2021年3月14日(主日)四旬節第4主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)
お知らせがあります。
このミサは、皆さんの意向の為に捧げられております。私が全く自主的に、自発的に、聖ヨゼフ様の大祝日3月19日の前のノベナとして、3月10日から18日まで、皆さんの為に、日本のカトリック教会の為にこれを御捧げしております。
また3月19日にはもう一度、聖ヨゼフの祝日に、皆さんの為に、皆さんの意向で、ミサを御捧げします。どうぞ心を合わせてお祈り下さい。
聖ヨゼフが、皆さん一人一人と、そして皆さんの家庭と家族の方々と、皆さんの愛する方々を全て祝福して守って下さいますように、その意向で御捧げ致します。このミサも、そうです。
それから3月19日には、ここ大阪のお御堂でミサが夕方あります。聖ヨゼフの大祝日で、金曜日ですけれども、全世界のカトリック教会では守るべき祝日となっています。日本ではそうではないのですけれども、しかし全教会ではそうなっています。
そこでその日には、大小斎を免除するという事を思っています。ドモルネ神父様がミサを捧げて下さいます。
そのミサの後に、聖ヨゼフに対する奉献を更新致します。10年前にしたアジア管区の奉献を更新するという事で、アジア管区長から通達が来ました。
フィリピンは今年、福音が伝えられて500年を祝っています。1521年3月16日、マジェランがフィリピンにやって来ました。フィリピンの司教様たちは全部一致して、フィリピンを聖ヨゼフに、今年の5月1日に奉献すると言ってます。そして「3月30日から33日間準備をした後に、心を一致して捧げる」と言っています。このフィリピンの司教様と一致して、日本の司教様たちも、日本を捧げて下さるようにお祈り下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日の福音での最後では、パンの奇跡を行なった後に、人々はイエズス様を王として持ち上げようと思ってやって来ました。イエズス様に「王となって下さい」とお願いしに来ました。
するとイエズス様はそれを見て、一人で山の中に逃げて行きました。イエズス様は、王として受けるべき戴冠式が、数日後に迫っていたからです。
その戴冠式においては、イエズス様は逃げも隠れもしませんでした。それを、愛する兄弟姉妹の皆さんと、私を愛する為に、それを受けようとします。
その戴冠式の時には、その日には、イエズス様は私たちを大きな恵みで祝福しようと思っていました。イエズス様の戴冠式には、王としての宣言を受ける日には、地獄の帝国が転覆して、私たちを罪の奴隷状態から解放して、私たちの罪の負債を全て帳消しにして取り消して、そして私たちと共に、御自分の永遠の王国で支配し、喜びを分かち合おうと思っていたからです。
ですから、この人々がイエズス様を王とした時には、イエズス様は逃げるばかりしかありませんでした。
この戴冠式はいつかというと、「聖金曜日」でした。人々が、イエズス様がユダヤの王だと知って、ピラトは聞きます、「お前は王なのか?」
「お前の言う通りである。私は、その為にこの世に生まれてきた。真理を聞く者は、私の声を聞く。」
そしてイエズス様が受けた冠は、茨の冠でした。赤いルビーや、色々な宝石、貴重な宝石よりももっと尊い、茨の冠でした。ローマ兵士が、嘲弄と嘲りの為に、イエズス様に押し付けました。イエズス様の尊い御頭からは、天主の御血がタラタラと流れ出ました。どれほど痛かった事でしょうか。どれほどこの屈辱は、イエズス様の胸に辛かった事でしょうか。
イエズス様の鞭打たれた体は、ボロボロの体には、紫の王の衣として、汚い服が汚れた服が着せられました。
イエズス様の手には、王の笏が与えられました、それは葦の笏でした。嘲りの王笏でした。
そして、「ユダヤの王、挨拶します」と、ローマ兵士たちはイエズス様の前に跪いて、嘲弄し、嘲り、愚弄しました。イエズス様はその時、何も仰らずに、これを耐え忍ばれました。
イエズス様の王笏は、天主の王権です。全世界を支配して、全宇宙を支配して、天使たちを支配して、何一つイエズス様の支配を逃れるものがない、その王権です。
この王権は永遠に続きます。この地上のいかなる王も、皇帝も、帝王も、どんな黄金の笏を持っていようが、鉄の笏を持っていようが、軍隊を持っていようが、それはいつかは滅び、忘れ去られるものですが、イエズス様の王国は、永遠に滅びません。
イエズス様は、天主としてではなく人間として、人となった御言葉として、この王位に就きます。贖い主、救い主の王位に。
そしてこの戴冠式、この着衣式、王の座に就いたその時には、何を考えておられたのでしょうか?
