2021年6月6日(主日)御聖体の荘厳祭 小野田神父説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日は私たちは御聖体の祝日の荘厳祭を祝っています。
先日の木曜日は御聖体の祝日でした。そこで今日は主日に特別に、御聖体を荘厳にお祝いする日です。
イエズス様が人間になられたのは、私たちを愛する為でした。イエズス様の御生涯は、生まれた時から亡くなる時まで、苦しみと、殉教と、十字架の御生涯でした。
生まれた時には、貧しい馬小屋で、寒い夜にお生まれになりました。生まれるとすぐに、ヘロデ王から命を奪われようとされました。異教のエジプトで、幼少年時代を過ごさなければなりませんでした。ナザレトでは貧しい御生活でした。
公生活の間、人々に奇跡を施し、病を癒し、悪魔を追い出して、福音を宣べ伝えたその返答に、人々からは、「十字架に付けろ!」と叫ばれました。
十字架を担って、鞭を打たれて、茨の冠を被せられて、弟子たちから裏切られて、友人から捨てられて、そして命を、私たちの為に与えて下さいました。
イエズス様はこれらを、喜んでなさって下さいました。私たちを愛して下さったからです。
もしもイエズス様が御聖体を制定しなかったら、この苦しみは復活で終わった事でしょう。
しかしイエズス様は、私たちを極みまで愛されて、「私たちと共に一緒にいたい、傍にいたい、離れたくない、いつも私たちに慰めと祝福を与えたい、世の終わりまで共に留まりたい」と思われたので、私たちの霊的糧として、地上に残ろうと、御聖体を制定されました。
ですから、この愛の秘跡において、イエズス様は私たちを愛そうとされます。
しかしイエズス様は、御聖体において受難を、世の終わりまで続けなければなりませんでした。
なぜかというと、イエズス様はこれほど私たちを愛しておられるのに、愛された人間が、私たちが、御聖体に対して無関心であったり、冷淡だったり、信じなかったり、あるいは冒瀆をしたり、その愛に報いようとしないからです。イエズス様の御受難は世の終わりまで続くかのようです。
恐ろしい十字架の御受難も、イエズス様は喜んで受けました、「何の辛い事もない」と。
しかし、朝飯前だったその十字架の苦しみも、イエズス様から愛された私たちから受ける冷淡と無視を見て「それだけは、あまりにも辛い」と思われたからです。
聖女マルガリタ・マリア・アラコックには、苦しい御様子で現れて、聖女に頼まれました。この心臓、自分の聖心を見せて、「人類の為に、人々の為に、ここまで愛した私の心を見よ。しかしこれに対して人々は、冷淡と、無関心と、冒瀆で、私に返事をする。少なくともお前は、私を慰めてほしい。」
イエズス様が十字架を担いで、エルサレムを引き回された時に、マリア様と少数の御弟子たちは、マリア様と共にイエズス様の十字架の後を慕って歩きました。どれほどイエズス様は慰めを受けた事でしょうか。
今日は御聖体荘厳祭、天にまします復活された真の天主が、私たちのこの大阪の道を、私たちと一緒に行幸して下さいます。私たちの街を、そして私たちの国を、世界を、祝福して下さろうと思われています。
私たちはそのかたじけない御恵みを受けるにはふさわしくない者ではありますけれども、イエズス様の寛大な憐れみ深い愛にひたすら感謝しつつ、王の傍で一緒に、この王様の行幸のお供をさせて頂きたいと思っております。
イエズス様が受けた、過去に受けた屈辱や冒涜を、イエズス様と一緒に歩く事によって、感謝して、そしてそれのできる限りの償いをしたいと思っています。
特に現在、カトリック教会で、イエズス様が受けられる冷淡な態度、御聖体が受ける冒瀆、礼拝の欠如、あるいは無関心など、できる限りマリア様の御助けを以って償いたいと思っています。
今日は多くの方がミサに与って下さって感謝します。ぜひ御聖体行列も皆さんなさって下さい。イエズス様に感謝と讃美を御捧げしましょう。皆さんを御覧になって、イエズス様はどれほど御喜びになるか、感謝されるか、その皆さんからの温かい愛を受けて、どれほどの祝福で返して下さるか、私たちの想像を超える祝福が、皆さんと、そして皆さんのご家族の方や、そして日本に、世界に、与えられると確信しています。
どうぞイエズス様を讃美して、礼拝して、感謝し、今日この聖なる主日、荘厳祭をより聖なるものとする事に致しましょう。マリア様にその御取次ぎを願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日は私たちは御聖体の祝日の荘厳祭を祝っています。
