アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様!
「公教会祈祷文」(昭和32年4版)には付録として「聖体訪問」が載っています。皆さまがお持ちの公教会祈祷文には載っていないと思うので、皆さまの参考になるかと思い、ご紹介いたします。
聖体訪問
守護の天使 イエズスはいと淋しく在し(おわし)給う。彼はその愛し給う人々、しかも彼を忘れ奉る人々を待ちかね給うなり。いざ、我らは主を訪い(とい)奉らん。静かに歩め。教会は聖き(とおとき)所、天主はここにましませば跪きて礼拝し奉らん。イエズスの聖心は汝が御側(みそば)近く行く(ゆく)を喜び給う。いざ、主の優しき御声(みこえ)に耳を傾けよ。
イエズス 我が子よ、汝は我を喜ばせんために、多くを知る要なし。ただ、心より我を愛せ。母親の膝にありて語る時の如く、我に語れ。汝は誰が(たが)ために我に求めんとするや。汝の親族と朋友(ほうゆう)との名を我に語れ。しかして汝がそのおのおのになさんとするところを我に告げよ。多く求めよ。我は他の人々のためにおのれを忘るる情け深き心を愛す。
汝が助けんと欲する貧しき者、苦しみ病める者、汝がその改心を望む罪人、汝の愛する人々にして、汝がその愛を得んと欲する人々につきて我に語れ。すべての人々のため熱心なる祈りを唱えよ。我は心の底より出ずる(いずる)祈りをすべて聞き入れることを約せしにあらずや。しかしておのが愛する人々のために捧ぐる祈りは、必ずまごころより出ずる(いずる)ものなり。
汝はおのれのためにも恵みを願わんとするにあらずや。汝の霊魂に必要なるすべてのものを思い出だし(いだし)、しかしてそを我に告げよ。汝は如何に(いかに)わがまま、如何に傲慢、如何に臆病、また如何に怠惰なるかを我に語れ。しかして汝を矯め直す(ためなおす)ために我が助けを求めよ。あわれなる子よ、嘆くなかれ。天国にある多くの聖人たちも汝と同じあやまちを持ちたる者なりき。されど彼らは我に祈れり。しかして次第に癒されたるなり。汝の身体(からだ)と心とのために我に祈れ。汝の健康、記憶、成功のために、我が賜物を願うことをためろうなかれ。我はすべてを與え得る(あたえうる)なり。しかして我は霊魂をいっそう聖ならしめんために、我が賜物を願うものを拒まざるなり。我が子よ、今日汝の欲するものは何なるか。ああ、我如何に汝のためを思えるかを、汝は知らざるや。
汝は我がために熱心なる思いを有するにあらずや。汝は汝が愛する人々にしてしかも我を忘るる人々の霊魂のために、小さき善業をなさんとは思わざるか。汝を益する人々につきて我に語れ。また如何なる動機が汝を動かし、如何なる方法もて汝は我らに善をなさんとするかをも我に告げよ。
汝の失敗を我に打ち明けよ。我は汝にその原因を示さん。汝はおのが仕事に誰が(たが)興らん(あずからん)ことを欲するか。我はすべての心の主なり。しかして我は彼らを静かに我が心に叶うところに導かん。恐るるなかれ。我は汝の周囲に汝の必要なる者をそなえん。
汝をわずらわす者はなきか、我が子よ、汝の小さき苦しみをことごとく我に語れ。誰が(たが)汝を苦しめしや。誰が(たが)汝を軽蔑もてあしらいしや。我にすべてを告げよ。しかして汝は彼らを赦し、かつそれを忘ると言え。しからば我らは汝に我が祝福を与えん。
汝は苦痛(くるしみ)を恐るるにはあらずや。汝の霊魂には、故知れぬ(ゆえしれぬ)恐怖(おそれ)の念ありて、汝を苦しむるにあらずや。我が摂理に全く委ねよ。我はここにあり。我はすべてを見る。我は汝を捨つることあらじ。
