Quantcast
Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

イエズスの聖心を知りたければマリアに願え。マリアを通らなければ誰もイエズスに行けない。マリアを通さなければ誰もイエズスから何ひとつ受け取ることはない

$
0
0

聖心の聖母についての短い説教

ドモルネ神父

はじめに

5月8日に、教会は童貞聖マリアの三つの称号をお祝いします。諸聖人と美しき愛の母マリア、すべての恵みの仲介者なるマリア、そしてイエズスの聖心の聖母マリアです。

これら三つの称号は、互いに関連しています。それを皆さんにわかっていただけるように、「イエズスの聖心の聖母」という称号について、少し説明したいと思います。

1.歴史と御影

「聖心の聖母」の称号は、1857年にジュール・シュヴァリエ神父によって使い始められました。シュヴァリエ神父は、フランスのイスダンにある聖心布教会の創設者です。この修道会は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、パプア・ニューギニアで勇敢に福音を広めたことで特に有名です。

聖心の聖母の御影について、少し説明しましょう。幼きイエズスがマリアの腕の中におられます。イエズスは私たちを見ながら、左手で聖心を指し、右手でマリアを指しておられます。マリアは左腕でイエズスを抱き、右手でイエズスの心臓に触れておられます。イエズスの心臓からマリアへ向けた、またマリアから逆に聖心へ向けた動きがあるかのようです。

では、「聖心の聖母」という称号が何を意味するのかを見てみましょう。

2.聖心の聖母は、天主の御母になられたマリアのことである

聖心の聖母の御影の中で、イエズスはこう言っておられるかのようです。「マリアによって形作られた私の聖心を見よ」。

聖心は、どのようにしてマリアによって形作られたのでしょうか。受胎告知の日に、救い主の母となることにマリアが全面的に同意したことによってです。天主は、天主なる御子のご托身を計画されました。しかし、天主はそのご計画の実現が、マリアの同意に依存するようにされました。ですから、厳密に言えば、もしマリアが救い主の御母になることを拒否なさっていたら、ご托身は起こらなかったのです。自由で完全な同意によって、マリアはイエズスの御母となられました。マリアはイエズスの人間としての御体とその聖心を形作られたのです。イエズスの人間としての心臓は天主の愛の象徴ですから、マリアは「美しき愛の母」という称号にふさわしいのです。教会は集会書の次の言葉を童貞聖マリアに当てはめます。「私は美しき愛の母である」(集会書24章24節)。

旧約では、レベッカはマリアのかたどりです。アブラハムは、息子イサクにふさわしい妻を探すために、しもべエリエゼルを派遣しました。エリエゼルは目的地に着き、井戸の近くで天主がイサクのために選ばれた女性を待っていました。聖書にはこう書かれています(創世記24章16節)。「娘はたいそう美しい女で、処女でまだ男を知らなかった」。彼女は泉におりていきました。彼女の名前はレベッカでした。彼女はイサクの妻になることを受け入れ、後にイスラエル【ヤコブ】の母となりました。エリエゼルを送ったアブラハムは、父なる天主のかたどりです。エリエゼルは、天主から遣わされた大天使ガブリエルのかたどりです。レベッカは、無原罪にして聖寵充ち満てるマリアのかたどりです。イスラエルは、イエズス・キリストを意味します。レベッカがエリエゼルの申し出を受け入れてイスラエルの母となったように、マリアも大天使ガブリエルの申し出を受け入れてイエズス・キリストの御母となられたのです。

 3.聖心の聖母は、すべての恵みの仲介者なるマリアのことである

聖心の聖母の御影の中で、イエズスはご自分の聖心とマリアを同時に指しておられます。イエズスは私たちに、「私の聖心とそのすべての富はマリアのものである」と言っておられるかのようです。なぜそうなのでしょうか。贖い主の母となることを受け入れることによって、マリアは贖いのみわざにおいてイエズスと一致することを受け入れられたのです。エバがアダムと一緒に人類が自然に生まれるわざを行ったように、マリアはイエズスと一緒に人類が霊的に再び生まれるみわざをなさったのです。

この一致のため、イエズスは、ご自身の受難によって得られたすべての恵みを、すべての恵みの仲介者なるマリアに委ねられました。ですから、今、私たちが受ける一つ一つの恵みは、すべてマリアを通して受けるのです。私たちはマリアによって霊的に再び生まれるのです。この現実を表現するために、十字架上のイエズスは私たち全員に「あなたの母を見よ」(ヨハネ19章27節)と言われました。聖母によって霊的に再び生まれなければ、誰も天国に行くことはできません。ですから、聖心の聖母は諸聖人の母なのです。

旧約聖書に出てくるレベッカについてもう一度考えてみましょう。彼女は泉でエリエゼルと出会いました。彼女は、エリエゼルのためだけでなく、彼のすべてのラクダたちのためにも水を汲みました。聖書では、水は恵みの象徴であり、井戸はすべての恵みの源であるイエズスの象徴です。イエズスがサマリヤの女に言われた言葉を思い出してください。「私の与える水は、その人の中で、永遠の命に湧き出る水の泉となる」【ヨハネ4章14節】。また、イエズスの聖心の祝日に、教会はイザヤのこの言葉を聖心に当てはめます。「おまえたちは喜んで、救いの泉から水を汲む」(イザヤ12章3節)。井戸から水を汲み、エリエゼルとそのすべてのラクダたちに水を与えたレベッカは、イエズスの聖心からすべての恵みを汲み取り、それをすべての人に配る童貞聖マリアのかたどりです。

結論

聖心の聖母、美しき愛の母、すべての恵みの仲介者、諸聖人の母というこれらの称号が、すべて互いに関連していることが、お分かりいただけたかと思います。もし機会があれば、聖心の聖母の御影を見てみてください。インターネットで簡単に見つけることができます。その御影では、イエズスは私たちにこう言っておられます。

「私の聖心を知りたければ、マリアに願いなさい。あなたにそれを教えるのは、まさにマリアである。マリアを通らなければ、誰も私のところに来ることはない。私の聖心から何かを受けたいときは、いつもマリアに願いなさい。私のすべての恵みをつかさどるのは、マリアである。マリアを通さなければ、誰も、私から何ひとつ受け取ることはない」。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

Trending Articles