2021年2月21日(主日)四旬節第1主日聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、遂に四旬節に入りました。
私たちは四旬節に入ったので、イエズス様の御受難を一緒に黙想致しましょう。
苦しみの玄義の第1玄義は、ゲッセマニの園での御苦しみですけれども、守護の天使に、私たちの霊魂をゲッセマニの園へと連れて運んで下さるようにお願い致しましょう。
見て下さい。イエズス様が跪いて祈っています。辺りは夜です。オリーブの木の周りの林の中で、イエズス様が跪いて聖父に祈っています。イエズス様の周りは、血だらけではないでしょうか。なぜ?
なぜかというと、イエズス様の体から、血の汗が流れているのです。血の汗が流れるというのは、よほどの苦しい事が、悩みがなければ、そんな事はありません。
しかし、タラタラタラタラと、額から、体中から、血を流しています。よっぽど恐ろしい事に直面している、という事に違いありません。周りは血だらけです。
イエズス様が何かお祈りをしています、聞いて下さい、「聖父よ、できる事ならば、私からこのカリスを遠ざけて下さい。しかし、私の思いではなくて、御旨がなりますように、御旨のままになりますように。」
この祈りを、何度も何度も、唸るように、涙を流すように、心の叫びでお祈りしています。その声が漏れて来るのを、私たちは聞く事ができます。
イエズス様から特別に愛された3人の弟子、聖ペトロ・聖ヤコボ・聖ヨハネも、「近くに来て、私と一緒に祈ってほしい」と言われて、近くに居ます。でも、この3人は寝ていました。眠気に勝てませんでした。コックリコックリしています。イエズス様はそれに、一人で祈っています。
一体なぜ、イエズス様はこんなに苦しむのでしょうか?
それは、イエズス様が、罪の償いを果たそうと、人類の罪の償いを果たそうとしているからです。全ての罪を、自分に一身に引き受けて、そしてそれを償おうとしています。
イエズス様は一体、どなたでしょうか?
この全宇宙を創った、聖なる、聖なる、聖なる天主、天主の御言葉、三位一体の第二のペルソナ、御一人子、真の天主、光からの光、真の天主よりの真の天主。そのイエズス様が、私たちに代わって、苦しまれようとされています。
一体、誰の為に?
兄妹の皆さんと、私の為に。兄妹の皆さんを愛するが為に、私を愛するが為に、喜んで、この苦しみを受けようと、今から受けようと、決意しています。
あぁ、私たちも、ペトロが、あるいはヤコブが、ヨハネが、3人が眠りこけていたというのを見て、あぁ、私たちはお祈りしなければならない時に、どれほど眠りこけていた事でしょうか。
あぁ、イエズス様の近くに居なければならない時に、どれほど無関心だったり、冷たい心だったり、近くに居てあげる事ができなかったでしょうか。
イエズス様はそれでも、私たちに来ます、それは、イエズス様の為というよりは、私たちの為に。
「お前は、たった1時間も私と一緒に祈る事ができなかったのか。精神は逸るけれども、肉体は弱い。だから、誘惑に陥らないように、祈れ。」それは、私たちの為の警告でした。
そしてもう一度、祈りの場所に行って、血だらけの場所に行って、祈ります、「聖父よ、願わくはこのカリスを、どうぞ私から遠ざかりますように。でも私に思いではなく、御旨がなりますように、御旨のままになりますように。」
弟子たちはまた、眠りこけていました。イエズス様はもはや起こそうとしません。またもう一度、祈ります。
このイエズス様は、裏切り者のユダによって、接吻によって、愛のジェスチャーによって、裏切りを受けました、「この私がしるしをした者が彼だ。よく気を付けよ。捕まえよ!」
「イエズス様を愛する」と言いながら、私たちはどれほど、イエズス様を裏切った事でしょうか。罪を犯した事でしょうか。
ペトロは後に、祈りの警戒を怠ったが為に、残念な事に、イエズス様を3回も裏切ってしまいました。「この人を知らない。」「俺は知らない。」「あぁ…。」
私たちもどれほど、ペトロと同じような事をしてしまった事でしょうか。
ペトロは、鶏が鳴くのを聞いて、イエズス様の視線を見て、目が合った時に、痛悔の涙を、熱い涙を流しました。そしてそれを一生忘れませんでした。鶏が鳴く度に、ペトロは熱い涙を流した、と伝えられています。
私たちも、やはりこの熱い涙を、この四旬節の間に求めましょう。良い四旬節をお迎え下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、遂に四旬節に入りました。
私たちは四旬節に入ったので、イエズス様の御受難を一緒に黙想致しましょう。
苦しみの玄義の第1玄義は、ゲッセマニの園での御苦しみですけれども、守護の天使に、私たちの霊魂をゲッセマニの園へと連れて運んで下さるようにお願い致しましょう。
見て下さい。イエズス様が跪いて祈っています。辺りは夜です。オリーブの木の周りの林の中で、イエズス様が跪いて聖父に祈っています。イエズス様の周りは、血だらけではないでしょうか。なぜ?
