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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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イエズス様を愛する人は、残念ながらほんの少数でしかありません。

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2020年12月27日(主日)御降誕の八日間内の主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父様御説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は一年の最後の主日です。この今年は、ほぼ毎週主日にミサが捧げられた事を感謝致します。
そして天主の御恵みによって、聖ピオ十世会の修道院が日本にオープンするという事が総長の意向として命令された事も感謝します。現実にはそれが御摂理によって今遅れているのですけれども、しかし全ての御恵みを感謝致します。
そしてこのミサが、聖伝のミサがいつも日本で捧げられる事ができるように、皆さんのたくさんのご協力と、サポートと、お祈り、犠牲の数々を感謝致します。願わくは聖家族が、天主三位一体が、この愛に何千倍にもして返して下さいますように。

今日は書簡書では、聖パウロがイエズス様が人となったその理由の一つを語っています。
なぜ、天主がこのように人間となったのか。それは、私たちを天主の子供として、養子相続する為であった。そして私たちに子供としての聖霊を、霊を与えて、そして私たちがその聖霊に満たされて、天主を、『アッバ、父よ』と呼ぶ事ができるように。
全宇宙を創った、私たちをはるかに超える存在である天主、無限の隔たりがある方を、私たちが「父」と呼んで、そして私たちがその子供になる。
「子供」という事はつまり、相続人であって、天主の持つ永遠の命と喜びを、遺産相続する権利を持つ。父親というのは子供に、自分の子供に全部を与えようと思っています。一生懸命仕事をして財産を築いて、それを子供に全部与えたい。子供に与委ねたい。その対象に、「愛の対象になっている」という事です。
天主は、人間の心にもその父親の心を与えましたが、そのちっぽけな人間の父親の心でさえも、子供たちに物をあげるのは、何かを与えるのは、どれほどの喜びでしょうか。
天主聖父にとっては、どれほどの喜びでしょうか。想像も超えるものです。
幼きイエズスの聖テレジアによると、「天にまします、我らの父よ」と言った時に、その自分のお父さんのあまりにも優しさの事を思うと、天主聖父はどれほどのものか、と思って、もう祈りができなかった、と言います。
それにもかかわらず、人類は、この良き天主を受けようとしません。この天主の愛を拒みます。拒否します。無視します。今日福音では、その事が、そのドラマが、その悲劇が、語られています。
マリア様にシメオンは言います、「この子は、逆らいのしるしとなるだろう。」
この子によって世界は真っ二つに分かれる。イエズス・キリストを愛する者か、あるいは憎む者か。キリスト者となるか、あるいは反キリストとなるか。そして光の子となるか、闇の子となるか。その二つしかない。
そしてイエズス様を愛する人は、残念ながらほんの少数しかありません。
イエズス様、この人となったイエズス・キリスト、真の天主のその愛を、私たちが受ける事ができますように、イエズス様の側に立つ事ができますように、マリア様と聖ヨゼフにお願い致しましょう。
そして主の御摂理に従って、いつも歩む事ができますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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