先日の木曜日は御聖体の祝日でした。そこで今日は主日に特別に、御聖体を荘厳にお祝いする日です。
イエズス様が人間になられたのは、私たちを愛する為でした。イエズス様の御生涯は、生まれた時から亡くなる時まで、苦しみと、殉教と、十字架の御生涯でした。
生まれた時には、貧しい馬小屋で、寒い夜にお生まれになりました。生まれるとすぐに、ヘロデ王から命を奪われようとされました。異教のエジプトで、幼少年時代を過ごさなければなりませんでした。ナザレトでは貧しい御生活でした。
公生活の間、人々に奇跡を施し、病を癒し、悪魔を追い出して、福音を宣べ伝えたその返答に、人々からは、「十字架に付けろ!」と叫ばれました。
十字架を担って、鞭を打たれて、茨の冠を被せられて、弟子たちから裏切られて、友人から捨てられて、そして命を、私たちの為に与えて下さいました。
イエズス様はこれらを、喜んでなさって下さいました。私たちを愛して下さったからです。
もしもイエズス様が御聖体を制定しなかったら、この苦しみは復活で終わった事でしょう。
しかしイエズス様は、私たちを極みまで愛されて、「私たちと共に一緒にいたい、傍にいたい、離れたくない、いつも私たちに慰めと祝福を与えたい、世の終わりまで共に留まりたい」と思われたので、私たちの霊的糧として、地上に残ろうと、御聖体を制定されました。
ですから、この愛の秘跡において、イエズス様は私たちを愛そうとされます。
しかしイエズス様は、御聖体において受難を、世の終わりまで続けなければなりませんでした。
なぜかというと、イエズス様はこれほど私たちを愛しておられるのに、愛された人間が、私たちが、御聖体に対して無関心であったり、冷淡だったり、信じなかったり、あるいは冒瀆をしたり、その愛に報いようとしないからです。イエズス様の御受難は世の終わりまで続くかのようです。
恐ろしい十字架の御受難も、イエズス様は喜んで受けました、「何の辛い事もない」と。
しかし、朝飯前だったその十字架の苦しみも、イエズス様から愛された私たちから受ける冷淡と無視を見て「それだけは、あまりにも辛い」と思われたからです。
聖女マルガリタ・マリア・アラコックには、苦しい御様子で現れて、聖女に頼まれました。この心臓、自分の聖心を見せて、「人類の為に、人々の為に、ここまで愛した私の心を見よ。しかしこれに対して人々は、冷淡と、無関心と、冒瀆で、私に返事をする。少なくともお前は、私を慰めてほしい。」
イエズス様が十字架を担いで、エルサレムを引き回された時に、マリア様と少数の御弟子たちは、マリア様と共にイエズス様の十字架の後を慕って歩きました。どれほどイエズス様は慰めを受けた事でしょうか。
今日は御聖体荘厳祭、天にまします復活された真の天主が、私たちのこの大阪の道を、私たちと一緒に行幸して下さいます。私たちの街を、そして私たちの国を、世界を、祝福して下さろうと思われています。
私たちはそのかたじけない御恵みを受けるにはふさわしくない者ではありますけれども、イエズス様の寛大な憐れみ深い愛にひたすら感謝しつつ、王の傍で一緒に、この王様の行幸のお供をさせて頂きたいと思っております。
イエズス様が受けた、過去に受けた屈辱や冒涜を、イエズス様と一緒に歩く事によって、感謝して、そしてそれのできる限りの償いをしたいと思っています。
特に現在、カトリック教会で、イエズス様が受けられる冷淡な態度、御聖体が受ける冒瀆、礼拝の欠如、あるいは無関心など、できる限りマリア様の御助けを以って償いたいと思っています。
今日は多くの方がミサに与って下さって感謝します。ぜひ御聖体行列も皆さんなさって下さい。イエズス様に感謝と讃美を御捧げしましょう。皆さんを御覧になって、イエズス様はどれほど御喜びになるか、感謝されるか、その皆さんからの温かい愛を受けて、どれほどの祝福で返して下さるか、私たちの想像を超える祝福が、皆さんと、そして皆さんのご家族の方や、そして日本に、世界に、与えられると確信しています。
どうぞイエズス様を讃美して、礼拝して、感謝し、今日この聖なる主日、荘厳祭をより聖なるものとする事に致しましょう。マリア様にその御取次ぎを願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。