2021年5月6日(初水)秋田巡礼聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父霊的講話4
「聖母信心への結果としての、イエズス様とマリア様の内に燃えていた「霊魂を救いたい」というその熱烈な望み」
シャミナード神父様による、「マリア様が私たちの母である」という話の続きを致しましょう。
私たちは最初に1回目に、シャミナード神父様の経歴と私たちの関係を見て、そして特に、フランス革命の時にスペインに行って、特別のマリア様のインスピレーションを得た、特に「マリア様が私たちの母である」という事に対して、大切である、という事を深く確信した、そしてその私たちがマリア様の子供であって、マリア様が私たちの母である、という事に基づいて、修道会を創ったり、そして私たちにマリア様に対する信心を広めようとした、その信心の理想像が、イエズス様である。私たちのマリア様の信心というのはつまり、「イエズス様を真似する事である、キリストに倣う事である」という事を見ました。
イエズス様が私たちの聖母の信心の理想である、それを真似するのが私たちにとって一番の願いであって、最高の息子であるイエズス様がなさった最高の母親に対する愛を、私たちもそれを真似したい、イエズス様と一致する、キリストの真似をする、というこの究極はどこにあるかというと、「イエズス様がなさったように、私たちもマリア様に奉献する。」
そして昨日、マリア様に対する奉献について見ました。マリア様は私たちの母であって、私たちはマリア様のものであるので、その所有権を持っておられるので、それをもう一度確認する。そしてイエズス様の持っていた子としての愛を、もう一度私たちの内に実現させる。
そしてマリア様の私たちに対する愛を知れば知るほど、特に十字架の下での苦しみを知れば知るほど、私たちもマリア様に愛を以って返そうとする、という事を見ました。
では、そこからの論理的な結果で、マリア様が私たちの母で、イエズス様の真似をする、そしてイエズス様の真似をして奉献する。でも一体何の為に、イエズス様は人となって、何の為に、イエズス様は贖いの業をしたのでしょうか?
それは、私たちを超自然の命に生み出す為、私たちを天主の子供とする為、御恵みを、超自然の恵みを私たちに与える為、私たちの救霊の為でした。
そして十字架の上で、そして十字架の足下で、イエズス様とマリア様は二人で、私たちを超自然の命に生み出そうと、言葉にもする事のできないほどの恐ろしい、ものすごい苦悩を受けられました。
そして私たちもその願いに、その望みに、イエズス様と一致して、「霊魂を救おう」と思うわけです。そこで今日は、イエズス様とマリア様の内に燃えていた、その「霊魂を救いたい」というその熱烈な望みを、聖母信心への結果として、私たちの心にも持つように致しましょう。
先程、「マリア様に対する信心は、イエズス様を真似する事である」と申しましたけれども、イエズス様を真似すればするほど、イエズス様を真似て聖母への信心をすればするほど、聖母は私たちにですね、こういう事を言っているのです。
“Quodcumque dixerit vobis, facite”「彼の言う事を、何でもしなさい。」(ヨハネ2:5)
ちょうどカナの婚宴の席であったように、そこで私たちのイエズス様に対するキリストの模倣は、ますます完全なものとなっていきます。キリスト者の目標は何かというと、「キリストを真似する者」であって、「キリストに従う者」ですけれども、どこにどうしたら、イエズス様の命や、イエズス様を見つける事ができるでしょうか?
