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聖アタナシウス信経って聞いた事ありますか?ニケア公会議の勝利者、カトリック信仰の擁護者、アレキサンドリア総主教、聖アタナシオ(298年頃 - 373年頃)が作ったものです。

2021年5月30日(主日)三位一体の祝日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は三位一体の祝日です。それで聖伝の聖務日課には、第一時課というものに、『聖アタナシオ信経』というものを唱えるように義務付けられています。

聖アタナシウス信経って聞いた事ありますか?これについて今日は少しお話をしたいと思っています。

聖アタナシオ信経というのは、いわば使徒信経と似たようなものですけれども、その最初の言葉にちなんで、『Quicumque信経』とも言われています。これは特に、「三位一体」と、「キリストにおける神性と人性、天主の本性と人間の本性の結合」を告白する信仰宣言です。

西方教会の伝統によると、この著者は、ニケア公会議の勝利者、カトリック信仰の擁護者、アレキサンドリア総主教、聖アタナシオ(298年頃 - 373年頃)が作ったものであるとしています。

聖アタナシオは、アリウス派に対して徹底的に戦いました。でもこのテキストは明らかに、今のフランスであるガリアで書かれて、ラテン語で書かれたものです。そして聖アタナシオが生きていた頃には、東方教会には知られていませんでした。

そこで現代の文献学者たちは、「このQuicumque信経は、聖アタナシウスのものによるのではない」と疑問を提示しています。

しかしこの事は、聖アタナシオがアリウス派の皇帝勢力から西方に追放されていたこと、「ガリアに追放されていた」という事を無視しています。聖アタナシオは数年間、ガリア、特に正確に言うとガリア・ベルギカ・プリーマ、特に今その中心地である、今のトリーアという都市にいました。またローマにも追放されていました。その事を忘れてはなりません。

しかも聖アタナシオは、ブルガリアの今のソフィアという所で行なわれた、サルディカ教会会議(343年)には、ガリアの34名の司教たちを代表して署名しています。つまりガリアとすごく密接な関係があって、友人たちがたくさんいた。司教様を友達として持っていたという事です。

そして、何度も何度も西方にガリアに亡命している間、どうしても聖アタナシオはラテン語を使わなければなりませんでしたし、またラテン語を話す友人たちに、「自分のカトリック信仰はどういうものであるか」という事を説明する為にも、ラテン語で書類を残さなければなりませんでした。

ですから、このQuicumque信経、聖アタナシオ信経というのは、特にガリアの司教様たちの為に自分が残した、カトリック信仰の要約だった、要点だった、と言う事ができます。

なぜこういう事を言う事ができるかというのは、まだもっと理由があります。

例えば、この信経の内容の痕跡が、Lerinsという所にある聖ヴィンチェンツォの『Commonitorium』(†450)という著作の中に垣間見る事ができます。5世紀のものです。

また5世紀には、このCommonitoriumの解説書があるのですけれども、その解説書の中にも、その事が言及されています。聖アウグスチヌス(†430)や、今のチュニジアにあるビザセナの司教であった、ルプセの聖フルジェンチウス(†533)の著作の中にも、聖アタナシオ信経の内容と似たようなものが載っています。すごく近い表現が載っています。

そしてかつてレランの修道者だった、そして後にアルルの司教となった聖チェザリウス(470 - 542)が542年にした説教の中には、「ここから、聖なる司教アタナシオのカトリック信仰の宣言が始まる」と言って、この聖アタナシオ信経を引用しています。これは6世紀のものです。

この信経は、このガリアからその周辺のスペイン、アフリカに広まり、そして遂にはドイツにも広まります。

特にオタンという所の聖レジェ司教(聖レオデガリオLeodegarius, 616 – 678)が、オタン公会議(670年または676年)というものを開きました。教会会議を開きましたが、そこに、「ガリアの教会の司祭と聖職者が、このアタナシオ信経を暗記しなければ、これは罰せられる」というカノン(法令)が公会議で発表されていました。

そして11世紀になると、全フランスの教会では、毎日この聖アタナシオ信経が歌われていました。そして最も古い、8世紀にまで遡る古代の写本の一つには、「その聖アタナシオ信経の最も古い写本は、トリアの修道院から見つけた」と写本を残した人が証言しています。

ドイツでは8世紀に教会に広がって、そして聖ボニファチオが主にこれを広げました。イギリスにも伝えられました。そして例えばウォースター(Worcester)司教区の被選司教、司教様に選ばれた方であるでデネベルト(Denebert)が、自分のカトリック信仰を宣言して、聖アタナシオ信経を歌った、という事も記録に残されています。

そしてドイツに話を戻しますと、ライヒェナウ(Reichenau)という所の修道院長で、その後バーゼルの司教様となったハイトン(Hayton)という司教様は、毎週主日に聖務日課の一時課で、アタナシオ信経を唱えるというように命じました。

この習慣は全ヨーロッパに広がって、そしてローマ典礼でも、「聖務日課を唱える義務がある全ての聖職者たちは、一時課に毎週主日に、御公現の後の主日、それから聖霊降臨後の主日には、一時課で、毎週このアタナシオ信経を唱えなければならない」という事が命じられました。

