アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、私たちの主イエズス・キリストの御昇天の祝日です。
私たちの心がいつも、私たちの主のましまし給う天に向けられますように!
さて、一ヶ月前に、聖伝のミサに与る兄弟姉妹が婚姻の秘蹟で結ばれました。その時のお説教をご紹介いたします。
多くの兄弟姉妹の皆様が、聖伝のミサに与りたい、と思う切っ掛けとなれば幸いです。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
(ミサ聖祭の場所は、いつも利用しているところではなく、
東京にある結婚式場のチャペルです。)
2015年4月13日 結婚式ミサ 小野田神父説教
「夫よ、キリストが教会を愛したように、妻を愛せ。
夫は、妻を自分の身の如く愛さねばならない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛するパウロさん、姉妹のカタリナ・ラブレさん、今日は本当におめでとうございます。
どうぞご家族の方、ご友人の方、この二人を祝福にいらした全ての皆さん、私にこの喜びの言葉を述べることを許してください。皆さん、私たちは、まず、本当にキリスト教的な婚姻とは何か、私たちは何を求めて、どんなものを理想として追及しているのか、という事を黙想しましょう。次に、この私たちの理想からもしも離れてしまったら、一体どうなるのか、という不幸な結末を少し黙想し、最後に、この結婚の、今から始まった新しい生活をどのようにしたら、この理想通りに追求していけるか、という決心を立てる事に致しましょう。
そして、その決心が守られ、祝福されますように、皆さんのお祈りをお願したいと思います。
私たちは、この地上の全てを見ると、全てのものが何かに依って創られた、という事が分かります。カメラにしても、テレビにしても、電車にしても、全てそうです。この地上で最も精巧な動物である、最も素晴らしい生物である人間は、これはこのデザインも、このプログラムも、全て天主によって創造されました。私たちが知性をもち、愛をもち、想像力をもち、真理と正義と美を感ずる事ができる、これは天主から与えられた特別のものです。この創造主は、御自分の似姿に似せて、人間を創りました。そして、その同じ天地の創造主は、御自分の御子キリストと、その花嫁である教会に於いて、人類の婚姻を制定しようと望まれました。
今日、私たちが今証人となった、この二人の結ばれたご結婚、ご婚姻の秘跡は、これは天主によって作られて、人となった天主、イエズス・キリストが、婚姻の秘跡まで高めた、全く本当に崇高で、神聖なものだ、という事を、是非心に深く刻んで、この一生忘れる事のないようになさって下さい。
私たちの追及している正に理想とは、この聖なる、神聖な婚姻の契りを、決して汚すことなく、聖なるものとして、最後まで忠実に守り通す。これこそが、私たちの抱いている理想です。
天主は、私たちが本当に幸せであるように、本当の意味に於いて、この地上に於いて、更に来世に於いて幸福であるように、設計図を、デザインをしました。人類のこの本当の幸せの為に、最高のデザインを作りました。そのデザインの一つに、婚姻の秘跡があります。
天主様は聖なるものとして、確かに、司祭という制度を作りました。司祭は特別に選ばれて、人類の為に、天主様に祈りと生贄を、犠牲を捧げる、聖なる人間です。ところで、同じ天主は、やはり全く神聖な制度として、婚姻の制度を定めました。この司祭とは、もちろん性格が違うのですけれども、しかし、神聖なものである、という事については全く同じです。天主が作った制度である、という事は全く同じです。その最も大切なものは、天主の御旨に従って、犠牲を、祈りを捧げる、という所です。そこに於いて、二人の婚姻の最もあるべき、一番美しい崇高な形があります。
特に、イエズス・キリスト様が、婚姻を秘跡として高めた、という事は、これはイエズス・キリストと、その神秘体である教会という共同体との一致と、神秘的に全く同じである、という事です。つまり、天主が一つとなったものは、それは誰も分離する事ができない、神聖なものである、という事です。
イエズス・キリストが教会を愛し、教会の為に命を捧げたように、夫もそれに倣って、妻の為に家族の為に、命を捧げるように招かれている、という事です。教会がキリストを愛し、それに仕えるように、妻も夫を愛し、夫に仕えるように招かれている、という事です。