イエズス様は、「天主聖父の栄光」と、「愛する兄弟姉妹の皆さんの事を愛する事」だけを考えていました。「霊魂を救いたい。地獄の支配から奪いたい。私と一緒に私の王国を与えたい。」それだけを、愛と、柔和と、そして善意に満ちて、これを黙って耐え忍びました。
天主として、彼らを足蹴にするのはどれほど簡単だった事でしょうか。しかし、イエズス様が思っていたのは、天主聖父の正義を満足させる事、私たちの罪の償いをする事、ひたすらに愛する事だけでした。
この戴冠式、茨の冠、そしてイエズス様が受けた全ての嘲りと屈辱、これを見ると、「私たちは何と愛に満ちた王を、素晴らしい私たちの英雄的な王を持っているのか」と、希望と、感謝と、愛で満たされます。
そして、「私たちは今まで、どれほど弱々しく、臆病で、冷たく、イエズス様から遠く離れていたのか」と、それを悔いるばかりです。
この王は、「もしも私と共に、永遠の王国に、王座に就きたいのならば、さぁ、私に付いて来るが良い」と招いています。「私のくびきは軽く、それは誰でも担ぐ事ができる。私の後に付いて来ようと思うなら、自分の十字架を取って、私に従え。」
イエズス様が先頭を切って、私たちの為に先を進んで下さいます。私たちもその御跡を慕いましょう。イエズス様に感謝と、讃美と、愛を御捧げ致しましょう。そして私たちが、今までの冷たい、冷淡だった生活の償いをする遷善の決心を立てましょう。
イエズス様が黙って、額から血を流されて、戴冠式を受けている時に、私たちの心には、イエズス様の声が聞こえます。もう、いつものイエズス様とは変わり果てた姿ですけれども、殴られて、傷付けられて、しかしイエズス様の愛の声だけは聞こえてきます。私たちに何をお求めなのでしょうか?
イエズス様を愛する事ができるように求めましょう。聖母マリア様とそして聖ヨゼフに、私たちがイエズス様の声をよく聞きますように、イエズス様を愛する事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)
お知らせがあります。
このミサは、皆さんの意向の為に捧げられております。私が全く自主的に、自発的に、聖ヨゼフ様の大祝日3月19日の前のノベナとして、3月10日から18日まで、皆さんの為に、日本のカトリック教会の為にこれを御捧げしております。
また3月19日にはもう一度、聖ヨゼフの祝日に、皆さんの為に、皆さんの意向で、ミサを御捧げします。どうぞ心を合わせてお祈り下さい。
聖ヨゼフが、皆さん一人一人と、そして皆さんの家庭と家族の方々と、皆さんの愛する方々を全て祝福して守って下さいますように、その意向で御捧げ致します。このミサも、そうです。
それから3月19日には、ここ大阪のお御堂でミサが夕方あります。聖ヨゼフの大祝日で、金曜日ですけれども、全世界のカトリック教会では守るべき祝日となっています。日本ではそうではないのですけれども、しかし全教会ではそうなっています。
そこでその日には、大小斎を免除するという事を思っています。ドモルネ神父様がミサを捧げて下さいます。
そのミサの後に、聖ヨゼフに対する奉献を更新致します。10年前にしたアジア管区の奉献を更新するという事で、アジア管区長から通達が来ました。
フィリピンは今年、福音が伝えられて500年を祝っています。1521年3月16日、マジェランがフィリピンにやって来ました。フィリピンの司教様たちは全部一致して、フィリピンを聖ヨゼフに、今年の5月1日に奉献すると言ってます。そして「3月30日から33日間準備をした後に、心を一致して捧げる」と言っています。このフィリピンの司教様と一致して、日本の司教様たちも、日本を捧げて下さるようにお祈り下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日の福音での最後では、パンの奇跡を行なった後に、人々はイエズス様を王として持ち上げようと思ってやって来ました。イエズス様に「王となって下さい」とお願いしに来ました。
するとイエズス様はそれを見て、一人で山の中に逃げて行きました。イエズス様は、王として受けるべき戴冠式が、数日後に迫っていたからです。
その戴冠式においては、イエズス様は逃げも隠れもしませんでした。それを、愛する兄弟姉妹の皆さんと、私を愛する為に、それを受けようとします。