そしてこれは1960年まで、そのように毎週唱えられていましたが、1960年の典礼改革で、三位一体の主日祝日だけに義務は限定されるようになりました。

ですから私たちは今、1960年の改定に従って、一時課でアタナシオ信経を唱えます。

聖トマス・アクィナスも、この聖アタナシオ信経について言及しています。「アタナシオは、信仰の表現を、使徒信経の形ではなくて、『教義を教える』という形で教えたのは、その表現からも分かるけれども、しかしその全ての真理をわずかの言葉で表現していたので、教会の最高の権威、教皇の権利によって、信仰の規範として受け入れられるようにもなった」と書かれています。(『Secunda Secundæ』第一問第十項)

こうして、最初はアタナシウスによっておそらく伝えられた、ガリアに伝えられたものでしたけれども、非常に早い時期にギリシャ語にも翻訳されて、そしてロシア教会ではポロツクのシメオン(†1680年)が詩編の付録として印刷するようになって、またコンスタンティノープル総主教は、“ホロロギオン”(『時課教』と正教の方は訳すようです)、それにギリシャ語の翻訳が挿入されてもいます。後にはそれは削除されました。

では、アタナシオ信経というのは一体どのような内容であるかという事を、もしかしたらご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんので、ご紹介したいと思います。

『アタナシオ信経』

救われることを望む者は誰であれ、全てに優先して、カトリック信仰を持つ必要がある。
この信仰を、誰でも完全に汚されずに守らなければ、疑いなく永遠に滅びるだろう。
さてカトリック信仰は次の通り。すなわち、我らは三位における唯一の天主、一性における三位を礼拝する。
位格を混同することなく、実体(substantia)を分けることなく。
聖父の位格は別であり、聖子の位格も別、聖霊の位格も別である。
しかし、聖父と聖子と聖霊との天主性は一であり、栄光は等しく、御稜威(みいつ)は共に永遠である。
聖父がまします如く、聖子もましまし、聖霊もましまし給う。
聖父は創造されず、聖子も創造されず、聖霊も創造されない。
聖父は測り知れず、聖子も測り知れず、聖霊も測り知れない。
聖父は永遠、聖子も永遠、聖霊も永遠である。
しかし、三つの永遠なるものではなく、一なる永遠なるものである。
三つの創造されないものでもなく、三つの測り知れぬものでもなく、一なる創造されぬもの、一なる測り知れぬものである。
同じく、聖父は全能、聖子も全能、聖霊も全能である。
しかし三つの全能なものではなく、一なる全能なるものである。
そのように聖父は天主、聖子は天主、聖霊は天主である。
しかし、三つの天主ではなく、唯一の天主である。
そのように聖父は主であり、聖子は主であり、聖霊は主である。
しかし、三つの主ではなく、唯一なる主である。
なぜなら、キリスト教の真理によって、それぞれの位格は天主であり主であると我らが告白するべきであるように、三つの天主、あるいは三つの主を語ることは、我らはカトリックの宗教によって禁ぜられている。
聖父は何によっても作られず、創造されず、生まれない。
聖子は聖父のみよりであり、作られず、創造されず、生まれた。
聖霊は、聖父と聖子とより、作られず、創造されず、生まれず、発出する。
従って、一なる聖父であり、三つの聖父ではない、一なる聖子であり、三つの聖子ではなく、一なる聖霊であって、三つの聖霊ではない。
この三位においては、より先もより後もなく、より大いなるものもより小さきもない。三位は全て、共に永遠であり、互いに共に等しい。
このように、すでに上に述べた如く、全てを通して、三位における一性が、かつ、一性における三位が礼拝されなければならない。
従って、救われることを望む者は、三位一体について以上のように考えるように。
しかし、永遠の救いのために必要なことは、我らの主イエズス・キリストの御托身もまた忠実に信ずることである。
従って、正しい信仰とは、我らの主イエズス・キリストは、天主の聖子であり、天主であり人間であると信じ告白することである。
主は、聖父の本質(substantia)においては、代々の時の前に生まれた天主であり、御母の本質(substantia)においては、時において生まれた人間である。
完全なる天主であり、理性的な霊魂と人間の肉とから自存する完全なる人間である。
天主性によって、聖父と等しく、人性によっては、聖父より低い。
天主にして且つ人間であるが二つではなく、キリストは一である。
天主性が肉へ変化したのではなく、天主のうちに人性が取られたことにより、一である。
本質(substantia)の混同によるのではなく、位格の一性により、全く一である。
理性的霊魂と肉体とが一つの人間であるように、天主かつ人間は一なるキリストである。
主は、我らの救いのために苦しみを受け、古聖所に降りて、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる天主の右に座し、かしこより、生ける人と死せる人とを審かんために来り給う。
主の来り給う時に、すべての人間は、自分の肉体をもってよみがえり、自分の行いについて報告するであろう。
善を行った者たちは永遠の生命に入り、悪を行った者どもは永遠の火に行く。
これがカトリックの信仰である。誰であれこれを忠実に固く信じなければ、救われることはできない。アメン。”

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