なぜかというと、イエズス様の体から、血の汗が流れているのです。血の汗が流れるというのは、よほどの苦しい事が、悩みがなければ、そんな事はありません。
しかし、タラタラタラタラと、額から、体中から、血を流しています。よっぽど恐ろしい事に直面している、という事に違いありません。周りは血だらけです。
イエズス様が何かお祈りをしています、聞いて下さい、「聖父よ、できる事ならば、私からこのカリスを遠ざけて下さい。しかし、私の思いではなくて、御旨がなりますように、御旨のままになりますように。」
この祈りを、何度も何度も、唸るように、涙を流すように、心の叫びでお祈りしています。その声が漏れて来るのを、私たちは聞く事ができます。
イエズス様から特別に愛された3人の弟子、聖ペトロ・聖ヤコボ・聖ヨハネも、「近くに来て、私と一緒に祈ってほしい」と言われて、近くに居ます。でも、この3人は寝ていました。眠気に勝てませんでした。コックリコックリしています。イエズス様はそれに、一人で祈っています。
一体なぜ、イエズス様はこんなに苦しむのでしょうか?
それは、イエズス様が、罪の償いを果たそうと、人類の罪の償いを果たそうとしているからです。全ての罪を、自分に一身に引き受けて、そしてそれを償おうとしています。
イエズス様は一体、どなたでしょうか?
この全宇宙を創った、聖なる、聖なる、聖なる天主、天主の御言葉、三位一体の第二のペルソナ、御一人子、真の天主、光からの光、真の天主よりの真の天主。そのイエズス様が、私たちに代わって、苦しまれようとされています。
一体、誰の為に?
兄妹の皆さんと、私の為に。兄妹の皆さんを愛するが為に、私を愛するが為に、喜んで、この苦しみを受けようと、今から受けようと、決意しています。
あぁ、私たちも、ペトロが、あるいはヤコブが、ヨハネが、3人が眠りこけていたというのを見て、あぁ、私たちはお祈りしなければならない時に、どれほど眠りこけていた事でしょうか。
あぁ、イエズス様の近くに居なければならない時に、どれほど無関心だったり、冷たい心だったり、近くに居てあげる事ができなかったでしょうか。
イエズス様はそれでも、私たちに来ます、それは、イエズス様の為というよりは、私たちの為に。
「お前は、たった1時間も私と一緒に祈る事ができなかったのか。精神は逸るけれども、肉体は弱い。だから、誘惑に陥らないように、祈れ。」それは、私たちの為の警告でした。
そしてもう一度、祈りの場所に行って、血だらけの場所に行って、祈ります、「聖父よ、願わくはこのカリスを、どうぞ私から遠ざかりますように。でも私に思いではなく、御旨がなりますように、御旨のままになりますように。」
弟子たちはまた、眠りこけていました。イエズス様はもはや起こそうとしません。またもう一度、祈ります。
このイエズス様は、裏切り者のユダによって、接吻によって、愛のジェスチャーによって、裏切りを受けました、「この私がしるしをした者が彼だ。よく気を付けよ。捕まえよ!」
「イエズス様を愛する」と言いながら、私たちはどれほど、イエズス様を裏切った事でしょうか。罪を犯した事でしょうか。
ペトロは後に、祈りの警戒を怠ったが為に、残念な事に、イエズス様を3回も裏切ってしまいました。「この人を知らない。」「俺は知らない。」「あぁ…。」
私たちもどれほど、ペトロと同じような事をしてしまった事でしょうか。
ペトロは、鶏が鳴くのを聞いて、イエズス様の視線を見て、目が合った時に、痛悔の涙を、熱い涙を流しました。そしてそれを一生忘れませんでした。鶏が鳴く度に、ペトロは熱い涙を流した、と伝えられています。
私たちも、やはりこの熱い涙を、この四旬節の間に求めましょう。良い四旬節をお迎え下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。