汝の朋友(ほうゆう)に以前よりも不親切となりし者ありて、汝が彼らに害をなせし記憶あらざるに、汝に対し無頓着、忘却を装う者あるにあらずや。彼らのために祈れ。しかして実際彼らとの交わりが汝の益となるならば、我は彼らを再び汝に連れ戻さん。
汝は我に語るべき喜びをもてるにはあらずや。何故(なにゆえ)汝は我に汝の楽しみを打ち明けざるか。昨日以来、如何なることの起こりしや。汝を慰め、幸いならしめ、汝に歓喜(よろこび)を與し(あたえし)ものは何なりしかを我に語れ。我に信頼せよ、しからば汝は平安を見出さん。
汝が計らずも我を訪いし(といし)かは、汝のためによきことなりき。恐れは速やかに追い退けられ、汝は求めざりし成功に遭えり(あえり)。汝は愛の印(しるし)を受け、試練は予期以上に汝を強めたり。我が子よ、これらのものはすべて汝のために我が與し(あたえし)ところなり。何故感謝の念を起こさざるか。何故汝は「我御身に感謝す」と言わざるか。感謝は恵みをいや増すものなり。しかして恩恵(めぐみ)を施す者は、常にその恩恵の記憶せらるるを好むものなり。
我に約すべきことはあらざるか。汝は我が人の心の奥底までも視透す(みとおす)ことを知る。人々はあざむかるることあり、されど我は然らず(しからず)。正直に告げよ。汝は罪のたよりを避け、汝を惑わす者を捨て、汝の霊魂の平和を破る不信心なる人との交わりを断つことを決心したりや。汝は直ちに汝を辱めたる朋友(ほうゆう)のもとに行きて(ゆきて)、彼に親切を尽くさんとするにあらずや。
さらば我が子よ。行きて(ゆきて)汝の日々の務めにつけ。言葉をつつしみ、へりくだり、耐え忍びかつ慈しみ深かれ。常に祈りをなし、深く聖母を愛し、しかして明日は更に熱心にかつ深い愛の心もて我がもとに来たれ。明日は我更に新たなる恩恵(めぐみ)を汝に得させん。
我が愛する子よ。ただこの一事(いちじ)を心に留めよ。我は永遠の愛もて汝を愛せり。汝も我を愛せよ。
愛する兄弟姉妹の皆様!
「公教会祈祷文」(昭和32年4版)には付録として「聖体訪問」が載っています。皆さまがお持ちの公教会祈祷文には載っていないと思うので、皆さまの参考になるかと思い、ご紹介いたします。
聖体訪問
守護の天使 イエズスはいと淋しく在し(おわし)給う。彼はその愛し給う人々、しかも彼を忘れ奉る人々を待ちかね給うなり。いざ、我らは主を訪い(とい)奉らん。静かに歩め。教会は聖き(とおとき)所、天主はここにましませば跪きて礼拝し奉らん。イエズスの聖心は汝が御側(みそば)近く行く(ゆく)を喜び給う。いざ、主の優しき御声(みこえ)に耳を傾けよ。
イエズス 我が子よ、汝は我を喜ばせんために、多くを知る要なし。ただ、心より我を愛せ。母親の膝にありて語る時の如く、我に語れ。汝は誰が(たが)ために我に求めんとするや。汝の親族と朋友(ほうゆう)との名を我に語れ。しかして汝がそのおのおのになさんとするところを我に告げよ。多く求めよ。我は他の人々のためにおのれを忘るる情け深き心を愛す。
汝が助けんと欲する貧しき者、苦しみ病める者、汝がその改心を望む罪人、汝の愛する人々にして、汝がその愛を得んと欲する人々につきて我に語れ。すべての人々のため熱心なる祈りを唱えよ。我は心の底より出ずる(いずる)祈りをすべて聞き入れることを約せしにあらずや。しかしておのが愛する人々のために捧ぐる祈りは、必ずまごころより出ずる(いずる)ものなり。