教会が洗礼を通して、多くのキリスト教信者を生み出すように、もしも天主様の御旨であれば、天主様の御摂理と御計らいによって、天主様は命の宝物を、二人にお与えになります。それを全て預りものとして、その創造の御業に参与する為に、どうぞそれを大きく受け入れて、その賜物を大切に育て上げて下さい。天主様の創造の御業に参加する、という、天使たちでもできない崇高な業を、天主様はこの二人にご依頼になりました。その崇高な目的を達成する為にも、二人は互いに助け手として、互いに補い合い、聖なる一生を、聖化の為に、益々神聖なものとなるように、過ごして下さい。
ですから、私たちはこの婚姻の秘跡の事を、深く理解すれば理解するほど、益々その高貴な、崇高な理想像が、私たちに分かってきます。この高貴さの源、崇高さの源、神聖さの源というのは、これは天主から来て、全てを天主に懸ける、という事にあります。天主様こそ、最高の権威をもっています。これを通して、この婚姻の生活を通して、益々天主様に近付くように、聖なるものとなるように、互いに励み合って下さい。益々霊的に完成を目指す、という意志をもつようになさって下さい。
もしもそうでないとしたら、残念ながら私たちは低俗な雑誌や、或いはもしかしたら週刊誌や、或いは新聞や、或いはテレビや映画などで、私たちは別の事を宣伝させられているかもしれません。「あぁ、結婚というのは、人間が自由にやればいいんだ。人間がおもしろおかしく、自分の好きなままに、秩序も無ければ、規定も無ければ、もう自分が勝手にすれば良いのだ。」と、言っているかもしれません。「おもしろおかしく過ごせれば、何でも良いんだ。他のものはみんな邪魔だ。」と、考えてしまうと、どんなに二人が気の合った、性格の良い、どんなに二人がお金を持っていても、どんなに善意をもっていても、もしもこの地上の人間の快楽、人間の欲望に追求だけにしか見えていないとしたら、もしもそれが何らかの理由で、それがなくなったとしたら、その瞬間にその人々は、もはや婚姻の生活の大切さを理解できないかもしれません。
そうではありません。二人は、天主様によって結ばれた聖なる契りを、今もっています。天主様によって永遠に、永久に祝福された契りをもっています。これを破壊する事ができる者は誰もありません。死のみが、それを解消する事ができますが、人間の手には一切触れる事ができません。どうぞ、これを聖なるものとして守り続けて下さい。
その為には、どのようにすれば良いのでしょうか。私は今日、この聖なる御恵みの、立派な式場で来て、「あぁ、正にパウロくんとカタリナさんにぴったりの教会だなあ。」と、思いました。何故かというと、その私たちの目の前に、聖家族の絵が付いているからです。マリア様もヨゼフ様も司祭の前で、婚姻の秘跡を結び、生まれた子供はすぐに天主様にお捧げし、聖家族は、イエズス様、ヨゼフ様、マリア様はいつも、天主様のもとで、謙遜に清貧に従順に働き、神殿に毎年のようにお祈りに行き、遂には、イエズス様とマリア様に看取られて、聖なる死を迎えました。
正に、これこそが私たちに、本当の意味での幸せと、本当の意味での満足と、本当の意味でのこの地上での幸福に満ちた生活を保障するものであって、永遠の命を保障するものであるからです。
今日この式を始める前に、ある方から、「あぁ、今日はしんぷ様が二人いますね。」と、言われました。その確かに言葉も「しんぷ」で、司祭の「神父」と、あと新しい花嫁の「新婦」で、言葉の音も同じですけれでも、しかし、婚姻の中で結婚生活の中で、一番大切なのは、お祈りと犠牲を捧げる事です。二人がいつも十字架の前でお祈りをして、二人が共に忍耐し合い、許し合い、日々の日常の生活を、犠牲と権威と愛をもって捧げる、これは何か、ミサではないのですけれども、犠牲を捧げるという意味で、正に司祭的な生活ではないでしょうか。ですからその意味では、新婦様も、新しい花嫁様も、司祭に似た、新郎新婦の方は、司祭に似た新しい生活を始めるのだ、という事を胸に深く刻んで下さい。
そして、もしも将来、辛い事や苦しい事があったとしても、どうぞこの今の瞬間、幸せな瞬間を思い出して、この目の前の聖家族のステンドグラスを思い出して下さい。私たちは、聖家族にならなければならない、聖家族のようにこの一生を送るのだ、私たちは、神父のように、生贄、祈りと犠牲を捧げる新しい生活を始めたのだ、だから今のこの辛い事も、イエズス様とマリア様にお捧げしよう、と、どうぞ、今のこの瞬間を思い出して下さい。日々、毎日の祈りの生活をどうぞお捧げ下さい。
ここにご臨席の皆さん、ご家族の皆様に、この二人がいつも末永く、本当の意味での幸せな婚姻の生活を全うされますように、私たちもお祈りを、拙いながら心から一生懸命捧げて、このミサを今から続ける事に致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、私たちの主イエズス・キリストの御昇天の祝日です。
私たちの心がいつも、私たちの主のましまし給う天に向けられますように!