その戴冠式の時には、その日には、イエズス様は私たちを大きな恵みで祝福しようと思っていました。イエズス様の戴冠式には、王としての宣言を受ける日には、地獄の帝国が転覆して、私たちを罪の奴隷状態から解放して、私たちの罪の負債を全て帳消しにして取り消して、そして私たちと共に、御自分の永遠の王国で支配し、喜びを分かち合おうと思っていたからです。
ですから、この人々がイエズス様を王とした時には、イエズス様は逃げるばかりしかありませんでした。
この戴冠式はいつかというと、「聖金曜日」でした。人々が、イエズス様がユダヤの王だと知って、ピラトは聞きます、「お前は王なのか?」
「お前の言う通りである。私は、その為にこの世に生まれてきた。真理を聞く者は、私の声を聞く。」
そしてイエズス様が受けた冠は、茨の冠でした。赤いルビーや、色々な宝石、貴重な宝石よりももっと尊い、茨の冠でした。ローマ兵士が、嘲弄と嘲りの為に、イエズス様に押し付けました。イエズス様の尊い御頭からは、天主の御血がタラタラと流れ出ました。どれほど痛かった事でしょうか。どれほどこの屈辱は、イエズス様の胸に辛かった事でしょうか。
イエズス様の鞭打たれた体は、ボロボロの体には、紫の王の衣として、汚い服が汚れた服が着せられました。
イエズス様の手には、王の笏が与えられました、それは葦の笏でした。嘲りの王笏でした。
そして、「ユダヤの王、挨拶します」と、ローマ兵士たちはイエズス様の前に跪いて、嘲弄し、嘲り、愚弄しました。イエズス様はその時、何も仰らずに、これを耐え忍ばれました。
イエズス様の王笏は、天主の王権です。全世界を支配して、全宇宙を支配して、天使たちを支配して、何一つイエズス様の支配を逃れるものがない、その王権です。
この王権は永遠に続きます。この地上のいかなる王も、皇帝も、帝王も、どんな黄金の笏を持っていようが、鉄の笏を持っていようが、軍隊を持っていようが、それはいつかは滅び、忘れ去られるものですが、イエズス様の王国は、永遠に滅びません。
イエズス様は、天主としてではなく人間として、人となった御言葉として、この王位に就きます。贖い主、救い主の王位に。
そしてこの戴冠式、この着衣式、王の座に就いたその時には、何を考えておられたのでしょうか?
イエズス様は、「天主聖父の栄光」と、「愛する兄弟姉妹の皆さんの事を愛する事」だけを考えていました。「霊魂を救いたい。地獄の支配から奪いたい。私と一緒に私の王国を与えたい。」それだけを、愛と、柔和と、そして善意に満ちて、これを黙って耐え忍びました。
天主として、彼らを足蹴にするのはどれほど簡単だった事でしょうか。しかし、イエズス様が思っていたのは、天主聖父の正義を満足させる事、私たちの罪の償いをする事、ひたすらに愛する事だけでした。
この戴冠式、茨の冠、そしてイエズス様が受けた全ての嘲りと屈辱、これを見ると、「私たちは何と愛に満ちた王を、素晴らしい私たちの英雄的な王を持っているのか」と、希望と、感謝と、愛で満たされます。
そして、「私たちは今まで、どれほど弱々しく、臆病で、冷たく、イエズス様から遠く離れていたのか」と、それを悔いるばかりです。
この王は、「もしも私と共に、永遠の王国に、王座に就きたいのならば、さぁ、私に付いて来るが良い」と招いています。「私のくびきは軽く、それは誰でも担ぐ事ができる。私の後に付いて来ようと思うなら、自分の十字架を取って、私に従え。」
イエズス様が先頭を切って、私たちの為に先を進んで下さいます。私たちもその御跡を慕いましょう。イエズス様に感謝と、讃美と、愛を御捧げ致しましょう。そして私たちが、今までの冷たい、冷淡だった生活の償いをする遷善の決心を立てましょう。
イエズス様が黙って、額から血を流されて、戴冠式を受けている時に、私たちの心には、イエズス様の声が聞こえます。もう、いつものイエズス様とは変わり果てた姿ですけれども、殴られて、傷付けられて、しかしイエズス様の愛の声だけは聞こえてきます。私たちに何をお求めなのでしょうか?
イエズス様を愛する事ができるように求めましょう。聖母マリア様とそして聖ヨゼフに、私たちがイエズス様の声をよく聞きますように、イエズス様を愛する事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。