それはマリア様です。シャミナード神父様によると、「私たちはマリア様の胎内にでしか、イエズス様を見出す事ができないし、イエズス様の命を見出す事ができない。第二のキリスト“Alter Christus”、もう一人のキリストとなる為には、どうしてもマリア様を通さなければならない。
もしも聖パウロが言った事を言いたいのならば、『私にとって生きるとはキリストなり』(フィリッピ1:21)これをするには、どうしてもマリア様によらなければならない。
そして『マリア様に私たちを奉献した』というのは実は、その意味は、私たちがイエズス様とマリア様を真似するのみならず、ちょうどイエズス様が、イエズス・キリストがマリア様と共に霊魂の救いの為に働かれたように、私たちもマリア様と共に霊魂の救いの為に熱心に働く、という事である。聖母に対する奉献はつまり、『霊魂の救いの為』である」と言います。
こうやって、シャミナード神父様によると、「マリア様に私たちを奉献させるというのはすなわち、『霊魂を救う為に、多くの霊魂を救う為に、私たちの全てを使って下さい』と言う事と等しい」と仰います。
多くの霊魂の救いの為に私たちを使う、という事はどういう事かというと、「マリア様に、私たちの考えとか、言葉とか、あるいは仕事とか、あるいはお祈りとか、あるいは全てを、日常生活の全ての犠牲や、苦しみ、病気、あるいはその他をマリア様に捧げて、それを使って下さい」と言う事。という事は、「聖母の御恵みの分配の仕事に、使命に与る、参加する」という事。
もうちょっと詳しく言うと、「御恵みを分配するというのはつまり、悪魔の手から霊魂を引き離して、天主の命へと導く事。つまり悪魔との戦い、ルチフェルとの戦いに参加して、そして遂には勝利を得る。マリア様の勝利の側に立つという事だ」と言います。
説明します。マリア様のミッションというのは使命というのは何かというと、「全ての人々の母となる」という事です。ある人間は子供たちは、本当はマリア様の子供となるべく生まれてきたのですけれども、いわばそれが出来ずに、地獄に落ちてしまう、つまり流産してしまう、生まれずにそのまま死んでしまう、という、それがないように、多くの人間が、できるだけ多くの人が、生けるマリア様の子供たちとなる事です。
言い換えると、マリア様の使命は今でも続いていて、それがイエズス・キリストの命を私たちの内に作り出す、という事、全ての人々において作り出すという事、イエズス・キリストを私たちにおいて形作る事です。
その為にこそ、イエズス様は十字架で苦しまれましたし、御血を流されましたし、その為にこそ、マリア様は十字架の足下で涙を流されて、その殉教の苦しみを御捧げしました。
ですからこの私たちが、マリア様に私たちを奉献するというのは、天の最も崇高な戦い、霊魂を救うか救わないか、永遠の命に導くか導かないか、という最も高いレベルの戦いに参加するという事です。
地獄に対する敵対に、私たちは戦いを挑んでいるという事です。マリア様が蛇の頭を踏み砕くのに参加する、それをそれに手助けをするという事です。そして全世界を、イエズス様の元に連れて来る、多くの人々をマリア様の子供として、イエズス様の命を与える。キリスト者という、マリア様の子供を増やす。どこに、世界中どこであっても、真の信仰と、イエズス・キリストの本当の教えを、宗教を広める、導入させる、それを伝える。
これが、私たちのマリア様の奉献の結果の態度です。
ですから、このマリア様に私たちが奉献するという事は、非常に深い、また高い意味を持っています。つまり、私たちが霊魂の救いを、多くの霊魂たちが天国に導かれるようにと、マリア様と共にいつも一致している、という事ですから。今、これほど必要とされているものはありません。
なぜかというと、今、「霊魂の救い」という事を私たちに言って下さるのは、今世界中どこでも、ほんの例外を除いて、無くなってしまったからです。
もちろんテレビやラジオではそんな事言いませんし、ニュースもそんな事はありませんし、教会でさえも、エキュメニズムとか、あるいは自然環境を守るとか、絶滅危惧種を守るとか、100年前にファチマにマリア様がお現れになって、悲しい顔をして霊魂の救いを訴えて、「祈りと犠牲を捧げてほしい。」天使が額ずいて御聖体を礼拝しながら、霊魂の救いの為に、子供たちにお願いして、「祈りと犠牲を捧げてほしい。」その事を言う人の声がますます少なくなっている今、無くなって消えかかっている今、まさにマリア様への奉献が必要となっています。