さて、一ヶ月前に、聖伝のミサに与る兄弟姉妹が婚姻の秘蹟で結ばれました。その時のお説教をご紹介いたします。
多くの兄弟姉妹の皆様が、聖伝のミサに与りたい、と思う切っ掛けとなれば幸いです。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
(ミサ聖祭の場所は、いつも利用しているところではなく、
東京にある結婚式場のチャペルです。)
2015年4月13日 結婚式ミサ 小野田神父説教
「夫よ、キリストが教会を愛したように、妻を愛せ。
夫は、妻を自分の身の如く愛さねばならない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛するパウロさん、姉妹のカタリナ・ラブレさん、今日は本当におめでとうございます。
どうぞご家族の方、ご友人の方、この二人を祝福にいらした全ての皆さん、私にこの喜びの言葉を述べることを許してください。皆さん、私たちは、まず、本当にキリスト教的な婚姻とは何か、私たちは何を求めて、どんなものを理想として追及しているのか、という事を黙想しましょう。次に、この私たちの理想からもしも離れてしまったら、一体どうなるのか、という不幸な結末を少し黙想し、最後に、この結婚の、今から始まった新しい生活をどのようにしたら、この理想通りに追求していけるか、という決心を立てる事に致しましょう。
そして、その決心が守られ、祝福されますように、皆さんのお祈りをお願したいと思います。
私たちは、この地上の全てを見ると、全てのものが何かに依って創られた、という事が分かります。カメラにしても、テレビにしても、電車にしても、全てそうです。この地上で最も精巧な動物である、最も素晴らしい生物である人間は、これはこのデザインも、このプログラムも、全て天主によって創造されました。私たちが知性をもち、愛をもち、想像力をもち、真理と正義と美を感ずる事ができる、これは天主から与えられた特別のものです。この創造主は、御自分の似姿に似せて、人間を創りました。そして、その同じ天地の創造主は、御自分の御子キリストと、その花嫁である教会に於いて、人類の婚姻を制定しようと望まれました。
今日、私たちが今証人となった、この二人の結ばれたご結婚、ご婚姻の秘跡は、これは天主によって作られて、人となった天主、イエズス・キリストが、婚姻の秘跡まで高めた、全く本当に崇高で、神聖なものだ、という事を、是非心に深く刻んで、この一生忘れる事のないようになさって下さい。
私たちの追及している正に理想とは、この聖なる、神聖な婚姻の契りを、決して汚すことなく、聖なるものとして、最後まで忠実に守り通す。これこそが、私たちの抱いている理想です。
天主は、私たちが本当に幸せであるように、本当の意味に於いて、この地上に於いて、更に来世に於いて幸福であるように、設計図を、デザインをしました。人類のこの本当の幸せの為に、最高のデザインを作りました。そのデザインの一つに、婚姻の秘跡があります。
天主様は聖なるものとして、確かに、司祭という制度を作りました。司祭は特別に選ばれて、人類の為に、天主様に祈りと生贄を、犠牲を捧げる、聖なる人間です。ところで、同じ天主は、やはり全く神聖な制度として、婚姻の制度を定めました。この司祭とは、もちろん性格が違うのですけれども、しかし、神聖なものである、という事については全く同じです。天主が作った制度である、という事は全く同じです。その最も大切なものは、天主の御旨に従って、犠牲を、祈りを捧げる、という所です。そこに於いて、二人の婚姻の最もあるべき、一番美しい崇高な形があります。
特に、イエズス・キリスト様が、婚姻を秘跡として高めた、という事は、これはイエズス・キリストと、その神秘体である教会という共同体との一致と、神秘的に全く同じである、という事です。つまり、天主が一つとなったものは、それは誰も分離する事ができない、神聖なものである、という事です。
イエズス・キリストが教会を愛し、教会の為に命を捧げたように、夫もそれに倣って、妻の為に家族の為に、命を捧げるように招かれている、という事です。教会がキリストを愛し、それに仕えるように、妻も夫を愛し、夫に仕えるように招かれている、という事です。
教会が洗礼を通して、多くのキリスト教信者を生み出すように、もしも天主様の御旨であれば、天主様の御摂理と御計らいによって、天主様は命の宝物を、二人にお与えになります。それを全て預りものとして、その創造の御業に参与する為に、どうぞそれを大きく受け入れて、その賜物を大切に育て上げて下さい。天主様の創造の御業に参加する、という、天使たちでもできない崇高な業を、天主様はこの二人にご依頼になりました。その崇高な目的を達成する為にも、二人は互いに助け手として、互いに補い合い、聖なる一生を、聖化の為に、益々神聖なものとなるように、過ごして下さい。