汝はおのれのためにも恵みを願わんとするにあらずや。汝の霊魂に必要なるすべてのものを思い出だし(いだし)、しかしてそを我に告げよ。汝は如何に(いかに)わがまま、如何に傲慢、如何に臆病、また如何に怠惰なるかを我に語れ。しかして汝を矯め直す(ためなおす)ために我が助けを求めよ。あわれなる子よ、嘆くなかれ。天国にある多くの聖人たちも汝と同じあやまちを持ちたる者なりき。されど彼らは我に祈れり。しかして次第に癒されたるなり。汝の身体(からだ)と心とのために我に祈れ。汝の健康、記憶、成功のために、我が賜物を願うことをためろうなかれ。我はすべてを與え得る(あたえうる)なり。しかして我は霊魂をいっそう聖ならしめんために、我が賜物を願うものを拒まざるなり。我が子よ、今日汝の欲するものは何なるか。ああ、我如何に汝のためを思えるかを、汝は知らざるや。
汝は我がために熱心なる思いを有するにあらずや。汝は汝が愛する人々にしてしかも我を忘るる人々の霊魂のために、小さき善業をなさんとは思わざるか。汝を益する人々につきて我に語れ。また如何なる動機が汝を動かし、如何なる方法もて汝は我らに善をなさんとするかをも我に告げよ。
汝の失敗を我に打ち明けよ。我は汝にその原因を示さん。汝はおのが仕事に誰が(たが)興らん(あずからん)ことを欲するか。我はすべての心の主なり。しかして我は彼らを静かに我が心に叶うところに導かん。恐るるなかれ。我は汝の周囲に汝の必要なる者をそなえん。
汝をわずらわす者はなきか、我が子よ、汝の小さき苦しみをことごとく我に語れ。誰が(たが)汝を苦しめしや。誰が(たが)汝を軽蔑もてあしらいしや。我にすべてを告げよ。しかして汝は彼らを赦し、かつそれを忘ると言え。しからば我らは汝に我が祝福を与えん。
汝は苦痛(くるしみ)を恐るるにはあらずや。汝の霊魂には、故知れぬ(ゆえしれぬ)恐怖(おそれ)の念ありて、汝を苦しむるにあらずや。我が摂理に全く委ねよ。我はここにあり。我はすべてを見る。我は汝を捨つることあらじ。
汝の朋友(ほうゆう)に以前よりも不親切となりし者ありて、汝が彼らに害をなせし記憶あらざるに、汝に対し無頓着、忘却を装う者あるにあらずや。彼らのために祈れ。しかして実際彼らとの交わりが汝の益となるならば、我は彼らを再び汝に連れ戻さん。
汝は我に語るべき喜びをもてるにはあらずや。何故(なにゆえ)汝は我に汝の楽しみを打ち明けざるか。昨日以来、如何なることの起こりしや。汝を慰め、幸いならしめ、汝に歓喜(よろこび)を與し(あたえし)ものは何なりしかを我に語れ。我に信頼せよ、しからば汝は平安を見出さん。
汝が計らずも我を訪いし(といし)かは、汝のためによきことなりき。恐れは速やかに追い退けられ、汝は求めざりし成功に遭えり(あえり)。汝は愛の印(しるし)を受け、試練は予期以上に汝を強めたり。我が子よ、これらのものはすべて汝のために我が與し(あたえし)ところなり。何故感謝の念を起こさざるか。何故汝は「我御身に感謝す」と言わざるか。感謝は恵みをいや増すものなり。しかして恩恵(めぐみ)を施す者は、常にその恩恵の記憶せらるるを好むものなり。
我に約すべきことはあらざるか。汝は我が人の心の奥底までも視透す(みとおす)ことを知る。人々はあざむかるることあり、されど我は然らず(しからず)。正直に告げよ。汝は罪のたよりを避け、汝を惑わす者を捨て、汝の霊魂の平和を破る不信心なる人との交わりを断つことを決心したりや。汝は直ちに汝を辱めたる朋友(ほうゆう)のもとに行きて(ゆきて)、彼に親切を尽くさんとするにあらずや。
さらば我が子よ。行きて(ゆきて)汝の日々の務めにつけ。言葉をつつしみ、へりくだり、耐え忍びかつ慈しみ深かれ。常に祈りをなし、深く聖母を愛し、しかして明日は更に熱心にかつ深い愛の心もて我がもとに来たれ。明日は我更に新たなる恩恵(めぐみ)を汝に得させん。
我が愛する子よ。ただこの一事(いちじ)を心に留めよ。我は永遠の愛もて汝を愛せり。汝も我を愛せよ。