回勅「フラテッリ・トゥッティ」に関する考察
「フラテッリ・トゥッティ」と題された教皇フランシスコの回勅は、すでにいくつもの論評を引き出しているが、それにまつわる関心は一般的なものではなく、それどころではない。(コロナ禍による)現状の公衆衛生問題、アメリカの大統領選挙が注意をそらしてしまっているのは間違いない。しかし回勅の内容自体は、これらと何かしら関係がある。
最初の第一歩として、回勅の第3パラグラフで立ち止まらざるを得ない。それを注意深く観察する必要がある。教皇はここで、アシジの聖フランシスコの生涯の有名なエピソード、エジプトのスルタンであるアル=マリク・アル=カーミル(Malik-el-Kamil)への訪問を結びつけている。
「十字軍によって印された歴史的瞬間におけるこの旅は、聖フランシスコがあかしすることを望んだ愛、全ての人々に抱いていた愛の大きさを、さらによく明らかにしました。救い主に対する彼の愛の忠実さは、兄弟姉妹に対する彼の愛に比例していました。困難と危険を承知していたにも関わらず、聖フランシスコはスルタンに会いに行き、自分の弟子たちに要求していた態度と同じ態度で接しました。つまり、自分たちが「サラセン人及びその他の異教徒たちの中に」いる時、自分のアイデンティティを否定しないで「…争いや口論をせず……天主のためにすべての被造物に服従する」という態度です。」
小さき兄弟会の最初の会則
この引用部分は「小さき兄弟会の最初の会則」として知られるようになったものから採られている。実際には、それは聖フランシスコによって書かれた二番目の会則である。最初の会則はすでに失われている。
教皇の引用文は「サラセン人及びその他の異教徒たちに赴く人々より」と題された第16章から採られている。聖フランシスコは次のように特定して書き始めている。「天主の霊感により、サラセン人や異教徒たちの中に入っていきたいと望むすべての兄弟たちは、彼らの奉仕者かつ下僕の許しを得てそこへ行く。」
創立者は続けてこう言う。「出発する兄弟たちには、霊的観点から見て、異教徒たちの中で振る舞うための二つのやり方がある。」二つのやり方とは何か? 「一つ目は、論争も議論も引き起こさず、むしろ天主のためにすべての人々にへりくだって従い、キリスト教徒であることを宣言すること。」私たちは、回勅がした引用部分がこれであるとわかる。
聖なる創立者は続ける。「二番目には、彼らが、それが天主の御心にかなうと信じる時、天主のみ言葉を語ることである。それは異教徒たちが、全能の天主なる父と子と聖霊、万物の創造主、贖い主にして救い主なるおん子を信じるようになるためである。また、彼が洗礼を受けてキリスト教徒になるためである。なぜなら水と聖霊によって生まれ変わらなければ天の国には入れないからである」
その章の終わりは、先に述べたことを決定づけている。聖フランシスコは説教【の大切さ】について強調している。「このことと、天主の御心に喜ばれる全てを、彼らは異教徒たちとその他の人々に説教することができる。なぜなら、主は福音書の中で『誰であれ人々の前で私を証言するものは、私もまたその者を天にまします我が父の前で証言する』、そして『人の子が父と聖天使たちの栄光に包まれてやってくる時、誰であれ私と私の言葉を恥じる者を、私もまた恥じる』と言われたからである。」
聖人はこの章をこのような最後の考察で締めくくっている。「兄弟たちがどこにいても覚えているべきこと、それは、彼らが主イエズス・キリストに自らを与えたこと、自分の体を主に与え尽くしたこと、主への愛のために、見える敵にも見えざる敵にも自分たちをさらけ出すべきこと、である」と。彼はこの励ましを福音書のいくつかの引用に基づいて述べている。その最初はこれである。「私のために自分の命を失う者は、永遠の命のためにそれを救うだろう。」その他の引用は、これに関するコメントに過ぎない。
歪められた聖フランシスコの言葉
最初の会則のこの章を読めばよくわかるように、聖フランシスコは自分が描写した二つの態度を分ける意図はなく、むしろ一つの流れの中で一致させるつもりなのである。"異教徒たちの中でキリスト教徒として生きて、それ以外はしない"か、或いは"イエズス・キリストを説教する"か──問題はそこではない。そうではなく、二番目に取る態度が可能になるのを待っている間、或いは、信仰告白において義務となるのまでの間に、第一番目の態度を取ることができる、ということである。
その証拠は、この文章によって、また、もし救霊の道をその外部者たちに伝達することに関することならば、聖フランシスコが説教と殉教に至るまでの自己の献身とを強調したことによっても分かる。
この矮小化された引用文は聖人の考えを歪めている。また聖ボナヴェントゥラによって書かれた聖人の生涯が断言しているように、聖フランシスコはスルタンを改宗させるために、または信仰のために死ぬことを望んでエジプトに行きたかったのだいうことを忘れてしまっている。この引用文は、聖人の超自然的な愛徳と使徒的熱意を、単なる「全ての人々に抱いていた愛」に貶めている。
回勅の第3パラグラフは次のように結論している。「この時代背景において、それは驚くべき勧告でした。800年前、聖フランシスコがあらゆる攻撃的態度や衝突を避け、また、自分と同じ信仰を分かち合っていない人々を含めて、謙遜で兄弟的な『服従』の生活をするよう招いていることに、私たちは胸を打たれます。」
私たちが胸を打たれるのは、聖フランシスコの布教の情熱が完全に潰されてしまっているのを見ること、彼の名を取ることを望んだ教皇の筆のもとで、聖人の会則が実際的に否定されているのを読むことである。この潰しと歪曲は、回勅全体を蛇のようにうねりながら進んでいく。
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