2021年2月21日(主日)四旬節第1主日のミサ聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(東京)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、四旬節が始まりました。
四旬節は、恵みの時、救いの時、愛の時です。決して、辛い時期が始まった、嫌な時期が始まった、ではありません。
なぜかというと、この四旬節には、「私たちが天主からどれほど愛されているか」という事を知るからです。十字架をご覧下さい。四旬節の中心はまさに、受難です。
なぜイエズス様は十字架に付けられたのでしょうか?
なぜかというと、私たちを愛していたからです。私たちの代わりに喜んで、全ての苦しみと、屈辱と、痛みと、死を受けたからです。十字架に付けられたイエズス様は私たちに、どれほど私たちを愛しているかを、言葉も無く、しかし体で教えています。
天主が私たちを愛するが為に、喜んで苦しまれた、私たちが永遠に苦しまないように。
この愛の中に深く入って下さい。
四旬節は、私たちがどれほど愛されているかという事を深く知る時です。イエズス様の受難を黙想して下さい。
黙想すればするほど、「あぁ、どれほどイエズス様は憐れみ深い優しい方か、どれほど私たちを愛しておられるか」と、あれでもか、これでもか、と深く知る事になります。
一体その原因は何だったのでしょうか?これほど愛して下さるイエズス様はなぜ苦しんだのでしょうか?
なぜかというと、私たちが罪を犯したからです。イエズス様を愛する代わりに、イエズス様に「嫌だ」と、イエズス様を拒んだからです。イエズス様を裏切ったからです。イエズス様から恵みを受けていて、それで、イエズス様を憎んだからです。するとイエズス様が悲しむ事をしてしまったからです。
罪を犯すと、その罪の償いに罰を受けなければなりません。イエズス様は私たちに代わって、その罰を受けました。私たちが罪を犯す度に、イエズス様に苦しみを与えます。どれほどイエズス様を苦しませた事でしょうか。
心から、その罪を痛悔する恵みを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、四旬節が始まりました。
四旬節は、恵みの時、救いの時、愛の時です。決して、辛い時期が始まった、嫌な時期が始まった、ではありません。
なぜかというと、この四旬節には、「私たちが天主からどれほど愛されているか」という事を知るからです。十字架をご覧下さい。四旬節の中心はまさに、受難です。
なぜイエズス様は十字架に付けられたのでしょうか?
なぜかというと、私たちを愛していたからです。私たちの代わりに喜んで、全ての苦しみと、屈辱と、痛みと、死を受けたからです。十字架に付けられたイエズス様は私たちに、どれほど私たちを愛しているかを、言葉も無く、しかし体で教えています。
天主が私たちを愛するが為に、喜んで苦しまれた、私たちが永遠に苦しまないように。
この愛の中に深く入って下さい。
四旬節は、私たちがどれほど愛されているかという事を深く知る時です。イエズス様の受難を黙想して下さい。
黙想すればするほど、「あぁ、どれほどイエズス様は憐れみ深い優しい方か、どれほど私たちを愛しておられるか」と、あれでもか、これでもか、と深く知る事になります。
一体その原因は何だったのでしょうか?これほど愛して下さるイエズス様はなぜ苦しんだのでしょうか?
なぜかというと、私たちが罪を犯したからです。イエズス様を愛する代わりに、イエズス様に「嫌だ」と、イエズス様を拒んだからです。イエズス様を裏切ったからです。イエズス様から恵みを受けていて、それで、イエズス様を憎んだからです。するとイエズス様が悲しむ事をしてしまったからです。
罪を犯すと、その罪の償いに罰を受けなければなりません。イエズス様は私たちに代わって、その罰を受けました。私たちが罪を犯す度に、イエズス様に苦しみを与えます。どれほどイエズス様を苦しませた事でしょうか。
心から、その罪を痛悔する恵みを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。