なぜかというとイエズス様は、マリア様を通してのみ、私たちの元に来る事ができましたし、マリア様がいなければ、私たちはイエズス様を見出す事ができませんし、マリア様がないところでは、イエズス様は来られないからです。
ですから、もしも霊魂を救いたいと思うならば、どうしても聖母と共にしなければなりません。それこそが、私たちがイエズス様と私たちを一致させる事で、それで私たちの考えも、望みも、行動も、すべてイエズス様と一つになって、マリア様を通して捧げる、そうすればマリア様が、全ての必要な御恵みを霊魂たちに分配する事ができる、その特権を使う事ができるからです。そうすればマリア様は、遂には、蛇の頭を粉々に砕く事ができるからです。
もちろん、無原罪の御宿りで蛇の頭は粉々に砕かれました。しかし、まだ私たちに対しては襲いかかっています。その私たちに襲いかかる蛇の頭を粉々に砕く事が、マリア様にはできます。
そこで私たちのマリア様への信心は、「霊魂を救いたい」という母の熱烈な思いに一致するものであって、「私たちの全てを、マリア様と共に、マリア様において、マリア様の為にする」という事です。
これは聖マリ・グリニョン・ド・モンフォールの言い方ですけれども、シャミナード神父様は、「マリア様の名前において、マリア様の栄光の為にしなさい」と仰っています。
そしてこの信心について、シャミナード神父様のその考えをうまく表現した弟子がいて、それがエミル・ヌヴェールという人です。
これはマリア会の司祭で、その神父様が(今私が話した事はこの神父様が書いた事をコピーしただけなのです)、『我が理想:マリアの子なるイエズス(シャミナード霊父の精神による)』という本を書きました。小さな本なのですが、「イエズス様が持っていたマリア様に対する信心、マリア様に対する愛こそが、私たちが取るべき理想であって、これこそが最高のマリア信心である」という内容の本なのです。
これを最後に皆さんにお読みする事をお勧めしたいと思っています。そうする事によって私たちが、マリア様の良き子供として、そして奉献をして、そして遂に霊魂の、多くの霊魂の救いの為に、どんな事をする事が良いか、という事をこの本で皆さんに詳しく、実践的なやり方で具体的にヒントを提示しています。
それでは今から10分ほど休憩を入れて、それで次にドモルネ神父様の話を聞きましょう。
「聖母信心への結果としての、イエズス様とマリア様の内に燃えていた「霊魂を救いたい」というその熱烈な望み」
シャミナード神父様による、「マリア様が私たちの母である」という話の続きを致しましょう。
私たちは最初に1回目に、シャミナード神父様の経歴と私たちの関係を見て、そして特に、フランス革命の時にスペインに行って、特別のマリア様のインスピレーションを得た、特に「マリア様が私たちの母である」という事に対して、大切である、という事を深く確信した、そしてその私たちがマリア様の子供であって、マリア様が私たちの母である、という事に基づいて、修道会を創ったり、そして私たちにマリア様に対する信心を広めようとした、その信心の理想像が、イエズス様である。私たちのマリア様の信心というのはつまり、「イエズス様を真似する事である、キリストに倣う事である」という事を見ました。
イエズス様が私たちの聖母の信心の理想である、それを真似するのが私たちにとって一番の願いであって、最高の息子であるイエズス様がなさった最高の母親に対する愛を、私たちもそれを真似したい、イエズス様と一致する、キリストの真似をする、というこの究極はどこにあるかというと、「イエズス様がなさったように、私たちもマリア様に奉献する。」
そして昨日、マリア様に対する奉献について見ました。マリア様は私たちの母であって、私たちはマリア様のものであるので、その所有権を持っておられるので、それをもう一度確認する。そしてイエズス様の持っていた子としての愛を、もう一度私たちの内に実現させる。
そしてマリア様の私たちに対する愛を知れば知るほど、特に十字架の下での苦しみを知れば知るほど、私たちもマリア様に愛を以って返そうとする、という事を見ました。
では、そこからの論理的な結果で、マリア様が私たちの母で、イエズス様の真似をする、そしてイエズス様の真似をして奉献する。でも一体何の為に、イエズス様は人となって、何の為に、イエズス様は贖いの業をしたのでしょうか?
