼せよ。お前の罪は赦された。」
そして第2の奇跡は、肉体的なものです。この肉体的な奇跡は、天主でなければできないのですけれども、価値はずっと低いものです。なぜかというと、「霊魂の癒し、罪の赦し」というのは、「私たちの永遠の命」に関わる事で、永遠の天国に行く事ができるかできないか、それに「永遠」に関わるものですけれども、肉体の健康は、このいくら治されても、この地上で終わってしまう、限りがあるものです。
しかしこの肉体での、目に見える奇跡を、信仰を持たせる為に、永遠の命への縁(よすが)とする手段とする為に、その力を、イエズス様が罪を赦すという力を持っている事を明らかにする為に、手段として、行ないます。「起きよ。床を取って、家に帰れ。」
その言葉を聞くや否や、何十年もおそらく中風で苦しんでいた人が起き上がって、ひょこりと、そして何事かもなかったかのように、今まで寝ていた床を取って、家に帰って行きましす。これを見て人々は、主の憐みのその力と、その偉大な力に、感謝します。讃美します。
これは私たちに、21世紀の私たちに同じ事を、イエズス様は起こそうとしています。
つい最近、一週間ぐらい前に聞いた話ですが、ある有名な女優さんが、結婚していて、子供を産んだばかりで、お金もあるし、名声もあるし、ファンもいるし、美人だし、健康だし、何の不足もないように見えたにも関わらず、心はうつろで、虚しく、絶望していて、何の為に生きているのか、どこに喜びがあるのか分からずに生きておられたようです。
はたから見れば本当に羨ましいような生活をしていたにも関わらず、本当は一人、寂しく、全く意味を見出せなかったようです。間違った選択をしてしまいました。
そして、もしもこの方が「実は、本当は、私たちの命は、永遠の命の為にある」と、「イエズス様からこれほど愛されているのだ。その憐れみを受け続けているのだ。」「私たちがどんなに苦しい事があったとしても、たった一人だったとしても、私たちにはイエズス様がいる。愛している方がいる。」そしてこの愛する方が、その人に、「娘よ、心配するな」といつも呼びかけている、という事を知っていたら、おそらくそんな間違った事はしなかったと、私は信じています。
そしてきっとこの方も「あぁ、お父さん、イエズス様、私を愛している方、愛しの方。私の愛」と、イエズス様の事を知っていたら、「どんな事があっても、この命を、イエズス様の為に良く使おう」と思っていた事に違いありません。
21世紀の現代の人は、イエズス様を知らないが為に、虚しく、苦しんで、そしてどうして良いか、絶望の極地に立っているように思われます。
統計によると、日本で特に若い人で死んでいる人は、自殺なのだそうです。統計によると、はるかに多い、交通事故よりも、コロナよりも、はるかに多い自殺。かわいそうに。イエズス様の憐みを知らないから。このような人にこそ、イエズス様からの信仰の御恵み、洗礼の御恵みが必要です。
そして21世紀の私たちに、洗礼を受けた私たちにも、イエズス様はその憐れみを、その愛を、知らせようとしています。イエズス様はやはり私たちにも、洗礼を受けた私たちにも、「子よ、娘よ、心配するな。」「元気を出せ。」「安心せよ。お前の罪は赦された」と、「安心せよ。さぁ、床を取って、天国に行け。家に帰れ。」「平和を持て。安心せよ」と。
今日ミサの入祭誦から、どれほど「平和を求める」という祈りが繰り返される事でしょうか。「平和がありますように。」そして「『私たちは家に帰ろう、家に行こう』と、この言葉を聞いて、私たちは喜んだ。」「私たちは、さぁ家に帰って、天国に行こう。」
では、この奇跡が起こる為に、今日福音では誰かが担いで来なければなりませんでした。一体誰が、私たちを担いで来るのでしょうか?
もちろん、教会の祈る人々、そして犠牲を払う人々のその祈りが、犠牲が、病の人を運びます。
しかし皆さんもご存知のように、もっと力強い方が、私たちをイエズス様の前に運んで下さいます。それがマリア様です。ですから10月はロザリオの月、マリア様にたくさんお祈りしましょう。
日本の多くの方が、イエズス様の前に運ばれて来ますように、聖伝の信仰の前に運ばれて来ますように、そして「イエズス様からどれほど愛されているか」という事を知って、そして罪の赦しの喜び、平和を以って、遂には天国の永遠の幸せに入る事ができますように、お祈り致しましょう。マリア様にお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。