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聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:聖マリアの霊魂の美しさ

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十 二 日 聖マリアの霊魂の美しさ

   汝は悉(ことごと)く麗(うるわ)しくして、少しの汚(けが)れもなし。  (雅歌四。七)

 聖マリアは原罪(げんざい)も自罪(じざい)も、凡(およ)そ罪の汚(けが)れというものを少しも知らぬ清浄(しょうじょう)潔白(けっぱく)な御方であった。右の言葉は実にその御霊魂(ごれいこん)の、清き美しさを讃美(さんび)したもので、その中(うち)、始め「汝は悉(ことごと)く麗(うるわ)しくして」とは、聖母が原罪(げんざい)の汚(けが)れなくやどり給うた事を指(さ)し、後の「少しの汚(けが)れもなし」とは聖母がその御生涯(ごしょうがい)に一つの自罪(じざい)も犯(おか)し給わなかった事を示している。
 無原罪(むげんざい)は総(すべ)ての人類のうち唯(ただ)聖母にのみ与えられた特別のお恵みであるがその自罪に汚されぬ清い御生涯は、聖母が天主の御聖寵(ごせいちょう)を、些(いささ)かも無(む)にせずしてよく用(もち)いられた結果である。
 ああ、原罪なき聖母の御霊魂の美しさはどうであろう! 玲瓏(れいろう)として少しの曇りもないこの宝玉(たま)は、天主の御光(おんひかり)、成(せい)聖(せい)の聖寵(せいちょう)に照り映(は)えて、日光を反射するダイヤモンドよりも燦然(さんぜん)と、五彩(ごさい)の文(あや)に照り輝いているのである。それを目のあたりに見えたならば、誰しも「汝は悉(ことごと)く麗(うるわ)し!」と感嘆(かんたん)の叫びを上げずにはいられぬであろう。
 エワの霊魂も創(つく)られた時は悉(ことごと)く麗(うるわ)しかった。けれども原罪を犯(おか)してその貴重(きちょう)な玉に大いなる瑕(きず)をつけ、我等の汚(けが)れの母となった。
 これに反して聖母はその麗(うるわ)しさを全(まつと)うして、我等の救いの母、清めの母、人類の超自然的生命の母になり給うたのである。
 聖マリアは何(なに)故(ゆえ)に原罪を免(まぬ)れ給うたのであろうか? それはその御胎(ごたい)より生まれ給うた救い主イエズス・キリストの御功徳(おんくどく)によるのであった。我等も原罪(げんざい)の汚(けが)れこそ受けて生まれるものゝ、洗礼に依(よ)って総(すべ)ての罪を赦(ゆる)され、天主の愛子(あいし)となり、三位(さんみ)一体(いったい)の特別な映像(えいぞう)を霊魂に宿(やど)し、信望(しんぼう)愛によって聖霊の神殿(しんでん)となる幸福を得(え)たが、これまた偏(ひとえ)に救い主の御功徳の御陰(おかげ)で、我等の功(いさをし)によるのではない。されば我等はその御恵を感謝すると共に、与えられた聖寵(せいちょう)を守り、徳の芽を伸ばし、花を咲かせ、善(よ)き実(み)を結(むす)ぶ義務があるのである。
 この点に於(お)いて聖マリアほど優(すぐ)れた模範(もはん)は他(ほか)にあるまい。聖母は悉(ことごと)く麗(うるわ)しくましました為に、聖寵(せいちょう)にもたぐいなく富(と)ませ給うたけれど、しかしそれを些(いささ)かも無(む)にせず、一心(いっしん)に励(はげ)み給わなかったならば、謙遜(けんそん)、従順(じゅうじゅん)、忍耐(にんたい)など、あらゆる徳の花を、あれほど美しく、咲かせ給う事は出来なかったであろう。
 実にその御生涯(ごしょうがい)は、御告(おつ)げを受けられた時から、十字架上の主の御死去、御自分の御死去に至るまで、何人(なにびと)にも見られぬ程の苦痛の連続であったが、聖母はそれを悉(ことごと)く天主の聖(み)旨(むね)の儘(まま)に耐(た)え忍(しの)び、豊(ゆた)かな功(いさおし)を積まれた。されば 
その此の世を去られるのと、天国に入り給うのと同時であったのはもとより当然な事である。
 けれども我等は聖母と大いに異(こと)なっている。例え洗礼に罪を赦(ゆる)されても悪(あく)慾(よく)その他の欠点がなお残っている為に、過失(あやまち)に陥(おちい)りやすい者である。
 自分が熱心に行った筈の善行(ぜんこう)中(ちゅう)にさえ、幾多(いくた)不純(ふじゅん)な気持ちを発見するではないか。故(ゆえ)に大抵(たいてい)はその過失(あやまち)の償(つぐな)いを果(は)たし、欠点を鍛(きた)え直し、不純(ふじゅん)な点を清められる為に、煉獄(れんごく)は免(まぬが)れ難(がた)い所であろうが、聖母の示し給うた模範(もはん)に倣(なら)い、日々(ひび)心を励(はげ)まして、天主及び他人に対する愛(あい)徳(とく)を守り、己(おのれ)を全(まった)く主の御手(みて)に委(ゆだ)ねるならば、永遠の幸福を恵まれる日も、必ず早められるに相違ないのである。

   祈   願

 ああ、原罪(げんざい)の汚(けが)れなき至(し)聖(せい)なる御母(おんはは)聖マリアよ、我等は御身の天主より恵まれ給いし豊かなる御聖寵(ごせいちょう)を喜び、主を讃美(さんび)し奉る。
何卒(なにとぞ)、我等をも総(すべ)ての汚(けが)れより潔(きよ)め、以(もっ)て御子(おんこ)に相応(ふさわ)しき住(す)み家(か)となし給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。

(天使祝詞 三度)



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