それは、私たちを超自然の命に生み出す為、私たちを天主の子供とする為、御恵みを、超自然の恵みを私たちに与える為、私たちの救霊の為でした。
そして十字架の上で、そして十字架の足下で、イエズス様とマリア様は二人で、私たちを超自然の命に生み出そうと、言葉にもする事のできないほどの恐ろしい、ものすごい苦悩を受けられました。
そして私たちもその願いに、その望みに、イエズス様と一致して、「霊魂を救おう」と思うわけです。そこで今日は、イエズス様とマリア様の内に燃えていた、その「霊魂を救いたい」というその熱烈な望みを、聖母信心への結果として、私たちの心にも持つように致しましょう。
先程、「マリア様に対する信心は、イエズス様を真似する事である」と申しましたけれども、イエズス様を真似すればするほど、イエズス様を真似て聖母への信心をすればするほど、聖母は私たちにですね、こういう事を言っているのです。
“Quodcumque dixerit vobis, facite”「彼の言う事を、何でもしなさい。」(ヨハネ2:5)
ちょうどカナの婚宴の席であったように、そこで私たちのイエズス様に対するキリストの模倣は、ますます完全なものとなっていきます。キリスト者の目標は何かというと、「キリストを真似する者」であって、「キリストに従う者」ですけれども、どこにどうしたら、イエズス様の命や、イエズス様を見つける事ができるでしょうか?
それはマリア様です。シャミナード神父様によると、「私たちはマリア様の胎内にでしか、イエズス様を見出す事ができないし、イエズス様の命を見出す事ができない。第二のキリスト“Alter Christus”、もう一人のキリストとなる為には、どうしてもマリア様を通さなければならない。
もしも聖パウロが言った事を言いたいのならば、『私にとって生きるとはキリストなり』(フィリッピ1:21)これをするには、どうしてもマリア様によらなければならない。
そして『マリア様に私たちを奉献した』というのは実は、その意味は、私たちがイエズス様とマリア様を真似するのみならず、ちょうどイエズス様が、イエズス・キリストがマリア様と共に霊魂の救いの為に働かれたように、私たちもマリア様と共に霊魂の救いの為に熱心に働く、という事である。聖母に対する奉献はつまり、『霊魂の救いの為』である」と言います。
こうやって、シャミナード神父様によると、「マリア様に私たちを奉献させるというのはすなわち、『霊魂を救う為に、多くの霊魂を救う為に、私たちの全てを使って下さい』と言う事と等しい」と仰います。
多くの霊魂の救いの為に私たちを使う、という事はどういう事かというと、「マリア様に、私たちの考えとか、言葉とか、あるいは仕事とか、あるいはお祈りとか、あるいは全てを、日常生活の全ての犠牲や、苦しみ、病気、あるいはその他をマリア様に捧げて、それを使って下さい」と言う事。という事は、「聖母の御恵みの分配の仕事に、使命に与る、参加する」という事。
もうちょっと詳しく言うと、「御恵みを分配するというのはつまり、悪魔の手から霊魂を引き離して、天主の命へと導く事。つまり悪魔との戦い、ルチフェルとの戦いに参加して、そして遂には勝利を得る。マリア様の勝利の側に立つという事だ」と言います。
説明します。マリア様のミッションというのは使命というのは何かというと、「全ての人々の母となる」という事です。ある人間は子供たちは、本当はマリア様の子供となるべく生まれてきたのですけれども、いわばそれが出来ずに、地獄に落ちてしまう、つまり流産してしまう、生まれずにそのまま死んでしまう、という、それがないように、多くの人間が、できるだけ多くの人が、生けるマリア様の子供たちとなる事です。
言い換えると、マリア様の使命は今でも続いていて、それがイエズス・キリストの命を私たちの内に作り出す、という事、全ての人々において作り出すという事、イエズス・キリストを私たちにおいて形作る事です。
その為にこそ、イエズス様は十字架で苦しまれましたし、御血を流されましたし、その為にこそ、マリア様は十字架の足下で涙を流されて、その殉教の苦しみを御捧げしました。