ですから、私たちはこの婚姻の秘跡の事を、深く理解すれば理解するほど、益々その高貴な、崇高な理想像が、私たちに分かってきます。この高貴さの源、崇高さの源、神聖さの源というのは、これは天主から来て、全てを天主に懸ける、という事にあります。天主様こそ、最高の権威をもっています。これを通して、この婚姻の生活を通して、益々天主様に近付くように、聖なるものとなるように、互いに励み合って下さい。益々霊的に完成を目指す、という意志をもつようになさって下さい。
もしもそうでないとしたら、残念ながら私たちは低俗な雑誌や、或いはもしかしたら週刊誌や、或いは新聞や、或いはテレビや映画などで、私たちは別の事を宣伝させられているかもしれません。「あぁ、結婚というのは、人間が自由にやればいいんだ。人間がおもしろおかしく、自分の好きなままに、秩序も無ければ、規定も無ければ、もう自分が勝手にすれば良いのだ。」と、言っているかもしれません。「おもしろおかしく過ごせれば、何でも良いんだ。他のものはみんな邪魔だ。」と、考えてしまうと、どんなに二人が気の合った、性格の良い、どんなに二人がお金を持っていても、どんなに善意をもっていても、もしもこの地上の人間の快楽、人間の欲望に追求だけにしか見えていないとしたら、もしもそれが何らかの理由で、それがなくなったとしたら、その瞬間にその人々は、もはや婚姻の生活の大切さを理解できないかもしれません。
そうではありません。二人は、天主様によって結ばれた聖なる契りを、今もっています。天主様によって永遠に、永久に祝福された契りをもっています。これを破壊する事ができる者は誰もありません。死のみが、それを解消する事ができますが、人間の手には一切触れる事ができません。どうぞ、これを聖なるものとして守り続けて下さい。
その為には、どのようにすれば良いのでしょうか。私は今日、この聖なる御恵みの、立派な式場で来て、「あぁ、正にパウロくんとカタリナさんにぴったりの教会だなあ。」と、思いました。何故かというと、その私たちの目の前に、聖家族の絵が付いているからです。マリア様もヨゼフ様も司祭の前で、婚姻の秘跡を結び、生まれた子供はすぐに天主様にお捧げし、聖家族は、イエズス様、ヨゼフ様、マリア様はいつも、天主様のもとで、謙遜に清貧に従順に働き、神殿に毎年のようにお祈りに行き、遂には、イエズス様とマリア様に看取られて、聖なる死を迎えました。
正に、これこそが私たちに、本当の意味での幸せと、本当の意味での満足と、本当の意味でのこの地上での幸福に満ちた生活を保障するものであって、永遠の命を保障するものであるからです。
今日この式を始める前に、ある方から、「あぁ、今日はしんぷ様が二人いますね。」と、言われました。その確かに言葉も「しんぷ」で、司祭の「神父」と、あと新しい花嫁の「新婦」で、言葉の音も同じですけれでも、しかし、婚姻の中で結婚生活の中で、一番大切なのは、お祈りと犠牲を捧げる事です。二人がいつも十字架の前でお祈りをして、二人が共に忍耐し合い、許し合い、日々の日常の生活を、犠牲と権威と愛をもって捧げる、これは何か、ミサではないのですけれども、犠牲を捧げるという意味で、正に司祭的な生活ではないでしょうか。ですからその意味では、新婦様も、新しい花嫁様も、司祭に似た、新郎新婦の方は、司祭に似た新しい生活を始めるのだ、という事を胸に深く刻んで下さい。
そして、もしも将来、辛い事や苦しい事があったとしても、どうぞこの今の瞬間、幸せな瞬間を思い出して、この目の前の聖家族のステンドグラスを思い出して下さい。私たちは、聖家族にならなければならない、聖家族のようにこの一生を送るのだ、私たちは、神父のように、生贄、祈りと犠牲を捧げる新しい生活を始めたのだ、だから今のこの辛い事も、イエズス様とマリア様にお捧げしよう、と、どうぞ、今のこの瞬間を思い出して下さい。日々、毎日の祈りの生活をどうぞお捧げ下さい。
ここにご臨席の皆さん、ご家族の皆様に、この二人がいつも末永く、本当の意味での幸せな婚姻の生活を全うされますように、私たちもお祈りを、拙いながら心から一生懸命捧げて、このミサを今から続ける事に致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。