ですからこの私たちが、マリア様に私たちを奉献するというのは、天の最も崇高な戦い、霊魂を救うか救わないか、永遠の命に導くか導かないか、という最も高いレベルの戦いに参加するという事です。
地獄に対する敵対に、私たちは戦いを挑んでいるという事です。マリア様が蛇の頭を踏み砕くのに参加する、それをそれに手助けをするという事です。そして全世界を、イエズス様の元に連れて来る、多くの人々をマリア様の子供として、イエズス様の命を与える。キリスト者という、マリア様の子供を増やす。どこに、世界中どこであっても、真の信仰と、イエズス・キリストの本当の教えを、宗教を広める、導入させる、それを伝える。
これが、私たちのマリア様の奉献の結果の態度です。
ですから、このマリア様に私たちが奉献するという事は、非常に深い、また高い意味を持っています。つまり、私たちが霊魂の救いを、多くの霊魂たちが天国に導かれるようにと、マリア様と共にいつも一致している、という事ですから。今、これほど必要とされているものはありません。
なぜかというと、今、「霊魂の救い」という事を私たちに言って下さるのは、今世界中どこでも、ほんの例外を除いて、無くなってしまったからです。
もちろんテレビやラジオではそんな事言いませんし、ニュースもそんな事はありませんし、教会でさえも、エキュメニズムとか、あるいは自然環境を守るとか、絶滅危惧種を守るとか、100年前にファチマにマリア様がお現れになって、悲しい顔をして霊魂の救いを訴えて、「祈りと犠牲を捧げてほしい。」天使が額ずいて御聖体を礼拝しながら、霊魂の救いの為に、子供たちにお願いして、「祈りと犠牲を捧げてほしい。」その事を言う人の声がますます少なくなっている今、無くなって消えかかっている今、まさにマリア様への奉献が必要となっています。
なぜかというとイエズス様は、マリア様を通してのみ、私たちの元に来る事ができましたし、マリア様がいなければ、私たちはイエズス様を見出す事ができませんし、マリア様がないところでは、イエズス様は来られないからです。
ですから、もしも霊魂を救いたいと思うならば、どうしても聖母と共にしなければなりません。それこそが、私たちがイエズス様と私たちを一致させる事で、それで私たちの考えも、望みも、行動も、すべてイエズス様と一つになって、マリア様を通して捧げる、そうすればマリア様が、全ての必要な御恵みを霊魂たちに分配する事ができる、その特権を使う事ができるからです。そうすればマリア様は、遂には、蛇の頭を粉々に砕く事ができるからです。
もちろん、無原罪の御宿りで蛇の頭は粉々に砕かれました。しかし、まだ私たちに対しては襲いかかっています。その私たちに襲いかかる蛇の頭を粉々に砕く事が、マリア様にはできます。
そこで私たちのマリア様への信心は、「霊魂を救いたい」という母の熱烈な思いに一致するものであって、「私たちの全てを、マリア様と共に、マリア様において、マリア様の為にする」という事です。
これは聖マリ・グリニョン・ド・モンフォールの言い方ですけれども、シャミナード神父様は、「マリア様の名前において、マリア様の栄光の為にしなさい」と仰っています。
そしてこの信心について、シャミナード神父様のその考えをうまく表現した弟子がいて、それがエミル・ヌヴェールという人です。
これはマリア会の司祭で、その神父様が(今私が話した事はこの神父様が書いた事をコピーしただけなのです)、『我が理想:マリアの子なるイエズス(シャミナード霊父の精神による)』という本を書きました。小さな本なのですが、「イエズス様が持っていたマリア様に対する信心、マリア様に対する愛こそが、私たちが取るべき理想であって、これこそが最高のマリア信心である」という内容の本なのです。
これを最後に皆さんにお読みする事をお勧めしたいと思っています。そうする事によって私たちが、マリア様の良き子供として、そして奉献をして、そして遂に霊魂の、多くの霊魂の救いの為に、どんな事をする事が良いか、という事をこの本で皆さんに詳しく、実践的なやり方で具体的にヒントを提示しています。
それでは今から10分ほど休憩を入れて、それで次にドモルネ神父様の話を聞きましょう。